2話 赴任
善は急げということで、僕は、さっそく翌日から天使学校で働くことになった。
住み込みなので、衣食住の心配をしなくていいのはうれしい。
荷物を手に学校を尋ねて、事務員らしき人に、まずは寮の部屋に案内された。
生徒と同じ建物で暮らすらしい。
その後、いよいよ初仕事だ。
学校に移動して、同僚の先生と引き合わされるのだけど……
「あなたが……新しい先生、なのかしら?」
「はい、クロノ・バーネットです。よろしくおねがいします」
同僚の先生……アイ・フォレストウッドさんに挨拶をした。
「えっと……よろしくね、バーネット先生。私のことは、アイでいいわ」
「それじゃあ、僕のこともクロノでおねがいします」
「わかった、クロノくんね」
アイ先生と握手を交わす。
とても綺麗な人だ。
歳は……20ちょい、という感じだろうか?
燃えるような赤い髪が特徴的で、どこか勝ち気な印象を受ける。
かわいいというよりは綺麗。
男の人なら、放っておかないような美人だ。
僕は子供だから、関係ないけどね。
「あの……」
「なにかしら?」
「新しい先生は、クロノくんだけなのかしら?」
「たぶん、そうだと思います。他に新しい先生が派遣されるとは、聞いていませんから」
「……終わったわ」
「アイ先生!?」
突然、アイ先生はがくりと膝をついて、床に手をついた。
とても落ち込んでいるみたいだけど、どうしたんだろう?
「あのじゃじゃ馬たちを、しっかりと躾けられるようなSランク冒険者……最低でもAランクを派遣しろって言ったのに……あのギルドマスター、ふざけてるのかしら?」
「えっと……すみません、こんな子供で」
「あっ……ううん、私こそごめんなさい。こんな態度、クロノくんに失礼よね」
アイ先生が立ち上がり、ぎこちないながらも笑みを浮かべる。
一応、僕のことを気遣ってくれているみたいだ。
でも、落胆の色がありありと見える。
応援を求めていたらしいけど……
実際にやってきたのは10歳の子供。
落胆しても仕方ないと思う。
「……」
期待されていない。
その事実は辛いけれど……
でも、落ち込んでなんていられない。
アルルさんとギルドマスターは、僕を見込んで、この依頼を紹介してくれたんだ。
その期待に応えるためにも、がんばらないと!
「アイ先生、仕事のことを教えてくれませんか?」
「……そうね。ひとまず、仕事の話をしましょうか。ついてきて」
移動しながら説明を受ける。
「ここは学校だけど、1クラスしかないの。生徒数も、全部で20人」
「かなり特殊なんですね。やっぱり、天使の学校だからでしょうか?」
「そういうこと。本当は、天使はもっともっとたくさんいるんだけど……全員が、人間との交流に納得してるわけじゃないから。今は20人だけ、っていうことね。この学校が成功すれば人数も増えるかもしれないけど……まぁ、それも無理そうね。あんなじゃじゃ馬たちに教育を施すなんて……ハハハ」
アイ先生がものすごく遠い目をして、疲れた吐息をこぼした。
とんでもないハードワークなのだろうか?
思わず、ごくりと息を飲んでしまう。
「……ごめんなさい、話が逸れたわね。クロノくんには、担任をしてもらうことになるわ。私は、サポートを行う副担任よ……ホント、どういう人事をしているのかしら、あのボケギルドマスター……」
後半のギルドマスターに対する悪態は聞かなかったことに。
「あの……ちょっと違う話になってしまうんですけど、アイ先生って、あのアイさんですか? 紅蓮のアイ、って呼ばれている……?」
「知っているの?」
「はい、もちろんです! Aランクの冒険者であり、ありとあらゆる火の魔法を使いこなすエキスパート。僕なんかが、と思われてしまうかもしれないですけど、アイさんに憧れていて……!」
「ありがとう。クロノくんにそう言ってもらえると、お姉さん、うれしいわ。でも……ここでは、私は無力。なんの活躍もしていないわ……」
「え? どういうことですか?」
Aランクの冒険者が無力なんていうこと、ありえるのだろうか?
そんな事態は、国を揺るがすような一大事でなければないと思うのだけど……
「クロノくん。あなたがこの学校を去る決意をしたとしても、私は責めないからね? むしろ、そうした方がいいと思うわ」
「えっと……?」
「さあ、ついたわ」
学校の校舎を歩いて、とある教室の前で立ち止まる。
「ひとまず、現状をその目で見ないと判断のしようがないから、案内をするけど……ダメそうな時は、すぐに言ってちょうだいね? いつでも逃げられるように、準備をしておくから」
「そ、それほどまでに大変なお仕事なんですか……?」
「文字通り……命がけよ。ひとまず、私が先に入るから、クロノくんは呼ばれるまでここで待機。いいわね?」
「は、はい!」
「じゃあ……いくわよ」
アイ先生は、泥沼の戦地に赴くような悲愴な顔つきになり、教室の扉を開けた。
瞬間……
「なんですって!? あんた今、あたしのことをなんて言ったの!?」
「猪突猛進の猪にも劣る、哀れな生き物……ですわね」
「よーし、そうかそうか。ケンカを売っているわけね? 死にたいわけね?」
「あらやだ。ケンカというものは、自分と対等の相手としか成立しないのですよ? そんなことも知らないなんて、ホント、学がないのですね」
「……コロス!」
いきなり物騒な会話が!?
しかし、アイ先生は慣れた様子で、動揺することなく教室に入る。
軽く中を覗いてみると、教卓の前で、二人の女の子が睨み合っていた。
その後ろに、十数人の女の子。
皆、制服を着ているところをみると、この学校の生徒なのだろう。
「ミカエル、ガブリエル。なにをしているのかしら?」
アイ先生は厳しい声で、二人の女の子の名前らしきものを口にするけれど、
「表に出なさい。消し炭にしてあげる」
「なら、わたくしは氷漬けにしてさしあげましょう」
「そんなこと、できるとでも?」
「ミカエルさんのような、マッチのごときかよわい火、簡単に消せるのは当たり前ですわ」
「……ヒャッカイコロス!」
まるで聞いていない様子でにらみ合う。
視線と視線が激突して、バチバチと火花が散る。
おじいちゃんが、
「女性の争いに口を出すな、あれは恐ろしいぞ……」
なんてことを言っていたことがあるけど、今まさに、その言葉の意味を実感した。
「こらっ、私を無視するんじゃないの!!!」
「「あぁん?」」
二人の女の子がアイ先生にようやく気がついて……ガンを飛ばす。
「なによ、先生じゃない。まだ逃げ帰っていなかったの?」
「あなたのような低レベルな人間に教わることなんて、なにもありませんわ。というか、わたくしたちが導く立場なのに、教わることなんてなにもありませんわ。さっさと消えてくださらない?」
「こ、こいつら……今まで我慢して、好き勝手に言わせてきたと思えば……!」
アイ先生はこめかみをピクピクと震わせて……
その手に持つ出席簿らしきものを、バンッ! と床に叩きつけた。
「よーし、上等よ。これでも先生だから、生徒に手をあげるものかと思っていたけど、もう我慢できないわ! あんたら、一度痛い目に遭わせてやるわ!」
「……へぇ」
アイ先生がとんでもないことを言い出して……
その言葉に、ミカエルと呼ばれていた女の子が反応する。
とても冷たい笑みを浮かべつつ、アイ先生を見つめ返す。
「あんたのような人間ごときが、このあたしを痛い目に遭わせる、って? それ、本気?」
「当たり前でしょ。これでも、Aランクの冒険者よ。あんたらのようなガキなんて、ここでキッチリと教育して、躾けてあげる!」
「いいわ。ガブリエルよりも先に、あんたを先に相手にしてあげる。かかってきなさい」
指先をクイクイとやり、ミカエルさんがアイ先生を挑発した。
だ、大丈夫なのだろうか……?
アイ先生はAランクの冒険者。
その力は相当なもの。
ここの生徒ということは、ミカエルさんは天使なのだろうけど……
いくら天使だとしても、アイ先生の相手をするのは厳しいのでは?
そんなことを思うのだけど……
それは、僕のまったくの杞憂にすぎないことが判明する。
「メガフレアっ!!!」
「ちょっ!?」
こんなところで魔法を!?
しかも、極限られた人しか使えないという、Aランクの魔法!?
慌てるけれど、止めるヒマなんてなくて……
荒れ狂う業火がミカエルさんを飲み込む。
その炎は、地獄の業火。
対象を骨まで溶かし、焼き尽くすまで止まらない。
……止まらないはずなのだけど。
「へぇ」
ミカエルさんは、邪魔というような感じで、手を横に振り払う。
たったそれだけで、炎が消えてしまう。
「なっ……私の最大最強の火魔法を、ただ手を払うだけで……!?」
「あんた、Aランクの魔法を使えるのね。なかなかやるじゃない。でも……残念。世の中には、さらにその上……Sランクの魔法があるの」
「う……あ……」
「あたしは、火を司る大天使……ミカエル。真の火魔法を見せてあげるわ」
ミカエルさんが右手を上げた。
その手に、とんでもない量の魔力が収束されていく。
大気が震えて、悲鳴をあげているみたいだ。
「Sランクの火魔法……エクサフレア。さあ、くらいなさいっ!!!」
あれはダメだ!
今度ばかりは確信する。
あれを止めるなんてこと、人にできるわけがない。
このままだと、アイ先生が……
絶対に止めないと!
僕になにができるのか、それはわからないけど……
できることはすると決めたんだ!
「待ってください!!!」
僕は教室に飛び込み、大きな声をあげた。
「えっ!?」
こちらに気づいたミカエルさんは、驚きの声をあげた。
その拍子に魔力のコントロールを誤ったらしく、発動直前の魔法が暴発を……
「エクサブリザード」
瞬間、別の魔法が発動した。
ミカエルさんの右手を氷の結晶が包み込む。
相反する属性の魔法が働いたことで、暴走寸前にあったSランクの火魔法は消滅する。
「いったい、なにをしているのですか、ミカエルさん? そのような魔法を暴走させれば、わたくしたちも巻き込まれてしまうのですが?」
「ぐっ……わ、悪かったわよ。でも、その子供がいきなり飛び込んで……くる、から……?」
ミカエルさんは、こちらをビシッと指差して……
なぜか、どんどん語尾が弱くなっていく。
目を丸くして……
次いで、赤くなる。
「……か、かわいい」
「え? それは……」
どういう意味ですか?
そう問い返そうとしたところで、
「あぁん、とてもかわいらしいですわ!」
「ふぎゅ!?」
ガブリエルさんに、おもいきり抱きしめられてしまう僕だった。
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