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第二十二節 思わぬ告白 ――翠玉



「余を……私を、屋敷から解雇してくれないでしょうか」



 余がずっと考えてきたこと。

 余を救ってくれたノエルと、鬼を雇うことを許してくれた旦那様に余が出来る唯一の事。

 役に立つことはできないけど、命を……生きる理由をくれたノエルのために、余が唯一恩に報いる方法を、豪華な絨毯が敷かれた屋敷の廊下に立っていた。


 旦那様の声は……何故か聞いたことあるような気はするけど、威厳に満ちた圧を感じる声で、たぶん似てるだけなんだって思う。

 ドア越しとはいえ、話すことを許可してくれた旦那様に、余の決意をこうして話したのだ。


 でも、どうしてだろう。

 ドアの向こうから、息を呑む気配と何人かが聞いているような気配がした。


「そう考えた理由を、言ってもいい、でしょうか」

「……言ってみなさい」

「えっと、色々、考えた、んです。余は役立たずなんです。こんなに役立たずなのに、どうしてノエルがすごい面倒を見てくれるんだろうって」

「……」

「旦那様は、余とは顔を合わせてくれない。それは、余が鬼だから……亜人だから、ですよね?」

「っ!」


 ああ、やっぱり。

 言葉ない。

 言葉はないけど、ドア越しに、さっきとは別の息を呑む気配と、何とも言えない雰囲気を感じてしまう。

 それが余が考えていたことが間違いないんだって教えてくれた。


 ドアに穴をあけてしまわないように注意して、力を制御してドアに角を当てる。

 コツン、とかすかな衝撃と共に、ざらざらした感触が角から伝わり、無言の肯定にささくれ立ちそうな心を抑えるために唇をかみしめた。


「余は鬼で……亜人種だから。だから、貴族の人間に信用されなくでも、仕方ないと思っています」

「それは、どうしてだい」

「……貴族の間で、亜人が良く思われてないって。町でも、正直その色はある、ので。亜人種の世を雇い入れたら、旦那様の心証が良くないって聞きました」

「…………」


 ドアの向こうの無言は続いている。

 でも、聞いてくれているんだってことがドア越しに伝わってきていたので、余が辞めると言った理由を出来るだけ、淡々と連ねる。


「だから余を屋敷においていただくには、屋敷のみんなみたいに役に立つしかないって。なのに、余はノエル……様が任せてくれた掃除も、洗濯も……料理だって、全然、何も出来なくて……」


 挙句、唯一役に立てる護衛でも、力加減を謝ってノエルを傷つけてしまった。

 ノエルの白い頬についた赤い線が脳裏をよぎり、きゅっと心臓が痛くなる。

 役に立たない余は……こんなに温かくて、優しい場所に……ノエルと一緒に居る資格はもうない。


「だから、恩人を傷つけないために、雇い主から解雇をしてほしい、と」

「っ、厚かましい願いなのは重々承知、です。でも、余が居なくなったら、ノエルが心配する。だから……だから、ノエルに心配させないために、余を旦那様が解雇したことにして、余が王都の外に行けば誰も……」

「誰も心配しない」

「はい……」


 そう、余が居なくなれば、誰も困らないで済む。

 心配させている屋敷の人も余が居なくなれば、きっと切り替えてくれる。

 旦那様も他の貴族の目が軽くなる。

 ノエルは……悲しんでしまうだろうか。


 悲しそうなノエルが脳裏に浮かび、唇をかむとプツっと肉を切る音がして、口の中に血の味が広がる。

 切れてしまった口内がジジジジと痛むけど、皆の役に立てないよりずっといい。

 暫しの重い沈黙が廊下に流れる。

 やがて、意を決したかのような「そうか」という旦那様の声が聞こえてきて、肩が跳ね上がった。


「いいたいことはそれだけか?」

「え……?」


 旦那様の冷たい言い方に心がヒュっと縮こまる。

 や、やはり、使用人風情が旦那様に願いを申し出るなんて不敬だったのだろうか。

 ドアに角を当てたまま怖くなって、目をぎゅっとつぶる。

 すると、ドア越しのくぐもった声で「君は」と聞こえ、処分が下されるのを覚悟した。


「君は逃げるのか?」

「え? にげ、る?」


 全く予想外の言葉が飛んできて、何も見えないのにドアを見上げてしまう。

 何を……。旦那様が何の話をしているのか、一瞬理解できなかった。

 ただ、自分のことを言っているのだけが分かって、何か分からない恐怖で胸がまたぎゅっと押しつぶされる。


「君が大事なものを傷ついてほしくないという気持ちは理解できた。だが、本当に、君が辞めることで、その大事な物が傷つかないと、君は言えるのか?」

「だ、だって、余は、役立たずだから……」

「誰が、君を役立たずなんて言った」

「だれ、って……」


 旦那様に言われて、恐怖で呆けていた思考が回る。

 ……誰が言ったか、それは自分だ。余が余を役立たずだと思っているから、周りにもそうだって思われているはずだって。

 ドア越しに気配が近づいてきて、足元の絨毯に足を引っかけて転びかける。


「君の言い分は理解した。だが、君が言っているのは自分が重圧から解放されたい。楽になりたい。悪く取れば、君の発言は自分の責任から逃げたいという意味に捕らえられてもおかしくないと、理解しているのかい?」

「っ、はっ、ち、ちが、余は! 余は、ただ……ノエルに……ノエルに迷惑をかけたくなくて……」


 明らかな落胆のため息に、さあっと顔から血の気が引き、呼吸が荒くなって涙が出てくる。

 息が苦しくなって、ぎゅっと胸元をかき抱き、ドアから角を離して、その場にしゃがみ込んだ。


 違う。違う違う違う。

 余は、余だって、ノエルと一緒に居たかった! でも、ノエルの役に立たないと! 役に立たないと余は、許せなくて――。

 怖くて、胸が痛くて、息が苦しくて。

 何度も何度も大きく息を吸おうとして、息が吸えなくて、詰まった唾液が喉に詰まる。

 なんとか、なんとか、しなきゃと胸元をぎゅっと握りしめて……。

 ふと、離れたドア越しに、優しく触れられる音が聞こえた気がした。


「君は、君が居なくなることで、どういう問題が起きるか、それを考えたことはあるかい?」

「……え?」


 余が居なくなったことによる、問題?

 澄んで聞こえたその言葉に、思考がクリアになっていく。

 そして、扉がガチャっと開いて、底にだれかが立っていて体が自然と跳ね上がった。


「ひっ!?」

「あらあら、あまり怖がらないでね、スイギョクちゃん」

「せ、先輩? あれ、余は旦那様と……」

「……ふふっ、旦那さまったら、まだ顔をお見せするのが恥ずかしいんですって。だから、私が代わりに"コレ"を持たされたの」


 まだ混乱する余に、先輩がそう言って持ち上げてくれたのは、羊皮紙と紙の束だった。

 そこにはローゼンカッツェで使われている文字がびっしりと刻み込まれた、怨念すら感じる思いがこもっていた。


「そ、それは……?」

「ふふっ、これはね、嘆願書」

「たんがんしょ?」


 先輩はそう言うと、後ろ手にドアを閉めて余に手を差し出してくれる。

 嘆願書……おそらく旦那様にだれかが宛てたお願いする文書……ということなのだろうが、一体だれがどんな願いを旦那様に願ったのだろうか。

 呆気にとられながらも差し出された手を取って立ち上がると、先輩はとてもおかしそうに余の事を見上げていた。


「ふふっ、もう、スイギョクちゃん。なにかあったら、必ずノエルちゃんに相談しなさいっていったのに」

「う……で、でも……」

「でも、じゃないわ、スイギョクちゃん。ノエルちゃんなら、スイギョクちゃんの事を考えてくれるし、旦那様にだって直談判できる立場なんだから。それに、これで旦那様が頷いちゃったら、ノエルちゃんなら悲しんで、探しに行っちゃうでしょ?」

「の、ノエルなら仕事を優先してくれるはず、だ」

「この前助けてらった直後に引きこもって、そのまま出て行っちゃった子を探さない程、ノエルちゃんが薄情じゃないのはスイギョクちゃんだって知ってるはずでしょう?」

「うぅ……」

「それにね、スイギョクちゃん。困るのはノエルちゃんだけじゃないのよ?」

「困るのはノエルだけじゃ、ない? どういうことだ、先輩」

「ふふっ、はい、これ」


 先輩はいつものように笑うと、手に持っていた紙の束を差し出してくれる。

 怒涛の展開に目をぱちくりさせながら受け取って中身を見ると、一番上には『嘆願書』と銘打たれた文章がびっしりと並べられていて、中身を見るように促される。

 渋々、受け取った嘆願書の文字を目で追い、徐々に目が見開かれるのが自分でも分かった。


「先輩、これって……」


 渡された紙と先輩を交互に見つめてしまう。

 だって渡された紙には……。


「ふふっ、その嘆願書は全部"スイギョクちゃんを辞めさせないでほしい"って内容の嘆願書なの」


 そう、どの紙を見ても、余を辞めさせないでほしい、もっとよく見てあげて欲しいと、何もしてない余を認めてくれるような文章が、何人もの手によって書かれていた。

 これが、全部、余の話を……?


「よ、余を……? これ、全部?」

「そう、それ全部スイギョクちゃんを辞めさせないでほしいって言う署名なの。この屋敷の子は全員文字を書けるから、私や爺様、それに他のみんなの署名もあるのよ?」

「みんなが? でも、どうして余を……」


 嬉しい嬉しくないって話なら……嬉しい。

 でも、実際に余を辞めさせないでほしいという証拠を目の前に揃えられて、どうしてみんながそういう事をしたのか、わからなかった。

 先輩は余の言いたいことを理解してくれているのか、困ったように笑うと余の頭に……先日、相談に乗ってくれた時のように優しくなでてくれる。


「嘆願書の下の方、見てちょうだい?」

「下の方……?」


 先輩が手を離してそう言った。

 言われて、書類の下の方……皆がどうしてそう思ったのかという理由が書かれているらしい欄に目を移す。


「えっと……。あ、これミランか? 『洗濯カゴ、率先して持ってくれるの助かる!』あとは……『野菜を切るときの業、伝授してもらってない』。あはは、あれは人間様には難しいのに。『』これは……え? 『わざわざお給金でお土産を買ってきてくれるなんて初めてだった』?」


 ノエルのは……あ、真ん中の小さい紙に急いで書かれた文字で『絶対やだ』とだけ書かれてて、ほっと安堵したと同時に思わず笑ってしまいそうになる。

 言われて目を通した嘆願書の文字は、どれもこれも、余が何も出来ないから代わりにやった事ばかりだし、最後に至っては余のフォローをしてくれたからせめてお返しにと考えたものばかりだった。

 でも、まだ訳が分からなくて困惑したまま先輩に顔を向けるけど、先輩は誇らしげに胸を張られてしまう。


「ふふん、分かったかしら。全員、スイギョクちゃんがかわい……居て欲しいって思ってるからよ。だから……」

「だから?」

「首の傷も、もうだしちゃいなさいな」

「あ……」


 不穏な言葉が聞こえた気がしたが、大事にされたような気がして撫でられた頭に手を置き、自分の頭撫で、首の傷に触れる。

 今はもう、屋敷の中なら隠す必要のない、大きな首の傷。

 旦那様は顔を見せてくれないし、よく分からないまま、居て欲しいって言われてしまったけれど……。



(なんだか、初めて居場所をくれたような気がして、胸が温かい)



 また少しだけ……少しだけ、首の傷の事を忘れられたような気がした。


 


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