理不尽な始まり
「はぁ、またやってしまった…。」
手に下げた某有名ブランドの新作コスメを見つめながらため息をつく。給料日まであと10日もあるというのに、財布の中のお札入れには先程受け取った、レシート一枚しか入っていない。何気なくそれを引っ張り出そうとした時に指先にピリっとした痛みが走る。見るとレシートの端で切れてしまったようだ、人差し指にじんわりと血が滲んでいる。
本当にろくな事がないと、小銭の音だけが虚しく響く財布を鞄にしまい込んでふと前を見ると、大道芸人のような格好をした男がいた。何か、イベントでもあっただろうかと思ったが、その男はキョロキョロとなにかを探すようにあたりを見渡している。目の上に手を当てパントマイムでもしているかのような動きに目を奪われていたが、ふと気が付く。
周りの人が、全くその男を見ていないのだ、まるでそこに誰もいないかのように。
あぁ、またか。昔から僕を悩ませてきた、僕にしか見えないモノ。あの男もきっとそうだ。ああいった類のモノには関わらないほうがいい、ろくな事にならない。目を合わせないように…。
そう思った時にはもう遅かった。あの胡散臭い笑みが目の前にあったのだ。
「おめでとう!今日から君は私の助手だ!」
そう言うや否や、その男は紙らしきなにかを僕の手に握らせてきた。
「それは、契約書だよ♪えっと君は…」
僕がなにか言うのを遮るように、男が言葉を発する。そして、元々細い糸目を更に細くして僕のことを見つめる。
「うん。日向 春くん20才、大学2年生だね。」
ズバリと言い当てられた個人情報に恐ろしさを感じ背中を嫌な汗が流れる。
「なんで、知って…。」
「それは、私が何処にでも居るようでいないモノだからね。分かりやすく言うと、か…」
そこまで、言ってその男の言葉が止まる。そして、怪しげにニヤリと笑うと仰々しい様子で告げる。
「私が、都市伝説の管理人だからさ。」
都市伝説の管理人、怪しすぎる肩書きに逃げなければと頭の中のサイレンが更に激しさを増す。
「なんで、僕が助手なんですか。他にも人はたくさん居るのに。」
「だって、君は私が見えるじゃないか。それに、金に困ってるんだろう?」
管理人と名乗った男が、僕の腕に下がっているコスメの袋を指さしてそう言う。
「コスメか、君は化粧が好きなのだね。」
「化粧っていっても自分じゃないですよ。映画用のメイクです、特殊メイクとかもしますし。僕、映画研究サークルに入ってますし。」
「特殊メイク!いいじゃないか、ますます気に入った。時給900円、日払いでいこう!」
最低賃金とつぶやく僕の声は、それは人のためのルールだからねと一蹴された。そして、男がまたあの怪しい笑みを浮かべる。
「それに、もう契約は完了しているしね。」
僕の手から抜き取られた契約書には、ただ一言、汝、管理人の助手になるべしと手書きの文があり、その下には先程切れた指から滲んだ血でしっかりと血判が押されていた。
「それを破ったら、この世から存在が消えてしまうから気をつけるように。あと、私のことは管理人さんと呼んでくれ。」
かくして、僕は都市伝説の管理人と名乗るこの男の助手となった。