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瞬きすると、見慣れた自分の部屋だった。一息ついて、アリスの顔を見ると、やや不安そうな顔をしている。
……異世界とか、勇者とか、今はそういった話は置いといて。要点だけ掻い摘まんで考えれば、友人が遠くからはるばる遊びに来てくれた、というだけだ。友情を育んだ記憶が失われてしまっているが、それを知った上で来てくれたんだ。邪険に扱うのも気が引ける。
幸い、テストも区切りがついたことだし、アリスが行きたがっていた映画にでも連れて行ってあげよう。
「それじゃあ映画を観に行こうか。どういうジャンルが見たいとかある?」
「えぇと、そもそもエイガというものが、見世物だということくらいしか知らないのだけれど」
「まぁ、それくらいの前知識があれば充分だと思うよ」
ここから一番近い映画館は、歩いて10分くらいだったか。こんなことになるなら車かバイクでも持っておけば良かった。いやまぁ、異世界から友人が遊びに来るなんて、予想できるはずもないんだけれど。
「取り合えず映画館に行ってみようか」
「えぇ。……男らしいエスコート、期待しているわよ」
そう言ってアリスは悪戯っぽく笑みを浮かべる。……情報量が多すぎて気が付かなかったけれど、冷静に考えたら、今からこんなに綺麗な女性と映画館に行くのか。これは間違いなくデート。人生で初の出来事だ。どうしよう、何か急に緊張してきた。
大学用のよりも一回り小さい、遊びに行く用のバッグに財布やらを移し入れて外に出る。鍵を閉めて、その後念のためにガチャガチャと鍵がちゃんと閉まっているかの確認もしてから、映画館へのルートを頭の中で軽く思い返す。
「ふふふ、アンタとこうして遊びに行くの、結構久しぶりだから楽しみ」
「そっちの世界では何をして遊んでいたの? 異世界の娯楽ってちょっと興味あるんだけど」
パッと思いつものだと、何故かコロッセオみたいなものが想像されたけれど、サーカスとかあるのだろうか。リンネとやらの異世界の文明レベルがどの程度か分からないから、何とも言えないけれど、ゲームとかで見るようなものと同じくらいなら、そりゃあ映画は存在しないんだろうな、と思う。
「そうね……買い物とか、本とか、そんなところかしら。あ、芝居もあったわね。けれど、世界を救う旅の途中だったから、そんな余裕は無かったけれど。金銭的にも、街の空気的にも」
「大変だったんだねぇ」
異世界で魔王を倒す旅、というと、どうしても現実離れしているから、ゲームのような感覚で考えてしまうけれど、毎日平和に暮らしている僕には想像だにできないほど過酷なものなんだろう。それこそ、いつ死ぬとも分からないような日々なんて。
「他人事のように言っているけれど、アンタはその世界を救った当人なんだからね」
「うーん。それだけは未だに信じられないんだよなぁ。そもそも武術とかも経験がないからね。街から出たすぐ近くにいる敵にすら惨敗しそうだよ」
殴り合いの喧嘩はしたことがないから分からないけれど、体育の授業やスポーツのときを鑑みるに運動神経は並だし、鍛えているわけでもないから筋肉もそんなに無い。武器を持つのすら一苦労しそうだ。
……それに、心もそんなに強くない。魔王を倒す旅というのは、きっと長い道のりだっただろう。その道中で、どれほど剣を振るったのだろう、どれほど魔物を殺したのだろう。魔物どころか、もしかしたら、人も……。そんな中で、正気を保つことができていたのかと考えると、少し、怖くなった。
「……大方、心が壊れやしないかって考えているんでしょうけれど、大丈夫よ」
血の気が引いた手を、彼女がそっと包み込んだ。女の子らしく、小さくて暖かい手。甲は柔らかいけれど、マメが何度も潰れたのか、手のひらは硬い。何となく懐かしい感触がする。デジャヴというやつだろうか。それとも、失われたという記憶の中にあったものなのだろうか。
「でもさ、いつ死ぬか分からない過酷な旅だったんじゃないの?」
「安心しなさい。アンタは、魔王を倒したあとも、今のアンタと変わらない態度だったわ」
それはそれでどうかかとも思うが、どうやら殺人マシーンや廃人にはなっていなかったようだ。それで何か変わるわけではないが、何となく安心した。
「最初に会ったときなんて、こんな奴が異世界から喚ばれた勇者なんて信じられないって喚いたほどだったわ。アンタ、蚊も殺せないような見た目だし。でも、まぁ、その。救ってしまったんだけれどね。私……の村を。それどころか、世界まで」
アリスはそのときの情景に思いを馳せているのか、懐かしそうに目を細めた。そこには、僕の知らない僕がいるのだろう。チクリと、不思議な痛みを覚えた。何だろう、ひょっとして自分に妬けるとか意味が分からない感情でも抱いたのだろうか。