4話 天使の祝福
「……ふぁ……」
ややあって、ガブリエルさんが唇を離す。
その間、僕はなにをしていたかというと……
なにもしていませんでした。
いや、だって……
いきなりキスをされて、冷静でいられるわけないよね?
思考がオーバーヒートして、パニックでトラブルだよ。
うん、まだ混乱しているな。
落ち着こう、僕。
「ふふっ。クロノ先生の唇、とても甘いのですね」
「……はっ!?」
ガブリエルさんが、妖艶な顔をしてぺろりと自分の唇を舐めて……
そこで、ようやく僕は我に返る。
「が、ガブリエルさん!? い、いいい、いきなりなにを……!?」
慌てる僕。
その一方で、なぜかマイ先生が唖然としていた。
「ま、まさか……今のは、天使の祝福を……?」
「ええ、その通りですわ。わたくしは、クロノ先生の守護天使になると決め……水の大天使の祝福を授けることに決めました」
「えっと……ど、どういうことなんでしょう?」
「知らないのですか? わたくしたち天使は、その者の守護天使となることで、人間に力を与えることができるのですよ。それが、祝福を授けるということ。そのための行為は……さきほどのキス、というわけですわね」
「そんなものが……でも、どうして僕に?」
「わたくし、クロノ先生のことがとても気に入りました。それに、とても興味深いです。なので、これからも一緒にいようと、守護天使になることを決めました」
「なるほど……なるほど?」
僕、気に入られるようなこと、なにかしたかな……?
特にしていないような……
もしかして、これがスキル『年上キラー』の効果?
「ま、まさか、そんな……上位天使を守護天使にするだけじゃなくて、祝福も授かるなんて……こんなにあっさりと……なるほど、ね。ギルドマスターがクロノくんをここに派遣した意味が、今、ようやく理解できたわ」
マイ先生は、なぜか戦慄していた。
正直、僕はまだよく理解していないのだけど……
ガブリエルさんに守護天使になってもらうということは、予想を遥かに上回るとんでもないことなのだろう。
「それと……これからは、わたくしのことはフィンネルとお呼びください」
「え? どういうことなんですか?」
「ガブリエルというのは、水の大天使としての役名のようなもの。わたくしたち天使は、それとは別に、真の名前を持つのですわ。神名と言います。これはみだらに明かしていいものではなくて、誰彼構わず呼ばせるものではありません。心を許した相手にこそ、明かす特別な名前……と思っていただければ」
「そんなものを……僕にいいんですか?」
「クロノ先生だからよろしいのですわ」
「わぷっ」
ぎゅう、っと抱きしめられてしまう。
「ふふっ。かわいらしいだけではなくて、とても聡明で、魂も宝石のように綺麗……まさに、わたくしが守護天使になるにふさわしい方ですわ」
「えっと……あ、ありがとうございます?」
「クロノ先生。これから、よろしくお願いいたしますわ」
正直、なにが起きているのかよくわからない。
わからないけど……一つだけ、わかることがある。
「はいっ、よろしくおねがいします!」
とりあえず、ガブリエルさん……もとい、フィンネルさんと仲良くなることができたみたいだ。
できることなら、この調子で他の生徒たちとも……
「っ!?」
瞬間、マイ先生が険しい顔になる。
さきほど、ミカエルさんに向けた子供っぽい怒りではなくて……
猛禽類と相対して危機を感じているような、そんな顔。
「どうしたんですか?」
「今、学校の結界に反応があったわ……魔物が入り込んだみたい」
「えっ、本当ですか!?」
「私はサポート担当だから、探知などに優れているの。まず間違いないわ」
「ええ、そうね。そいつの言うことに間違いはないわ」
ミカエルさんが、マイ先生に同意する。
しかし、こちらはぜんぜん慌てていない。
あれだけの力を持つ天使だから、魔物なんて眼中にない?
いや、そういうわけじゃなくて……どちらかというと、興味がないように見えた。
それは……事実、その通りだった。
「魔物が出て、この学校が壊されようが、あたしには関係ないことね。どうでもいいことよ」
「よくないわ! そんなことになったら、人と天使の交流が台無しになるじゃない!」
「あたし、元々、交流に賛成じゃないし。ここに来たのは、仕方なくだし」
マイ先生の反論に、ミカエルさんはあくまでもマイペースに答える。
「このっ、問題児が……!」
「マイ先生、落ち着いてください。今は、魔物をなんとかしないと」
「そ、そうね……ごめんなさい。また、クロノくんに迷惑をかけてしまうところだったわ」
「いえ、気にしていませんから。どうしても気になるなら、僕が失敗しそうな時、助けていただけるとうれしいです」
「ええ、その時は任せて」
――――――――――
ひとまず、自習を言い渡した後……
僕とマイ先生は校舎の外に出た。
そのまま、魔物の反応が出た、校舎裏の森へ向かう。
それと、もう一人。
「クロノ先生。地面を走るのは、おつかれになりませんか? よろしければ、わたくしが抱っこをいたしますが」
光の翼を背中に生やして、フィンネルさんが僕たちと並行飛行している。
「……」
「どうしたのですか?」
「いえ……こんな時になんですけど、フィンネルさんの翼、とても綺麗ですね」
「そ、そうですの?」
「はい、すごく綺麗です。僕、天使の翼を見るのは初めてで……まさか、こんなに綺麗なんて。今まで見てきたものの中で、一番綺麗です」
「も、もう、クロノ先生ったら。お口が上手なのですね」
お世辞じゃなくて、本心なんだけどな。
「二人共、気をつけてちょうだい。魔物の気配がするわ」
先頭を行くマイ先生が、周囲を警戒して歩きに切り替えた。
僕も歩きに切り替えて、その隣にフィンネルさんが降りる。
「この刺すような雰囲気……もしかしたら、とんでもない魔物では?」
「クロノくん、わかるの?」
「はい。一応、色々な依頼を請けたことがありますから」
その度に、追放されていたけれど。
「僕の勘ですが……Bランク以上の魔物かもしれません」
「Bランク? まさか。この学校が街から離れたところにあるとはいえ、先進国の国内にあるのよ? そんな強力な魔物がいるわけ……」
「さすが、クロノ先生というべきですわね」
フィンネルさんが会話に割り込む。
「クロノ先生が仰る通り、敵はBランク以上の魔物。つけくわえるのならば……」
ガサリと茂みが揺れて、魔物が姿を見せた。
それは、ドラゴンだ。
体長は3メートルほど。
ドラゴンにしては大きくないが……
その体の全ては、燃え盛る紅蓮の炎で構成されていた。
「レッドドラゴン・イフリート……小さな街ならば、単独で壊滅させてしまう力を持つ、Aランクの魔物のようですわ」
マイ先生の顔が青くなる。
たぶん、僕も同じような顔色をしていると思う。
「そ、そんな……どうして、竜種の中でも上位に位置するイフリートがこんなところに……」
「真実はわかりませんが……どうやら、ヤツはわたくしたちを敵を認識した模様ですわ」
「グルァアアアアアッ!」
レッドドラゴン・イフリートが吠えた。
その体から炎が湧き上がり、ブレスのごとく、僕たちに向けて射出する。
「くっ……メガフレア!」
マイ先生が迎撃の魔法を放つ。
炎と炎が宙で激突して、激しい火の粉を撒き散らす。
威力は拮抗している。
それならば……!
「ファイア!」
援護のための魔法を唱えた。
Fランクの、最低ランクの火魔法。
その威力はたかがしれているけど……
「ゴァッ!?」
わずかにではあるが背中を押すことができたらしく、マイ先生の魔法が勝つ。
レッドドラゴン・イフリートの燃える体を、Aランクの火魔法が包み込む。
しかし。
「やっぱり、イフリート相手に火魔法はダメね……!」
レッドドラゴン・イフリートに、ダメージらしきダメージは見られない。
ただ驚いただけ。
それと……怒りを買っただけ。
怒り狂うレッドドラゴン・イフリートは、今度は確実にしとめるためなのか、体中の炎を燃やして溜めに入る。
それは、もしかしたらSランク並の威力があるかもしれない。
抵抗することはできず、僕たちは消し炭にされてしまうだろう。
「マイ先生、フィンネルさん、逃げてください!」
「え?」
「なんとか、僕が時間を稼いでみせますから……だから、今のうちに!」
「そ、そんなことできるわけないでしょう!」
「マイ先生は、ギルドなどで救援を! 僕が行くよりも、マイ先生の方が速いはずです!」
「それは、でも……」
「……一つ、よろしいですか?」
「フィンネルさんも、早く……」
「どうして、わたくしにまで逃げろ、と? わたくしは、水を司る大天使。わたくしならば、レッドドラゴン・イフリートであろうと敵ではありません。わたくしに助力を求めるのが、一番の選択肢かと思われますが……」
「決まっています!」
フィンネルさんに助けを求めるのなら、それが一番かもしれない。
でも……
「僕は、先生です!」
「……」
「フィンネルさんなら、確かに、アイツを倒すことができるかもしれません。しかし、怪我をする可能性もあります。1パーセントでもその可能性がある以上、フィンネルさんを戦わせることなんて、できません。僕は先生で、フィンネルさんは生徒なんですから!」
「……」
フィンネルさんは目を丸くして、
「ふふっ……本当に、クロノ先生はおもしろいお方。ますます気に入ってしまいましたわ」
とても上機嫌に、くすくすと笑うのだった。
「フィンネルさん、今は、僕の言うことに……」
「クロノ先生、その必要はありませんわ。そもそも、逃げる必要がありませんわ」
「しかし、フィンネルさんを戦わせるなんて……」
「クロノ先生の優しさはわかりました。なので……わたくしではなくて、クロノ先生が戦えばよろしいかと」
「僕が……?」
「お忘れですか? クロノ先生には、わたくしの祝福を授けたのですよ? 今のクロノ先生ならば、レッドドラゴン・イフリートごとき、敵ではありませんわ。さあ……わたくしが授けた祝福、見事に使いこなしてくださいませ」
瞬間、僕は、僕の中にいつの間にか生まれていた力を自覚した。
その力を、どう扱えばいいか?
そのことについて、迷うことはない。
人が歩く方法を自然と覚えるように……
僕は、その力の扱い方を自然と覚えていた。
一瞬で。
あとはただ、この世界に発現させるだけ。
「……」
僕は、ゆっくりと手の平をレッドドラゴン・イフリートに向けた。
「クロノくん……? えっ……な、なに? この膨大な魔力は……」
「ふふっ、あれこそがわたくしの祝福。そして、クロノ先生の力ですわ」
一度、目を閉じて集中。
魔力を練り上げる。
そして、限界に達したところで目を開いて、全てを解き放つ。
「エクサブリザードッ!!!」
Sランクの氷魔法が炸裂した。
氷雪が嵐のごとく吹き荒れて、全てを飲み込む。
抗えるものはいない。
レッドドラゴン・イフリートも例外ではなくて……
その体、その魂を凍てつかせていく。
「……」
ほどなくして、竜の氷像ができあがる。
そして、ピシリ、とヒビが入り……
粉々に砕け散る。
「僕が……竜種を倒した……?」
「ええ、その通りですわ」
未だ目の前の光景が信じられなくて、唖然とする僕。
そんな僕に寄り添うようにしつつ、フィンネルさんが笑う。
「それが、わたくしの祝福。そして、今は、クロノ先生の力……ですわ」
フィンネルさんがそんなことを言うものの、やっぱり実感が湧いてこなくて……
僕はしばらくの間、ぼーっとしてしまうのだった。
『よかった』『続きが気になる』と思っていただけたら、
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