1月9日
◇
年が明けてまだ間もない頃。
仕事帰りに居酒屋へ立ち寄ると、一人孤独にお通しを食す女。
君波今宵がそこに居た。
前に見掛けた時と同じお店、同じ席、同じ時間帯だった。
艶のある青めな黒髪を後ろでクンッと束ねた彼女は、ややくたびれたスーツ姿でお疲れのご様子だったが、果たして。
「あ、塚野目君じゃん。お久しぶり」
「よう、君波。またこのお店?」
「それで言うなら君もだ。さては私の行動パターンを読んでいるのか」
「いや偶然だ」
「なんだ。てっきり、前に私が言った業務命令を守っているのかと思ったのに」
「一体いつから俺の上司になったんだよ……うわ、この会話のデジャヴ感。気持ち悪いな」
「まぁ座りたまえ」
「……あ、気持ち悪い」
「さて、ここに塚野目君の席を用意した。いいだろ? 美人な女性とお酒が飲めるんだ。これ以上にない席だ」
「はぁ」
見てくれは謙遜を弁えた新人女優かと思えそうな君波だが、人を外見だけで判断してはいけない。
君波の言動は、自信過剰なんて域を超越している。
こんなに、自分が美人である事を、さも一つの常識かのように語れるのはもはや才能のような気がする。
「座って間もなくですまないんだが、ちょっと私の愚痴を聞いてくれないか?」
「しょっぱなから愚痴か。……本音で言えばめんどくさいんですけど」
そう拒んだ所で、この美人は俺の気持ちを汲んだりはしない。
君波はそれこそ流れるように話し始める。
「あれは、私が高校一年の頃、家に強盗が押し入ってきた時の――」
「え待って待って。……愚痴って、そんな数年前の話⁉ しかもいきなり物騒な話聞いたんだけど⁉」
「数年前の話だけど、どしたんだ? ダメなの?」
「いやダメっていうか。数年前の事を愚痴る人って珍しいなぁって思って……」
「愚痴って、期限があるのか? どのくらい前までオッケーなんだよそれじゃあ!」
「いやなんとなく? 数週間以内くらいの事振り返ったりとか、直近の話題かと思うじゃん。こんなしなびた居酒屋で一杯引っかけながらやろうっていうならさ」
「ふんふん。そういうものか。……まぁでも聞いてくれ。私の家に強盗が押し入ってきた時の事だ」
「うん。というか、そんな事あったんだ。ニュースになってないよな? その話」
「ああ。ニュースにはなっていない。秘蔵スクープという奴だ」
君波は、当時でもニュースになってない驚愕の事件を語り始めていた。なんか色々すごい。
「強盗とか入られたらトラウマになりそうだな」
「ああ、そうなんだ。だから、しばらくは話せなかった。だからこそ五、六年ぶりに愚痴らせてくれってことなんだよ」
「なるほどな。あ、待て。ちょっとアレを頼もう。すんませーん」
俺が頼んで間もなく、またしても両者に最高の一杯、生ビールが届けられる。
君波のやつ、今日は同着生ビールについて文句を言わないらしい。えらいぞ。
「――っぷはぁ~。よし、それじゃあビールを身体に流し込んだところで、私の話を聞いてくれ。私の家に強盗が入ったんだ。
私とお母さんが、家のなかでそれはそれは暖かな団らんのひと時を過ごしている最中だったのに、だ。普通こういうのって、深夜とか寝込みの隙をつくもんだろ?
ところが、ヤツは目出し帽にサバイバルナイフといういで立ちで、堂々と入ってきたんだよ。あれは漢だったね。
ちなみにうちは母子家庭。そんな漢をみせる強盗犯に対抗できそうな、屈強で筋骨隆々バッキバキインストラクターみたいなのも居ない」
「すげぇピンチだな」
相槌のように応えて、俺はビールの二口目へ。
「うむ。けど、もっとピンチなのはこのあとだ。そいつが急に「下着を出せ!」とか言ってきたんだ」
「ぶはあああーー」
俺は盛大にビールを吹いた。
テーブルの上のお通しと、正面にいた君波の胸元あたりにまで見事にかかってしまった。
客は居なかったが、店員にギロリと睨まれてはいた。
「うわ! どうした塚野目君? 一口目と二口目で味が変わったか⁉」
「ゲホッ、ゴホ! お、おう……だいぶ違う味がした」
「レディに口の内容物を吹きかけるとは。君はプロレスラーにでもなる気か? それにしては吹きかけ方が甘い」
「目指してねぇよ……。そ、それでどうなったんだよ?」
俺はお手拭きで口元をぬぐう。全然、布面積が足りない。
「もちろん提出したに決まってるだろ。「金を出せ!」とか言うのかと思ったら、下着でいいらしいんだ。こんなラッキーはない。で、私が脱衣室までピューっと飛んでって、数着掴んでリビングに戻ってきた。そして渡したのさ」
「まぁ従うしかなかったんか」
「うん。で、私達の下着を受け取ったあと、強盗犯は言ったんだ。「っけ! 俺は普段使いの地味なブラが好きなんだ! ベージュとかグレーとかな⁉ お前ら全然つかえねーな!」とかほざいてたな。……こいつは何を言ってるんだ? 私は強盗犯に一体何を説教されてるんだ? そんな思いが私の脳内にぼんぼん出てきて、もう色々とバグってきたんだよ」
「へぇ。すごい強盗犯だな。威勢が良い」
「だから私も言ってやったさ。「ドラマや映画のヒロインに憧れて、こっちはコレが普段使いなんじゃい!」って」
「おお、言うじゃん」
もう俺もなぜこんな返しをしているのか、自分でよくわかっていなかった。
たぶんアルコールが回ってたせいだ。生ビール一口半。そういうことにしとこう。
「で、愚痴っていうのは、ここからなんだが」
「え? まだ本題じゃなかったのかよ?」
「今のはほんの前哨戦だ。ヤツが下着を盗んでいった次の日から、私のなかで壮絶な戦いの火ぶたが切って落とされたんだよ」
「なんか無駄に壮大だな」
「その日から、私は下着をどうするべきか悩むようになったんだ。普段使いって、何? みたいな哲学まで考えだす始末」
「いや、待て待て。どうするべきかって、なにが?」
「だから! 独身女性が普段使いに地味なヤツつけなきゃいけないのかどうかってことだよ!」
そう言い放ち、君波は手にしていたビールを煽る。
「世の中の!」
――グビッ。
「風潮と!」
――グビッ。
「戦ってんだよ!」
――グビッダンッ!
と音を立ててジョッキをテーブルにおろしたタイミングで、店員さんが料理を運んできた。
そこそこ怯えている。
「あ、あのー……こ、ご注文の……たこわさです」
「あ、どうも」と俺。
「たこわさ、きた」
店員さんが来たことで、君波は急に静かなトーンとなる。情緒の変動すごいな。
店員さんを見送ったあと、君波はふたたび口を開いた。
「――で、この悩み。塚野目君はどう思う? いち一般男性としての意見を乞う」
「いや、俺に意見求めるのもどうなんだよ?」
「さぁ、忌憚ない意見を」
「聞いてねぇな……。そうだな。まぁ強盗犯の言ってることもわかるけど」
「新情報ゲェットだ。塚野目君も地味め路線が大好物と」
「いや……結局、本人が好きなのつければいいだろ」
「はぁ……つまらん意見を言うな、君も」
「俺に何を求めてるんだよお前は」
「もっと斬新でとんでもない意見を言ってくれるかと思ったのに! 塚野目君が私の下着を指定してくれたっていいんだぞ。私も、戦いに明け暮れるよりそのほうがよっぽどイイ」
「なっ……」
爆弾発言をしながら、君波は届けられたばかりのたこわさを箸でつついていた。
仕方がないと踏んだ俺は、その言葉を逆手に取ってやることにした。
「じゃあこう考えたらどうだ。俺がお前のアレを指定するから、それを日々つける。そして俺のその指定は「お前自身が好きなものをつける」だ。コレで問題ないはずだが」
「ふんむ……。塚野目君て、実は理系男子だったのかな」
「どうだ。模範解答だろう」
俺はあまりそんな顔をするタイプでもないのだが、なぜかこの時はドヤ顔をしていた。
たぶん、アルコールが回っていたせいだ。生ビール一口半。
その後、俺はまた先に店を出ることにした。
今回はちゃんと割り勘だった。これからも割り勘でいいと思う。
この日はそれで君波との会話が終わった。