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第十七節 誰の傷痕? ――ノエル


 底冷えをするような冷たい声に、喉がヒュっと音をたてる。

 いつもの……可愛らしく怒るスイの声じゃなくて、聞いたことも無い怒りをにじませた声に、慌ててスイが居た方向を振り返る。

 人混みからこちらに歩み寄ってくるスイは犬歯をむき出しにしていて、彼女の特徴である額の上から伸びる角が異形の証に見えてしまい思わず息を呑む。

 こころなしか、彼女の襟巻が、荒ぶる風で逆立っているようにも見えた。


「スイ……」


 傭兵の男たちが僕よりも背の大きなスイにたじろいで、声を震わせる。

 茫然と彼女の名前を呼んでしまうと、スイが僕を見てほっとしたような表情を見せ、継いで僕の腕をつかんでる傭兵たちの腕を、スイの綺麗な指先が食い込むほど掴み返していた。


「な、なんだよ。なんだよ、お前!?」

「おいおい、なに手間取ってんだ。そんなの早く連れてっちまえよ」

「ち、ちげえと! 腕、腕が……!」


 どれだけ強い力で掴んでるのか、スイが掴んでいる男の腕はピクリとも動かず、男の顔がどんどん青ざめていく。

 というか、よく潰れないな、この人の腕。それにスイはいっつもこの力を抑えてくれてたんだな……。

 焦っていた気持ちが萎れ、僕に絡んできた男たちへの同情に変わった。


 密かに同情していると、スイが僕を心配そう覗き込んでくれる。

 止めて、スイ。

 今、底冷えするような怒りの形相と心配そうないつものスイのギャップで心臓が大変なことになりそうだから。

 

「ノエル! 大丈夫か?」

「う、うん。ありがとう、スイ」

「すまぬ、余が居たのに……。でも、勝手に行ったノエルもノエルだぞ? 屋敷程治安が良くないんだから」

「ご、ごめん」


 スイにむっとした顔で怒れているのに、真剣に怒る彼女に見惚れてしまいそうになる。

 やばい、そんなむくれたみたいな顔で抗議しないでほしい。

 彼女の意志を無視しちゃいそうだから。

 スイが僕から目線を外される。

 どうしたのかな? って思っていると、いつの間にか、スイの手が男たちの腕が外れ、痛そうに自分の腕を振っていた。


「ちっ、これからがお楽しみだってのに。ジュースでずぶぬれでべたべたにさせられるし、意味の分からない亜人なんざに止められるし、さっきからなんだってんだ……」


 傭兵らしき男はうんざりしたようにそう言っていた。

 理不尽な勘違いにイライラしていたのはどこへやら……正直、他国の問題に巻き込まれているだけはちょっとだけ同情はする。

 内容が内容なだけに同意は出来なけど。

 僕はスイをかばうように前に……出たかったけど、スイに後ろに押し戻されてしまった。


「お前たち、傭兵か何かだな」

「ああ? 亜人が口を開くんじゃねえ、お前には関係のない話だ」

「っ! お前ら!」

「いい、ノエル」

「スイ! でも!」

「ここは中流層だ、余に任せてくれ、ノエル」


 僕が激昂しそうになったのを、スイに止められてしまう。

 スイには悪いけど、彼女を侮られて、僕は黙っているなんてしたくない。

 でもスイにも考えはあるのか首を振り、男たちを睨みつけた。


「お前たち、一つだけお前たちの教示に乗ってやる」


 スイはそう言うと、僕を腕で抑え男たちの前に立ちふさがった。


「ああ? 何をいまさら」

「ノエルはお前たちに連れていかれるわけにはいかない。だが、お前たちも傭兵だ、ただのメイドにどうこう言われて、引き下がれないと思う」

「へえ、亜人の癖によくわかってるじゃねえか」

「だから、もし殴って余を倒せたなら、余を自由にするといい」

「ス、スイ!? 何を言って――んぐ!?」


 突然自分の身を犠牲にしようとする、スイに思わず声を上げると、スイに口を抑えられて声が出せなくなってしまった。

 必死になって抵抗を試みるけど、情けないことにスイの力に全くかないそうにない。

 ああ、もう! もっと鍛えておくんだった!

 というか、スイも怒ってたはずなのにどうしてこんな男たちの譲歩してるんだ。

 理解が出来ない事と自分の無力さにさいなまれていると、傭兵の男たちは一瞬きょとんとした後、ニヤニヤと笑いだす。


「へへっ、亜人の癖に話が分かるじゃねえか。良くみりゃあ、お前のずいぶんと美人だなあ」

「ならず者のお前たちに言われても嬉しくないぞ」

「言ってろ。どうせすぐよがって俺たちの言うことを聞くようになるんだ。角があるのも引っ張るにはちょうど良さそうだしな。いう通りにさせてもらうぜ!」

「え、ちょ、ちょっとまって!」


 角の話とか勝手に話しを進めてるのとか、色々言いたいことはあるけど、何か言う前にスイが目の間に立ちふさがってしまう。

 男たちも男たちで元々、そのつもりだったんだろう。スイの言葉に待ってましたと言わんばかりに男がこぶしを握り締める。

 何をしようとしているかを察し、あっと声を上げる前に間に割り込もうとしたけど、そんな暇もなく男の拳がスイの下腹部に向かって突き出されてしまった。


(っ! こいつら! スイに手を上げるだけじゃなくて見えないように攻撃するなんて卑怯すぎ……る?)


 スイに手を上げられた怒りで男たちを睨み前に出ようとして……何が起きているかが視界の端に入って、思わず体が止まる。


 自分の目に入った物が信じられなくて何度も男とスイを交互に見てしまう。

 だって、信じられなかった。




 スイのお腹に伸びているはずの男の拳が、スイの柔らかい体どころか、衣服にすら届いていなかったのだから。





 信じられなくて何度も確認するけど、やっぱり拳はスイに届いていない。

 男も力を抜いているわけでもなく、スイに突き出された腕には渾身の力を籠めるみたいに欠陥が浮いてるし、力んで顔が赤くなり始めている。

 なのに、スイに伸びる腕は直前で、スイが触れることもなく静止していた。

 男たちも意味が全く分からなかったのだろう。僕だって後ろにいたのに意味が解らなかったけれど、スイが何かしているのだけは確かだった。


「なっ、ち、ちくしょう! なんで当たらねえ! どういうことだ!」

「し、知らねえよ! お前、力抜いてんじゃねえのか?」

「んなわけあるか!」


 焦った男たちがお互いに罵倒しあっている。

 スイはというと、痛くもなかったのか、自分に届いていない拳を見つめた後、訝し気に眉をひそめて男を睨み返していた。


「人間様なのに、魔力膜の事も知らないのか……?」

「まりょくまく?」

「あ、ノエルも知らないのか。ということは、人間たちの中では知られてないのだろうか」


 何の事だろうと聞き返すと、スイはきょとんとした後納得したように頷いていた。

 たぶん、男の拳が届いてない理由を教えてくれてるんだろうけど、生憎"まりょくまく"という言葉に危機馴染みはなかった。


「亜人の中には純粋魔法……えと、たくさんの種類があって、鬼は元来持ってる魔力量によって力と身を守る膜が強くなるんだけど……えっと……」


 説明しようとしてくれてるけど、スイもどう説明したらいいのか分からないようだった。


 えっと、たぶん、スイの話から察すると、既に見えるけど魔力を使った鎧と剣を持ってる、ってイメージすればいいのかな。

 だからスイはいつも力が強かったし、今も平気そうにしているってことらしい。

 剣って言うよりは筋肉って感じなんだろうけど、筋肉ムキムキのスイを想像できなくて、剣だと思えばしっくりくる。

 それでもまだ違和感は強いけど。


「ちくしょう! どうなってやがるお前も見てないで何とかしろ!」

「お、おう!」


 スイの説明を一所懸命に咀嚼していると、男たちはまだあきらめていないらしい。

 なにをするのかと視線を移せば、数歩うしろに下がって、腰に下がっている剣の柄に手を伸ばしているのが目に入り、血の気が引く。

 体が、勝手に動いていた。



「っ! スイ! あぶない!」

「え? の、ノエル?」

 


 スイが守ろうとしてくれるのも忘れて体が動き、スイをかばうように前に滑り込む。

 女の子の柔らかい、けどスイの肉が少ない体をぎゅっと抱きしめた。

 小さい僕なんかじゃ、彼女の体を包み込むことは出来なかったけど、それでも庇わなければと目を瞑る。

 けど、いくら待っても痛みは襲ってこなかった。


「…………あれ?」


 どういうことだろう。

 恐る恐る目を開けて振り返ると、僕達を切り裂こうとする剣の刃が目と鼻の先に迫って……いや、止まっていて、剣の刃を目で追うと、スイが剣の刃を素手で受け止めていた。

 本当に情けないことに喉がひゅっと音をたてて体がこわばり、スイの方からまた底冷えするような冷たさを感じてさらに体が固くなってしまう。


「……お前たち、許されぬことをしたな」


 スイの声が先ほどよりも低くなり、体が震える。

 すぐ近くで聞いていた僕でさえ怒られた猫のように身を縮こまらせてしまいそうだったのだ、怒りを向けられた傭兵の男たちはたまった物じゃないだろう。

 スイが僕の肩を抱き寄せ、守るように僕を抱え込んでくれる。

 あれ、これ逆じゃない?


「どこの誰とはもう関係ない。他国の者が、住民に剣を振るうなんて、言語道断! それどころか、恩人であるノエルにまで手を上げるなんて……!」

「ス、スイ? 僕じゃ大丈夫だからね?」


 微妙に納得いかない感じと、スイから漂う怖さについ及び腰になってしまうけれど、スイを止めてみる。

 でも、スイの怒りは男たちに向けられていて、聞き届けてくれそうにもなかった。


「余は強くない。だから、手加減できぬと思え、人間様」


 そう唱えた途端、スイの体から零れる迫力がまたブワッと広がり、凛々しさすら感じる瞳でスイが僕を見下ろした。

 一瞬、余りの格好良さにきゅんとしてしまいそうだったけど、スイが悲しそうな目をしているのが見えて、気持ちが萎む。

 なんで、スイはそんな悲しそうな目を……。


「お、おいどうなってやがる! 剣が、剣が動かねえ!」

「……ノエル、ごめん。余はノエルを傷つけたくないから……。少しだけ離れていてくれ」

「う、うん。スイも気を付けてね」


 まだ騒いでいた傭兵の男たちに、スイはうるさそうに目を細めると、すごく悲しそうな目でそう言われてしまう。

 人間でしかない僕に彼女を止めるすべはない。なにより、スイは僕を守ろうとしてくれいるんだから、と大人しくスイの後ろに回って遠ざかった。

 人混みに紛れない程度にはなれると、スイが頷いて男たちに向き直った瞬間、スイの翠色の髪がふわりと舞い、


 バキャン!


 と、スイが素手で止めていた剣が粉々に砕け散った。

「うそぉ」

 砂国特産のガラスみたいに、バラバラに砕けた剣のかけらが雨のように降り注いだ。

 剣の雨の中、さっきまで空に向かって斜めに伸びる角は、彼女の異形の証だったのに継ぎ接ぎのワンピースとエプロンドレスを着て悠然と立つその姿は、美しさすら感じられるのだった。




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