無気力な君へ
☆ □ ☆ □ ☆
「啓大よー、もっと自信持てって!」
とぼとぼ歩く少年の背中を、一人の少女が荒々しく叩く。
「無理ですよ。というか、里奈さんはどうやってそんなに自信を持てるんですか?」
「んー……。ほら、私って可愛さの塊だから」
「まあ……否定はしませんけど」
「いや、否定してよ。なんか、ナルシスト感出まくって恥ずかしいんだけど」
楽しげに会話を交わす、少年と少女。
――僕と、里奈さん。
そんな静かで、幸せな時間を引き裂くように甲高いブレーキ音が耳に入った。
「――危ないっ!」
僕の小さな体は里奈さんによって、強く突き飛ばされる。
「ぁ――」
直後、彼女の姿が消えた。
消えたのではない。消えたと、そう思わせるほどのスピードで横に動いただけだ。車にはね飛ばされて。
――また、守られてしまった。友達もいない、家族からも必要とされていない僕を、ずっと守ってくれた彼女に。また、守られてしまった。
今度こそは守ると、助けられる度に思っていたはずなのに。
「あ……あぁ……っ!」
蹲る。顔を覆う。ダメだ、ダメだダメだダメだ。
目から焼き付いて離れない。彼女が吹き飛ばされたその瞬間を。表情を。
「――!」
悲鳴や叫び声によって我に返る。いつの間にか、人が集まってきていた。写真を撮る人、車の中の人を助け出そうと動き出す人、通報する人、こそこそと隣同士で話している人。
その人混みを横目に見ながら、僕はこっそりとその場を抜け出した。家に帰るのが遅れると、怒られる。だから、早く帰らないと。
あれだけ目に焼き付けていたはずの彼女の表情が――消えていた。
☆ □ ☆ □ ☆
「なんで……っ」
なんで、と聞かれればその答えはひとつしかない。
「思い出したから」
そう簡単に答えてみたが、彼女の反応はあまり良くなかった。いや、悪かったと言った方が適切だ。
「そういうんじゃねーんですよ。なんでこのタイミングでっ、今更っ!」
「すぐに思い出せなかったのは、ごめん」
「思い出してなかったことを、怒ってるじゃねーんですよっ。思い出したことを、怒ってやがるんです!」
烈火の如く怒り出す彼女にかける言葉は、今の啓大には持ち合わせていなかった。
「なんで忘れたままでいてくれやがらないんですか……」
辛そうな、泣きそうなその声で、そうぽつりと呟いた。
「里奈さん。僕は――」
「もういいです。戦いましょう、どっちかが死ねばどっちみちこの話は終わりでございましょう」
「里奈さん。僕は貴女と殺し合う気はないです」
「だからっ、そうなるから……! そっちがなくても、こっちにはありやがるんですよっ」
地面が触手のように伸びてきて、啓大の腹部を深く突き刺さる。
「よっ……と」
それを断ち切って、彼はリナの周りを走り始めた。留まっていたら、的になるから少しでも動き続けて攻撃に当たらないように。
「どうして、戦わないといけないんですか!?」
「なんでもいいだろうがよっ。私と貴方は敵同士っ! それ以上でもそれ以外でも、ねぇって言ってやがんでしょうがっ!」
半狂乱に怒りをぶちまけ、スキルを発動させる。建物が崩れた。地面が啓大を取り込もうとぬかるみ始めた。
「『変幻自在』」
崩落してくる瓦礫を防ぐように、地面を触手のように頭上に伸ばす。ぬかるんだ地面は彼が踏みしめるとすぐ固まった。
「さっさと死んでくれやがれっ。ちくしょうっ、なんで現れやがるんですか」
触手が、啓大の脚を貫く。頬を掠める。
けれど、決して足は止めない。ドクドクと溢れ出る血を止めることなく、歩き続ける。血痕がリナの周りを一回りし終えそうだ。
「もう過去は見ないんですっ。未来なんて考えないんです。私は、今さえ良ければいいんでやがるんですよ!」
今にも泣き出しそうな、壊れてしまいそうな、そんな声音で叫んだ。痛みと、苦しみの篭った声で、そう言いきった。
それを聞いて、聞いたからこそ、彼は歩みを止めない。守ると誓ったから、任せて欲しいと頼んだのだから、信じて貰えたのだから。だから彼は諦められない。
何も出来ないで、何も成し遂げれなくて、何者にもなれなかったのだから。だからせめて、最後くらいは他人のために命を賭けよう。
――血が、円を書き終わった。
「『変幻自在』」
息も絶え絶え、掠れそうになる声を必死に張り上げて何度も使ったスキルを唱える。
しかし、その効果は今までのそれとは明らかに違った。啓大とリナを円状に囲むように地面から壁が形成される。
「はあっ!? なんだよ、これは……! 力を隠してやがったんですかっ」
「僕のスキルの範囲は僕が触れているもの。服越し、靴越しでも効果はあったけど、唾液や汗は効果が薄かった」
けれども、効果は確かにあったのだ。
「そして、次に試した血は触れている時と同等の効果を発揮した」
「そんなのありかよ」
「血を使ったスキルがあるぐらいだから、血は魔力を通しやすいのだと思ってね」
さて、と脱線していた話を元に戻す。
「これで逃がさないよ」
「はっ、元から逃げてなんてねーんですがねっ。『変幻自在』っ!」
シュルシュルと背後から触手が伸びてきていたが、それらは啓大に到達する前に壁から生えてきた触手によって撃墜される。
「……もういいでしょう」
驕りはせず慎重に、怪しい動きがないか目を凝らしながらそう言い放った。
「勝てねぇからって、諦めろって言いてぇのですか。舐めんじゃねーですよ」
キッと睨みつけながら、そう返してくる。
「僕は貴女に攻撃はしない」
「はあ? 勝つつもりないなら、どっか行くか死んでくれねぇですか?」
「どこにも行かないよ。里奈さんを諦めるつもりもないです」
そう言って、一歩踏み出した。走るわけでもなく、ただゆっくりと歩み寄る。
「っ……! 拒絶してるってのが、分からねーんですかっ!」
リナによる攻撃を防ぎながら、一歩、また一歩と近づいていく。
「何を……何をそんなに怯えているんですかっ!?」
「はあ? 目が腐りやがりましたか、この野郎」
「腐ってないです。貴女のことだけは、僕が一番わかっている……そう思っていますから」
「節穴でございますよ。勘違いも甚だしいですね」
馬鹿にした笑みを向けられながらも、啓大は決して足をとめない。
「昔馴染みだと思ってるんのか知らねーですが、貴方のことなんかどうにも思っていねーですよ」
残念でしたね、と嘲る。お前の都合のいい妄想だと、勘違いだと、突きつける。
「なら、どうして、本気で殺しにこないんですか」
「はあ?」
「本気を出せば、僕のことをいつでも殺すことが出来たはずですよね?」
「……今度は買い被りでございますか。自分で言うのとなんですけど、そこまで強くなんでございませんが? 先程から言ってやがるとおり、貴方のことなんて一ミクロンも興味も好意もねぇでございます」
「ならっ!」
啓大が声を張り上げた。今までとは違う、気迫の籠った声にリナも押し黙る。
啓大は口元をきゅっと引き結び、不安げに瞳を揺らした。
「ならどうして、あの時、僕が捕まっていた時に、助けてくれたんですか……?」
あの日あの時、鍵を放っておいてくれていたのはリナなのだと、啓大は確信していた。
「……それはっ」
ここで遂にリナが言葉に詰まる。
必死に惚けようと、言葉を探すが見つからない。ちょっとした、間。無言の時間が、その時問いかけに対する答えとして成立した。
「どうでもいいのなら、あの時助けたりはしない。違いますか?」
一歩、踏み出す。それと同時にリナは一歩後ろに下がった。
怯んではいけない。ここで、食い下がらなければいけない。目を逸らせば、少しでも引けば、逃げられてしまうから。
「……僕に手助けをさせてください。里奈さんを、助けさせてください」
これまでずっと何も出来ていなかったから。だから今、苦しんでいるのなら助けたい。
「……来るんじゃねぇですよ」
一歩下がる。
「嫌です」
二歩踏み込む。
「来るんじゃねぇって、言ってやがるんですっ」
「嫌だと、何度だって言います」
無機質な壁がリナの背中にぶつかる。
啓大の手が、彼女の腕を捕まえた。
「離せよっ、離さねーとどうなりやがると……っ」
リナの瞳がはっきりと揺れた。揺れて、揺られて、隙が生まれて。呑み込まれる。
「ぁ……ぁ……っ」
自我を奪うべく、誇張され凝縮された欲望が頭に流れ込んでくる。世界が色付く。真っ赤に、真っ青に、真っ黄色。世界が回る。明るくなる、暗くなる。
「ぃ……や……」
リナは数十年、ずっとずっと心に蓋をしてきた。かつての仲間に対して怒りも、諦めも、苛立ちも、悲しさも、嬉しいだなんて感情も、持たなかった。仲間だけじゃない。他の何に対しても、自分のことさえ、興味を示さなかった。
その事で、守ってきた。自分を、仲間を。
アーロゲンドのスキルは、特定の感情を増幅させる能力もある。増幅させることで、自我を殺し、支配する。
リナの場合は、他者に対する感情。他者に対する喜怒哀楽の色を、増幅させる。
だからこそ、支配は揺らいだ心につけ込んだ。啓大に対してしまった希望という名の喜色が増幅され、それに連鎖するように他の感情が溢れ出る。
抑え込んでいたからこそ、より強力に溢れ出す。
「あ……あ……ああああああああぁぁぁ!!」
感情の奔流に呑み込まれ、流され、溺れていく。
記憶が、意識が、薄らいで書き換わって消えていく。
世界が変わって、何もかもが無くなって、光が――失われていく。
「里奈さんっ!」
――暖かい。
いつもの無気力な雰囲気を感じさせない鬼気迫る顔で、彼女を細身の体とは思えないがっしりとした腕に包み込む。
「落ち着いて、深呼吸をして……!」
「はぁっ……はあ……っ」
またしても揺れる。揺れて、隙が生まれる。
暖かい光は、暖色は、過剰に増幅して、凝縮して彼女を呑み込もうとする。
光が眩し過ぎて、失明してしま――
「自分を見失うなよ……っ」
「……っ」
自分を、見失わない。自分って、なに。
「ぅ……あ」
変わり果てた姿。こんな自分に、自分だなんて残っているのだろうか。
そもそもとして、自分だけ助かろうとするのは正しいのか。傲慢の彼は死んだ。怠惰も、憤怒も、暴食も、今どうなっているのかわからない。そんな中、自分だけ生き残ることは彼らへの裏切りなのでは……。
「里奈さんっ!」
自己嫌悪の沼に沈みかけたのを、啓大の声で再び浮上する。
「あんたはいつもそうだ! 他人のことばっかりで、自分のことは一ミリも考えはしない」
「そうは……言いやがっても……私だけ、助かる訳には……」
「いいでしょうよ、たまには自分を優先したって! あんたの友達は! 仲間は! あんたが生きようとするのを邪魔するような連中なのかよっ!!」
息も口調も髪も荒らげて、そう吠えた。
「生きろよ、里奈!」
頼むから、そう続けようとしてぐっと堪えた。それではダメだ。その言葉では、さっきまでと変わらない。
「自分のために、自分のためだけに、生きることを選択しろ」
その言葉を聞いて、ようやくリナは自分が生きることを諦め続けてきていたのだと自覚する。
彼らのためだとのたまって、彼らを守ると言い続けて。自分は生きることを他人に押し付けて、 生きてきたのだと、理解した。
なんて滑稽で、なんて傲慢なのだろうか。
自分を愛さず、人を愛し。
人に愛されないよう、拒絶する。
それではダメだ。ダメなのだ。それではきっと、正しくはない。間違っている。
人を愛するからこそ、自分を愛す。でないと目が曇ってしまう。腐ってしまう。
――世界が彩られる。
今は壁に囲まれて、景色はほとんど見えないけれど、愛しき彼の顔は見える。
「……ああ、そういう事ですか」
アーロゲンドが、諸悪の根源が言っていたあの言葉が今ようやく理解出来た。「元々は何へ向けていた愛なのか」そんなもの、自分に決まっている。自分を好きでいれたからこそ、他の人を助けたいと、そう思ったのだから。
「……どうかしました?」
「いや、何でもございやせんです……よっと」
そう言いながら、里奈は啓大の体をひっぺ剥がした。
「あー、ちなみに言っときやすけど、私昔の記憶ほとんどねーんですけど、大丈夫でございますか?」
いたずらっ子の様な笑みを浮かべて、色から逃れた彼女はそう問いかける。
「……こちらも忘れてたので、お相子様ですよ」
ちゃんと救えたのだと、守れたのだと、そう確信して彼は安堵の笑みを零した。
きっと、取り零したものは多いけれど確かに受け止められたものがある。それは、これから離れることがあったとしても、忘れてしまったとしても、かけがえのないものなのだと確信した。