悔いなき死
☆ □ ☆ □ ☆
空気が爆ぜる。
爆発的な加速力を用いる休む暇のない攻撃を正確に捌きつつ、反撃の隙を窺う御幸。
「『アイスエッジ』」
氷塊が一号へと飛来していき、それに対して彼女は完璧に対処してみせた。
「『ドライアイス』『結晶化』」
砕けた氷の欠片から煙が吹き出て一号へと纒わり付く。そして煙が結びついて凍った。
咄嗟の判断で上へ跳ぶと、それに御幸は合わせて追撃する。胸を狙った一突きを、剣の峰に押し当て軌道を変える。カウンターとばかりに一号が剣を振るうと、御幸は身体を強引に捻って回避した。
くるりと回転したあとで、華麗に綺麗に着地する。
「凄いね、ここまでついてこれるなんて」
「まだまだいける」
「へぇ」
一気に踏み込み首筋目掛けて剣を振るう。一号はギリギリのところで回避すると、鳩尾目掛けて蹴りを放つ。
「ふっ」
御幸の体が氷へと変化し、蹴った箇所が砕け散る。それに構わず近づくと、素早く剣を横一線に振り抜いた。
「おっと」
一号は凄まじい反射神経で反応するも、一歩遅れてしまい皮膚の表面が切り裂かれる。それに追従するように迫る御幸に、彼女は真っ向からぶつかりに行った。
剣から手を離す。重々しい一振の剣は重力に引っ張られ、床へと落ちていく。ほんの一瞬だけ、御幸の目が剣へと釣られてしまった。
「まず――」
失敗したと悟った瞬間には、既に手首が砕かれていた。続いて両肩両脚に重く鋭い一撃が入る。そして最後に御幸の顔に拳が迫り、これの顔面を粉砕した。
パラパラと氷の欠片が落ちていくのを一号はじっと無言で見つめる。そしてすぐには再生されないと見るやいなや、落とした剣を拾いに行った。
「体術も、結構できるみたいだね」
「まあ……はい。最低限は」
「最低限でそれなら大したものです」
難しいことはしていない。攻撃の軸となる手首、肩、脚を拳と蹴りで破壊しただけ。それでも、その威力と精密さが最低限と評するには些かレベルが高すぎる。
それでも、御幸は敬意を表しつつも余裕の態度を崩さない。自分なら最終的に必ず勝てると信じているから。
おそらく、今の動きから一号はこちらの自己回復を潰そうと考えている。回復せざるを得ない箇所を破壊して、それを回復させ消耗させる。消耗しきってしまえば、回復も出来なくなってしまう。地味だが確実に、着実に勝利に辿り着けるやり方だ。
「そういえば、この場を生きて戻れたならこれからどうしようと考えているのですか?」
ちょっとした雑談。素早く一号を倒すことを諦め、確実に倒すことに作戦変更した御幸は、少しでも休もうとそう切り出した。
「することが無い。ここで生き残っても、したいことは無い。だから、森か山でひっそりと暮らす」
「では、今からでもその準備をしてみては?」
「それとこれとは別。ここで死のうと、それはそれでいい。戦って死ぬ。それなら、何も後悔はない」
「断言するのですね」
「戦いから逃げて、何が残るの? 失ったものを数えて生きる生活は、絶対に嫌。何より、私は強い人と戦うことを生き甲斐にしてきた。ここで逃げたら、そこで私は死んだことになる」
思ったよりも熱の入った返答に、意外だと思い吐息が漏れる。彼女は思ったよりも、芯が強いのだと評価を改めた。
「そうですか。それが貴女の理念と、そう言うのであれば。僕はそれを受け止め、その理念に乗っ取り貴女を倒してみせましょう」
息を吐く。空気を吸い込む。再び吐く。再び吸う。
大切なのはイメージ。ぼんやりと輪郭は捉えられていた。だから、その実態を掴むだけ。
脚に力を貯めると一気にそれを放出して走り出した。床を蹴って壁を蹴る。弧を描くように彼女の後ろへと回り込み、飛び込んだ。
「はああああ!」
一閃。だが防がれる。
「まだまだぁっ!」
二振り三振りと、一号へと追撃の手を決して止めない。一号は冷静に一歩ずつ下がりながら対処する。
涼しい顔で受け流す一号に対して、御幸はその逆。必死な顔で一撃一撃を彼女へと加え続ける。
手応えと感覚がズレるような違和感。それは意識すればするほどハッキリと感じ取ってしまう。
意識と行動を完璧に一致させないと……!
「へぇ……何を試しているの?」
「ちょっとした実験さ。それが可能だったのなら、すぐに終わる」
「それは、楽しみ」
年相応の笑みを浮かべたかと思うと、今度は攻勢へと転じてきた。
彼女の身長ほどあるであろう大剣を、まるで木の枝を振るかのように軽々と御幸に向けて振るい続ける。上、横、下。息つく暇もないような連撃を、受け止めるのではなく軌道を変えることで乗り切った。
「これを捌くかー、なら……『龍落とし』」
思いっきり剣を地面へと叩きつける。その見るからに荒々しい一撃は、地面を抉る。それに連動して、御幸の立つ足場も崩れ去っていく。
まるで巨大な生物が叩き落とされたような崩壊具合。それを軽々とやってのけた張本人は、崩壊から免れようとした御幸と同じく空中にいた。
「『太刀筋』!」
「おっ……と!」
空中で不可視の斬撃を受け止めるものの、踏ん張ることの出来る足場がないため、簡単に御幸の体は吹き飛んだ。壁を突き破り、地面に転がる。そんな御幸を見ながらも一号は綺麗に着地を決めた。
「僕よりも華麗な着地を決めるなんて、ね」
「別に今のあなたは吹き飛ばされただけ。着地なんて、どうだっていい」
「いやいや。最っ高に完璧な僕が無様に地面に転がるだなんて、そんなことは認められないよ」
「でも、どうしようもないよ?」
「貴女に完璧に対応出来たら、どうです?」
余裕の笑みを浮かべながら、彼は息を整える。これから行うことは、一瞬の油断もできない。ほぼ全ての体力を使用して、彼女に勝利する。
「へぇ……やってみて」
王者の風格。
まさにそう呼ぶべき、堂々とした佇まいの一号へと御幸は襲いかかった。
彼の行動は一つの仮説を立証するために動いている。
――仮説。仮定。推測。
御幸にとって、そのスキルは未だ謎が多い。何が出来て、何が出来ないのか。自身の体質を過去存在した、氷鬼と呼ばれる種族へと変異させるスキルである――というのがこれまでの仮説。
そして、同系統の種族の体質に変異させれる――というのが今現在の仮説。
御幸と同系統のスキルを持っていたであろうアロガンとの戦闘がこの仮説へと導いた。
彼は、あの戦闘で二種類の変化を使用した。『陽狼』と『影狼』。つまり、自分ももう一つの変化を行うことが出来るのではないか。そう思った。
では――どうすればもう一つの変化が可能なのか。そこが問題だった。
氷鬼はそれ自体をイメージすること。つまり、もう一つも似たようなものだと推測できる。
ならば――そのもう一つはどの種族なのか。それが問題だった。
『氷鬼』を使えたのは、漠然としたイメージが頭の中にあったからだ。知識はなくとも、こんな感じなのだろうという感覚があった。スキルの使い方は、漠然としているが本人の頭に知識を植えつけたみたいに誰に教わるでもなく使えるようになる。それは、御幸に限らず砂糖達も、現地人も同じだった。
だから、御幸には考えさえすれば、念じさえすれば、漠然とした感覚がある。どうすれば、もう一つの変化を使えるのか。それは、どんなものなのか。
証拠がないので仮説に過ぎなかったけれども、御幸の中ではほとんど確信している説だった。
もう一つの変化の覚醒条件。それは――、
「はああああああぁっ! 『アイシクルラッシュ』っ!」
剣先が一号の大剣とぶつかるその瞬間、御幸は魔法を発動した。長年何度も何度も使ってきたその魔法。それを最高のタイミングで、動きと完全に同化するように使用した。
「おっと」
剣先が鋭くなって一号の大剣を貫く。
だが、御幸の意識は既にそこにはない。これで肝心なのは、完璧に氷魔法を使いこなせているというイメージ。自分は完璧だという自己認識。
そしてそれは、御幸の得意とすることだった。きっかけさえあれば、確実にものにできると確信していた。
そして――成った。
「流石は僕だ! これこそが、僕の実力っ!」
薄く、透明感のある姿へと変化し、幻想的な雰囲気を醸し出す。
「『精霊』。おそらくは、氷の」
透き通った声音で、そう呟いた。
「凄くいい……。なら、私も本気で行く……! 『魔剣製』」
一号がそう唱えると、大剣のかけていた部分が禍々しい魔力で修復された。
「『鬼殺し』」
「『流氷』」
無造作に放たれた横薙ぎを御幸はなんでもない事のように受け流す。一号の体勢が一瞬崩れ、そこを見逃さず一撃を加えようとする。だが、彼女は強引に体を捻って受け止めた。
「……そこから受け止めに来ますか」
「このぐらいで攻撃を受けるほど、甘くない」
彼女から放たれる気迫に一瞬たじろぎそうになるものの、自身を叱責して堪える。
切り込んだはずの剣が押されて、御幸が受ける体勢へと強制される。
「『氷蝕』」
御幸の剣に触れている一号の大剣の箇所から徐々に凍っていく。一号は大剣を一度引いて御幸の体勢を崩すと、鳩尾に膝をめり込ませた。
「くっ……!」
軽々と御幸の体が空中に浮く。そしてそれに合わせるように、顔に向けて蹴りを放った。
「……っ」
いとも容易く吹き飛んで、本日何度目かの床にぶつかって転がる。
「痛っ!」
家の壁か床かの木片が、御幸の腹部に深々と突き刺さっていた。
『精霊』は『氷鬼』で再生に回っていたリソースの全てを攻撃に転じたもの。瞬間火力、攻撃の回転率は精霊に分があるが、再生力や持久力は遠く及ばない。
つまるところ、精霊へと変異している今はこの傷を治すことは出来ない。そして、魔力切れまであと少し。
「『氷下月歩』」
ふわりと大きく跳んで、空中で足を踏み出した。空中の僅かな水気が凍っていき、それを踏みしめもう一度跳ぶ。
「『氷輪』」
この一撃で全ての魔力を使い果たす。その決意が伝わったのか、一号がにっと笑った――気がした。
「『ベルフェゴール』」
桁違いの魔力が一号から放出される。渦巻く魔力の奔流は、大剣へと収束されていく。大剣は魔力が集まるにつれ、禍々しさが増していっている。
少しずつだが確実に、御幸が彼女の魔力に呑まれていく。押し出されていく。
「楽しかった……でも、もう終わり……!」
御幸の剣が悲鳴をあげる。あと少しで、完全に呑み込まれてしまう。そう悟った。
「終わるのは僕じゃあはい。貴女だよ」
けれど、終わらない。終わらせはしない。終わるわけが無い。
御幸は負けるつもりなど毛頭にない。今この状況になってもまだ、必ず勝てると、そう確信していた。
だから唱えた。彼が持っている、最大の魔法を。
「『ニブルヘイム』」
空気が凍った、魔力が凍った、時が――凍った。
「はああああああぁ!」
全てが凍りついたその場所で、唯一動いている御幸が一号へと一撃を加えようと剣を振るう。
壁が凍り、床が凍り、大剣が凍った中で動けるのは御幸だけ――のはずだった。
「わた……しは、負けないから……っ!」
動き出した。
全てが凍りついた極寒の地で、細胞が凍り機能が止まっていてもおかしくはないはずの状況で。彼女は、動き出した。強引に。理をねじ伏せるかのように。
「まだ動きますかっ、一号っ!」
「最高だよ、鳥井 啓大っ!」
魔力が御幸を呑み込もうと迫り来る。
冷気が一号を凍らせようと迫っていく。
微々たる差だが、着実に。よく見てみないと分からないほどだが、確実に。御幸の剣が押し込まれていた。
単純な実力の差。当初感じとっていた実力の差が如実にそこに表れていた。
「まだだ……っ」
彼は奥歯を噛み締めて、必死な形相でそう吠える。負けられないから、負けたくないから、負けるわけにはいかないから。
誰よりも自分を認めたくて、完璧でいたくて、兄の、家族の前に胸を張って立てる人間になりたかった少年は、
――他の誰かを守るために完璧でいようとする青年に成っていた。
「まだ、終わらせないっ」
悲痛な叫びと裏腹に確実に拮抗していた状況が崩れ始める。
そして――
「……耐えられなかったかぁ」
ピキリッと音を立てて、大剣が砕け散った。
いや、大剣だけじゃない。彼女が纏う鎧も、彼女自身の体も崩れ始めている。
「え……」
大剣へと向かっていた力の行き着く場所が失われて、その勢いのまま崩れかけている一号の体を斬り裂いた。
静寂が訪れる。けれど、それはすぐに御幸の声で破られた。
「こんな形での決着は本来なら望むべきではないのでしょうが、これは実践です。恨むのは勝手ですが、僕に後悔はありませんよ」
「恨むなんて、しないよ。私、結構本気だったから。その本気に、この体がついていけなかっただけ。私が、自分の本気についてこれるような肉体に仕上げなかっただけ」
満足したようにそう言って、彼女は床へと倒れ込んだ。ひんやりとした床に足を投げ出して、腕を伸ばして寝転がる。
「つまり、自分の力を最大限まで使いこなせる僕の美しさの勝利というわけですね」
「美しさがどう関係しているのか分からないけど、そういうこと」
話しているうちに、一号の体のほとんどが崩れて塵へと変わっていっている。
「最期に一つ、質問いいですか?」
「いいよ……なんでも答えてあげる」
ちらりと彼の方を見ながら、彼女はそう言った。
「では、――貴女のお名前を教えてください」
「私の名前、はね」
そう言って彼女は、御幸に生前の名前を教えた。親しい者しかそう呼ばない、その名前を。
「いい名前だ。貴女にピッタリだと、そう思うよ」
その言葉に、彼女は返事こそしなかったものの、華やかな笑みを浮かべて消えていった。
☆ □ ☆ □ ☆
場所は変わり、サンミドル周辺にて。
「ありゃ、こりゃまた酷い」
彼女の視線の先には、ぐるぐるに拘束されている一人の少女。
「今解いてあげるからねー。ちょい待ちー」
そう言いながら少女の拘束を解くのは、唯一王都で姿を見せなかった七号。
「なんか敗戦濃厚だし、最期ぐらいパーッとやっておきたいよねぇ」
四号が分析した相手だけが得をするようなことはしない性格、というのは当たっている。
だが、より正確に言うのであれば、自分が損をするのならその他全ても損を被って欲しい、という自分本位な性格と言うべきだろう。
「んじゃ、後は託すからさ、全部ぜーんぶ、滅ぼしちゃってよ」
七号のスキルは『融合』。取り込んだものを自分のものへと変換するスキル。そしてそれは、取り込まれた場合も同様。
少女は拘束を解かれて、まず初めに自分を解いてくれた七号へと視線を移す。そして――
「あはっ」
およそ人ではありえないほどの口が裂かれて七号を呑み込む。
「あ……あ……」
か細い声をあげながら、彼女の体は変貌する。ドロドロに溶けて、混ざりあって、全てを滅ぼす化け物へと。
その化け物が目指す場所は――サンミドル。




