生きていく者たち
☆ □ ☆ □ ☆
……痛てぇなぁ。
意識がぼんやりと浮上してきた。
「……あー、こりゃあ」
鈍い痛みに堪えながら、体を動かす。
こりゃもうダメか。ほとんど動かねぇ。つか、目も見えねぇし……。
ぼんやりとした意識も次第に薄れていくだろう。儂の中には明確に死が近づいてきているという実感があった。
「……起きましたか」
凛とした声が傍らから聞こえる。
「おう。生きとったか、おどれ」
声だけでわかる。ミユキだ。
「今ちょうど団長とカトリーヌ様が席を外しています。もう少し、お待ちください」
戻ってこなくていいんだがなぁ……。むしろ、戻って来ない方がありがたいがな。
「なあ、一つ聞いてもいいか?」
「ええ、何でも聞いてください」
大体儂が何を言いたいのか分かっているのか即答してきやがった。ちっ、生意気なやつめ。
「あの化け物は……どうなった」
「倒しました。あなた方のおかげで避難も無事完了し、住民の死者は今のところ確認しておりません」
「そうか……」
住民の、か。まあ、分かっていたがよ。
「十号の野郎もか?」
「ええ。負傷してるものの、命に関わるものではないと」
「そうか」
あの野郎だけが生き残るのか。ちょいとばかし気に食わんが、今は無事を喜んでやるか。
「なあミユキ」
「はい」
どうにも、死を意識すると寂しく感じてしまうのか、さっきから口数が多い。
だから、失言をしてしまった。
「儂はもう死ぬ。だから、一つだけ頼んでもいいか?」
「……はい」
死にかけの人間の最期の願いだと言われれば、大抵のやつは言うことを聞く。儂はそれを分かっていて、あえて使った。
「――え」
だが、今は使うべきではなかった。この状況で、言うべきでは。
「ど、どういうことですの……」
「カトリーヌ嬢」
「だって、ハガレさんはすぐに良くなるって」
「カトリーヌ嬢」
「わ、私が危険なことを頼んでしまったから……」
「カトリーヌ嬢!」
慌てふためくカトリーヌ嬢に苛立ち一喝する。
「儂らが勝手にやったことだ。おどれが気に病むことはねぇ」
「で、ですが……」
「もしも罪悪感を感じるのなら、うちの領民を頼むわ」
「……はい」
ぐすぐすと泣きながら、震える声を絞り出して返事をしてくる。
「おどれの理想の領主になろうという姿は、領民にとって希望となっている。変わるなとは言わねぇが、今のその気持ちは忘れんじゃねぇぞ」
初心というのは追い詰められた時、心の支えになることが多い。途中で変わろうとも、最初の想いを受け入れることができる人間は強い。
「わかり……ました」
震える声が聞こえてきた。その声はまだ少し頼りないけれど、どこか芯は通っていた。これなら大丈夫か。
「ハガレ。これからはカトリーヌ嬢を支えてやれ」
「……死にかけの願いだろうと、オレは金にならない仕事を受ける気はない」
「貴族様の側近だ。給料もいいだろう」
「ふむ。考えておこう」
やっぱりいやがったか。
ハガレのやつはそう言うと、それ以上特に続けようとはしなかった。もう話すことはないと、そういうことなのだろう。
「ミユキ、おどれは国を守れ」
これから先、団長になるのはミユキだ。なら、一言ぐらい激励してやってもいいだろう。
「当然だとも。国を守るという大役は、僕こそが相応しいからね!」
相変わらずのミユキの言動にちょっとだけ救われた。
儂みたいなどうしようもない人間でも、最期を看取ってもらえるとはとんだお人好しもいるものだ。
「……ま、精々生きろよ、おどれら」
光を失った儂の瞳に一瞬だけ光が戻り、
――そして二度と光が宿ることはなかった。
☆ ☆ ☆
「よう、隣いいか?」
満天の星空をぼーっと眺めている八代に一言断りを入れると、どかっと無遠慮に腰を下ろした。
「……盟友か。どうだ、調子は?」
「絶好調……って訳にもいかねぇが、問題はねぇよ」
「ならば良い」
カカッと笑うと、再び空へと視線を戻す。
「……のう、盟友よ」
「どした」
暫く沈黙が続いたあと、八代の声が静まり返った空気を揺らした。
「我は時折思うのだ。もしも、この世界にこなければどうなっていただろう、とな」
「……そうか」
地球から来た異世界人なら、一度は考えたことがあることだろう。ナツミさんも、真緒も、御幸も、啓大も、秀一も。そしてもちろん、砂糖も。
「きっと、その世界の我はぼっちで、何も上手くいくことがなくて、社会や世間に不満を漏らし、親に迷惑をかけ続けていたであろう」
「……」
「だが、そんな生活でさえも、この世界にいるとうらやましく思ってしまうのだ。今の我の方が恵まれているはずなのに、だ」
どんなに恵まれようとも、日本に戻ることは無い。炊飯器で炊いた米は食べられないし、水族館も映画もアニメも漫画もゲームもない。
懐かしいあの世界はこちらの世界では決してない。
「だがな、帰りたいとは思わなくなった」
「……」
「親に会えぬこと、アニメや漫画の続編を見れぬことは残念ではあるが、この世界に大切なものが出来すぎた」
彼には盗賊団がある。そこには、彼のことを慕ってくれる仲間がいるのだろう。
「戻れぬのなら、それに罪悪感を覚える必要などない。戻れぬのなら、今を大切に生き続ければ良いのだ」
今を生きて、今を大切にして、そしてその先に想いを馳せる。そんな人生が良いのだと、彼は語る。
「戻れなくとも、残るのだ。我らの記憶にな」
だから、だから戻れなくなっても、忘れることだけはするなと彼は言う。
「フハハハハ! そして、我は強くなるのだ! 更なる高みへと!!」
星空へと向かって吠える。シンっとした夜に八代の笑い声だけが響き渡る。
「見ていろ、盟友。我は世界一の盗賊団の頭領となるぞ!」
くるりと回ると、こちらに向かって手を差し出してくる。
八代の姿が星と重なる。
彼はいつだって周りを一番見ていて、そして必要なことを道化を演じて教えてくれる。そんな彼にきっと多くのものが憧れただろう。
「そうか。頑張れよ、盟友」
「うむ。任されよ!」
まだ、八代のように全部を肯定的に考えることは出来ないけれど、少しずつ受け止めて消化していこうと思うから。
――だから俺は、そう言って星に手を伸ばした。
そして、魔王討伐から三年の年月が流れた。