第十八節 傷ついたのは僕じゃなかった ――ノエル
相手の男と一緒になって降り注いでくる鉄のかけらに茫然としていると、スイがもう片方の手で剣の根元を手刀でたたき割った。
とっさの事に男も反応できなかったのか、軽くなった腕の勢いで振り上げられる。
跳ね上がった腕を捻り上げたスイが、体を追って自分の背丈と変わらない男を背負い、その場に叩きつけていた。
僕の方まで聞こえたゴシャっという鎧だか体だかが悲鳴を上げる痛そうな音に思わず顔をしかめる。
あれは僕も勘弁してもらいたい攻撃だった。
だけど、もう片方の男はその音で冷静になったのか、スイに向かって唾を飛ばしながら怒鳴る。
スイのエメラルド色の目が不快そうに細められ、ハッとした顔で僕の方を向く。
いったい、何を話したんだろうと思っていると、男は二やついた顔になって剣を振り上げた。
あんなところで剣を振っても誰にも当たらないのに……。
そう思っていると、剣を振り上げながら僕に向かって剣を振り下ろそうと……いや、投げようとしてた。
「って、そういうこと!? 今僕を狙う意味無いのに!」
間違いなく、男の矛先が僕に向いていることを確信させられ、咄嗟の事で体が動かなかった。
「っ! の、ノエル!」
スイの声が遅く聞こえる。
ゆっくりと男の剣が降り上げられ、スイが僕と男の間に入ろうと駆け出すが見える。
死ぬ間際の、ゆっくりとした瞬間。
必死に僕を助けようと手を伸ばすスイが見えるけれど……ああ、ダメだ、ごめんスイ。そのスピードだと間に合いそうにない。
僕はもう一度、来るべき痛みに耐えるために覚悟を決め――、
スイが決死の表情をして、その場で拳を突き下ろした。
スイの腕が消えたように見えた瞬間、地面が激しく揺れ、周りの人々の悲鳴と共に、突風と砂塵が舞い上がる。
「ひゃあ!?」
「な、なんだ、この煙は!?」
見物していた人たちの悲鳴の中、必死にスイの姿を目で追おうとして、スイたちの方からものすごいスピードで何かが頬の横を掠め飛んでいった。
頬に指を切ったような痛みが走り、指で触れて確認すると、ガレキかなにかで切れてしまったらしく、するっと指先が濡れて滑る。
一歩間違えば死んでいたかもしれない礫の一撃に、スイは大丈夫だろうかと心配になった。
「いつっ……す、スイ! 大丈夫!? スイ!」
パラパラと剣のかけらみたいに落ちてくる砂塵を吸わないよう、口元を袖でおおってスイの姿を探す。
足で探そうにも、今のスイの一撃で石畳が割れてしまっていて、むやみに歩くのは危ない。
じりじりと晴れていく砂塵に苛立ちを覚えながら、ひたすら砂塵が消えるのを待つ。
やがて、落ち着いた砂塵の中で立っている人影と倒れこんだ人影が見えて息が詰まる。
「スイ!」
慌てて駆け寄ると、スイが顔を青くして腰を抜かしている傭兵を見下ろしていて、スイが倒れているんじゃないって分かってほっと胸をなでおろす。
「あ、た、頼む! 命だけは! 殺さないでくれ!」
「……余は強くない。ノエルを傷つけようとするなら加減が出来ない」
「ひっ……」
まだ意識を保っている傭兵の男がスイに許しを懇願していたけど、スイの言葉に可哀そうなくらいに怯えていた。
「余にお前たちをこれ以上傷つける理由はニア。でも、ノエルに……お前たちが傷つけようとしたメイドにも、この国の人たちにも謝ってほしい」
「わ、分かった! な、なあ嬢ちゃん、町の人たちも、悪かった! こいつにもよく言い聞かせておく! もうこの国にも来ねえ!」
「ああ、まあ……。帝国はまだ大変なことになってるって風の噂は聞いてるから、そこは同情してあげるけど、これからは他の国で問題を起こさないようにね」
「神に誓う! 絶対あんたらに迷惑はかけねえ!」
「ああ、はいはい。早く行ったほうがいいよ」
傭兵の男はそう言うけど、帝国の人たちの神様って教国と同じで人間至上主義の神様じゃなかったっけ。
と、野暮なことをツッコみそうだったけど、さすがに黙っておく。
どこか行くように促すと男は意識を失った男を抱えて一目散にその場を去って行ってしまった。
傭兵たちの姿が見えなくなってから少しすると、スイがほっと息を吐いて顔から力が抜け、ハッとしたように両手をさ迷わせ始めた。
「あ! す、すすすすまない! あまりに危なくて慌ててたから力加減が出来なくて石畳を……! あ、そうだ、ノエル! ノエルは無事なのか!?」
さっきまで凛としていたはずなのに、戦闘が終わった途端彼女の纏う空気がふわっと変わる。
あまりの変わりように心配なんて消えて、噴き出してしまいそうだった。
周りの人までスイに驚いてたのに、苦笑するような何とも言えない空気をにじませていた。
見た感じ、怪我してる人も居なさそうでほっとする。
よかった、後で施工担当の貴族に謝るときに住民の理解を理由に取り繕う事が出来そうだ。
というか、亜人に責任を取らせるって形で亜人の人に手伝ってもらって運搬を手伝ってもらったら、彼らも亜人を入れることを断れないんじゃないだろうか。
なんて、ちょっと腹黒い事も思いついたけど、今はそれよりもスイの事だった。
「スイ! ほら、僕はこっち。大丈夫だよ」
「ノエル! 良よかった、ノエルが無事で……よか……」
スイがあわあわしながら僕の姿を見つけてパッと笑顔を咲かせ……と、思ったら、僕を見て時が止まったようにピタリと笑顔を凍り付かせた。
どうしたんだろう。
「スイ?」
大丈夫かと近づいていくと、スイの綺麗な白い肌から血の気が失せ、口元に手を当てて過呼吸気味になる。
突然の変容に僕の方が慌ててスイに駆け寄った。
「す、スイ!? どうしたの! 顔色が!」
「き、傷!! ノエルの頬に、傷が!」
「え?」
あれだけ大きな地割れを起こしたんだから、この傷程度なら被害なんてないに等しい。
なのに、スイは僕の傷を見るなり見てるこっちの方が不安で押しつぶされてしまいそうなくらい悲痛な表情を浮かべていて……。
傷ついたのは僕なのに、一番痛そうなのはスイみたいだった。
「ちょ、スイ? だいじょ――」
「やだ、ごめん。ごめん、ノエル! なんで、なんで余はよりにもよってノエルに傷を!」
大丈夫?
手を伸ばして声をかけようとした途端、スイが大声を上げ、頭を抱えるとその場にしゃがみ込んでしまう。
周りを見れば様子を見ていた人たちのざわつく声が聞こえてくる。
また心配になってしゃがみ込んでしまったスイを覗き込んで愕然とする。
反省という言葉が生ぬるいほど謝罪を反芻しているスイの顔は、鬼気迫るって言葉がぴったりなほど追い詰められた……まるで、調教を受ける奴隷のような追い詰められている表情だった。
「す、スイ? ほら、大丈夫。ケガ、すぐ治るから、ね?」
「いや! でも、余が! 余がノエルを傷つけて!」
「ち、違うって! 飛んできたガレキで切れちゃっただけだって!」
「それは余のせいだ!」
必死に大丈夫と言い聞かせるけど、スイはいやいやをするように緑色の髪を振って僕の言葉を否定してしまう。
無理やり立たせていう事を聞かせようとしても、スイは鬼の力まで使ってふさぎ込んでいるらしく、抱えた腕で今度は耳までおおってしまった。
こめかみあたりから血が流れているのが見えて、彼女の傷が見えて何かが原因でショック状態に陥っていたと気がつき、舌打ちをしそうになる。
(ああ、畜生! ようやく理解した! 僕に怪我を負わせたから、スイの中で護衛任務が失敗したって扱いになってるんだ! 寄りにもよって彼女が自分はこれしかできないと思い込んでる仕事で! なんて運が悪い!)
あまりにもタイミングが悪いけど、今日爺が依頼したことと、運悪く傭兵と出会ったことを呪うしかない。
放っておくわけにはいかず、出来るだけ聞き届けてくれるよう、優しい言葉を考えながらふさぎ込むスイの前にしゃがみ込む。
「スイ。ほら、大丈夫。僕はけがは大したことないよ」
「やだ、ノエル。ごめん、余は役立たずなのに……!」
「っ、大丈夫。ほら、顔上げて、僕怒ってないよ」
「のえる、余は、役立たずなんだ」
「ちがうよ、大丈夫。スイは頑張ってるんだから、僕がいつも見てる」
「でも、余は失敗ばっかりだ、それじゃノエルの役に立てない」
「そんなことないよ。誰だって失敗はするでしょ? 僕が面倒を見るって言ったから、スイはどれだけ迷惑かけたって大丈夫なんだから」
実際、スイのした失敗はそこまで損害はないし、幸いうちに出入りしているメイドたちも、ひたむきに頑張るスイに好印象を持ってくれている。
爺や"先輩"に監視してもらっているけど、それは断言できる。
それでも、スイの自信にはなってくれなかったのか、スイは顔を伏せたまま首を振る。
緑色の髪がまた散らばってばさっとその場に落ち込んだ。
「でも! それじゃ、ノエルに迷惑をかける! 余は! 余はノエルの迷惑にはなりたくない!」
「ちょ、スイ。おちつい――っ!」
何とかなだめようとスイに手を伸ばした瞬間、スイが顔を上げてくれる。
よかった、顔を上げてくれた。
説得しようとしても、スイが聞いてくれないと説得なんてしようがない。
だから、顔を上げてくれたことにほっとして覗き込んで……、
スイのエメラルド色の瞳から、溢れた涙が頬に流れ込み、くしゃくしゃになった緑色の髪が頬に張り付いてしまっているのが見えて……
大事な人が、見せてくれた涙に、情けなくも体が止まってしまった。
「ごめんなさい、ノエル」
そして、スイは僕の名前を出して謝った。
「え? ごめんって――」
何を謝られたのか分からず戸惑い、スイが動き出すのを止めることが出来なかった。
手を伸ばしていたのにも関わらずスイは立ち上がり、これまた止める暇なく逃げるようにその場を駆け出してしまった。
「あ!? ちょ、スイ! 待って!」
慌ててスイに手を伸ばすけど、既に駆け出してしまった彼女に届くことはなかった。
周りの人に声をかけてからスイを追いかけるけど、目立つはずの彼女の髪の色も背丈も全くあてにならず、スイが立ち寄りそうな場所を全て立ち寄っていく。
結局、彼女がどこい行ったのか見当がつかず、得も言われぬ恐怖心が心を不安にさせ始めた頃、角を生やした亜人の少女が上流層の屋敷……僕の屋敷に入っていくのを見たという衛兵を見つけてほっと胸をなでおろす。
一安心して屋敷の塀に体を預けた時には、口の中は血の味でいっぱいで……無理をして走っていたんだなって自覚させられた。
「はあ……はあ……。スイ、よかった……。無事ならいいんだけど……」
ケガは……彼女が自分で傷つけた傷以外に傷はないはずだ。
でも、あの尋常じゃない彼女の様子は、果てして無事といえるのだろうか。
汗をぬぐいながら正門に向かうと、僕を見つけた見張り番が周囲を確認してから頭を下げてくれる。
「おかえりなさいませ、旦那……いえ、ノエル様」
「うん、ごめんね。スイはもう戻ってる?」
「はっ。少し前に。しかし、お言葉ながら随分と急いでおられたようですが……」
「そっか、見張りご苦労。ごめんね、少し騒ぎを起こしちゃった。もしかしたら、施工担当の貴族のお客が来るかもしれないから留意しておいて」
「分かりました。……あの、お疲れでしたら誰か呼びましょうか?」
「え? ああ、ごめん。ちょっと急いできただけだから、大丈夫だよ」
汗を拭うのを見られていたらしく、見張り番の兵士に気遣われてしまう。
よく気遣えるなと、感心し、今度から屋敷内の警備に回って報告書を上げてもらう方がいいかもしれない。
彼を持ち場に戻らせながら敷地に入り、玄関ホールの扉を開ける。
中にはまるで最初から待っていたかのように爺が待っていて出迎えてくれる。
爺が頭を下げるのを視界の端で確認し、帰ってるであろうスイの部屋に足を向ければ、コツコツという靴音が二人分に増えたので、見ずに声をかける。
「爺。スイは戻ってるよね」
「はい。血相を変えて、ご自分の部屋に」
「そっか……爺、スイに頼みごとをしたのって、爺だよね。これからは勝手な判断で依頼を出すのは控えるように願うよ」
「必要な事とは言え、誠に申し訳ございませんでした。しかし……」
「分かってる。爺の思惑通りになったみたいで気に食わないけど、今日の事……頬に傷を作るような事に巻き込まれたのは僕のミスだ。今度からは護衛とまではいかなくても周辺に衛兵の派遣を依頼するようにする。それで満足かい?」
「はい。老骨のたわ言を聞き届けてくださり、ありがとうございます」
「本当なら、今すぐにでも首を切って文句のひとつでも言いたいんだけどね」
思わぬ事故だったけど、安全に配慮してれば起きなかった事だし、スイが今日のような目にあったのは僕の責任でもある。
少しだけ考え、今は僕以外会わない方がいいと判断して爺は下がらせることにした。
「……爺、今日は下がって。当面はスイの様子は見る。今回は事を軽く見てた僕の責任だってメイドたちにも通達しておいて」
「畏まりました」
爺に下がらせ、屋敷の奥の方に用意していたスイの部屋に向かった。
スイに与えた屋敷の部屋……人目に触れ辛い一番奥の方の部屋の前に立って耳をすませば、中から衣擦れ……たぶん、シーツが擦れる音がわずかに聞こえる。
彼女が居てくれたことにほっと胸をなでおろし、ドアをノックした。
「スイ、戻ってる?」
声をかけ、もう一度耳をすますと、部屋の中の音が不自然に止まる。
返事はなかったけれど、聞こえてるんだって分かってほっとした。
「スイ。帰ってるん、だよね?」
「…………」
「そのままでいいから聞いて。爺からお仕事を頼まれたって言うのは聞いたよ。だから、あんなに取り乱してたんだよね?」
出来るだけ傷つけないよう、優しく声をかけるけど、スイは黙したまま答えてはくれなかった。
返事のない部屋に思わず眉が寄り、やっぱり不安が的中してしまったんだなと悟る。
最初にスイと出会った時から、彼女は大きなトラウマを抱えた女の子だと分かっていた。
自分が役に立たないと卑下する。
恩人の邪魔になることを極端に嫌う。
どこか不安そうで、いつも上目遣いに人の顔色をうかがう。
女の子だと少ないんだけど、僕も貴族だから、たくさんの人に会う機会に恵まれて、そう言う子に会うことも少なくない。
そう言う子の親族には得てして貴族の中でも尊敬できる兄だったり、完璧な淑女だったり……"完璧な見本"が近くに居ることが多くて、比較対象にしてしまいがちになってしまう。
要は相手と自分を比較して、自分もそうでなければいけないと強迫観念に駆られて、自分を追い込んでしまう状態になりやすくなるってことなんだけど……。
(普通はここまで落ち込まないんだけど、スイは過剰に失敗……というか、自分の設置したハードルを越えられてないみたいだったからなあ……)
たぶん、スイも近くに完璧な誰かが存在していて、自分はダメな人なんだと諦めかけていた。
そこを僕が手を差し伸べたから、せめて僕の役に立とうと必死に頑張ろうとしてくれていたんだと思う。
上手く軌道に乗れば、スイも安定したんだろうけど、運が悪いことに彼女はハードル……"なにかしら僕の役に立つ"ということすら、達成できなかった。
それも爺が自分を指名してくれた依頼なのに、だ。
スイを拾った時、彼女はすでにボロボロだった。その時の精神状態を考えれば、スイがこんな状態になっても責められるわけがない。
というか、拾い上げたのに、面倒を見切れなかった僕の責任が大きい。
「スイ、ごめんね」
「……?」
「君は気にしちゃうかもしれないけど、本当に気にしなくても大丈夫だから、気に病まないでね。僕は、スイが元気な方が嬉しいんだから」
「っ…………」
「あはは、じゃあ、僕待ってるから。お腹がすいたり、外に出たくなったらいつでも言ってね。待ってるから」
ドア越しに微かな息遣いが聞こえたけど、聞こえないふりをしてその場を去ることにした。
微動だにしないドアに後ろ髪を引かれながら、スイが出てきてくれなかった事に胸がずきずきと痛みを訴えてくる。
息苦しさすら感じる無力感を覚え、皺になることも忘れメイド服の胸元を握りしめ、唇を噛み締めそうになった。
ああもう。
頬に傷を負ったのは僕なのに。
これじゃ、どっちが傷を負ったんだか、分からないじゃないか。
頬よりも、ずっと痛い胸の痛みを抱えながら、僕はスイが出てきてくれるのを待つことしかできなかった。




