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カトリーヌ・ド・ヴィリニュス

 


  ☆ □ ☆ □ ☆


「皆さん、落ち着いて行動してくださいませ」


  ギアルガンド襲撃からおよそ一時間。民衆は落ち着きを取り戻し、続々と街から街へと移動を開始していた。

  付近の街へ一時的、またはある程度の期間の民衆の保護を頼みに行き、それを了承してくれた街にテレポートを使って移動させる。そういった流れだ。

  移動先の街はすぐに決まった。前回の襲撃もあり、緊急時の移動先へとお願いをしていたことが良い方に転がったのだ。


「半分以上の移動は終わりましたわね」


  問題は、行動の遅さだった。騎士の避難指示、誘導の訓練は行っていたものの、住民による非難行動の訓練は行っていない。それにより、自分勝手に動く者が現れ、順調に進めているとは言えない状態だった。

  だが、時間が経つに連れ統率は取られていき、一時間経つ頃にはスムーズに移動を行える程となった。


「お嬢様。そろそろお嬢様も移動なされては……」

「私はいいのよ。この領地を継ぐものとして、自分の身よりも民を優先させるべきじゃない?」

「……お言葉ですが、上に立つ者がいなくなれば残された民は居場所を一時的に、または永久的に失われてしまいます。ですから、お嬢様の身を守ることこそが民を守ることに繋がると――」


  轟音。それは、カトリーヌ嬢の傍に控えていたメイドのマリアの言葉を遮った。


「――なんですの!?」


  素早く背後を振り返ったカトリーヌ嬢。その目は大きく見開かれ、言葉が喉に詰まる。

  民衆も、マリアもカトリーヌ嬢に続くように視線を音のした方へ向け、またしても同じように動きを止めた。


  それは、ほかの魔物とは明らかに異質だった。

  どす黒く変色した肌。額についているただ一つのギョロっとした大きな目。体の構造的に腹の部分であろう場所にはパックリと、大きな口が開けられていた。


「あれは……なんですの……」


  同じ言葉から受け取る印象はまったく違っていた。弱々しく、怯えの混じった声色。その不安が、民衆に伝播するのは恐ろしく早かった。


「お、落ち着いてくださいっ! まだ時間はありますわ!!」


  カトリーヌ嬢の呼び掛けに、少しだけ落ち着きを取り戻すものもいたが、焼け石に水。不安は消えることなく燃え上がる。


「……お、おい。あれ、こっちに向かってきてないか!?」


  最初に声をあげたのは、一人の男だった。彼が指をさす先には、こちらに向かって一歩、また一歩と近づいてくる魔物の姿が。


「落ち着いてくださいましっ! 順番を守ってください! 順番を!!」


  声を張り上げそう言うが、それを聞いて落ち着きを取り戻したものはもう居ない。

  近づいてきている、だけではない。明らかに間に合わない。半数以上が移動を完了したと言っても、少なくとも四割は残っている。彼らを全員移動し終えるには、早くとも二十分、もしくは三十分はかかる。

  けれど、この混乱の様子からして下手をすると一時間、二時間と必要となってくるかもしれない。


  どちらにせよ、全員が移動し終えるまでにあの化け物はこちらに到着しているのとは確かだった。


「マリア、今すぐに動かせる騎士は何人いまして!?」

「……今現在、あれとは別の魔物の討伐、この場への奇襲に対しての警戒で全ての騎士が出払っています。今すぐ呼び出しても、動かせる騎士はほとんど居ないでしょう」

「でしたら、冒険者の方はどうですの?」

「冒険者も同様です。動かせたとしても、四か五。あれの討伐はもちろん、足止めの役割を果たせるかどうか……」


  カトリーヌ嬢は奥歯を噛み締め頭をフル回転する。元々、打てる手は限られていた。それでも、ギリギリのところで、水際のところで食い止めていたのだ。それが、ここにきて崩壊した。

  それは、見積もりの甘さ。純粋なる、戦力不足からくるものだった。


「……お嬢様、ここはお嬢様だけでもまずは避難しましょう」

「ちょっと! 何を言っているのですか! この状況になって、ますます私だけが逃げ出す訳にはいかないでしょう!!」


  先程却下した提案を再びされたことに苛立ちを覚えたのか、カトリーヌ嬢は語気を荒げてそう言い返した。けれど、マリアは食い下がる。


「今とさっきとでは状況が違います! 一刻の猶予もありません。このまま残れば、貴方様は確実に死にます!」

「ですから! 私が残れば、私の分の空きに誰かが入れるでしょう!? そうすれば、民は一人でも多く……」

「お嬢様は、貴方様の身を大切にしてください!」

「自分の身よりも民の身。当たり前のことですわ。貴方は私に付き合う必要は無い。貴方が移動することを否定しません」


  カトリーヌ嬢の言葉にマリアは悲しそうに一瞬だけ視線を下げる。しかし彼女は、ともすれば睨み付けているとも取れる瞳でカトリーヌ嬢を見つめ返した。


「わたしはそういう意味で言った訳ではありません! ……でしたら、わたしの分の空きをお嬢様が使ってください。わたしがこの場に残ります」

「なんでそうなるのですか!」

「お嬢様を守ることこそがわたしの役目です。お嬢様の仰っていることと同じことですよ!」

「メイドの役割は給仕です。私の身を守ることは含まれておりません」

「一般的なメイドではなく、ヴィリニュス家のメイドとしての役割です」


  美しき主従愛ともとれる光景。だが、この一刻を争うこの状況で、そのやり取りは無駄だった。

  慌てふためく民衆同様、時間を浪費しているに過ぎない。


「おどれら、何やっとるんじゃ」


  そんな二人の頭上から、低い男の声が降り注いできた。


「あ、貴方は……」

「おうよ。カトリーヌ嬢と……メアリだったか。数日ぶりだな」

「マリアです」

「おう、それそれ」


  目を見開き言葉を失っている様子のカトリーヌ嬢を横目に、慌てふためく民衆を一瞥し、次にこちらに迫ってくる化け物へと視線を向けた。


「こりゃまた、面倒なことになっとるようで」


  盛大なため息を吐きつつ冷めた目でカトリーヌ嬢を見る。


「んで、おどれはなんでまだここに残ってるんだ?」

「そ、そんなの、民が無事に避難を終えれるよう誘導するためですわ! そんなことよりも、受け入れは大丈夫なのですの!?」

「そっちは問題ねぇ。が、おどれが残ってる方が問題だ」

「なっ……!? ですから……!」


  反論をしようとするカトリーヌ嬢を無視して、グズヤはマリアへと視線を移した。


「おどれもおどれだ。主人の説得ぐらいしやがれ、無能が」

「ま、マリアは何も……!」

「カトリーヌ嬢は黙っていろ。主人のことを想うなら、強引にでも避難させやがれ」

「申し訳ございません」


  謝ってくるマリアに苛立たしげに舌打ちすると、彼は当たりをぐるっと見回した。


「とりあえずはカトリーヌ嬢。おどれはさっさと避難しろ。メリタもだ」

「マリアです」


  そんな話をしていると、突然グズヤの肩が掴まれた。不機嫌そうに掴んできた人物へと視線を移す。そこにはこれまた不機嫌そうな表情の男がいた。


「何じゃおどれは」

「何勝手なこと言ってるんだよ。こっちだって急いで逃げたいのに領主の娘だからって、先に逃げさせようだなんて理不尽じゃないですか」


  グズヤの質問に答えることなく、男は不満をカトリーヌ嬢へとぶつけた。


「……ですから、私は皆さんを置いて先に避難する気はございま――」

『あー、てすてす。聞こえるかい?』


  カトリーヌ嬢の声を遮って、この場にいる全員の頭の中に一人の女性の声が響き渡った。


「……なんだぁ」


  予想外の出来事にグズヤは顰めっ面を作る。そんな彼と同じように、周りの人間も三者三様……否、明らかに怒りや苛立ちといった悪意的な感情を露わにする人が多かった。

  そして、これまで気丈に振る舞い続けてきたカトリーヌ嬢はと言うと、


「……どうしてこのタイミングなんですの」


  苦々しげな表情をしていた。


『さてさて、どのぐらいの人が私のことを覚えているかな?』


  人の心を擽るような、神経を撫でるような、柔らかく棘のある声。それは、あの時、あの襲撃の時から少しも変わっていなくて――


『私の名は四号。短い間だけれども、よろしくね』


  四号。その名を聞いて、グズヤはそういいうことかと納得する。


「面倒な時に面倒なやつが現れやがる」


  忌々しげに舌打ちをするグズヤ。

  そんな彼らを無視して、四号はさっさと本題に入った。


『さて、愚かな諸君。私と話でもしようじゃないか』


  そう宣う四号に向けて、罵詈雑言の嵐が巻き起こる。先の見えない不安に苛まれ続けた民衆の感情がついに破裂したのだ。


『おやおや。事実を言っただけなのに、酷いねぇ。今の君らの姿を見れば、100人中100人が愚かだと断ずるだろうに』


  民衆の声を気にも止めずに彼女はそう言葉を続ける。


『焦るのは大いに結構。だが、君らのその行動が何を生み出しているのか、分かるかい?』


  四号のその問いかけに誰も答えない。否、答えられない。


「――死人さ」


  声が、響いた。


「君らの周りになぜ魔物がいないと思う? 騎士が、ひいては冒険者らが必死に食い止めているからだ」


  一同の視線が一斉に声のした方へ集まる。彼女は周りに比べて少しだけ高い家の屋根に座り込んでいた。


「だが、それも長くは続かない。今にも一人、また一人と死んでいるだろう。そして、その後に待ち受けているのは――」


  口元を三日月のように吊り上げて、彼女は愉しげに言葉を紡ぐ。


「――いや、これ以上は野暮だろうね。そのぐらい分からないようでは、どうしようも無い」


  あえて濁すことで、民衆は次々と最悪の想定をし始める。これまでの話の流れを聞いていた者は、当然のように四号が言いたかったであろうことを導き出した。


  すなわち、自分たちが死ぬのだということを言いたかったであろうと。


「……で、でも、そうやって順番守ってても、あの化け物が来るまでに避難できるわけじゃないじゃないっ!!」


  一人の女が、ヒステリックにそう叫んだ。

  その女の意見に同調するような空気が出来上がり、それを四号が鼻で笑う。


「はっはー。問題はないよ。なんたって、ヴァイス家の騎士団が来てるよだからね」


  民衆の視線が一斉に動いた。


「クソが。巻き込みやがった」

「巻き込んだなんて酷いねぇ。奥に待機してるのは、君のところの騎士じゃないのかい?」


  面倒そうに舌打ちをするグズヤを妖しい瞳が捉える。

  分かっていますとばかりの彼女の目と、僅かに表情を明るくした民衆を見て、グズヤはため息を吐いた。


「分かってる。だが、このガキはさっさと避難させろ。さもなくば今すぐに儂らは帰るぞ」

「何を勝手に――」

「ふぅむ、それもそうだね。……みんなもそれでいいだろう?」


  四号が民衆に視線を向けると、彼らは居心地の悪そうに視線を逸らした。


「良いらしい。では、宣言した通りしっかり働いてもらうよ」


  勝手にそう宣ったあと、ひょいっと身軽に駆けていき姿を消した。注目していた対象が一人減ったことで、さらに注目を集めることになったグズヤは荒くカトリーヌ嬢の背中を押した。


「ナリタ、カトリーヌ嬢を頼むぜ」

「マリアです」

「で、ですから、私は――」

「くどいぞカトリーヌ」


  荒々しいいつもの口調とはまるで違う、冷たいグズヤの口調にカトリーヌ嬢は思わず口ずさむ。


「おどれがするべきなのは、ここにいる連中の避難誘導じゃなく、避難先にいる連中を安心させることだろうが。いい加減、理想ばっかりじゃなく現実を見ろ」


  小さい子供を叱るような声にカトリーヌ嬢の視線は自然と下がる。


「ですが……」


  そんな彼女の肩をマリアはあやすように優しく撫でる。


「頑張る場所が変わるだけで、ここにいる方々を軽んじるわけではありませんよ」

「……分かってはいるのです。ですが、もし万が一でも、私がここから離れたせいで大勢の方が死ぬようなことが起きてしまったら……」


  震える指先をぎゅっと握る。そんな細く小さな手を、マリアはそっと後ろから包み込んだ。


「大丈夫ですよ。お嬢様、その可愛いお顔を上げてください」


  優しい声音が耳朶を打ち、カトリーヌ嬢は恐る恐る顔を上げる。不安げに揺れる瞳が映すのは、不機嫌そうに佇むグズヤ、そしてその遥か後方に待機している十人ほどの騎士と竜人。


「彼らが絶対に、お嬢様の代わりに守ってくださいます」


  ね? と確認するように視線を向けられ、グズヤは渋々と頷きを返す。


「……わ、分かりましたわ」


  ゆっくりと頷くカトリーヌ嬢を見て、ほっと安堵の息を漏らす。


「おう。さっさと行けや。おどれの相手をしてる時間が勿体ねぇ」


  しっしっと追い払うように手を振るグズヤの手をカトリーヌ嬢は握った。


「絶対に生きてくださいまし。さもなくば、起こりますわよ!」


  強気な色の奥にちらりと見えた不安の色に、グズヤは面倒そうに顔を歪める。


「生きて帰ることを確約できるか」


  グズヤはカトリーヌ嬢の肩を掴んでくるりと回転させると、マリアの方へ押し出した。


「だが、時間稼ぎ以外は請け負う気はねぇから、儂らは時間稼ぎが終わればさっさと逃げるからな」

「それでい……それが、いいですわ!」

「そうかよ」


  端的にそう返し、視線をマリアの方へ上げる。


「この可愛いらしいカトリーヌ嬢をしっかり頼むぞ」


  嫌味ったらしくそう言ってのけると、マリアは恭しく礼をしながら切り返した。


「見目麗しいお嬢様の為に戦いに投じるグズヤ様も大変格好良いと思いますよ」

「そうかよ。口説くつもりなら十年遅いな」


  バカにしくさったように鼻で笑って、グズヤは踵を返した。


「絶対に! 戻ってきてくださいまし!!」


  カトリーヌ嬢の背中に投げかけられたその叫びに、グズヤは片手を上げるのだった。


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