なりたいもの
☆ □ ☆ □ ☆
「真人さん、どうしたんすか?」
魔王城のテラスにて、真っ暗な星空を仰ぎみている真人さん。彼はわたしの存在に気づくと、「おう」と軽く手を挙げた。
「戻ってたのか」
「ちょっと前にねー。真人さん、何してたんすか?」
問うと、彼はふいっと再び夜空を見上げた。
「ちょっと感傷に浸ってたんだよ」
「へー、意外っすね」
「意外とはなんだ。俺だって人並みに傷つくことだってある」
そんな自信満々に言うことじゃないのに、ドヤ顔で言う姿がおかしくてついつい吹き出してしまう。
「おいおい、何笑ってんだよ。傷つくぞ」
「すみません。顔がおかしくて」
「急な悪口……俺、嫌われてんの?」
情けない顔で、自分を指さす真人さんを見ているとまた笑いが込み上げてくる。
「そんなことより何かあったんですか?」
「そんなことって……。まあ、ちょっと才能とかその辺の差を実感してな」
自嘲気味に笑うその横顔は、何かを堪えているようにも見えた。
「なっちゃんとなんかあった?」
「察しがいいな。まあ、いっても夏海を見て、もっと頑張らないとなぁって思っただけなんだけどな」
頭を掻きながら、泣いてるのか笑ってるのかよく分からない声を出す。
「……真人さんは、頑張ってるんじゃないっすか」
「ありがと。……でもな、もっと頑張らないといけないんだよ」
彼は何かを懐かしむように、そして同時に悔やむように、遠い目をした。
「どうして、そんなに頑張れるんすか」
無意識に、そう言葉が漏れ出ていた。
真人さんは少し間を開けるとゆっくり、慎重に言葉を選びながら答えてくれた。
「……色々あるけど、年長者としての意地かな。プライドみたいなもんで、お前らに負けてらんないって感じ」
「それだけで、頑張ろうって思えるんすか」
「俺にとっちゃ、それが最重要なんだよ。無駄に年取ってるんだから、その分お前らを正しい道へ導きたいし、守ってやりたい」
そう言う彼の瞳には、優しい慈愛の光が宿っていた。
「とは言っても、劣等感は消えないし、不安が無くなるわけじゃないから、たまにこうして感傷に浸ってたりしてたんだ」
わたしの胸の中で色んな感情がごちゃ混ぜになって、口から溢れだそうとする。しかし、理性の防波堤がそれらを押しとどめた。
違う、そうじゃない。慰めの言葉なんて、今は何にもならない。わたしが言うべきなのは、わたしじゃないといけない言葉はそれじゃない。
「なんか、目標とかあるんすか?」
「こうなりたいってのだったら、さっき言ったように――」
「そうじゃなくて、なりたいものとか!」
分かってないなぁと指を振る。
「……例えば?」
「わたしはもちろん神様っす!」
ふふんと吐息を漏らして胸を張る。真人さんは一瞬、何を言ったのか分からないとばかりにフリーズしていたが、数秒かけて理解すると腹を抱えて笑い出した。
「あっははは! そうか! 神か!」
「そうっす! 神様になって供え物を食べてみたいんすよー!」
あれって貢ぎ物だっけ。……まあいっか。
「真緒ならいい神様になれるよ、俺が保証する」
「ええー、あんまり意味なさそうなんでいいっす」
「そ、そうか……」
そんなことよりも、と真人さんの顔をのぞき込む。
「真人さんはどうなんすか!」
「俺か? 俺だったら……」
彼は顎に手をやり、あれでもないこれでもないとなりたいものを探し出した。そうしていること数分、ようやく何かを思いついたのか、瞳が一瞬だけ光った。
「それで、真人さんは何なりたいんですか?」
「……俺は、イカロスになりたいかな」
「イカロス?」
詳しくは知らないが、蜜蝋で作った翼で飛んだものの、最後は太陽に溶かされて墜ちた男の話だっただろうか。
「お前らみたいに、力強い翼も、繊細な翼も、自由に飛べる翼も、美しい翼も、しっかりとした翼も、大きな翼も持ってないから」
彼は空に手を伸ばして、何かを掴んだ。
「だから、俺はイカロスでいい。最期に墜ちるとしても、お前らの最後を見届けたいから」
その掴んだ何かを、大事そうに胸に抱いて目を瞑った。
「……だからもう一度だけ、太陽に近づきたい」
そう言いきると、恥ずかしそうに頬を掻きながら笑った。
「なんて、ちょっと恥ずかしいこと言ってみたり」
「ほんとですよ。真人さんって、案外ポエマーだったんすね」
「ほっとけ」
言葉を交わし、笑いあっているうちにとある決意が胸に宿る。
「……一つ、新しく目標ができたっす」
「へー、どんな?」
蜜蝋で作られた翼で飛んだイカロスは、ダイダロスの忠告を無視してまで太陽に近づこうとし、墜落した。それは、自身の力を過信してまで太陽に近づこうとしたことが原因である。ならば、彼は忠告を無視するまでに、自身の力を過信してまで近づこうとするほどの太陽のどこに、魅入られたのだろうか。
イカロスでいいと言う貴方は、何に近づくことを望んでいるのだろうか。
「それは――」
☆ □ ☆ □ ☆
「お姉さん、ありがとう!」
「ありがとうございます!」
遠い過去を思い浮かべていたが、はっと我に返る。
「おう、いいってことよ。ちゃんと大人しくしてるんだぞー!」
目の前の子供と目線を合わせつつ話す。すると、姉弟らしい二人はぱぁっと顔を輝かせた。
「お姉さんも、頑張ってください!」
「応援してます!!」
「あんがとよ。おかげで元気出た」
街で二人っきりになってた子供を保護し、領主の屋敷の前まで連れてきた。あとは騎士が何とかしてくれるだろう。
「んじゃ、わたし行くから!」
「お勤めご苦労様です!」
「頑張ってくださいー!」
無邪気な応援に心が温まる。ふっと小さく微笑むと、わたしは次の場所へと向かった。
「うーむ、だいたい避難は終わった、か」
適当な場所へ腰を下ろしつつ、さっき買った(金額分置いてきた)饅頭を取りだした。
「なっちゃんが来てるって聞いてたんだけどなー」
一つ口の中へ放り込むと、ゆっくりと咀嚼する。
くどくない甘さで、わたし好みよ味の饅頭。美味である。うん、美味い。
「……」
次の饅頭を口へ放り込もうとしたところで、動きを止める。そして、相手に気づかれないように目だけ横へ動かした。
「……」
なんかめっちゃ豪華な白鎧を纏った人が、わたしの手の動きをずっと観察してくる。いや、正確には持っている饅頭を、か。
「あー、食うか?」
「ミヤ茶屋のか?」
「……多分」
「では頂くとしよう」
横に腰かけ、こちらへ手を伸ばしてくる。どうやら、饅頭をよこせという意味らしい。
「……やはり美味いな、ミヤ茶屋の饅頭は」
「わたし好みの味だな」
「お茶はあるか?」
「ない」
「そうか……」
黙々と食べていく。
互いに、何者であるだとか、なんでここにいるのかは聞かない。今は共に同じ饅頭を食べている、その事実があればいい。
「というか、なんでわたしはあんたに饅頭をやってるんだ?」
「……ご馳走様でした」
「ああ、うん……」
ぺこりとこちらに頭を下げてくるので、それ以上は言えなくなる。わざとなのか、天然なのか……。
最後の饅頭を口に放り込み、味わいながら食べ進める。
「あ……わたし、食べたかった」
「早い者勝ちだ。というか、わたしが買ったものだし」
そう言うと、何故か彼女は傍らに置いていた兜を持ち上げる。
「え、なに、どしたの?」
彼女はピンク色の髪を整えながら兜を被った。そして、じっとこちらを見てきた。
「勝負よ、饅頭の人。饅頭をくれた恩は、今から仇で返す」
剣先をこちらに突きつけて、宣言した。恩は仇で返さないで欲しいんだが。
「……一号、いきます」
そしてその直後、わたしの足下が――爆ぜた。