“男らしく”なければいけない女性
ウニの養殖が実質的に解禁されたのは、その地域にウニ漁師がほとんどいなくなっていたからだった。それまでは漁師達から得られる票が欲しい政治家、その政治家が融通する予算に目が眩んだ官僚などがウニの養殖を始めようとする事業者に嫌がらせなどを行い、実質規制しているに等しい状態だったのだ。
温暖化の影響で水温が上がった海ではウニは小型化し、海藻の類を食べ尽くしてしまう為、害虫とまで言われているのだが、その小型のウニを駆除するのではなく、捕獲して餌を選んで養殖すれば、美味しいウニに育つ事は早くから知られていた。
が、ウニの養殖を商売として成立させる為には、ウニの捕獲の大規模化やAIによる自動餌やり機や環境管理などの設備投資が必要になって来る。それらが規制されていたのであるが、解除されたのだ。
ただし。
その新産業であるウニ養殖にだって利権は発生する。そして、大企業がその利権を握り、政治家や官僚と結びついて強引に事業展開をしようとしていた。その事業に反対をしているのは地元のウニ漁師達だった。
「そんな事をすれば、俺らは完全に潰れちまう!」
数が減ったとはいえ、ウニ漁師はその地域にまだ存在していたのだ。だが票田としての力を失った彼らを守る政治家や官僚がいるはずもなく、彼らはただただ切り捨てられようとしていた。
「本当にそれで良いのかい?」
そう中原という男から問いかけられて、彼女、三谷楓はわずかに表情を歪めた。場所は趣味の良いラウンジ。“……らしくもない店を選ぶと思ったら”と彼女は思う。
彼女は彼と随分前に付き合っていた。久しぶりに飲もうと誘われて、多少は訝しんでいたのだが、どうやら裏があるようだった。
“そう言えば、こういう男だったわね”
長身で瘦躯。人の好さが滲み出た顔をしていて実際にその通りに人が好い。だからこそ彼女は彼に惹かれたのかもしれなかったが、もう忘れてしまった。
彼女はウニ養殖を重要な部門の一つにしようとしている企業の重役の1人だった。そのプロジェクトを任されている。冷徹な印象を持たれている彼女は、その印象そのままに的確な効率重視の判断を下す。彼女はその冷静な判断力でそこまで出世したと言えなくもなかった。
そして、彼女は少数のウニ漁師達を完全に無視した事業計画を立てていたのだ。
「日本には星の数ほど、職業があります。別にウニ漁師に拘る必要もないでしょう」
そう彼女は漁師達に言い放った。もちろん、高齢の者がほとんどの彼らが他の職を見つけるのは難しいと分かってる。それでも事業を強行しようとしているのだ。そして、そんな彼女の考えを改めるように中原は説得しようと彼女に会う事にしたのだった。彼らを助けたいのだろう。
「私は自分の決断は正しいと思っているわ。ウニの養殖を成功させれば、地元の経済だって大いに潤うのよ?」
「それはそうなのだろうけど……」
ちょっと迷ってから彼は言った。
「でも、彼らと共存する道だってあるだろう?」
「何? 従業員として雇えとでも言いたいの? 冗談じゃないわ。もうかなりの高齢なのよ? 無駄な投資になるわ」
そのきつい物言いにちょっと中原は寂しそうな顔を見せた。その顔が昔から彼女は苦手だった。
「女性の社会進出が叫ばれてひさしいね。君はその代表的な一人なのだろうけど、でも、世の中の人が女性に期待している役割は、本当にそんなものなのだろうか?」
「あら? 女性蔑視?」
「そんなつもりはないよ」
そう言うと、彼は少しの間の後に続けた。
「男女の脳の違いはほとんどないという人もいる。けれど、僕は本当にそうなのだろうかと疑っているんだ。例えば、女性は暴力事件などの犯罪を行う事が少ない。もちろん、ない訳じゃないのだけど。それに女性達が武装蜂起したなんて話は聞いた事がないだろう? ジェンダーとしての女性。女性としてのリーダーに期待されているのは、男に対して期待するような役割じゃないと思うんだ」
その彼の説得の言葉を彼女は鼻で笑った。
「フン。あなた、エリザベス女王って知っている? イングランドの女王よ。彼女はスペインの無敵艦隊に勝利している。もちろん、戦争でね。女性の指導者が戦争を行わないなんて言うのは幻想に過ぎないわ」
歴史上、リーダーとして評価されている女性はほぼ例外なく力強かった。それは昔も今も変わらない。そういった女性こそが世の中で出世するのだ。だからこそ自分は、力強くあらねばならない。
彼女はそう信じていたのだ。
ところが彼は彼女の言葉を聞くと、こんな事を言うのだった。
「知っているよ。君こそ、知っているかい? エリザベス女王は女だからという理由で軽蔑されていたんだ。“弱弱しいに違いない”ってね。だからこそ、それを跳ね除ける為に彼女は男らしくあらねばならなかった。そう考えると思うんだ。本当に彼女は戦争を望んでいたのだろうか?ってね。もしかしたら、とても無理をしていたのかもしれない」
それから彼は彼女をじっと見つめた。
「そして僕は君を観ていても同じ様に思ってしまうんだ。
もしかしたら、君も、女だからって馬鹿にされない為に、無理して男らしくしようとしていないかい?」
その言葉に彼女は何も返す事ができなかった。
数日後、彼女はウニ漁師達に養殖場で働かないかと持ち掛けていた。地元のウニに関する様々なノウハウを社員達に教えて欲しいと打診したのだ。その態度の変容に初め漁師達は戸惑っていたが、やがては軟化していった。
新入社員ではなく、教師のような役割で迎え入れるという話に、企業側からの敬意を感じ取ったのである。それに収入は少なかったが、それでも充分に生活できる額は貰えた。
そして、漁師達を受け入れた事で、地元住民達の企業への印象は随分と良い物に変わっていたのだった。お陰で、販売ルートの開拓やイベントなどがやり易くなっていた。結果として、彼女のウニ漁師達を受け入れるという決定は大きな効果を生んだと言える。
そしてその結果を受けて彼女は考えた。
“もしかしたら、こういう役割こそが、社会が女性に期待するものなのかもしれない”
と。
男性原理、女性原理というものがあります。
男性原理では規律や理性で物事を捉え、そして支配被支配といった関係性を重視します。それに対し女性原理では、感情で物事を捉え、そして協調を重視します。
仮に食べ物を誰かに作ってあげたとしましょう。男性原理では、命令されて料理を作ったと解釈するかもしれません。作ってあげた相手は主人で、その主従関係に因ったのだと。ですが、女性原理ではそれを相手を思いやって料理を作ってあげたと解釈するでしょう。例えば、小さな子供に料理を作ってあげる優しい人を思い浮かべるかもしれません。
そしてもちろん、この社会にとって、男性原理ばかりでなく、女性原理にも大きな価値があるのです。
今の男女平等議論を聞いていると、このような視点が抜けている場合が多いので、なんだかとても不安になってしまうのです。