魔王と勇者
冷たい夜風が頬を撫でる。昼間の喧騒と違い、夜の街並みは嫌に静まり返っている。家々から漏れ出る明かりが道を照らし、それを頼りに足を動かす。
王都に避難勧告が出て数日。半分近くの住民が避難を完了させていた。
「なんだかなぁ」
俺自身は人間があまり好きではない。遥か昔のことではあるが、一人の身勝手な考えで俺たちは人間から追われることになったことがある。その時に受けた仕打ちは、時が経とうと忘れることが出来ない。
レイや八代、真緒のように悪いところばかりじゃないというのは理解している。ただ、トラウマとなっているせいで、別段今の人間に恨みがある訳では無い。
だからこそ、嫌いではあっても、必要だからや理由として最適だったということがあっても、ここの住民を避難させるよう提案したのだ。
「あと少しで終わる……か」
独り言は闇に飲まれて消えていく。だが、それでいい。誰に向けたわけでもなく、自分に向けた言葉なのだから。
「おや、サトウさん!」
呼ばれた気がしたので、首を巡らさてそちらの方を見やる。
「おう。レイ、どうした」
「ちょっとそこを散歩してまして」
てててっと駆け寄ってきて、彼女は俺の隣を歩き出す。足の歩幅を少し狭くしながら、俺は興味なさげに「ほーん」と返す。
「サトウさんは?」
「俺も散歩。気分転換にな」
散歩しようと思って出てきたわけではないが、やっていることは散歩なので問題はないだろう。
「……いよいよ始まりますね」
何がとは聞かない。分かるから。
「そうだな」
気をつけろだとか、心配の言葉は送らない。そんな必要はないから。
「セシルのこと、お願いしますね」
「おう」
あまり言葉は交わさない。無言で静かな夜道を歩き続ける。
シンっと静かな空気が、何も言わなくとも良い関係が、今の俺には心地いい。けれど、そんな心地いい空気は長くは続かない。
無限に思える時も、先の見えない道も、いつかは終わりが来る。それはどこか遠くのように思えて、いつだって身近にあるのだ。
「あ、そうそう」
不意にレイは足を止め、懐から何かを取り出した。
「これ、お守り」
薄い青色の布に『お守り』と大きく書かれたそれを、レイは押し付けるようにして俺に渡してきた。
「お、おう。ありがとう」
「肌身離さず持っていてくださいね。これ、最高傑作ですから!」
「最高傑作……?」
まあ確かによく出来ているな……。
まじまじとお守りを眺めていると、レイはふふんと笑って先に進む。俺はそれに気づくと、足早に彼女の隣に並んだ。
「それじゃあ、お互い頑張りましょうね」
横目でこちらを見てきたかと思うと、スっと拳を突き出してきた。ああ、なるほど。
「おう」
こちらも拳を突き出して、コツンと互いの拳がぶつかり合う。
きっと、この道はもうすぐ終わる。
それは一歩踏み出す度に強く思う。それが少しだけ寂しくて、ついつい歩幅が狭くなってしまって。
けれど、俺は信じている。きっとこの道が終わった先には、新しい道が、見たことの無い景色があることを。
☆ □ ☆ □ ☆
薄暗い廊下を、少女は一人で歩いていた。
ずっと、独りで。一人きりで、誰もいないから。最初は寂しいなとは思っていたけれど、今じゃそんな感情も湧いてこない。
「お」
前から人が歩いてくるのを見て、彼女をにぃっと笑みを浮かべた。
「憤怒じゃないですか。早く配置につかないといけないんじゃないんですかねー?」
「うるせぇ死ね」
憤怒と呼ばれた少女は、苛立たしげに彼女を睨む。それを肩を竦めて受け流す少女、リナ。
「怠惰と同じチームでウキウキでやがるんですか? お熱いようで――」
「うるせぇ黙れ」
さっきよりも敵意の強い眼差しに、けれどリナはそれを涼しい顔で受け流す。
「仲良くやりやがりましょうや。ま、わたしは暴食さんとチームですので」
「……」
オホホホと口に手を当て、そう言ってやる。すると、憤怒の視線から敵意が若干薄れてどこか同情めいた色が宿る。
「そりゃまあ、なんというか……」
「野郎とチーム組むより、何倍もよろしいでやがりますわ!」
「あ、そう」
同情も敵意も霧散して、呆れた色しかない視線になる。
「話は以上か?」
「話っていう話はあんまないんですからね。……あ、最後に一つだけ」
フードの下から翠色の瞳をのぞかせ、リナは憤怒をしっかりと見据える。
「貴女の怒りは、紛い物じゃありません。何に怒っているのか、もしも違和感を感じたなら、それを考えてください」
「あー、そう。いつものね」
完全にリナに興味を失った憤怒は、片手をあげてさっさと立ち去っていく。その背中を見るリナの瞳は、いかにも寂しそうで。
「よし、行きますか」
リナはいつも一人だった。ずっと独りで、一人きりで、誰もいないから。けれど、一人でも、誰もいなくとも彼女は歩き続ける。この道が、無限とも永遠とも思えるこの道が、いつか終わることを信じて。
「憤怒と何話してたでございやがったんですか?」
「いえいえ、特に何も」
魔王はふっと微笑みながら肩を竦めてみせる。
その態度に言う気はないのだと判断したリナは、質問を変えることにした。
「なら代わりに、どうしてわたし達に攻め入るよう指示を出したのか、教えやがってくださいますか?」
リナの質問に、魔王ははてと首を傾げる。
「人を攻め入ること理由なぞ、人間を滅ぼすため、以外にあるんですか?」
白々しくそう答える魔王に、リナは目をを鋭くさせ睨みつける。
「誤魔化さやがらないでください。あの真人がこちらに向かって来ているの、わたしだって知ってやがりますよ」
その問いかけにすぐには答えず、魔王はセシルの方へと顔を向ける。そして、ゆっくりと近づいて彼女を閉じ込めているガラスに手を当てた。
「彼は、この娘を取り返しにきた。なら、返せば素直にひきかえしてくれる。そう思っただけだよ」
「ふざけやがらないでください。返してお終い、だなんてなるわけねーでしょうが」
リナはそこで「まさか」となにかに思い至る。
「死ぬ気なんじゃないんですか?」
「……」
彼はその問いかけに答えない。けれど、無言こそが肯定を表しているのだと、リナは知っていた。
「なんでまた死ぬだなんて……」
「死ぬ気はない。けど、ここは決着をつけないといけないところだから」
普段とは違う色の声。それを聞いてリナの目が険しくなる。
「散々利用しといて、そんな理由で投げ捨てやがるんですか」
「どっちみち、人間が滅びればこの世界は終わりだよ。彼女や君らと違って、残った人間を導いたりする気は無いからね」
人間が滅びたあとの世界は、魔物が蔓延るだけで支配する意味なんてない。そんな世界を、彼が求めているのかと問われると、NOと答えるだろう。けれど、彼はその世界を望んで魔王になったのではなく、魔王になったからその世界を望むようになった。
それは誰かに指示されてだとか、神への反逆とかそういうのではなく、彼が望んだことが、世界が破滅し、自分が死ぬということだっただけ。
「一人で死ぬのが寂しいから、全てを道連れにする」
なんてはた迷惑な、と、リナは内心で毒づく。
「そう簡単に殺される気はないけどね。ただ、君らと彼には私を恨む権利があり、私はそれを受ける義務がある」
魔王は振り返ると、腕を組み魔王を見据えるリナに近づいていく。そして、
「ぁ……が……!」
「彼の権利は私を殺す権利があるのさ」
魔王は角張った骨の指で額を突き刺した。
「その権利は、自らの意思で動ける私の呪縛から逃れた人のみに与えるつもりだったけれど、特別に君にもあげよう」
――彼とは違う権利を、だけれどね。
魔王は不気味に嗤う。けれど、その瞳には称賛の色があった。彼が彼女に与えた色欲に抗い続けたことへの称賛。
怠惰も、憤怒も、暴食も、最後には逃れたが強欲……そして嫉妬。強烈な影響を与えるそれは、自我を破壊する。それを、彼女は何百年と耐えてきたのだ。
口調も変わり、一人称も変え、元の世界の記憶もほとんど失ったけれども、それでも彼女は耐えきった。
「貴女の愛は紛い物じゃありません。元々は何へ向けていた愛なのか、それを考えてください」
言い終わると、指を額から抜く。リナの額には、さっきまで指が突き刺さっていたはずなのに、そんな跡はどこにも無い。
「何しやがりますか」
「言ったでしょう? ご褒美だと」
にぃっと笑みを浮かべると、リナは苦虫を噛み潰したような表情で一歩下がる。
「……そろそろ持ち場に戻りなさい」
これ以上話すことはないかと判断し、彼女にそう指示を出す。
「……分かりやがりましたよ」
ちっと舌打ちを残して、リナは部屋から出ていった。
「さて、」
眠るセシルの姿を視界に映す。きっと、彼は彼女を救いに来る。そして、魔王である己を殺しにくる。
「真人さん、」
彼が呟いた一言は、誰にも届かず消えていった。
――脚本を書いていた彼は、筆を止める。ここから先は役者のアドリブで結末が変わる。
バットエンドか、ハッピーエンドか。
脚本家は衣装に着替え、舞台に上がる。彼は、主人公に最後に立ちはだかる悪役。
魔王なのだから。
☆ ☆ ☆
「昔とあんまり変わってないな」
一人で、俺はそこに立っていた。
魔王城の中はやはり薄暗くて、重苦しい。けれど、昔と違ってどこか寂しいような雰囲気があった。
それは、その城には一人しか居ないからなのかもしれない。
『あとは、頼んだよ』
シオと名乗っていた彼女が、最後に残した言葉。その言葉の意味が、今は分かる。
何が嘘だったのか、どんな真実だったのか。それも分かる。
けれど、これからどんな結末を迎えるのかは分からない。
けれど、俺は彼女に託されたのだ。
神崎 真人から、サトウ 真人へ。
悔いはある。どうにか出来なかっただろうかと、何度も考える。シオが死んだあの時も、そしてその前も、ずっと前も。なにか出来たことがあるんじゃないかって、そう思うけれど。
――後悔してももう遅いから。
「そうは思わないかい? 魔王様や」
扉を開けると、目の前に立っているのは何年も前に解雇してきやがった元上司――魔王。
台本を今まで見せられてこなかった役者は、ついに脚本を初めて見る。そこで初めて、知る。
今まで自分が、脚本通りに演じていたことを。
そして、その物語の主人公が自分であるということを。
お姫様を救うため、彼は舞台へと上がっていく。続きのない脚本を、ハッピーエンドで終わらせるために。自分がどう演じるのか、それを今度は自分の意思で考えて。
魔王と対峙し、物語の分岐となる彼は、
紛れもなく、勇者だった。