第十四節 それはきっと自分より守らなければいけない者 ――翠玉
日の当たらない赤レンガで組まれた建物が並ぶ路地。
薬屋の店から大通りへ向かう道を、余とノエルはゆっくりと歩いていた。
先ほどのやりとり……ノエルのからかいから、会話が無くて、少しだけ気まずい。
このまま黙っているのも変か、喋るべきかと悩んでいると、ノエルが「スイってさ」と切り出した。
「雇った時から思ってたけど、自信、すっごく無いよね」
「だって、余は役立たずだし……」
「ほらそれ、スイにだっていいところはいっぱいあるんだよ?」
路地を歩きながら、ノエルはそんなことを言う。
ノエルの言葉に同意ができなかったのでノエルの艶やかな金髪を眺めながらも眉根を寄せる。
現に余は失敗ばかりしている。
例えば、掃除をすればちから加減を間違えて棚を割ることもあれば、皿洗い程度でも何枚も銀皿を歪ませかけたか分からない。
最初は驚かれたものの、今では慣れてしまって余の後片付けのスピードが早くなるほどだ。
いいところなんて、ないに等しい。
「余は、そうは思えないぞ、ノエル」
「あはは、どうせ掃除の時に壊したやつとか、皿洗いで曲げちゃったお皿でしょ? 気にしないでっていっつも言ってるのに」
……ノエルはいつもそう言う。
だけど、どれもこれも貴族の屋敷にある品だ。
壊してしまった備品だけで、余のことをまるごと買えてしまいそうだ。
想像しただけでお腹が痛くなるし、貧血で気持ち悪くなる。
余がなにも返せずにいると、ノエルはチラリと余の方を見て、すぐに前を向いた。
「安心して。僕はスイをちゃんと見て、大丈夫だって思ったから信頼してお仕事を任せてるんだから。多少……じゃあ、ないかもしれないけど、損害くらいは安い勉強代だよ」
「んぐ……で、でもそれはノエルの優しさだろ? 気遣ってくれてるのは、分かる」
「あはっ、スイは気にしいなのに、直接本人にそう言うの言っちゃうかあ」
「余は……。正直、隠される方が、好きじゃない……」
「そうだね、スイはそう言う子。でもまあ、優しさとか、最初に拾ったよしみって言うのは否定しないよ?」
「ほら、やっぱり」
「あはは。でも、本人が頑張ろうと努力してるのを諦めさせるようなことは絶対にしないし、スイが頑張って壊さないようにってちから加減を調整もしてくれてるって知ってるから。だから、僕が出来る応援はするよ? だから、物損くらいは気にしないで。本当にまずいなってなったら止めるから」
「ノエル……」
ノエルが力加減なんて些細な努力を認めてくれた。
仕方ないなんて思うつもりは毛頭ないけど、ノエルがそう思ってくれているだけで、心が軽くなる気がした。
しばらく二人で歩いていくと路地から日の当たる表通りに出て、ばあっと人通りが多くなる。
はぐれないように慌ててついていくと、人がより一層多くなる広場の前でノエルが立ち止まって振り返った。
「あ、そうだ。ところで、スイ。もう一つ、今気になってるなあってことがあるの」
「うん? ノエルが気になってること?」
「そうそう。スイさ、もしかしてなんだけど、爺から何か頼みごとをされたりした?」
「っ、う、ううん。してないぞ? 余は、ノエルが一緒に行きたいと言ったから来ただけで……」
「スイ?」
「う、嘘は言ってないもん」
誤魔化そうとしたがノエルに鋭く聞き返され、せめて白状しないようにとそう答える。
あからさまに爺様に頼まれたという態度だが、余は嘘が苦手だったし、これ以上誤魔化すことは不可能だった。
「はあ、分かったよ」
「うぅ……」
「スイが言わないってことは言わないでほしいって念を押されてるってことだしね。そんなの、スイに効いたら悪いじゃんか」
もはや何も言い返すことが出来なくなって、しょんぼりしながらノエルの後についていくと、ノエルが急に立ち止まる。
慌てて止まって周りを見ると、そこはいくつもの露店や屋台がある、広場のような場所に出てきていた。
屋台からは小麦を焼いたお菓子や、果物を甘く煮詰めたものも売っているらしく、甘いにおいと香ばしい匂い。
それと肉が焼けるようなじゅうじゅうという音も微かに聞こえてきて、喉がゴクリと鳴った。
屋台の周りには、お菓子をほおばっている子供の姿や、商談の途中なのか、露店の後ろで荷物の受け私をしている商人たちの姿もあり、人の姿も多い。
通りの向こうには、土ぼこりが付いた衣服に武器やら革袋やらを持った人たち……たぶん旅人や傭兵たちが集まる酒場や宿屋の看板も見える。
余たちが立っているのは、ちょうど住民向けと外の人向けの境界線のような広場らしかった。
少なくとも余がこの町に来てから、初めて見る光景で、このような場所があるのかと面食らっていると、ノエルに袖を引かれてしまう。
なんだろうとノエルに引かれて行けば、樽や板材を使って作られた急ごしらえのベンチがあった。
「はい、お姫様。ちょっと汚いかもだけど、ここのベンチに座って」
「? う、うん? ノエルはどうするんだ?」
「いいからいいから」
「でも、ノエルの方が……」
「身分が上って話? 今いるのは中流層だよ、スイ」
「そうだけど……」
「それより、はい、この荷物はスイに任せるから」
さっきまで大事に持っていたというのに、ノエルは持っていた袋を半ば押し付けるようにして余の方に差し出されてしまい、慌てて受け取る。
受け取った瞬間、ガシャンと危険な音がした。
「ちょ、ノエル? 今ガシャって音が……」
「あ、本当? じゃあ、薬が大丈夫かの確認も含めて、スイはベンチに座って確認して」
「う、うん……」
半ば強引に座らされてしまい、仕方なくベンチに座る。
言われた通りに袋を開けて中の薬を確認しようとすると、ノエルが「よし」とつぶやき、顔を上げると、ノエルが満足そうに腰に手を当てて頷いていた。
「それじゃあ、僕はそこのお店でお菓子とか買って来るから、スイはおとなしく待ってるように」
「お菓子って……。薬の確認はどうするんだ?」
「そんなの方便に決まってるでしょ? スイはこうでもしないと先に座ってくれないんだから」
「はい? ……っ! ノエル! また図ったな!」
「あはは。じゃあ、いい子で待っててね、スイ」
すぐに袋をベンチに置いたが、止めるまもなく屋台の方へ走っていってしまった。
慣れた様子で遠ざかるノエルの背中とスカートに、ぐぐっと拳を握って憤る。
(素直に荷物を任せたから変だなと思っていたら、余を休ませるために荷物を渡したなんて!)
ぷんすかしてしまうが、もうノエルはその場には居なかった。
遠くへ行ってしまったノエルには腹が立つが、仕方なく荷物を脇に置く。
ノエルが傍に居ないおかげで嘘をつかなければいけないという緊張が無くなって、安堵のふぅと息が漏れた。
気が楽になって、なんとなく足をプラプラさせて空を見る。
故郷のあの日……余の首に傷がついてしまったあの日と変わらない空が広がっていて……。
隣の薬に気を配りながらもあの日の事を思いだし、襟巻の下に隠した自分の傷跡に触れる。
「……どうしてだろうな。余が故郷から逃げ出すきっかけはこの傷なのに。この傷が無ければ、こうしてノエルとで、デートなんてすることも無かったんだ」
つぶやいて現実だと染みてくると、不思議な気持ちはより強くなる。
余は、紛う事なき落ちこぼれだ。
鬼の里では戦う事が出来ず、治癒氏を目指して頑張った結果、人間の国でも同じ事になって、死にかけて……。
ノエルに会わなければ、余はきっと絶望して諦めていたと思う。
ノエルが余を拾ってくれて、ノエルが仕事を探してくれて、ノエルが余を認めてくれたから、余はここに居る。
余が生きているのは、ノエルのおかげだ。
思わず頬がニヤケて足をポタつかせてしまいそうで、頬を引き締めようとしたけれど、ノエルが居ないからちょっとならいいかなって笑ってしまう。
「余は何も出来ないに。本当にすごいなあ、ノエルは」
亜人は良くも悪くも他人を慮る癖がある。
鬼はその中でも他人を顧みない利己的な種族だが、亜人でもないノエルが、他人に気配りをするなんてよっぽど大変なはずだ。
余からすればあんなに大変なのに、他人を思いやれるだけで尊敬に値するのに、役立たずな余の事を拾い上げようとしてくれている。
なにか……やっぱり、余の鬼としての力でも、ノエルの力になりたい。
「……そっか。それでもいいんだよな、ノエル」
余はノエルの役に立ちたい。
首も傷跡につけていた指を離してぺたりと胸元にあてる。
そうだ、誰かの役に立つために治癒士を目指しているけれど、それよりも先に、まずはノエルの役に立ちたい。
そう思ったら、自然と体の中に魔力を回していた。
(最初は、魔力を回す)
すぅと体の中に血を巡らしていくように、体の中に魔力を循環させていく。
魔力の温かい感触が体を包んで……。否、どちらかというと、興奮した時のように体が火照っていく。
冷たい指先から、徐々に徐々に温かい感触が体を包んでいき、身体強化の強度……ちから加減を、より深く、微細に調節していく。
これは、魔力を体に巡らす基礎鍛錬のようなもの……といえばいいか。
魔力の無い人間様からすれば、なにをしているか分からないだろうが、体に流す魔力の量を調整することで、適度な魔力量制御に調節する鍛錬……戦いの前の瞑想のようなものだ。
(久々だけど、うん、大丈夫。これでいつでもノエルを守れる)
体中に魔力を十分に回し、徐々に集中を戻していくと周りの喧騒が戻ってくる。
薬の袋が取られてないことも確認しつつ、ノエルはいつ戻ってくるんだろうと、ノエルが駆けていった屋台に視線を向け――、
「おい! 今すぐにその子を離すんだ!」
広場の……ノエルの行った方向から、誰かの……ううん、ノエルの声だった。
「今の声、ノエル!?」
騒ぎの中心には、余と同じくらい背が高い男の二人組と、メイド服の少女……ノエルが対峙して何かを言い争っているようだった。
遠目から見えるノエルの表情はこわばっていて、屋敷では見たことが無いほど綺麗な顔を怒りに染めていた。
何事かと思えば、ノエルの後ろには猫耳がはみ出るナプキンとエプロンをつけている可愛らしいリャーディ――猫系亜人の女の子が居て、一瞬ムッとしてしまい変えたけれど、耳をペタンと下げて怯えていてハッと息を呑んだ。
(ど、どうしてノエルがリャーディの女子と!? ちがう! 動揺してる! そもそもどうしてあんなことに!)
混乱して動けずにいると、ノエルがリャーディの少女になにかささやく。
もやっとする気持ちが浮かび上がるものの、リャーディの少女がアーモンド型の目を見開きためらった後、余に向かって走り出した瞬間、すべてが吹き飛んだ。
慌手て立ち上がると、リャーディの少女が余の胸にポふっと飛び込んで来たかと思うと、泣きそうな顔で見上げられてしまう。
「お願い! あそこのメイドさんを助けて!」
「っ、助けてって、なにがあったのだ?」
「あの、あの人、あのメイドさんが、私が絡まれてて、間に入ってくれて! でも、あの人が逃げてって!」
「え、ノエルが!?」
リャーディの少女に退いてもらって慌ててノエルに視線を向ける。
男二人とノエルを視界に移した瞬間。
片方の男がノエルの腕をつかんで引き寄せるのが見えて、体に回していた魔力と血がぐっと熱を持つ。
いけない、ノエルは貴族であんな男たちに傷つけられていい人じゃない。
「っ! ノエル!」
余はノエルに男の腕が伸びたのが視界に入った瞬間から、力を抑えるという考えが頭の中で抜け落ちていた。




