第十六節 雑音 ――ノエル
子供も集まるような広場で、通りの向こう側から、男性らしきやかましい怒鳴り声と、甲高い悲鳴が聞こえてきた。
いったい何事だと視線を向けると、この国では見慣れないデザインの皮鎧を着こんだ背丈の高い男の二人組が、酒場の中から女の子の腕をつかんで引っ張って出てくるのが見えてしまった。
引っ張られている女の子は亜人……リャーディコーシカって呼ばれる猫系亜人の女の子で、この国では一般的な庶民服の上にエプロンとナプキンをつけていて……たぶん、酒場の給仕かなにかで出稼ぎに来てる子なのかもしれない。
それと、あの二人組に格好……。
「あれ、もしかして……」
「なあに、またあいつらなの?」
騒ぎを起こしている三人を観察していると、後ろからお姉さんの声が聞こえる。
振り返るとカウンターの上に赤いジュースが入ったコップを置いてくれているところだった。
「ねえ、お姉さん。あれって、もしかして、噂の傭兵かなんか?」
「うわさ? ああ、あんたも知ってるのか。そういこと。あれが噂の魔物を討伐してやってるんだからもっとやすくしろだの待遇を良くしろだの騒いでる連中ってところだね」
本当に嫌気がさしている表情でお姉さんが騒ぎの中心に視線を送る。
周りの人もえらく迷惑そうな顔はしているけれど、一向にだれかが駆けつける気配もない。
それはそれで、僕としては大問題だ。
「さすがに亜人相手でもあれは行きすぎかなって思うんだけど、衛兵箱にあのかな」
「さてねえ。酒場も通報はしたんだろうけど、噂になる程度には放置されてる連中だからね」
「衛兵も動いてないのかあ……」
帰ったら城の衛兵リストだけじゃなく、ローゼン各所にある詰所のリストも確認しないといけないことが確認した瞬間だった。
スイのおかげで忙しい日々になるなと遠い目をしながらお姉さんに振り返る。
(まあ、あの子には悪いけど、今僕が出て行っても出来ることは少ないし、なら帰って問題点の洗い出しをした方がいい……。うん、そのはず)
多少後ろ髪を引かれながらも、お姉さんが置いてくれたジュースを受け取ったら、スイに届けて――、
「いい加減諦めろ媚びを売るしか能のねえクソ猫風情が! どうせ、お前なんか上の連中もこの程度の事どうでもいいに決まってるんだろうが! 抵抗しないでさっさという事を聞きやがれ!」
男の怒号に、スイに届けようとした手がぴたりと止まった。
僕は貴族だ。だから、中流層で起きることは、僕には直接関係ないことだ。
それは間違いない。
でも……。
「ちょっとあんた、大丈夫かい?」
「え?」
「急にぼうっとしたりして。なんか雰囲気がおかしいけど……」
「ああ、ごめん。ジュースありがとう」
お姉さんから笑顔でジュースを受け取りながら、露店のテーブルの上に一枚、作ってくれたお礼とは別に台無しにしてしまうお詫びとして銀貨を一枚置いた。
「それとごめん、お姉さん。せっかくもらったジュースだけど、無駄にする」
「はあ、それはいいけど……。って、銀貨!? ちょっとあんた――」
うしろでお姉さんが慌てて止めようとしてくれてるけど、無視して騒ぎの中心へ足を向ける。
貴族らしくないが、正直に言おう。
今僕は猛烈に怒っている。
理由は言わずもがな、亜人を見下している言葉にもイライラしているし、上の連中を馬鹿にしたような言い草も気に入らない。
しかも、だ。
僕が"あの"城で国民が見ることもできないような豪奢な椅子に座って偉そうにふんぞり返る役立たずな老人どもと同じ?
あんなのと一緒にされるなんて、そんなの世間が認めても僕は認めるわけにはいかない。
騒ぎの中心……尊大な二人組と亜人の子の元へ、ツカツカと自分でも分かる程の怒りが滲ませながら歩いていく。
まだ馬鹿二人に給仕の女の子が抵抗しているが、近づいてい来る僕に気付く気配は無い。
その姿にまた無意味に怒りが湧いてくる。
だいたい、こいつらは威張ってるけど魔物を倒す人では必要だが、あいつらの掲げるソレは威張るための勲章じゃない。
命がけで戦ってくれている我が国の騎士にも、冒険者にも失礼だし、ここで放置するのはこいつらの言った通り、誰も助けに来ないことになる。
なによりも……。
おもむろに、お姉さんから買った、ジュースの入ったコップを振り上げる。
(亜人を見下して尊大な態度をとるこいつらを見過ごしたら、スイを助けたことが嘘みたいになる……!)
それだけは、絶対にしたくなかった。
痛くなるほど踏みしめる怒りに身を任せ、スイの背丈くらい大きな男たちに向けてコップの中身をぶちまける。
バシャッとコップの中身をぶちまけた瞬間、騒がしかった男も女性も、周りまでもシンと静まり返り、呆気にとられた男たちを見た途端、イライラが少しだけ収まった。
でも、今はそれよりもやらなきゃいけないことがある。
自分よりも大きい相手に向かって胸を張り、毅然とした態度を向ける。
「おい! 今すぐにその子を離すんだ!」
怒鳴り慣れてないせいで声がちょっとだけ上ずってしまう。
でも、そんな僕の安っぽい言葉でも注意を引けたのか、男二人の鬱陶しそうな目が僕に向けられた。
よし、これでまずは大丈夫。
隙をついて、給仕の子を掴んでいた腕をぺしっと弾いて、給仕の子を僕の後ろへと引っ張り込んだ。
「猫さん、あっちの休憩スペースの方に逃げて。襟巻をつけた女の子が居るから」
まだ呆気に取られて固まっている女の子を混乱させないよう優しく微笑みかけると、彼女は壊れた人形みたいにカクカクと頷いて駆け出してくれる。
ぴゅんと離れていく彼女の背中を見送っていると、男たちの方から「はあ……」とあからさまに面倒くさそうなため息が聞こえてきた。
「あーあー、どうしてくれるんだ、メイドの嬢ちゃん。こっちの気持ちも萎えちまったじゃねえか」
僕が女の子を助けたのが気に食わなかったのか、給仕の子を掴んでいた男が妙にニヤニヤしながら僕の事を見下ろしてきていた。
こうしてる今も、彼らには非難の目が向けられているけど、どうやら自分たちに向けられる目がよくわかっていないらしい。
まったく、これだから、帝国人は嫌われてるのに。
見下ろしてくる態度の悪い男をキッと睨み返す。
「君たちの気持ちなんて知らないよ。そもそも、あんな行為を公衆の面前でみっともない行為に走った自分たちに萎えるべきなんじゃない?」
「ああ? 俺たちは魔物を討伐してやってる傭兵なんだぞ? だいたい、金を払ってやってるんだ、これくらいの行為、許されるに決まってるだろうが」
僕の言葉を本当に理解できていないような顔でそんなことを言われてしまう。
うしろの男までも「そうだそうだ」と不遜な態度に同意を示していて、常識を知らないのかと愕然としてしまう。
(嘘でしょ。いくら人間至上主義国とはいえ、帝国とか間の国ってそんなに傭兵が重宝されてて亜人の扱いが酷いの? どうやって国を保ってるか不思議なんだけど)
このローゼンカッツェだって、亜人に対して色眼鏡はあるが差別というほど酷くはない……はずだ。
危険な仕事には変わりないが、冒険者になることもできるし、国の中枢ともいえる商人ギルドではむしろ護衛に商人、仕入れにと引く手あまただ。
なのに、この男たちは奴隷のような扱いがもはや当たり前といった様子だった。
ちゃんと考えればわかるのに、何も思考せずに亜人を下だと思い込んでる連中に嫌気がさしてくる。
「あのさ、ここはローゼンカッツェだよ? その程度で許すかか決めるのは国であり、ひいては住んでいる民に決まってるでしょ。まさか、祖国から逃げ出した傭兵さんは、よその国のお勉強も出来てないの?」
「はっ、出来てたらここに居るとでも?」
「……すごい正論だけど、それ君たちが馬鹿にされてるの理解してる?」
「分からいでか。だが、魔物を倒してやってる俺たちに文句をつける義理がどこにあるって言うんだ、ローゼンカッツェ国民様は。それに、中流層を上の人間が見放しているのはこの国の子供でも知ってる!」
男たちが「なあ!」と周りの人間に問いかけると、騒ぎを見ていた人たちも気まずそうに眉をひそめたり、ひそひそと話しているのが聞こえてくる。
腹立たしいことこの言うえないけど、中流層がを後回しにしているのは確かだし、こいつらが暴れまわっているのだって聞いたのは今日が初めてだ。
でも、それはあくまで僕たち貴族の仕事であって、今ここで言い争ってることとは話が別だ。
「中流層が見捨てられがちなのは否定しないよ。でも、それは君たちが自由にしていいって免罪符じゃない! お前たちの態度は魔物を倒してくれる人たちに失礼だろう!」
「ああ? さっきからいちいち噛みつきやがって、この従者風情が……待てよ?」
面倒くさそうにしていた男が何かに気付いたように黙り、ねっとりとした視線が僕に向けられる。
頭の先からつま先、顔や体に向けられる粘着質な視線が手に取るように伝わってきて、あまりに気持ち悪い視線に背筋がゾクっとした。
「最初はいけすかねえガキだと思ってたが……こいつはなかなかの上玉じゃねえか。あの雌猫には逃げられちまったが、悪くねえなあ」
「は、はあ? なに言ってんの、君……」
「おっと、抵抗しても無駄だぜ? お前の方から俺たちの目の前に来てくれるなんて、俺たちは運がいいじゃねえか、なあ兄弟」
ニヤニヤした男が近づいてきて、思わず後退りをする。
男の態度と目つきに覚えが……というか、城の衛兵に迫られた時と似た、異性に迫るときの男性の雰囲気を男から感じてしまったからだ。
まかり間違っても僕の好みはスイ一直線なので丁重にお断りさせてもらう。
「だから、そんなことをしても無駄だって。だって僕は……僕は……」
男なんだから。
そう言いかけて、ふと自分の格好を思い出す。
艶やかな布を使い、肩幅をごまかすために作らせた高そうな黒いロング丈のワンピースに、フリルをふんだんに使って大き目の方の違和感を消すために装飾された白いエプロンドレス。
足元にはレースのついた長めの白いソックスに、覗き込めば顔が映り込むような黒いストラップシューズ……。
完全に忘れていた事実を思い出し、額に手の甲を当てて天を仰いだ。
(そうじゃん! 僕、今スイとデート中だからメイド服じゃんか!)
さっきお姉さんがあっという間に正体を見抜いたからすっかり忘れていたけど、この格好だと城の衛兵くらいなら騙せるのをすっかり忘れていた。
ということは、男たちの劣情はあの猫系亜人の給仕の子から僕に映ったってわけで……。
なおもにじり寄ってくる男たちに手を伸ばして制止をかける。
「ちょ、ちょっと待って! なにか酷い勘違いを――!」
「何いまさら怖気づいてやがる!」
お互いのための制止だったのに、僕の言葉が聞こえなかったみたいに腕をつかまれてしまう。
振り払おうとがくと、ものすごい強い力で掴まれてしまい、腕に痛みが走る。
「っっつう。な、なにすんのさ! 離せって!」
「はっ、そんなに嫌がんなって。俺たちが相手してやるからよ」
「だ、だからさあ!」
離して欲しいのに、勘違いされたままにじり寄られてしまう。
まずい、まずいマズイマズイ!?
このまま勘違いされて連れていかれるのもマズイけど、もし屋敷のみんなにバレたらッて思うとさらにマズイ。
何をしていたのかって詰問されるだけならまだしも、あのお節介な爺のことだ、下手をすると一生屋敷から出してくれなくなる。
いや、それ以上の心配事を思い出して、顔から一気に血の気が引いた。
(っ! 馬鹿バカばか馬鹿! これでケガしたらスイの責任が問われるじゃんか! そうなったらどうしてくれるんだ!)
しかも、こいつらは傭兵……おそらく、帝国の元兵士だ。
ただの兵士ならともかく、戦場の兵士だったら、男で性欲を満たす者がいると……いや、戦場だからこそそう言った人が多い。
もしこいつらが男でも構わないという変態だったら、化粧とは言え仮にも女に見えるという僕がナニをされるかなんて想像に難くない。
いろんな意味で非常にまずかった。
「は、離せ! 離せってば!」
「落ち着けよ。俺たちが可愛がってやるからよ。へへっ、こういう反抗的な方が燃えるじゃねえか」
「だからそう言うんじゃないってば! ちょっと!」
本当に人の話が通じない奴らだな!
いっそ、強権を使って黙らせるかとも考えたけどそれを使うと爺たちにバレてしまうのとは別の理由で来ることが出来なくなる。
それはそれで手痛いので出来れば使いたくない。
どうすればいいか。
唇を噛んで耐えて考えるけど、一向に答えが出ない。
こうしている今も腕を引く力は強くなり、服の皺がビリビリと悲鳴を上げそうだった。
(どうしよう、どうすればこいつらが黙って……仕方ない、背に腹は代えられないって言うし……)
仕方なく、身分を明かそうと口を開いて――、
「お前たち、なにをしている」
今まで聞いたことないような、冷たいスイの声が聞こえた。




