SORA エピソード5
エピソード5 夏美の過去
孝弘は柚と共に美術館を後にし、30分ほど電車に揺られて家に帰った。
「姉ちゃんは夏美さんといつ知り合ったの?」
孝弘は夕食のパスタを口に頬張りながら聞いた。
「幼稚園のころに初めて会った。あの子が一つ年上で、同じスイミングスクールに通ってた。あんたも行ってたところね。」と姉は言った。
孝弘と柚が通っていた幼稚園の近くにはスイミングスクールがあった。当時の幼稚園バスがスクールのすぐ傍を通るので、幼稚園の子供たちは沢山通っていた。
「夏美は私にとって面倒見のいいお姉さんみたいだった。だけど、ある日急にスクールに来なくなったの。後からスクールの友達に聞いた話では、夏美は事故に遭って入院したって。」
「どんな事故だったの?」
「よく泳ぎにいってた市民プールで、大人用ゾーンで溺れて意識を失った、って噂があった。」
そして、一息吐いてから
「でもおかしいのよ。夏美はスイミングスクールに通ってて、しかも飛び級して、大人顔負けで泳ぎがうまかったから。」と言った。柚はフォークをくるくる回してパスタをからめとった。
「それ以来、私は夏美のことは忘れていた。高校の入学式で再会するまではね。」と、柚はパスタをくるくる回し続けたまま言った。
「出席番号が前後だったからすぐに分かったよ。私の苗字が菅井で、夏美が境だから。」
「え、でも学年が合わないよ。夏美さんは姉ちゃんの一個上でしょ?」
「そう、合わないのよ。夏美は一年浪人してから高校に入っているの。」
「高校受験で浪人なんて珍しいね。前の年に落ちたから再受験したのか。」と孝弘が言うと、柚は大きく首を左右に振った。
「いや全然違かった。久しぶりに再会して私も夏美もかなり驚いたけど、話してくれたよ、事故に遭った後のこと。」
柚はようやくパスタを口に入れて言った。
「夏美が五歳で事故に遭った後、十年間意識が戻らなかったらしい。そんで、15歳で目を覚ましてから一年間猛勉強して高校に入ったって。」と柚が言った。
孝弘はパスタを口にくわえたまま茫然とした。十年間意識が戻らなかったなんて。まるで日曜ドラマ劇場みたいじゃないか。五歳からってことは、平仮名も九九も全く知らないまま中学三年生になったということだろうか。身体機能だって相当落ちていてもおかしくないはずだ。
それにもかかわらず、たった一年で県内トップの高校に合格するなんてありえない。孝弘にはスケールの大きすぎる話であった。
「夏美さんって、ガチの天才なんじゃないの?」と孝弘が聞くと、
「学生時代は本当に頭良かったよ。周りからはT大行けるって散々期待されてた。でも夏美はなぜか絵を描く道を選んだ。まあ、画家としても天才であることに変わりはないけどね。」と言って柚は笑った。
「夏美は私の自慢の友人だよ。」
孝弘が最後のパスタの麺をすすった時、美術館で見た二人の少女の絵を思い出した。
「美術館で飾られてた絵の中に、俺の同級生がいたんだ。」と孝弘がつぶやいた。すると柚は皿を流し台に持っていきながら、
「何言ってんのよ。夏美は実際の人物を描かない趣味なのよ。しかも、ただでさえ友達少ないのに、あんたの学年に知り合いなんているわけないでしょ。」と言った。
孝弘は「たまたま似ていただけだよな。」とつぶやいたが、どこか釈然としない心地がした。