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第三節 庶民街の行き倒れ ――ノエル・ユーランド



「ここが下流層の"庶民街"か……」


 雨の予兆である、湿ったニオイがしていた。


 僕、ノエル・ユーランドは、"庶民街"と王国の人に呼ばれている中流層と下流層の中間地区に来ていた。

 もちろん、お忍びだから、怪しくてもローブとフードは被って。


 ここは首都ローゼンに住む人々の大半が住んでいると言われている地区で、比較的、治安も悪くない地区……少なくとも僕はそう聞いている。


 そろそろ、温かくなってくる時期だって言うのに、曇った空を見上げれば、口元から白い息が上がっていく。

 薄着で外を歩くには、まだだいぶ寒い時期だ。


 周りを見れば、限られた場所を活用するために高く作られた白レンガのタウンハウスがひしめき合うように建っていて、さながら、王宮庭園の生け垣の迷路みたいだった。

 詰まった建物に目を向ければ、隙間風が入りそうなヒビもあれば、綺麗に整っている家もあり、どこかちぐはぐ感が否めない街並みだった。


 お世辞にも上流層のような貴族のために整えられたような街並みではない。


「んー、やっぱり現実に見て回るのが一番かな。王族派は我関せずだし、貴族派に聞いても報告書を回してくるだけで、要領を得る報告書はないし……。どうして、報告書の嘘を見抜けないんだろ。ちゃんと仕事してくれれば、僕もわざわざ外に出る必要なんてないのになあ」


 自分に回って来てる仕事の愚痴を言いながら、人が関わっていそうな場所を回っていく。


 僕、ノエル・ユーランドが今手掛けているのは、首都ローゼンの中流層の治安維持だった。

 下から上がってくる報告書を見たら、平和で民も落ち着いてるって書いてあったけど、こういうものは実際に見て、確認して回らないと本当のところは分からない。

 治安維持には、迅速、かつ精密な情報が必要不可欠。

 なのに、治安を守るはずの騎士たちの士気が異常に低いせいで、下から上がってくる報告書は"異常なし"や"問題なし"ばかり。


 人が生きていれば問題は出る。集まれば、当然問題も集積する。

 首都であるローゼンがいくら華やかで平和だと言っても、問題が無いわけが無い。

 下流層に行けば娼館がらみの事件が多いし、酒場の付近では酔っ払いの事件も起きる。


 細かい事件は治安維持にとって、なによりも大事な情報なのだ。


 ……まあ、僕が直接行く必要はないって、爺には抑えられてるけど。


「爺は大丈夫だって言うけど、自分の部下だって他人だし、他人の情報は歪むんですよーっと。あ、そうだ。化粧崩れてないかな?」


 町中を見て回っていると、ちょうど上流層付近の店だったからか、ガラスに映った自分の姿目に入ったので、足を止める。

 ガラスには金髪碧眼で、髪を三つ編みにして前に垂らした化粧っ気のあるメイドさんが、ローブを着込んだ僕が立っていた。



 僕が女の子の格好をして外に出ている理由は……実はあんまりない。

 ユーランド家は昔から王家に使えている伯爵家で、ユーランド家の男子は童顔で女の子のような顔立ちが生まれやすいらしかった。


 現に父も祖父も、僕にそっくりだったって聞いてる。

 ただ、そのせいで、身長も高くない僕は、姉さまたちに女の子だってからかわれ続け、嫌味で化粧をしたら、姉さまたちを絶句させる出来になってしまったのだ。


 姉さまたちへの意趣返しで本気の女装をしてたら、両親が貴族らしくしなさいと怒られ、城勤めを言い渡されてローゼンの屋敷に送られたんだけど……。

 後で聞いたら、姉さまたちに噂を巻かれるのが嫌で、遠くに離したかったらしい。

 正しく貴族だとは思うけれど、妙に腹が立ったので、女装は続けてやることにしていた。


「なあ、君。よかったら、食事でもしないかい?」

「へ? ああ、ごめんなさい。ご主人さまに急ぐよう言われてるの」


 昔の事を思い出していると、通りかかった兵士に声をかけられる。

 適当にあしらうと、向こうも慣れた手合いだったのか「そっか」と軽く流され、手を振って行ってしまった。


 ……まあ、こういう調査に使えるから、無駄じゃなかった、かな。

 この庶民街どころか、顔見知りが多いはずの王宮近くを歩いても、どこぞの従者だと思われて声もかけられなかったのはさすがに警備兵を疑ったけど。


 ちなみに、ちょっと対応が慣れてるのは、王宮の警備兵にナンパされたことがあるからだ。

 今は違う人が警備を担当している。


「さて、目ぼしい情報は転がってないかなっと」


 昔のおサボリマンの事は放っておいて、人通りの多い町中に視線を向ける。

 店を開く人間たちに、商談を持ちかけている亜人の商人たち。だれの顔にも渋みが残っているのを見ると、あまりうまくまとまらなかったんだろう。

 警備兵はと探せば、誰もが暇そうに雑談を交わしていて、通りを歩いているのを見かけた。


「警備兵は暇そうだけど、幅を利かせてるわけじゃない。亜人たちも問題を起こすどころか、キチンと交渉の場についている、と。治安は言われてるよりも悪くはなさそう、かな? まあ、亜人が怖いだけって可能性もあるだろうけど」


 一通り見て回って、問題はなさそうなことだけは確認する。

 そして、横を通った亜人の商人も、お店番をしている人達も、どこか疲れが滲んでいるような表情が見えた。


(上流層の人たちと違って、誰の顔にも余裕がなさそう。これは地味だけどチェックかな)


 中流層の人々は、どこか必死、というか、余裕がない人が多そうなのは治安的に結構厳しそうなところだった。

 上流層は警備の目も行き届いているし、なにより貴族街が多い。下手なことをしようと思う人は少ないし、商人だってゆとりを持っている人も多い。


 なんというか、無理して笑ってる感が強いと言うべきか。とにかく、元老院とか、貴族界とかと比べると、狡猾な絵図を浮かべる余裕すらも無いって感じだった。


「んー、治安はいいけど、上流に対していい思いは持ってなさそう、かな。報告書では、問題なしばっかりだけど……やっぱり報告で聞くのと自分の目で見るとだいぶ違うなあ」


 さりげなく纏っていたローブのフードを深くかぶる。


 最近、王城が打ち出す政策は、下流層や上流層をターゲットにした政策ばかり。

 帝国が身内同士で争う気配があると商業組合の人たちが流してくれたから、仕方ない地盤固めのためなんだけど……。

 特別支援しているわけでもない中流層がはいそうですか、と理解してくれるわけもない。


 まあ、そもそも仮に支援があっても理解してもらえるか怪しいのに、してないんだからなおさらだ。

 また別の誰かとすれ違いながら、治安維持に必要そうなことを考える。


(んー、出来ればガス抜きとして、早めに中流層に娯楽系のなにかを誘致したいよねえ。上流層が手ずからってより、国内の誰か……ううん、最悪、国外から不定期で来てもらって支援できれば上場かなあ。上がちゃんと頭が働けばだけど……と?)


 無理難題を考えながら町を歩いていると、ポツポツと、冷たい雫がフードに当たる。

 何かと思って空を見上げると、灰色に染まった雲から、雨が降り始めてきた。


「雨、か。ちょっとついてないなあ」


 空気を読まない天候様に文句を言いながら、通りの人たちと一緒に店の軒先に避難させてもらう。

 ローゼンカッツェ王国は砂国と帝国側の山脈に挟まれた位置に存在する国で、雨はそこまで多くない。

 こうして、一般市民の声を集めようと思って庶民街をぶらつく日に降られたのは少々ついていない。


「こっちに来れる機会は少ないからもっと見たかったけど、そろそろ戻るべきかなあ。心配かけちゃうし」


 こればっかりは時の運だ。

 しかたないと上流層の方へ戻る道を確認して、フードを深くかぶり――


 ドシャ。


 駆け出そうとした瞬間、濡れた石畳の上にだれかが倒れこむ音が聞こえてぎょっとする。

 路上を見ると、倒れて目を虚ろにした翡翠の海が広がっていた。


 ……正確には翡翠という砂国の宝石みたいな色の髪をした、ローゼンカッツェではない別の国の民族衣装を着た誰かが倒れていた。

 近くには見たことも無い鈴の髪飾りがあるけれど、彼女のだろうか。


「浮浪者? にしては、身なりが綺麗だし、行き倒れかな?」


 普段だったら、珍しいだけで済んだかもしれない。

 でも、綺麗な身なりと整った艶を保った髪は庶民街の人間とは思えず、ついつい目線で追ってしまっていた。


 非常にも、路上を歩く誰もが、倒れた彼女の事を無視し続けて通り過ぎていくのが目に入ってしまう。


(どうして、誰も手を伸ばさないんだろう。今にも死んじゃうかもなのに)


 不快な思いで忘れていたが、冷静に考えれば、当然かって思う。

 一時の衝動で助けて、余裕が無くて後の事を保障できないのなら、ここで助けるのは自己満足野郎の大罪だ。


 僕も僕で、治安の維持が仕事だ。助けるよりも他国の人だろうと、自国の人だろうと、見捨てて倒れた事件を次の議題で取り上げれば、おそらく、倒れている人のおかげでたくさんの人を守る議案を通せたかもしれない。


 そうできたはずなんだけどなあ。

 パシャっと、足元の地面が音をたてる。


 気が付いた時には、僕は雨の中倒れた人に駆け寄っていて、その横に跪いて体調を確認しようとしてしまっていた。


(ああもう、僕の馬鹿。面倒ごとは避けるべきだってのに!)


 自分でもそう思う。でも……でも、嫌だったんだ。


 僕は貴族で、余裕がある。

 僕の手の届く範囲で誰かが困っていたら助ける方法も手段もあるはずなのに、外聞を気にして誰かを利用するためだけに倒れている人を見過ごす。


 そんな私腹を肥やす貴族の老人みたいな、自分の嫌いな貴族のような真似は出来なかった。


「ちょっと、大丈夫!?」


 自分のローブもメイド服も濡れるのも構わず、倒れていた人に抱き起そうとする。

 手が体に触れた瞬間、服越しに柔らかな体の感触が伝わり、妙に健康的で、倒れ居てたのが亜人で、もしかしたら"幻想種"かもしれないってすぐに分かった。


 亜人は、一般的な栄養だけでなく、魔力も糧にして寿命や若さを維持しているって聞いたことがある。

 そう言うのもあって人間の国では結構忌避されているのだけれど、今はこの人を助ける方が先だった。


 とりあえず、死んでないかを確認するために、力ない体を仰向けにして、張り付いた翡翠の髪をかき分けた瞬間。


 僕の世界が、目の前の人で埋まった。


 弱々しいのにみずみずしい張りのある肌。

 倒れた際に寄れてしまったのか、民族衣装的な彼女の服がズレ、膨らんだ柔らかそうなふくらみがまろび出ているのが目に飛び込んでくる。


 頬が熱くなりながら慌てて目を逸らせば、エメラルド色に輝く髪先が張り付いていた肌から零れ落ちると、同じ色の長く綺麗なまつ毛が動き、か細く瞼が動いた。

 微かに動いた瞳は、穏やかな緑色の縦に割れた瞳孔で、瞳でなかったら思わず手を伸ばしてしまいそうなほど綺麗な宝石で引き込まれる。


 うっすらと開いた桜色の唇に、力なく空いた隙間からは尖った牙のような犬歯が見えた。

 自然と視線を下がり、思わず目を見張る。



 彼女の首元にはそれはそれは大きな、僕の腕の長さと同じくらい長く、太い傷跡があった。



 生きているのが不思議なほど、痛々しいほど大きな傷で、彼女の美しさを損なう……ううん、際立たせる要素にしか僕は見えなかったけど、それでも酷い傷跡だった。


 だけど、そんなのどうでもよくなるくらい、彼女が見捨てられそうになったのを納得した要素があった。

 それは、何よりも特徴的なのは、額の端の方に生えた二つの突起だ。

 彼女はどうやら、"鬼"と呼ばれる種族の特徴で、亜人か、幻想種かは分からないけれど、戦闘に特化した、魔力の高い種族だって聞いている。


 強いと噂の種族が倒れているのを見れば、誰だって厄介ごとだっていうのは分かる。

 生きるのがやっとな人間だけじゃなく、亜人が近寄らないのも無理はなかったのかもしれない。


(っ! ば、馬鹿か僕は。見惚れてる場合じゃない! 早く彼女をどこかに運ばないと……)


 すぐに移動しようと彼女の体を抱きかかえた瞬間、薄く、力ない瞳がかすかに動いて、僕のことを認める。何を思ったのか、抱き上げた僕の事を尖った犬歯を見せて微笑んでくれた。

 呼吸が止まって心臓がすごく痛くなって、近くに落ちていた鈴の髪飾りを握りしめて、フードを取り払う。


「起きて! こんなところで倒れて、どうしたの?」

「き、み……は?」

「僕? は、えっと……の、ノエル」


 咄嗟に自分が貴族であることを隠して名前だけを答えてしまった。

 まずい事ではないんだけど、身分を隠してたせいでつい、その名前で自己紹介したのを、僕は後々後悔することになる。


 そんなに余裕は無さそうだったので、彼女を抱きかかえ、温められそうなものを探しながらも声をかけ続けた。


「そ、そんなことよりもどうしたの!」

「お……た」

「お? ごめん、もう一度言って」


 か細い彼女の声が雨にかき消される。

 もう一度言うように促して、彼女の顔に耳を近づけた。

 頬に、彼女の冷たくなった吐息があたってくすぐったいけれど、確かにその声は僕の耳に届いた


「んぁ、お……、お腹、すいた」

「え?」


 力尽きた彼女の声と、大きなおなかの音が周囲に響き渡った。



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