幻の王姫 名は金糸雀③
「衣装も、染料で染められた布が駄目。鉱物も同様だから、装飾品は身につけられないし。あ、でも金だけは大丈夫なのよね。だったら、金の髪飾りだけでも使われたら?」
上から下まで、小李の姿を見つめてから、蓉香は言った。
小李は肩をすくめる。
「金の髪飾りなんて贅沢品。可国の財政状況じゃ、使う気にならないわよ」
言うと、索仁がしぶい顔をして、わずかに頷いた。
蓉香は小首を傾げる。 髪に飾られた、玉を連ねた簪がしゃらりと鳴る。
「私たちの国って、そんなに貧乏?」
可国は伝統ある国だが、ここ数十年財政が逼迫している。王家の私財でさえ、底をつきかけている現状だ。
四年前。可国の王に即位したのは、小李と蓉香の実兄、明景だ。彼が即位したとき、国庫は既に空に近かったと聞く。
今も明景が、日々どれほど国の財政について悩んでいるか、小李は知っていた。
「毎年毎年、北苑に仕える女官の数が減ってるのに、気がつかない?」
「なんとなく分かってるけれど、自然にいなくなったと思ってたわ」
「自然になんとなく女官が姿を消したら、それこそ怪談だわ」
「国の財政が厳しいから、お姉様は気を遣って、金の髪飾りを使わないの? まあ、だからそんな、ひょうきんな幽霊みたいなお姿になるのね。本当にお可哀想」
ひょうきんな幽霊呼ばわりされて、小李は頬をひくつかせる。
確かに、小李は痩せている。栄養のあるものを食べられないのだから、当然。肌も、透けるように白い。生まれてから、直射日光に当たったことがないのだ。ついでに身にまとう衣も、領布も、帯も白。
真っ白な小李の姿の中で、目を惹く色は、黒。簪が使えないために、結うこともできないままに、なだれ落ちる艶やかな髪。
そして今ひとつ。顔の上半分を覆い尽くす、金縁の瓶底眼鏡。この眼鏡のために、顔がほとんどわからない。
真っ白な姿に、ぐりぐりと丸い、ふざけているような金縁眼鏡。まさに、ひょうきんな幽霊。ぴったりすぎる表現ゆえに、笑えない。
「それ、本当に同情してる?」
「もちろんよ」
潤んだ目で、蓉香は小李を見つめる。
「お顔につけていらっしゃる、それ」
「眼鏡よ。西洋の文明国から、お兄様がわざわざ取り寄せてくださった品よ」
小李は極端な近視だ。彼女の唯一の娯楽は、読書。日がな一日読書三昧。近眼の道を驀進中だ。
「眼鏡だけでも取ればいいのに。そうすればもう少し、人間らしくなるのじゃないかしら」
「人間らしい姿になっても、これがなければ、目の前にいるあなたの顔さえ分からないの。人間らしい生活が不可能になるわよ。あなた、いったいなにしに来たの? 私の姿のおかしさを、あげつらいに来たわけではないのでしょう?!」
「そうだった! 私お姉様にお願いがあって来たのよ」
そこで索仁が、ずいと前に歩み出た。
「時間がありませんので、手短に、私が説明しましょう。ことは可国の大事なのです」
索仁は拳を握ると、さらに数歩、小李に詰め寄る。
メラメラと。索仁の太い眉の下、目が燃えている。男らしく引きしまった顔つきの彼であるが、彫りが深すぎて妙に暑苦しい。むわむわと、熱気が伝わる。
小李はわずかに身をそらす。
「国の大事? そういえば、今日はなにかある日なの? 女官たちが噂していた」
「そうなのです! 実は今日、隣国、芙国の王子、蓮皓宇様が、この堅晋城にいらっしゃたのです」
可国は、西を芙国、東を専国という、二国に挟まれている。
専国は建国三百年。古い国で、国力も強い。が、数代前に可国と姻戚関係を結びながら、可国の窮状に力を貸す様子はない。
芙国は建国三十年。若い国であるが、勢いがある。義に篤い国と噂に聞く。
「芙国の王子が? また、なんで」
そう訊いた途端、索仁の目にどっと涙があふれた。小李はぎょっとなる。
「どうしたのよ?!」
「可国の未来のために、私は、これしか思いつきませんでした! ですから、私は国王、明景様にご提案申し上げたのです。芙国との親交を深めるのが、可国を維持するには不可欠だと。そのために、両国の王姫と王子の婚姻を図ってはどうかと」
「あら、そういうこと」
何事かと思えば、そんなことか。小李は、肩すかしを食らった。
「国庫が苦しい上に、近隣から侵略される不安だってある。だから芙国と姻戚関係になって、助けてもらおうってことね。遠い姻戚関係のある冷たい専国よりも、義に篤い芙国と新たに手を結ぶ。いい決断じゃない。索仁らしいわ」
部屋に閉じこもっている小李だが、そのぶん、外の世界に興味がある。
可国や、大陸の状況など、できうる限り知りたい。そのために、ときおりこっそりと、索仁を訪ねて話しを聞いたり、書物を集めては読みあさっているのだ。
索仁の提案は、可国の現状と大陸の状況を考えれば、良案だ。
「しかし、しかし!! 歴史ある可国の王姫様を、新興の成り上がり国家へ売るのかと、王母様や、高位貴族の連中にはなじられました!」
「まあね。格式や血筋にこだわるお母様や、大貴族たちは、いい顔をしないかもね」
「いくらなじられても、罵倒されても! それでも、これが私の仕事。私は国の未来を思い、涙を呑んで、このお役目を蓉香様にお願いしました。明景様も私に同意してくださり、とうとう、芙国へ婚姻の打診を。これで私は、五百年の歴史に泥を塗った、悪名高い宰相に成り下がるでしょう。しかし、それもこれも、可国のため!!」
話すうちに、索仁は、「お国のために」気分が、盛りあがってきたらしい。とうとう、わっと声をあげて壁に顔を伏せた。
中年男が、おいおい泣くと、室温がわずかにあがったように感じた。
「そんな、まあ。・・・・・・索仁は立派よ」
小李は適当に慰めつつ、蓉香に視線を向けた。
「それで、芙国王はこの提案を受けたわけ?」
「いいえ。芙国王は乗り気でなかったらしいの」
「でしょうねぇ。芙国には、あまり得がない話しだものね」
「でもね、王子の皓宇様が、『可国の王姫は美姫と聞く。本当に噂どおりの美姫ならば、結婚したいって』って仰ったのですって。それで芙国王も渋々折れて。それで皓宇様が直接、私に会いに来てくださったの。こちらから申し込んだお話だけど、可国の方が歴史ある格式の高い国だからと、皓宇様が可国に足をお運びくださったのよ」
「美人なら、結婚?! なに、そのお気軽さは?!」
今回の話しは、いわゆる政略結婚だ。政治的判断が優先で、好みを主張している場合じゃない。しかも「美人なら結婚したい」なんて、脳天気にもほどがある。それを認める芙国王もどうかしている。
そこで小李は、ぴんと来た。
「ああ! そう、そうなのね! 可哀想な蓉香!!」
蓉香と索仁は確か、『助けてくれ』と訴えていた。
芙国の王子が今日、やってきた。しかしその脳天気そうな顔を見た途端に、蓉香も索仁も、この婚姻を後悔したに違いない。
そしてこの婚姻を破談にしたくて、あわてふためいて、小李の所へ助けを求めにやってきたに違いない。
しかし、なぜ小李の助けが必要なのか?
その辺りは不明だが、とにかく、そうに違いないと小李は思いこんだ。
蓉香の手を、ひしと両手で握る。思わず涙ぐむ。
「ひどい話し! でも、どうしたらいいのかしら。あなたの可愛さだったら、芙国王子はイチコロよ。すぐにでも結婚を決めてしまうわ」
すると蓉香が、ぱあっと笑顔になる。
「そんなことになったら、どんなにいいか」
「・・・・・・え?」
出かけた涙が、ひっこむ。