第二十四節 こうして余はまたお世話になる ――翠玉
どれくらい舟をこいでいただろうか。
意識も朦朧として、嬉しい夢と現実の境があいまいに蕩けている中。
ふと、ノエルと一緒に仕事をして笑いあう光景が目の前に広がって、胸のポカポカがドキドキと、嬉しいのに恥ずかしくもなる鼓動に変わった。
余と一緒に働いて、嬉しそうに笑顔を向けてくれるノエル。
これからあるかもしれない光景に手を伸ばしたくて、声を上げてしまう。
「ん……ノエル……えへへ、ノエルと一緒に仕事、嬉しい、ぞ……。ドキドキ、するけど、悪くない、から……」
「はぇ!?」
「んぅ……?」
こっくりこっくりと、重くなった頭を枕に埋めていると、突然背後から驚いたような声が聞こえた。
なんだか、ノエルの声みたいで……。
寝ぼけ眼を擦りながら、顔を上げると緑色の髪がばらりと目の前に垂れ幕を落とす。
枕の下敷きにした腕を発掘して目を擦ると、サウナに入って湿った髪はすっかり乾いていた。
邪魔をする前髪を退け、部屋の入口の方を見る。
「ノエルみたいな声……え?」
余に与えられた部屋の入口……。
いつも新品のエプロンドレスを吊るすためのラックの横に、綺麗な顔をした人間の女の子……ノエルが、頬を真っ赤に染めてそこに立っていた。
どうして頬を染めているんだろうとか、夢と現実どちらなのだろうかとか、眠気で靄がかかった頭で考えて……。
ノエルがそこに居るという事実を認識した寝ぼけた頭が覚醒した。
「はっ、の、ノエル!? ど、どうして! い、いつ余の部屋に!?」
予想していなかったノエルの登場に、頭がこんがらがってしまう。
気がついたら体が勝手に枕を抱き抱えてベッドの端に身を寄せていた。
事態を理解しきれてない頭で口から勝手に出た言葉に、ノエルはばつが悪そうに口元を手で押さえ「いやあ、その……」と口ごもっていた。
「えっと、ノックはしたつもりだったんだけど……」
「っっっっ! ば、ばか! 声をかけてから入ってほしかったぞ!」
「ご、ごめん! いや、そうじゃなくって! 大丈夫、僕と一緒に仕事って当たりしか聞いてないから!」
「ほ、本当か?」
「あ、あはは、君に誓うよ。でも、スイもスイだよ? 部屋に鍵をかけずに寝ちゃってるんだもん」
「んぐ……」
「でも、よかった」
「な、なにが良かったんだ?」
「君もそう思っててくれたんだって。あ、一緒に働けて嬉しいってさ」
「あ、ぅ……そう、だぞ? 余は……その、ノエルと一緒で嬉しい」
「そっか、うん。それは嬉しい、かな」
旦那様が認めてくれた勇気を振り絞って、ノエルに気持ちを伝える。
一度、ノエルはきょとんとしたけれど、ふっと微笑んで答えてくれた。
嬉しい、ノエルも嬉しいと思ってくれているんだ。
そう思えば、恥ずかしさよりも嬉しさが勝り、今度は頬がかあっと熱くなって、顔を見られたくなくて枕をぎゅっと抱きしめた。
「……あ、そうだ、スイ。この部屋で裁縫をしてもいい?」
余が何も言えずにいると、思い出したようにノエルが片手を持ち上げる。
そこには、ノエルがいつもソーイングセットを入れているカゴがあった。
普通は専用の御針子に任せたり、自分の部屋でこっそり行うのだが、どうしたのだろうか。
余が首をかしげると、ノエルはさっきの事もあって言い辛そうに、不安そうな顔でまた頬をかいていた。
その顔が、なんとなくもやっとする。
「端っこで良いんだけど……」
「え? あ、も、もちろん、いいぞ?」
「ほんと? ありがと」
不安そうだった顔がぱっと笑顔になって、ほっとする。
安堵していると、ノエルはトテトテと化粧台まで歩いて椅子を引こうとしたので、呼び止めた。
「? どうしたの、スイ」
「ん、どうしたもないぞ、ノエル。こっち、ベッドに座ればいいだろう?」
「え゛、いや、それはちょっと……」
「だめ、なのか?」
「んぐ……。わ、かった」
女の子同士なら普通だろうと思っていたのだが、ノエルはちょっと恐縮したように体を小さくしてベッドの端にチョコンと腰を下ろしていた。
なんだか、いつものノエルと違って縮こまっているのが新鮮でくすっと笑いがこみ上げてきてしまう。
自分もこうして隅に居るのも変だなと思い、のそのそとベッドを張って縁で足を下ろすと、タイミングを見計らったかのようにノエルが「あのさ」と口を開いた。
「スイ、覚えてるかな。この前、外に出た時のこと」
開口一番にノエルがそう言って、んぐと胸元で何かが詰まる。
もしかしたら触れられるかなと思っていたから衝撃は少なかったけれど、それでもちょっとだけ悲しい気持ちになってしまった。
余が変な顔を表に出してしまっていたのか、ノエルは編み物を持ち上げて余を見ると、ハッとした顔になり、すぐに手を振った。
「あ、ごめんね。責めるつもりじゃないよ。だから、身構えないで聞いてほしいんだ」
「ん……覚えてるぞ」
「ごめんね。……スイが覚えてるかは分からないんだけど、薬に詳しい人を紹介してもらうって話、覚えてる?」
ノエルが手際よく裁縫道具を取り出し、何かを始めているのを横目に考える。
そう言われて、あの日、薬屋に立ち寄って色々とアドバイスをしていたことを思い出し、あれかなと見当を付けた。
「ん。ノエルと出かけた事だ、ちゃんと覚えてるぞ」
「そ、そっか。えっと、じゃあ、あの時の話、スイに紹介するつもりでお願いしてたって知ってた?」
「え?」
余に、薬関係の人を紹介……?
予想外の言葉に目をぱちくりとさせてしまう。
てっきりノエルが薬の事を知りたいからとばかり思っていたのに。
余が反応できずにいると、ノエルは裁縫をしてる手を止めずに余をちらりと見て、苦笑していた。
「あはは、やっぱり自分には関係ないと思ってたんだね」
「え? だ、だって、余はてっきり旦那様の仕事の幅を増やすためだとばっかり……。ノエルも旦那様は少しだけ薬に興味があるって……」
混乱したまま素直に考えていたことを答えると、ノエルもまた考えるように「あー」と天井を見上げる。
「たしかに、そう言ったかも。確かにぼ……旦那様は薬に興味はあったけど、蒐集するのが好きなだけ……だったから」
「……そう、なのか?」
「うん。集めて、旦那様がしてる仕事関係で使えるときに使えばいいかって感じ。ほら、旦那様の仕事って、上流層や中流層の治安維持も受け持ってるからさ」
「なるほど……じゃ、じゃあ余のためっていうのは、もしかして……」
「ん、スイがうちに来るとき、人を治す術を勉強したいって言ってたから。旦那様の伝手を使ったら嫌がりそうだったから、出来るだけ、スイが気苦労しない相手を探す意味も込めて、ね」
ノエルの気遣いと優しさに、じんわりと胸と目頭が熱くなって、ぎゅっと胸元でこぶしを握る。
ただでさえ、ノエルは余にたくさんの……生きる理由も、仕事も、喜びもくれたのに。
これ以上されたら、なにをして恩を返せばいいのだろう。
余がジーンとしていると、ノエルは裁縫していた手を止め、余を見た。
「だからね、スイ」
「う、ん?」
「勝手に居なくなるとか、無しだよ?」
「え……?」
思わぬノエルの言葉と表情に動揺してしまう。
余を上目遣いに見つめるノエルは、心配と不安を混じらせた表情で……とても悲しそうだった。
裁縫道具をカゴにしまい、片手をベッドに乗せて、余の方に身を乗り出してくる。
綺麗なノエルの顔が近づき、艶のある唇がきゅっとすぼめられる。
「僕、スイが居なくなろうとしたって聞いて、居てもたってもいられなかった。スイが一人で勝手に悩んでるって聞いて、すごく寂しくなったんだ」
「ノエルも、聞いたのか?」
「うん。君の話は僕に回ってくるようにしてもらってるから。だから……だから、今度からはきちんと僕に相談してね? 一人で勝手に考えたり、一人で勝手に決めたりしないでね? スイを心配する人が、この屋敷にもあれだけたくさんいるんだから」
ノエルが自分の胸元に手を添え、必死に訴えられてしまう。
その姿に、またじんわりと胸が温かくなって……。だからこそ、胸が痛くなった。
「そっか、余は、ノエルにも心配をかけていたんだな」
苦笑してそう言うと、ノエルはピタッと動きを止める。
どうしたのだろうと様子をうかがっていると、ノエルは心配そうに眉をひそめ、余の顔を覗き込んできた。
「もう、大丈夫?」
「ん、すまぬ。旦那様が認めてくれたから、余はもう大丈夫」
「……本当に?」
「むぅ、心配性だぞ、ノエル」
「そりゃ心配にもなるよ、だってスイだもん」
「なっ、ど、どういうことだ、ノエル!」
「えー? だってさー」
ノエルがはぐらかすように笑い、裁縫道具に手を伸ばす。
そんなノエルに頬を膨らませながらも、正直、理解はしていた。
言われなくても分かる。
あれだけふさぎ込んで勝手に辞めようとして……自分でも、構って欲しさ全開だったと分かる程の事をしたのだ。
心当たりがないと言えばうそになるが、それでも、そう思われるのは少し嫌だった。
余がそう思ってるのは分かっていたのか、ノエルは「冗談だよ」というと元の位置に座り直してくれる。
むぅ、ここで素直に下がられてしまうと、本当に余がそうだったみたいだ。
でも、ノエルにはそれぐらい心配をかけさせてしまったのだから、仕方ないのかもしれない。
でも、もう彼女を……ノエルを心配させたくない。
枕を抱きしめ、元の位置に戻して、声をかける。
「ノエル」
「うん? どうしたの、スイ」
優しく微笑んでくれたノエルの……女の子にしては少し骨ばった硬い手を取る。
「余は、ノエルと一緒に居られて、幸せだぞ」
「おぉ、え? あ、ああ、うん。ありが、とう?」
「あはっ、動揺しすぎだぞ」
キョトンとして、目が泳ぐほど動揺したノエルに噴き出してしまい、手を引き寄せる。
ベッドから立ち上がり、いつものように見上げてくれる彼の手を取りながら、余の傷……首元にある大きな傷の縁に触れるか触れないかを添わせ、頬にピタッとつける。
温かい彼の体温を感じながら、心からの笑顔を彼に向けた。
「これからも、ずっと一緒だからな、ノエル」
これからも、ずっとずっと、余はノエルと一緒に居たい。
だから、余は頑張るんだ。
心の中でノエルにそう誓いながら、今日もノエルと共にユーランド家のお屋敷のお世話になることになるのだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
翠玉とノエルの二人のお話は、いったんここで終了となります。
本当はもっと甘々にする予定だったのですが、この話入れたい!この話好き!この話追加しよう! とかやってたら、甘々どころか、若干シリアスに寄ってしまいました……。
続きは考えてあるのですが、誰か読んでくれているな、と実感したら続きを書きたいと思います。
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もし「この作品の続編はまだか!」とか「結構世界観好きだな」とか思っていただけたのなら、他作品も世界観や設定がつながっている作品……というか、シリーズに入れてありますので、そちらを読みながら気長にお待ちいただけたらな、と思います。
それでは、このお話の続きか、次の作品をお待ちください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
追記
↓活動報告に小さな裏話を書きました。
(https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/703256/blogkey/3443001/)




