第十一節 爺様からの頼み ――翠玉
先輩の開いたドアから、話し声が聞こえてきて、集まっている者たちが雑談を交わしている。
余りに和気あいあいと話していたので、本当に朝会議が終わってしまったんじゃないかって顔から血の気が引いた。
「せ、先輩。余のせいでノエルまで仕事をサボタージュさせてしまったのか……?」
「サボ……? えっと、朝会議のお話なら、まだ始まってないから心配しなくても大丈夫よ」
「そ、そうか」
「えースイ。僕の言葉は信用できないの?」
「ノエルは私に気を遣うから……」
「うっ、それはまあ否定できないか」
たしかにノエルの口からも聞いたけど、ノエルは私に気をつかって嘘をつくことが多いとここ数週間で理解した。
ノエルと喋っていると、先輩がわあと声に出そうな表情で余たちを見ていて首をかしげてしまう。
「スイギョクちゃん、すごいのね」
「むう? 何がすごいのだ、先輩」
「あらあら、分からないのは本人ばかりなのね。それより、お仕事よ、スイギョクちゃん」
「あ、そうだった!」
先輩の言葉にハッとする。
慌てて厨房に入ると、後ろからノエルがゆっくりついて来て「そんなに急がなくても大丈夫なのに」と苦笑していたが、新人である余が迷惑をかけるわけにはいかないのだ。
余が厨房に入った瞬間、皆の声が訓練された兵のようにピタッと止まり視線が余の方へと集中するのを感じる。
良い人たちだって分かってる。
でも、あまりいい気分に離れなくて襟巻をきゅっと首に巻き付けた。
「それじゃ、スイ。後でね」
「ああ、ノエル。うん、わかった」
余がテーブルの一番近くの席の前に来ると、ノエルがそう言って一番奥の席へと向かっていく。
朝会議とはいえ、メイドの中でも位はある。
最初から座ってる人たちはともかく、ノエルが座るのを待ってから、余も席に座った。
「よし、皆座ったわね? それじゃあ、まず――」
先輩が音頭を取って教えてくれる連絡事項と仕事配分を真剣に頭に入れていく。
こういうとき、ハウスキーパーのノエルが発表する物だと思ったけれど、この屋敷では先輩が一番前に立って発表する形らしい。
滞りなく連絡が終わり、メイドたちが各々の仕事場に戻っていく中、余はキッチンメイドたちの邪魔をしないよう、一人でポツンと厨房の端で立ち尽くす。
余の役割はハウスメイド……空いている場所へ順次移動することなのだが、どうするべきかと悩んでいると、両肩に重みを感じた。
ふわっと石鹸の匂いと、覚えのある手の重み、これはノエルだとほっとする。
「お疲れ、スイ。ぼうっとしてどうしたの?」
「ノエル。ん、余は今日どうするべきなんだろうって。」
「あー、今日はたしかに研修中のハウスメイドは難しい日かもね。そうだな……」
余が相談すると、ノエルが考えるように綺麗な指先を顎に当てる。
大変そうだからキッチンメイドの荷物を運ぼうかと考えていると、ノエルが「あ、そうだ」と手を叩いた。
「じゃあ、スイは僕とデートに行こっか」
突然、ノエルがとんでもないことを言いだした。
「デ、デデデデート!? よ、余はまだ日が浅いんだぞ! 遊んでる暇は!」
「わあ、声おっきい」
「す、すまぬ……」
「あはは、デートって言っても、中流層に一緒に言ってくれないかなって」
「中流層に?」
ノエルの言葉をオウム返しにして、少し困ってしまう。
中流層は、言うまでもなく商人に冒険者、一般市民と、この国の民が一番多い地域だ。
ノエルと一緒に行きたくない……わけじゃない。むしろ、ノエルの誘いを断りたくはないし、ノエルから誘って来てくれたことはすごく嬉しい。
でも、問題は、そのノエルと中流層に行くという事だった。
この数週間で実感したが、ノエルは間違いなく上流層――貴族側の人間だ。こうして余を取り立ててくれるのは嬉しいが、中流層の価値観とは大きな差がある。
亜人でも価値観の違いで仲の良し悪しがある。これが争いごとの多い人間の町ならと考えてしまったのだ。
言葉に詰まっていると、ノエルの表情が曇ってて、つい喉に息が詰まってしまう。
しかし、ノエルは予想はしていたのか曇っていた表情を苦笑に変える。
「やっぱり、スイも反対?」
「ん……。余はあまり賛成はできない、とは思う」
「それは理解してる。でも、行く機会が少なくてさ。スイと僕が仕事の分担が空いた日じゃないといけないし、いけるときに行っておきたいなって」
「むぅ。余は良いけど……」
「本当?」
「でも、何をしに行くかは知っておきたい。ノエルは中流層で何をしに行きたいんだ?」
「だから、スイとデ――」
「で、デートじゃない方だ!」
茶化されてしまいそうになり慌てて否定する。
ノエルは賢しい。キチンと聞けるときに聞いておかないと後になってはぐらかされて、教えて盛らないのは寂しいと声を張ってしまった。
すると、ノエルは蒼い目を驚いたように見開くと考えるように顎に指をあてる。
「まあ、特別な事じゃないよ。ユーランド家のために、市場調査って感じ」
「市場調査?」
「単純に物価とか、薬の値段とかを見ようかなって。もちろん、普通の買い物もあるけど」
「でも、それなら上流層の店でもよいのでは?」
「それが、スイに使った薬みたいな、亜人の作った薬とかは中流層に行かないと売ってないんだよ。人間には効果が無いからーってお上様がうるさくて」
「んぐ、あの薬は中流層なのか……」
ノエルは本当にうんざりだみたいな声色でため息をついていた。
まるで、実感がこもったみたいな言い方だったけれど、ノエルはその上の人と会ったことがあるのだろうか。
だが、余のために使ってくれた薬のことを言われると、ノエルに反対できなくなってしまう。
余があんまりに悩んでいたせいか、ノエルはまた苦笑されてしまう。
「あんまり悩まないで、スイ」
「ノエル、でも薬は余のせいで……」
「まあまあ、買い物に行きたいっていうのは半分建前なんだから」
「建前……?」
「本音は、スイと一緒に外に出たいなって思っただけ」
ニコっと微笑まれてそんなことを言わないでほしい。
頬が熱を持ってしまいそうだったので、ノエルから離れて頬を囲う。
うう、ノエルにバレてないと良いのだが。
でも、そんなからかいを擦るノエルは許せないと、振り返ってムッとする。
「ふっ、の、ノエルが余と一緒に行きたいなんて、嘘は良くないぞ」
「嘘じゃないよ、スイ。僕はスイと一緒に居る時間が好きなんだから、ね? この前だって、スイとの時間を取れなかったのも残念だって思ってる」
「この前って……。余がノエルの仕事を待ってる間に寝てしまった時のことだろ? あれは余が……」
「あはは、あれは僕が待たせちゃったせいだって。だから、それの埋め合わせにどうかなって」
「うう、でも……」
あれの埋め合わせと言われても、ノエルの仕事を待っている間に余が寝てしまったせいだ。
ノエルが責任に思う必要はないし、そもそもノエルが余をからかってない証拠にはなっていない。
それに……本当だったら嬉しい、って思う余の気持ちを裏返した怨嗟をノエルに抱きたくない。
警戒していると、ノエルにはあとため息をつかれ、悲しそうに目を伏せられてしまって、うっと心臓が痛くなる。
「そっか。スイがどうしてもいやだって言うのなら、諦めないと、だよね」
「ノエル……その言い方はずるい」
「あはは、僕もそう思う。でも、スイは本当に僕と一緒に出掛けるのは嫌だ?」
ノエルは背中に手を回し、悪戯っぽい笑顔で首を傾げられてしまう。
この子は本当にズルいって思ってるのだろうか。
「…………んん! 分かった! 余もノエルと行きたい!」
「やった! じゃあ、急いで準備をしないと! 出かける準備……って言ってもメイド服だけど、外に行く準備が終わったら、ホールに集合ね」
ぴょんと跳ねて喜びそうなノエルが嬉しそうに厨房から出て行ってしまった。
周りのメイドたちがこそこそと何かを話していたけれど、余は余でそんなことを聞いている余裕はなかった。
また熱を持ってしまいそうだった頬を抑えて、その場にうずくまる。
(こ、これって、ノノ、ノエルと逢引き!? よ、余はどうしたらいいんだ!?」
中流層に行くという内容で忘れてしまっていたが、これはノエルと二人っきりという事か。
そう自覚した途端、頬の熱が再燃していく。
なにかあるわけでも、なにかするわけでもないが、ノエルと二人っきりと考えると何故か頬も胸も熱くなって、嬉しくなって飛び跳ねてしまいそうなほど胸が高鳴るのを感じる。
どうして、どうして余はこんなに……。
ノエルは女の子で……ということは、余も女の子が……。
変な思考にたどり着きそうになり、慌ててぶんぶんと角が音をたてるほど首を振った。
「ちちちち、違うぞ、馬鹿なことを考えるな。ノエルとしじょーちょーさ。そう、しじょーちょーさするだけだ! けっしてノエルとでーとなんかではない!!」
周りの視線が気にならない程パニックになりそうで、なんでノエルがデートなんて言い回しをしたのか本当に分からなくて、頭が沸騰しそうだった。
と、とにかく、今はノエルを待たせないために着替えに行かないと。
部屋に戻るためにバッと勢いよく立ち上がる。
「スイ殿、少々よろしいでしょうか」
「うひゃあ!?」
また背後から突然声をかけられて変な声を上げてしまう。
周りの人たちもなんだなんだと視線を向けているのが見えて慌てて振り返ると、背後に立っていたのは爺様だった。
い、いくら余が役立たずだったって言っても気配を感じさせないなんて……爺様はいったい何者なんだろう。
「ほっほっほ、スイ殿はお元気ですな」
「じ、爺様! 驚いてしまって申し訳ありません」
まだ挨拶をしていなかったことを思い出し急いで頭を下げる。
「いえいえ、私も盗み聞きするつもりはなかったのですが……先ほどの会話が耳に入ってしまいましてな」
「さきほど……? ノエルと中流層に行く話ですか?」
「ええ、そのお話です。実は、スイ殿にはノエルの説得をお願いしたいのです」
「ノエルの説得、ですか? でも……」
説得と言われ、つい口ごもり視線を下に向けてしまう。
爺様が何を言いたいかは分かる。
爺様も余と一緒でノエルが中流層に行くのは危険だと思っているのだ。
皆には……爺様にも先輩にも世話になっている。分かっている、余は爺様の御願いを頷くべきだ。
でも、久しぶりにノエルと買い物へ行ける。その機会を失ってしまうのが怖くて、素直に爺様の言葉に頷くことができなかった。
余が何も言えずにいると、爺様にはあとため息をつかれてしまい、また怒られてしまうと心臓が痛くなる。
しかし……。
「申し訳ありません、スイ殿。無理を言いましたな」
爺様に謝られてしまった。
え? と顔を上げると爺様は本当に申し訳なさそうな顔で余を見ていて……。
呆気に取られていると、爺様は頭を下げる。
「え? あ、何を謝って! ちが、じ、爺様! 頭を上げてください!」
「いえ。この爺が説得できなかった時点で他人に頼む話ではありません。それに、そのように捨てられた猫のような顔をされる方にお願いする内容ではありませんでしたので」
「え!? 余がそんな顔を!?」
「嘘です」
「う、そ……」
なんでだろう、普段完璧に仕事をこなす爺様の事はすごく尊敬してるけど、今この瞬間だけはものすごく殴りたくなった。
というか許されると思ってしまった。
何とも言えない怒りを抱いていると、爺様は「では」と言葉を続ける。
「その代わりと言ってはなんですが、別の頼みごとをお受けしていただくわけにはいかないでしょうか」
「よ、余なんかに別の頼みごと……?」
「ええ。ノエルの信頼厚いあなたにしかできない事です、スイ殿」
「で、でも掃除も満足にできない余じゃできるかどうか……」
爺様の期待が重くてついそう言ってしまう。
すると、爺様に目を細められわずかに目を伏せられてしまい、それが期待を裏切ってしまった時の里の者たちと似たような反応だったので、思わず呼吸がヒュっと止まった。
でも、爺様は顔を上げると酷く真剣な目で余の事を見る。
「やはり、スイ殿はそう言われてしまいますか」
「やはり……?」
「いえ……。それで、頼みごとに関してなのですが」
爺様が何を言い淀んだかは分からないけれど、爺様の頼みが何かというのも気になって黙って話を聞くことにした。
「ではまず、頼みごとをする前に一つだけ」
「は、はい」
「この件はノエルに内密にしてはいただけないでしょうか」
「ノエルに秘密? あの、それはいいんですけど、どうしてですか、爺様」
「実は今からスイ殿にお願いしようとしていることはノエルから"決してするな"と厳命されているからです」
「え……?」
ちゃんと聞き返すつもりだったのに、驚て二の句が継げなくなってしまう。
爺様がそんなことを世に頼もうとしている事にも驚いたし、ノエルがソレを命じているという事にも驚いてしまった。
どうして、ノエルは爺様に禁止したんだろう。
ノエルのことだからなにか理由があるのかもしれないが、余にはさっぱり分からなかった。
それに、余が聞いていいことかも分からなかったので、とりあえず、お願いの内容を聞いてみることにした。
「えと、それで爺様。おねがいとは?」
「ああ、これは失礼を。もし、万が一にでもノエルが危険な事に巻き込まれそうになった時は、この爺の代わりにスイ……いえ、翠玉様が、守ってはくださらないでしょうか」
「余が、ノエルを、守る……?」
爺様が余の名前をちゃんと呼んだお願いに継ぎ接ぎのワンピースの裾が揺れる。
揺れて、初めて自分が動揺しているのだと理解した。
だって、ノエルが余にそういうお願い……護衛の仕事を禁止していると思わなかったのだ。
考えてみれば、余は鬼だ。
鬼といえば亜人の中でも特に戦闘種族で、護衛や力仕事が一番先にイメージがつく。
(思い出してみたら、ノエル。余に力仕事をあんまり回してくれなかった……?)
余は……ノエルの厚意に甘えていたという事か……。
思わず胸元を握りしめ、ビリッと解れる音がして慌てて手を離す。
彼女の気遣いが嬉しくもあり、悔しくも感じてしまう。
でも、力仕事も禁止されてしまったら、余はどうしたら、ノエルの役に立てるのだろう。
「翠玉殿」
爺様に声をかけられてハッとする。
またぼうっと考え込んで、視線が下を向いて爺様の靴を見てしまっていた。
「は、い……」
「ノエルに厳命されたとはいえこれは爺の勝手な願いです。ですが、この老骨の願い、聞き届けてくださるでしょうか」
「……はい。ノエルは余の友達です。爺様に願われるまでもなく、危なくなれば、余が守る。守りたい、です」
「私から願い出ておいてなんですが、本当によろしいので?」
「あはは……。余は、それでしか役に立てないですから」
役に立ちたい。
それは本当の事だ。
でも、余がノエルたちの役に立てるとしたら、冒険者や傭兵と一緒で、結局はそういう仕事なのだ。
だから、役に立つためにも、爺様の願いは聞き届けたい。
余がその覚悟で答えると、爺様はしばらく難しい顔をして黙り込んだ後、静かに頭を下げられてしまった。
「この爺の我がままを受けてくださり、ありがとうございます。翠玉殿」
みたことない真剣な顔で頭を下げる爺様に、余は複雑な気持ちになってしまって……。
余は、そんな爺様から視線を逸らすことしか、出来なかった。




