告知
余命一年と告知されたとき、あなたは残された時間をどう過ごしますか。
「残念ですが、既に全身に転移しています。手術をしてもとても全部を取り去ることは出来ないでしょう。
おそらく、長くて三年。これからの時間をどうか悔いのないようお過ごし下さい」
「そうですか。ありがとうございます」
ある程度の覚悟はあったとはいえ、その言葉は胸に重くのしかかった。
隣では長年連れ添った妻が嗚咽を堪えている。僕も務めて冷静に、医師に声をかけた。
「最近は、こういう事もはっきり告知するのですね。昔はそうではなかったと思いますが」
「ええ、昔はとにかく、大丈夫、助かるとしか言えませんでした。
近年は患者の知る権利というか、むしろ知った方が充実した気持ちで最期を迎えられるのではないかとの考えが主流となりまして。
でも、そういう患者さんばかりではないのも分かっています。パニックになったり、責められたりすることも。
あなたにも余計なことを言ってしまったのかもしれない。申し訳ありません」
「いいえ、私は言ってもらって良かったと思っています。でも告知する側にもそういう苦悩はあるのですね。大変なお仕事だ」
「そんな、人生の大先輩にそんな風に言われては、赤面してしまいます」
若い医師がそう言って頭を掻くのを、僕は微笑ましい気持ちで見つめた。とはいえ。
病院からの帰り道、無言のまま僕の腕を抱え込む妻の心の内を思うと、やはり辛くなる。そして、心残りはそれだけではなかった。
「これから、どうするのです?」
家に戻り、ようやく妻が口を開いた。
「どうもこうも、今まで通りさ。研究をやり残したままでは、死んでも死にきれない」
研究者として四十余年、三年後はちょうど七十だ。やるべき事はやり尽くしたと言いたいところだが、今はまだそれを言う訳にはいかない。
何故なら、僕が考案した世界初の太陽ニュートリノ観測装置が稼働したばかりだからだ。
これは、太陽内部から発せられるニュートリノ放射を観測することにより、内部の現状とそれに伴う表層部の変動を予測するという、画期的な装置だ。
その装置が、もうすぐ最初の観測結果を吐き出してくる。その分析と共に装置を更に調整、改良していかなければならないのだ。
「貴方の生きがいですものね。ええ、貴方は貴方の思う通り最後まで生き抜いて下さい。でも」
妻は、そう言って言葉を詰まらせた。
「私の生きがいは、貴方でした。貴方がいなくなってしまったら、私はどうして生きて行けばいいのでしょう」
「そんなことを言わないでくれ。研究は僕の生きがいだけど、それだけではない。
君の笑顔があったからこそ、僕は研究に打ち込むことが出来たんだ。君の悲しむ顔は、見たくない」
「先生、観測データが上がって来ています」
翌日、研究所に出向いた僕に研究員がスクリーンを示した。僕はそれを数分間見つめたあと、彼に振り返った。
「失敗かね?」
「いえ、昨夜所員総がかりで検証しましたが、全て正常でした」
「正常? この数値が?」
「はい、装置は全て正常。そして観測された数値だけが異常なのです。異常な数値は、正常です」
唇を震わせる彼。そして同じように青ざめた顔で私を見つめる、研究員達。
「わかった。皆も疲れただろう、今日は帰ってゆっくり休みなさい」
「あら、早かったですね。体調がすぐれませんか?」
家に戻った僕は、出迎えた妻の手を引くと、足早にリビングへ向かった。
「いいか、落ち着いて聞いてくれ。観測結果が出た」
「それは、おめでとうございます」
おめでとう……、いいやちっともめでたくなんかないんだ。
「太陽内部で、異常な爆発現象が起きている。いずれそれは表面にまで達するだろう」
「するとどうなるのです?」
「破滅的なフレアの発生と太陽風の嵐、地表を灼き尽くすほどの放射線が襲ってくる。地球はもうすぐお終いだ」
「いつ頃?」
「おそらく一年後」
すると、妻の頬を一筋の涙が流れた。
「嬉しい……」
「え?」
「だって、貴方と一緒に最期の時を迎えられるのでしょう? 私ひとり取り残されずに済むのですもの」
「そうか……」
妻の想いを聞いて、僕は少し落ち着きを取り戻した。
だが同時に脳裏に浮かんでいたのは、あの若い医師の顔だった。
僕は、この観測結果を公表すべきだろうか。
この残酷な運命に、世界は耐えられるのか。そして余命一年という告知を受けた時、人類は残された時間をどう過ごすことになるのだろう。