幻の王姫 名は金糸雀⑤
「これじゃあ・・・・・・。蓉香でなくても、口がきけなくなるかもね」
謁見の間の背後には、控えの間がある。小李はそこへ連れてこられていた。
控えの間には、謁見の間を覗くための小窓がある。そこから謁見の間を覗き見て、小李は呟いたのだった。
円柱が規則正しく並ぶ、広々とした空間。そこに芙国から客人の一団が、可国王の登場を待っていた。
王子の訪問にしては、共の人数は多くない。引き連れているのは、武官のみ二十人。並ぶ武官の先頭には、目つきの鋭い武人が控えている。おそらく王子の護衛だ。
そしてその武官の前には、八歳くらいの愛らしい姫君がいる。身なりや立ち位置から推察すると、芙国の王姫。王子の妹だろう。
そして玉座の正面に、すっくりと立っているのは芙国王子。蓮皓宇。
——月だわ。
皓宇を目にして、澄んだ秋の夜空に皓々と輝く、月を連想した。
長身だ。細身で頭が小さく、均整の取れた体つきをしている。身につけた袍の、すがすがしい青が映える。顔立ちは、端麗すぎるゆえに無機質に感じるほど。だが、女性的な弱々しさはない。涼しい目元のおかげだろう。
これほど容姿の整った男を、見たことがなかった。
顔のいい男は胡散臭く感じる小李が、そんな雑念を忘れて一瞬見とれた。
「ね、お姉様、美しいでしょう?! 神々しいでしょう?! 天人のようでしょう?!」
ひそめた蓉香の声は、壁の向こうにいる皓宇の姿を思い出してか、わずかに震える。小李は覗き窓を閉じると、頭から被っていた白布を脱ぎ、蓉香と索仁をふり返った。
強制的にこの場に連れてこられた理由が、小李はようやくわかった。
蓉香はただ、皓宇と結婚したい一心だろう。
だが、索仁は違う。彼はその感情の起伏の激しさに似合わない、すぐれた頭脳を持っている。
ちらりと、索仁を見る。
「私に実感させたいために、ここに引っ張り出してきたのね、索仁」
「おわかり頂けましたか?」
控える芙国の客人たちの背後には、手みやげの葛籠が積まれていた。中身はおそらく、芙国の金鉱から産出された黄金。芙国の国力と勢いを示している。それを目の当たりにして、これが、可国の将来の方向性を決める大事なのだと実感させられる。
芙国と姻戚関係を結べば、経済援助を取りつけることは容易だ。
索仁は、小李の体のことをよく知っている。その彼がここまでするということは、可国の経済状況は、小李が認識している以上に危機的なのだろう。
この婚姻は、なんとしても成立させなければならないということだ。
小李は軽くため息をつき、決心した。
「面食いの蓉香には、これ以上ない相手だわ。蓉香、結婚が決まっても、後悔しないわね」
「もちろんよ」
「蓉香が喜んで結婚するというなら。わかったわ。協力します」
小李の返事に、蓉香と索仁が笑顔になった途端。
「伯索仁!」
鋭い声が、彼らの背後から呼んだ。
ふり返ると、暗い中廊下を、淑紫が早足にやってくるところだった。彼女付きの女官たちが、おろおろした様子で小走りについて来る。
小李はぎくりとなったが、務めて平静を保つ。
淑紫は、すぐに小李の姿に気がついたらしい。眉根が寄り、いっそう険しい表情になる。
索仁の前に来ると、淑紫は彼を見あげた。彼女は、細面の美しい顔にひんやりとした表情を浮かべている。
「索仁。私に、芙国の輩へ挨拶をしろとは、なんたる侮辱ですか。あのような成り上がりどもを、歓迎などしません。その上、蓉香を成り上がりどもに与えてやるなど。私は、いまだに納得していません」
「淑紫様。何度もご説明申し上げましたが・・・・・・」
索仁は眉をさげ、おろおろする。
「何度説明されても、私は納得していません。蓉香。あなたも、あなたです。こんなことを承諾するなど。あなたは、私と共に北苑へさがりなさい」
「いや。私、これから皓宇様とお会いするのですもの。私、皓宇様と結婚したいわ。小李お姉様も賛成してくれたし、協力してくださるのよ!」
——馬鹿馬鹿! 私が賛成したなんて言ったら、逆効果よ!!
口をぱくぱくさせていると、氷のような淑紫の視線が、小李に向けられた。
「小李。あなたは自分のことをわかっているの? あなたは、こんな場所に出てくるべき人間ですか」
久しぶりにかけられた母親の言葉は、あまりに冷たかった。小李は一瞬、胸が詰まる。
しかし。きっと母親をにらみ返す。
「自分のことは、自分でよくわかっています。顔すらろくに見せない母親よりは、ずっとよく、わかってます」
母親の愛情が薄いことを嘆き悲しむだけの、幼い日は過ぎた。
十六歳になった今、自分と母親の関係を、割りきれるようになっていた。母親の愛など、無用だと。自分で自分を、愛してやればいいのだと。
冷たい母親に対して湧き起こるのは、闘志のみだ。
視線が、母と娘の間でぶつかり合う。
索仁と蓉香が、小李と淑紫のにらみ合いに、怯えたように肩をすぼめる。
一触即発。触れなば大乱闘かと思える緊張が高まった、その時。
「ごめんね~。みんな。お待たせして~」
場違いにほわほわした、ゆるい声が近づいてきた。
にこやかにやってくるのは、兄の明景。現在の可国王である。
明景が引き連れてきた官吏たちは、場の空気に顔色を変える。が、明景はにこやかに、ゆるやかに、緊張の輪の中に入りこむと、それぞれの顔を見回した。
「あれ? どうかしたの、小李まで」
「小李様は、蓉香様の付添人として、これから芙国の方々と対面して頂く手はずになりました」
すかさず索仁が報告すると、明景の顔はさらに明るくなる。
「ああ、それは良い考えだね。さすが索仁、賢いね。小李は体、大丈夫なの?」
「はい。ぜんぜん大丈夫です! しかも、やる気も満々です」
ちらりと淑紫を横目で見て、わざと元気に告げる。淑紫が苦い顔をする。
「でもお兄様。私が人前に出ることは、かまわないでしょうか? 私の姿がお兄様のお近くにあると、あらぬ噂が・・・・・・絶対に、眼鏡を取るつもりはないのですけれど」
「ううん、平気。大丈夫だよ。私はいつも言っているよね、そんなつまらない迷信は気にすることないってね」
明景の視線の優しさに、小李はほっとする。
しかし兄妹の会話に水を差すように、淑紫が鋭い声で割ってはいる。
「国王陛下。私は、この婚姻には賛成しておりません。私は芙国の者どもを歓迎することなど、致しません」
淑紫が告げると、明景は、ほっこりわらった。
「知ってますよ、母上。それでかまいません。どうぞ、北苑へお帰りください。これは私たちの計画なので、私たちがなんとかいしたますからね」
「私は反対だと申し上げているのです」
「でもね。私は、反対ではないのですよ」
「国王陛下、私は!」
「母上。ほんとうに申し訳ないのですが。私が、国王ですからね」
その言葉に淑紫は、わずかに唇を噛んだ。そしてちらりと小李を見る。
「小李。王姫を名乗ることだけは、許しません」
そう言うと、淑紫はさっときびすを返した。
——王姫と名乗るな?! あなたの娘だと、死んでも、名乗るものか!!
ぎゅっと拳を握る小李の手に、明景がそっと触れる。
見あげると、兄王の穏やかな目がある。
「小李。ありがとう。今回のことは、とても大切なことで、成功させなくてはいけないんだ。蓉香があんなだからね。小李がいてくれると、助かるよ」
優しい笑顔で言われると、握りしめていた苛立ちや怒りが、すっとやわらいだ。
そうなのだ。今、必要とされている。この体質のために存在しないものとされてきた小李にとっては、兄のために出来る最初で最後の大役かもしれない。
「お任せくださいお兄様。私、立派にお役目を果たします」
謁見の間の玉座に、明景があがる。
芙国王子・蓮皓宇は跪き、顔の前で腕を交差させた最敬礼で、それを迎える。
「お立ちください。いずれ隣国王となられる方が、私に膝を折る必要はありませんよ。はじめまして。私が可国王。明景です」
にこやかに告げた明景の言葉に、皓宇が顔をあげた。きれいな笑顔を、返す。
「ありがとうございます。可国王明景様からのご招待を受け、厚かましくもこちらにお邪魔いたしました。私が芙国初嗣王子・蓮皓宇。同行しましたのは、私の妹・蓮麗春。あとは護衛の武官・李青賜。その配下二十名。些少ではありますが、芙国の名産など持参いたしました。お受け取りください」
「お心遣い、いたみいります。どうぞ何日でも、心ゆくまで堅晋城にご逗留ください。ご希望があれば、なんなりと言ってくださいね」
明景の言葉に、皓宇の形のよい口もとがほころぶ。
「では、さっそく一つ願い事を。お美しいと噂に聞こえる、明景様の妹王姫蓉香様。そのご尊顔、拝見したいのですが」
——そら、きた。
謁見の間に続く扉の前で、小李はしゃんと背筋を伸ばす。
——さっそく王姫を眺めたいなんて、がっついているわ。あ~んな美形のくせに、中身はあっぱぱーなのね。興ざめだけど、蓉香があんな脳天気王子でいいって言うのだから仕方ない。しかも、これは可国のため。
背後の蓉香をふり返る。
「いい。蓉香。お兄様がお呼びになったら、しずしずと進み出て、玉座の脇に立つのよ」
「だ、だめ」
蓉香は、青い顔をして震えていた。
「だめって、なに?!」
「歩けるかどうか、自信がないわ」
「歩くだけよ。まさか歩き方を忘れた?!」
「わ、忘れたかも」
重症だ。額に手を当てて天を仰いだ小李の耳に、明景の明るい声が聞こえる。
「おやすい御用です。こちらに呼びますよ。おいで~、蓉香~」
重い装飾扉が、衛士の手により開かれる。
「ほら、行くの!」
「お姉様も、一緒に。でないと私、私」
「わかった。行くから!」




