廻廻流転
アーロゲンドが唐突に姿を消したその一瞬後に彼の手のひらが目の前に迫ってきていた。
「ほらっ!」
グイッと横に引っ張られ、乱雑に投げ捨てられる。
「痛ぇ……」
ゴロゴロと床を転がり立ち上がると恨みを込めた目で投げ捨ててきた亡霊を睨みつけた。
「もっと優しく扱えや」
「はっ。冗談。あんたがボケーッとしてるのが悪いのよ。むしろ、助けてあげただけでも感謝しなさい」
「……ありがとよ」
「どういたしまして」
ニヤついた顔で見下ろしてくる亡霊は後で殴ろうと決意して、アーロゲンドの方へ意識を戻す。
「てめぇ、『私のスキルだけでは、肉弾戦は無理です』って言ってたじゃねぇか!?」
「敵の言うことにいちいち真に受けてるのもどうかと思うわよ」
「嘘ではないんだけどね……。まあ、答えはあの世ででも考えてください」
またしてもアーロゲンドは一瞬で距離を詰めてきた。だが、来るとわかってんのなら避けられないことはない。
その場から軽く飛び退きつつ空間を掴む。
「『螺旋』っ!」
アーロゲンドの着地点を予測して放った技。予想に違わず彼は予測地点に現れ、空気の奔流に巻き込まれる。
だが、彼は地面を掴んで無理やり体が持っていかれるのを防いだ。
「脳筋かよ」
「酷い言われようだ」
「はあっ!」
困ったように微笑むアーロゲンドに剣を抜き取り切りかかる。鈍い銀色の閃光が走るがそのどれもが最低限の動きだけでよ蹴られてしまう。
動きだけでも洗練されてやがる。
「『渦巻』」
凛とした声が響き渡り、アーロゲンドのちょうど足下の辺りが渦を巻くように歪んだ。その動きに巻き込まれ、アーロゲンドの体勢が少し崩れる。
「おらぁっ!」
その隙を逃さずに剣を首を目掛けて斬りかかる。けれど、流石は魔王と言うべきか咄嗟に腕を突き出し防御した。
「硬い!?」
多少くい込みはしたものの、思った以上に傷を与えられていない。腕一本は取れたと思ったのだが。
このままではまずいと判断し、アーロゲンドの鳩尾に蹴りを放って距離を置く。
「なにやってんの!」
「いや、なんか知らんが硬かったんだよ。ほとんど刃が通らなかった」
「……本当に?」
「ああ」
まったく効いていないわけではなさそうだが、あそこまでやって少しのダメージしか与えられていないのであればこちらの負けが濃厚になってしまう。
何かカラクリがあるのか、それとも魔王と呼ばれるほどの実力が成し得る境地なのか。
「防具着ているって可能性は?」
「ないな。確かに硬かったが、石や鉄じゃなくものすごく硬い肉を切ってるような感触だった」
「この場合、防具を着ていたからって方が楽なんだけどね」
「そう簡単にはいかないんだろうよ」
ただ、防具を着ていたからという訳でもないのであれば、一撃一撃をもっと高威力にしなければならない。
二対一。人数で見ればこちらが有利に見えるのだが、相手は長年魔王として君臨し続けた化け物。苦戦は必死だ。
「おい亡霊。あれにダメージを入れられるような技持ってないか?」
「ない……わけじゃないけど、おすすめはしないわよ」
「お前が攻撃するんじゃないのか?」
「連携技なのよ。実際どのぐらい硬いのかは分からないけど、確実にダメージを入れられるのはそれしかないわ」
亡霊と連携攻撃……か。
亡霊の方をチラと見る。……ふむ。
「無理だな」
「少しぐらい頑張ろうって気はないの?」
「ないな」
「はあ……」
呆れた様子の亡霊。そんな彼女はジトッとした目をこちらに向けてくる。
「いいから合わせて。効果がないならそれ用に対策を立てる必要があるから」
「よし、なら俺に合わせろ!」
「勝手に決めないで……よっ!」
俺と亡霊はほぼ同時に真横へ飛び退いた。それに少し遅れて地面が爆ぜる。
「やはり勘はいいようですね」
床を砕いた手を感触を確かめるように開いて閉じてを繰り返すアーロゲンド。
……相変わらず半端ない腕力。
先程戦ってみて気づいたが、おそらくこれはアーロゲンドの身体能力ではない。何者かのスキルを使用しているのだろう。亡霊が来るまでに戦っていた身体能力とは明らかに違っていた。
「おい、その連携ってのはアーロゲンドの相手をしながらでも合わせられるようなものなのか!?」
「そっちが合わせる気があるのなら、成功するとは思うわよ」
迫り来る拳を何とか受け流しながら必要な質問を投げつける。……倒しきれなくてもどのぐらいのダメージを与えられるかで動きは変わってくる、か。
やるしかないな、と覚悟を決めていると、亡霊はアーロゲンドが自分の方へ視線を向けていないことを確認したあと、「ただ、」と口の動きだけで続けた。
「……」
なるほど。ノーリスクではないってことか。だが、リスクがあるのであればそれなりの威力は期待できる。
「……ああ、もう。無駄に硬いな、アーロゲンド!」
「ははは、無駄ではありませんよ。こうして、貴方の攻撃を防げているのですから」
「それが無駄だって言ってんだよ!」
アーロゲンドに向けて怒鳴りつけながら、一瞬だけ亡霊の方へ視線を向けたあと、回避の行動に紛れるようにして小さな首肯を返した。
亡霊が示した代償のジェスチャーは、腕を指さしピッと横にスライドさせるというもの。つまりは、代償として腕を失うということだ。
――上等じゃねぇか。腕の一本で魔王を倒せるのなら買い物としたら安すぎるぐらいだ。
「っと……危ない危ない」
俺の頭を掴もうとしてきていた腕をギリギリのところで躱したところで意識が今に戻ってくる。
亡霊の作戦に乗ってやるということは決めたものの、それを実行するタイミングを作り上げなければならない。
連携して動くにも関わらず、俺のみが攻撃を行うということは亡霊はフォロー、つまるところ支援に徹するということだろう。となると、少なくとも隙が生まれてしまう。それを突かれないために、逆に隙をついて仕掛ける必要が出てくるのだが……。
「結構粘りますね」
「こう見えて、かなりしぶといからな」
「見たまんまですよ」
「はっはっは……喧嘩売ってんのか」
ちぃっ。こっちは手一杯だってのに、相手は軽口を挟むぐらい余裕がある。その差が悔しくもあり非常に腹立たしい。
主に俺がアーロゲンドと真正面からやり合って、隙をつかれたり危険な状態になったら亡霊がフォローを入れるという形で戦闘を続けている。
下手に連携しながら戦うより、勝手知ったる一対一の形の方が戦いやすいという俺と亡霊の判断なのだが……これで連携技成功するのか……?
いやまあ。亡霊が提案してきたのだから、不可能ではないラインであることは確かなのだろうが。
「ああもう! 思考が長引くとネガティブな方に引っ張られてしまいやがる!」
苛立ちを声に出して発散しながら、バックステップでアーロゲンドから距離をとる。
「いい加減、そのスーパータイムは終わらねぇのかよ」
皮肉げに、はたまた苛立たしげにそう言葉を投げつけてやるが、彼はいやいやと肩を竦めて返してくる。
「そんな簡単に終わっちゃったら困るよ。さっきも言ったけど、君たちの相手を元々の身体能力だけでは保たないからね」
本当か嘘かも分からないセリフに思わず、苦虫を噛み潰したような顔になってしまっていた。
「はっ、そうやってブラフを巻くのがお好きなんですねぇ、魔王様?」
「さっきのスキルを失ったフリ、まだ根に持ってるのかい?」
そりゃあ持つだろう。なんたってあれのおかげで死にかけたんだからな。
「さあな。ただ、俺はお前の言うことが信用ならないと言ってるんだよ」
「まあ。敵の言うことを簡単に信じないのは大切だからね。そのことについてどうこう言うつもりはないよ」
肩を竦めつつ言ってくるアーロゲンドの言葉を鼻で笑い飛ばす。
「敵に説教される覚えはねぇよ」
「一応元上司なんだから、少しぐらい聞く気はないのかなぁ」
「ははっ、元上司ほど言うことを聞きたくない相手はいないだろうよ」
口元を吊り上げて、「そんなことよりもいいのかよ?」と言ってやる。
「後ろ、見てみろよ」
随分と話し込んでたな、アーロゲンド。一対一じゃないんだから、話し込んでいたら片方が攻撃してくるなんて自明の理だろうが。
「『螺旋』」
風のように滑らかに、音もなく仕掛けた亡霊の攻撃は、穏やかな彼女の口調とは対称的に激しくアーロゲンドの体を回転させた。
「今、偽物!」
「オーケー、合わせろよ!」
「あー、はいはい!」
空気が、魔力が腕の周りを高速で回っているのが肌で感じとれる。
回転させることで加速度を上げ、威力を増幅させる。それがこの――。
「てめぇの腹が無防備に晒されてるぜ!」
ダンっと鋭く踏み込んで、無防備な腹を目掛けて拳を突き出す。
「『廻廻流転』」
腕の周囲をグルグルと回っていた魔力の流れが、腕を軸にして腹に直撃する。そして、小さな呻き声をあげながら真後ろの壁へと激突した。
「いっ……!」
魔力の奔流に巻き込まれ、腕の肉が裂かれて腕が消失していく。
「想像以上に痛てぇ……」
肩から先を失い、血が吹き出している。なので肩を強く握りしめ気休め程度の止血を行うが、ほとんど効果はないだろう。
「……大丈夫?」
「問題ねぇ。そんなことよりも、アーロゲンドは……!」
これだけ代償を払ったんだ、まったく効果がないのは勘弁してほしい。それどころか、もうさっきので倒せていて欲しいのだが……!
「……これは、最悪だね」
「嫌な予感ばかり当たりやがる」
身体能力を上げるスキル、という時点で候補に挙がっていたスキル。だが、そのスキルは使用者が既に死んでいるはず、という点から無意識的に候補から外していた。
アーロゲンドの姿はおよそ人間のものでは無い柔らかな体毛、そして彼とは違う野性味と同時に理知的な光も宿した瞳、肉を裂き骨を砕くだろう鋭い牙。
――人狼。そう呼ぶにふさわしい姿だった。
「なかなか、今のはかなり痛かったですよ」
その姿はその昔滅んだはずの種族で、そのスキルはあの人類最強の人物のものだったはずだ。
「『陽狼』」
種族名であるその名を言いながら、アーロゲンドは好戦的に笑った。