第一節 役立たずと彼女は自虐する ――翠玉
新作です。
追記:完成が遅れ、投稿予定日を大幅に超えてから急いで書き直したので、粗が多いかもしれません。その為、露骨な誤字や脱字、文中に※を残したままの投稿を見つけられた際は、そっとお察しください。気づければその都度、直したいと思います。
* * *
side 翠玉
肌寒い日差しが赤レンガの町中を照らしていた。
世間はそろそろ芽吹きの時期。
暖かい空気が流れ始めたのにもかかわらず、町行く人々の服装もどこか風よけを意識した服装も多くて、風が吹くたびに身を縮こまらせている人も居る。
なんだかそれが余計に寒く感じてしまって、腕に抱えていた雪小麦の袋を抱え直して、余は大切な彼女にもらった襟巻きを首深くまで巻き込んだ。
赤レンガの町並みが目立つこの町は、多種多様な物が行きかう人間の国、ローゼンカッツェ王国の首都ローゼン。
その中でも、上級階級の人たちが通う商店通りの店先で、こんな余の事を拾ってくれた恩人であるノエルを待っていた。
通り見れば、木と石で出来た建物が並んでいて、砂国で作られたガラスが一面に張られた見栄えの良い店がいくつもあった。
そこには、アラクネの糸で組まれたと銘打たれたドレスや、遠国の雪リンゴが並べられた果物屋が、あるけれど、道にせり出してはいない。
上流層のルールで、景観を損なわないようにしているのか、どこか整然さと上品さを感じる街並みだった。
歩く人にぶつかりそうになり、慌てて横によける。
頭を下げると、その人は人間だったらしく、余を見て舌打ちをして通り過ぎていった。
ローゼンは、流通が盛んなおかげか。人間や取引をしに来た亜人種だけでなく、時折獣や怪物に近い人外種の姿もある。
でも、人間の国だからか、それともそう言う決まりなのか。上流層まで来ると、余のような人間以外の種族は毛嫌いされているようだった。
余はほとんど旅をしていないが、砂国や湿地も人間の住む場所ではなかなか手を取り合うのが難しい、と聞いている。
トボトボ歩いていると、ふと、往来から視線を感じ、慌てて首元を隠す。
近くに見える物は無いかとガラスを探し、往来の邪魔にならないよう、そっと近づいて首元を確認した。
人が映り込むほどきれいなガラスには、額の両端の肌が突起状に伸びた角と、エメラルド色の瞳。同じ色の長い髪をハーフアップにして、首元には襟巻をつけている。
外行のパッチワークのワンピースを着た鬼と言う亜人――余の姿が映っていた。
「……せっかく一緒に出かけられるからって、外行にしなければよかった。首元、見えちゃうかも……」
この世界には角がある亜人種が幾つかいる。
余達は鬼は、数ある有角種の中でも戦いに特化した種族で、鬼の中では喧嘩と華が強いものが長として納める場所も少なくない、本当に喧嘩が好きな種族だ。
喧嘩と見栄が華という考えが多い種族で、強さで上下を決めることも多い。
戦争や戦いを喧嘩と軽く言うのは鬼くらいだと言われる種族なのだけれど……余は、そうは思えなかった。
喧嘩に明け暮れ、勝った物が全てを奪うという風習は、あんまり褒められたものじゃない。
そんな風に考えてしまって、自嘲する。
――あはは、だから余はそんな種族の中ではおちこぼれなのだろうな。
故郷を追い出された原因……外から見えていないか確認するために襟巻きをずらす。
ガラスに映る自分の肌。両肩の鎖骨と首の間に大きな切り傷が外気に晒され、ブルっと体が震える。
まるで、首を切られたかのように見えるその大きな傷跡に指を当て、左から右へとなぞった。
この傷は、余が故郷でつけられた傷だった。
原因は何だったか覚えてないが、きっと余が意気地なしだったからだと思う。
この傷を負った時は、ハッキリと覚えているというのに。
切った首が酷くぐちゃぐちゃとしていて、痛くて、動けなくて……。
ぱっくりと開いた傷口から空気が漏れて、口まで吐息が昇ってこない感覚があって、頭が焦っていくのに体はピクリとも動いてくれない。
当時は「ああ、これが死なんだ」って思った。
心臓が鼓動を刻むたびに傷口から血が滴って、感覚がなくなって首筋を冷たい雫が落ちていく。
なんとかしようと動かそうとした手足からも魔力が漏れ出して、魔力が無くなっていく感覚が、不思議と落ち着いて、痛みだけが純粋に残っていく。
死んでいく感覚は、はっきりと記憶にこびりついている。
でも、余は生きていた。
水の精霊様の力を感じて、誰かに精霊魔法で助けてもらったのだけは漠然と覚えている。
だから余はそれ以来、水の精霊様の事を信仰して、傷を治すという行為に専念をするようになった。
ケガをしたからか、治療をするようになったからか、故郷では落ちこぼれと呼ばれるようになってしまったけれど……。
曲がりなりにも余は鬼だ。
余も自分の事を、落ちこぼれだとしか思えなかった。
ぐっと、指先に力がこもる。
この傷跡は、自分が役立たずと言う何よりの証拠だ。
戦いも、治癒も。人間の国に逃げてきて、誰かの手伝いしかできなくて、役に立たないのも、全部、全部全部ぜんぶ……。
「いつっ――」
喉元に走った痛みで我に返る。
指先を見れば、血で濡れていた。ゾッとして顔を上げると、自分の爪で傷つけてしまったのだろう、首の端に血の雫が出来ていた。
――またやってしまった。
考え事をし過ぎて、気づかなかった。
思考が苦手な余は、考え事をしてしまうとぼうっとしてしまう癖がある。それこそ何もない壁に向かってぼうっとしていたことも何度もある程だった。
だから、こうして首を触りながら考え事してしまうと、力加減を間違えて傷を増やしてしまう。
自分でも馬鹿だなって思うけど、昔から治せない癖のひとつだった。
苦々しく思いながら傷の具合を見るけれど、多少血は流れてはいるけれど、大げさな傷ではない。
鬼であるのなら睡眠をとってさえいれば知らずうちに治るだろう。人間のノエルには大げさに驚かれてしまうだろうが……。と、血が襟巻きに伝ってしまいそうでハッとする。
「っ、そうだった! 服を汚しちゃう!」
慌てて荷物の上に襟巻きを置き、血が付いてないことにほっとする。
よかった。ノエルにもらったものを汚さずに済んだ。
ただ、首の傷は隠せなくなってしまった。
ほかに方法が思いつかなくて、背中の方の髪を傷に当たらないように前に流していき、荷物を持っていない方の腕でなびかないように押さえつける。
これで、他の人にも――。
「スイ! お待たせ!」
元気なハスキーボイスで、余の愛称を呼ばれる。
そんな風に呼んでくれるのは一人だけで、頬が緩むのを感じながらも振り返る。
人混みを探せば、日用品の通りから、可愛らしい女の子が一人余の方に走ってきてくれていた。
その子は、手触りの良さそうな黒いシルクのワンピースにエプロンドレス。を着た、小麦色の髪をみつあみにしている。
白いソックスに黒いパンプスを履いた……いわゆる上級階層のメイド服で、小麦色の髪の間から覗く青い瞳は、教養を感じさせる優しい瞳だった。
背丈は余よりも頭一つか、二つ分くらい小さいだろうか。
メイドの女の子……ノエルが、女の子にしては骨ばった手には、香油の瓶らしき物を持っていて、文字通り大手を振っていた。
彼女は余の命の恩人で、今の上司だった。
ハウスキーパーという、メイドをまとめる役をしている"ノエル"という人間で、ローゼンの庶民街……中層と下層の間で、路銀も食べ物も尽きた余を見つけて拾ってくれた人だった。
化粧や服装だったり、色々詳しいうえに、主であるユーランド殿に世を雇って欲しいと直談判してくれた子で、戦うこと以外知らなかった余を導いてくれた、優しい人間さんだ。
鬼は、自分の意志で寿命が決まる。
大げさかもしれないが、誰からも必要とされず、生きる意味を無くしていた余にとって、彼女はまさに、命の恩人だった。
またネガティブなことを考えそうになっていると、走ってきたノエルが、顔をしかめ、覗き込まれてしまう。
「スイ。なんか、怒ってる?」
「余が? ううん怒ってないぞ? どうしてそう思ったの?」
「だって、声かけても返事してくれなかったからさ。待たせちゃったから怒ってるんじゃないかって……」
「う、ううん! ちがくて、ちょっとぼーっとしてただけだから。気にしないで」
「いつもの虚空眺めてるやつ?」
「うぐっ、余はそんなにぼうっとしてない」
たぶん。これでも一応鬼なので、気を張って生きてはいるはず、なのだ。
でも、ノエルは訝し気な表情を作るとジトっと睨まれてしまう。
「結構ぼーっとしてるよ。お仕事中とかにもよく壁見て固まってるの見るし」
「そ、そんなにしてる?」
「うん。陸に上がった魚人って感じ。屋敷のみんなも口をそろえて心配だーって言ってるよ?」
「ぎょじっ! みんなまで!? そこまでぼうっとは……。ん、気を付ける」
陸の魚人は、空気が透こぎ手死んだようにぼうっとしてると聞いた。
そこまで酷かったのかなって、自分でも思ってたより落ち込んだ声が出て、他のみんなも知っていると知って愕然とする。
ぼうっとする癖は、皆には隠せていると思っていたので、知られていると思うとすごいショックだった。
しょんぼりしていると、ノエルがクスクスと笑われてしまう。
「可愛いなあ……。あ、そうだ。遅くなってごめんね?」
「え? あ、ううん。余はノエルを待ってるだけで楽しいから。探してるものが見つからなかったのか?」
「うわ、惚れちゃう。うん、そう。香油が見つからなくて……。大丈夫だった?」
「ん? なにがだ?」
はて、そんなに心配されることはあっただろうか。
むぅと眉を寄せて考えていると、ノエルは周りを警戒しながら見てそっと体を寄せられる。
「ほら、男の人に声かけられたりとか、誰かに襲われたりとか。ここ、上流だからあんまり騒ぎは起きないけど、それでも荒っぽい人たまにいるから」
「あはは、余に声をかけてくる猛者なんていないよ、ノエル」
「そんなことないよ!」
「の、ノエル?」
余に魅力はない。
実際そうだし、男に声をかけられた事なんてない。
だから、安心して欲しいってつもりで言ったら、ノエルは憤ったみたいに大きな声で否定されてしまう。
大きな声に驚いていると、ノエルの手が頬に差し込まれる。
片目を閉じて受け入れていると、ノエルの女の子にしては固い手から、温かさが伝わってきた。
スルっと頬を撫でられて、血を隠していた片手が緩くなってしまう。
「ほら、スイは美人なんだから。ちゃんと虫よけしないと。僕も上司として心配です」
「き、傷のある鬼なんて見れば誰でもいなくなるから心配してないで、ノエル。あの、それより、近くて……」
「傷があるって言っても、スイはいつも隠して……。あれ? そう言えば襟巻き外してるけど、どうして?」
「え? いや、その……」
自分で傷を増やしたってバレたくない。
ただでさえいつも心配をかけているのに、こんなことで余計に心配させるなんてしたくなかった。
「ほ、ほら。外に出てるから。せっかくノエルたちに貰った物だから、汚したくないなって……」
「気にしちゃダメって、僕たちは言ったよ? それに他の子も汚れても色々作りたいし、買うから心配しないでって言ったでしょ?」
「んぐ……でも……」
他の人も引き合いに出され、思わず口ごもってしまう。
ノエルの言う他の子たちは、一緒に仕事をする"爺"と呼ばれる執事さんに、メイドの子たちの事だった。
皆、事情を顧みずに首を隠すものをくれたり、事情を聞いて涙ながらに慰めてもくれる。
彼らはとてもいい人たちだ。
どこか、腫れ物に触れるような、なにか重大な隠し事をされてる気配はするけれど、人間の世情に疎い余としては、仕方ないって思うし、亜人に厳しい国で誠実な対応をしてくれている。
だから、そんなノエルたちに嘘をつきたくなくて、ぎゅっと抑えていた自分のエメラルド色の髪を握ってしまう。
「よ、余は、皆が良くても、汚したくない……」
「そんな汚すようなことはないと思うけど……。今日はどうしてそんなに頑な――あ、スイもしかして!」
ノエルが慌てたように頬に触れていた手で髪を抑えていた手に触れられる。
振り払おうとしたけれど、でも、ノエルとは種族が違うということを思い出す。
鬼の力は、人間よりもはるかに強い。そして、余の魔力はとても多くて、身体強化の変換効率も高い。
間違って傷つけてしまったときを想像して、さあっと顔から血の気が引いた。
「っ! 待って、ノエル! ちが――」
とっさに声で止めようとしたけど、間に合わなかった。
退けられた腕と髪の下、外行のパッチワークドレスのせいで見える鎖骨と首のあたりにある傷跡……の縁で流れる血を見られてしまう。
血を見て、ニコニコとしていたノエルの表情がサッと曇った。
「スイ。血が出てるけど、これは?」
「ごご、ごめん。ノエルに心配させるかもって……」
「いつ? 誰にやられたの? まさか、そこらの馬鹿じゃ――」
「ち、ちがう! 違くて……。さっきガラスに映ってる余を見て、傷をなぞってたら爪で刺してしまって……」
「本当? 嘘ついてない? 気を使ってとか、心配かけたくないとか」
「つ、ついてない」
「……スイ?」
手を握られたままずいっと形の良い顔を近づけられる。
同性のはずなのに、真剣なノエルの表情にドキドキしてしまって、こうやって問い詰められると、嘘をつけなくなりそうだった。
ううん、そもそも嘘はついてないのだけれど。
「ち、ちが! 近い! ノエル!」
「スイ、嘘をつかないで。目、反らしてる」
「う、嘘じゃない! 心配かけたくなかったから、何でもないって言うのが嘘なだけで!」
「……………スイ?」
「ほ、本当だから!」
だから、その可愛い顔を近づけないで欲しい。
唇をかみしめて必死に自分の熱とノエルの顔から遠ざかっていると、ノエルからは「はあ」とため息が聞こえてきた。
「おっけ、分かった。そういう事にしておく」
なんとか余の言葉を信じてくれたのか、ノエルが遠ざかって、心臓の鼓動を弱めてくれる。
でも、手は握られたままで、そのままキュッと強く握られてしまった。
なんだかそれが、迷子を見つけた親みたいで、少しだけおかしくなった。
「ふふ、ノエル。心配しすぎだって」
「心配したくもなるよ。だいたい、誰かが一緒じゃないと毎回屋敷の物を壊したり、居なくなったりするじゃない。この前だって、水回りを――」
「うっ、あ、あれは、余が触る前に壊れた」
「作った人は明らかに変に力が入って壊れたって言ってたよ? ……それより、傷の処置の方が先。ほら、屋敷に戻ろう?」
「う、む……」
力強く腕を引かれ、傷が見られないか不安に思いながらもノエルについていく。
骨ばった、力の強い手に引かれながら。
ノエルの力、思ってたよりも強いな。
なんて思いながら、屋敷に戻る道を一緒に帰るのだった。