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第二十三節 認められるという事 ――翠玉


 傷に触れていた手を温かくなった胸元に添え、ほっと息を吐く。

 信じられなかった。

 余が、あれだけ難しく考えて、ノエルに迷惑をかけないようにって思っていたのに。

 先輩に握らされた紙の束が、余に……余を信じ切れなかった余を、別の誰かが認めてくれている証拠がここにある。

 そっか、余はこの屋敷に……。



「君は、この屋敷に必要な人材、ということだ。自信を持ちなさい」



 まるで、タイミングを読んだみたいにドア越しのくぐもった声……旦那様はそう言ってくれた。

 さっきまでドクドクと鼓動を立てていた心臓が落ち着いて、旦那様に覚えていた恐怖が、困惑が……役に立てない事への罪悪感が薄まって、まさに、余の故郷の言葉で"(もう)(ひら)かれた"ような気がした。


 必要……余を必要としてくれた。


 雇い主に……旦那様がそう言ってくれて、涙がジワッと溢れそうになる。

 まだ、ノエルと一緒に働いていいんだって思うと、心の中が温かくなって……今すぐ蹲って泣いてしまいたい衝動に駆られる。

 でも、今は旦那様の前――ドア越しだけど――だし、先輩が近く居る。

 密かに鼻をすすったらズビっと音がしそうになってしまった。

 こっそり鼻をすすっていると、横からくすくすと笑う声が聞こえる。

 も、もしかして見られてしまったか。

 頬がかあっ熱くなるのを感じながら先輩を見ると、先輩は余ではなくドアの方を向いて笑っているみたいだった。


「先輩?」

「うん? ああ、ごめんなさいね。ふふっ、旦那さまったら、まだお恥ずかしいみたいで」

「旦那様が……あ!」


 先輩に言われ、まだ旦那様がそこに居らっしゃることを思い出してハッとする。

 見えているわけが無いのに、余は慌ててドアに向かって頭を下げた。


「あ、あの! 旦那様!」

「……?」

「その、旦那様、ありがとうございます」

「……なにがだい」


 まだ居てくれた。

 その事実に胸が温かくなりながら、開かないドアに向かって角が当たらないように顔を上げる。


「礼を。お礼を言いたかったんです。旦那様が止めれくたことを」


 まだ慣れない敬語を使いながら、胸元をぎゅっと……恐怖を抑えるためじゃなくて、喜びを抑えるために握りしめる。

 ずっと、ドア越しの旦那様。

 顔は見せてくれないけど、でも、こうやって証拠まで集めて、余を必要だと説得してくれたのは、この旦那様だ。


「無礼だとは思って、ます。でも、お礼と、これだけは言わせてください。旦那さまは、すごく優しい人なんだって思う。その……ノエルみたいだって思った」


 心からそう思う。

 褒めたつもりだったのだけど、ドア越しに動揺する気配と一緒に笑いをこらえるような気配が伝わってきた。

 キョトンとしていると、横で先輩が「スイギョクちゃん……」と、とても残念そうなものを見る目で見られている気配がした。

 む、むぅ、いくら何でも心外だぞ、先輩。

 でも、今ここで旦那様に礼を伝えるのはあまりにも不躾だっただろうか。

 大丈夫だったのだろうかと不安に思っていると、先輩はくすくすと笑い、両肩を掴まれて、体が魚籠っと反応してしまう。


「スイギョクちゃん。今のところは、お部屋に戻りましょうか。お仕事の復帰は明日からでいいから。あ、でも亜人種が魔力で身だしなみに気をつけなくでも大丈夫とは聞いているけれど、今日くらいはサウナに入って、皆に元気な姿を見せてから、ゆっくりとお部屋に戻って頂戴」

「う? う、む? わ、分かった。分かったから、先輩。肩を押さえつけて、押さないでくれ、こ、怖いぞ」

「はいはい、後で聞くわ、スイギョクちゃん」


 本当はもっと旦那様にお礼を言いたかったのだが、先輩に有無を言わさず背中を押されてしまう。

 でも確かに、先輩の言う通り、他のみんなにも心配をかけさせたみたいだったし、復帰する以上みなに挨拶をしないのは違うかもしれない。

 そう思い、その場は渋々先輩に従って部屋に戻ることにするのだった。


 先輩に押されながら、みんなが受け入れてくれるだろうかと、少し不安だけど……。

 ノエルと先輩が大丈夫と言ってくれたことを思い出し、ふっと心が軽くなる。


(ん、きっと、きっと大丈夫だよな、ノエル)


 認められなくても、旦那様が良いと言ってノエルの傍に居られるのなら。

 余は頑張れる。

 僅かな不安と、放り込まれた火種を胸に、余は従者たちに与えられた屋敷に足を向けるのだった。



      *     *     *      



 それから、(しばら)く。

 身支度と挨拶を終え、部屋に戻った余は、自分の体を支えるのも億劫なほど疲労が滲んだ体でベッドに倒れ込んだ。

 サウナ上がりに整えて……もらい、艶まで出ている髪がぐちゃぐちゃになるのを感じながらも、そのままグデッと、角がベッドに当たらないよううつぶせで高くした枕に乗せる。


「うぅ、みな心配しすぎだぞ……」


 ふがふがと、枕の隙間から余の吐息が漏れ出すのを鼻先と額で感じながらも、ため息交じりにそうつぶやいた。



 あの後……旦那様に認めてもらい、きちんと謝るために皆の元へ向かった。

 厨房に集まった皆に、今まで休んでしまったことをきちんと詫びた。

 それと、今まで隠してきた、傷の事や自分のことを受け入れてくれるか怖かったという気持ちと、ノエルの役に立てるか怖かったことも。

 旦那様が認めてくれたおかげか、すんなりと口にすることが出来た。


 もう大丈夫だと、皆と一緒にもっと働きたいと伝えたら、皆は大冝なくらい喜んでもらえて、すごく、気恥しくなってしまった。

 暫く、もみくちゃにされた後、予定を聞かれ、サウナに行くと言えば、女性陣にはもみくちゃにされてサウナに連行され、男性陣は気を使って飲み物を作りに行ってくれた。


 体中を触られたけど、自分が心配させたせいだと思うと止めるわけにもいかず、ついさっきやっと女子の手から解放され、飲み物を用意してくれていた男性陣に礼を言ってもどってきたばかりなのだ。

 ほうと枕へ温まった息を吐き出し、揺れる前髪をぼうっと眺める。

 もみくちゃにされ、たくさん構われてしまったけれど、それがすごく嬉して……。


「……あはは、皆がこんなに喜んでくれて、あんなに大事にされてるとは、思わなかった」


 この国に来て初めて感じた、温かさ。

 慣れてなくて、恥ずかしい。

 でも、悪い気分じゃないし、ノエルの役に立つために色々教えてもらう事にもなった。

 にへらと、枕に隠れた口元が緩んでしまう。

 これもそれも、旦那様が余に教えて、蒙を啓いてくれたおかげだ。


 心も体も温かくなり、ベッドのシーツと布団が程よく熱を吸収して、うとうとと頭が重くなっていく。

 腕が寒くなって、頭を乗せた枕の下に腕を差し込んだ。


「そう、だ。旦那様にも、お返し、しなくちゃな」


 ぼんやりした頭でそう考える。

 命の恩人であるノエルと一緒に働ける。

 それは余にとって、ノエルが余を拾ってくれたことと同じくらい大事な事だった。


 だから、余が働くことを認めて元気づけてくれた旦那様にもお礼をしたい。

 でも、余には何がお返しできるだろうか。

 いっぱい考えようと思って、温かくなった心に安堵してしまって……。

 余はそのままひっそりと舟をこいでいた。



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