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「それで、えぇと、アリストロメリアさんは……」
「アリスでいいわ。アンタにさん付けされるの、何か鳥肌が立つ」
「分かった。それで……僕らはどこで出会ったの?」
ここで尤もらしい説が1つ思いついた。僕は『知らない』、アリスは『覚えていない』という言葉を使った。ということは、両者が嘘を吐いていない限りは、僕の記憶が失われているという可能性の方が高い。
記憶が失われているとなると、凄く小さな頃に出会ったとか? いや、そうだとしても全く覚えていないなんてことは無いだろう。ということは、酒の席で出会ったとか、そんな感じだろうか。同じ大学ではなさそうだから、店で近くの席にいたとか、店員だとか。そこで仲良くなったけれど、酔っぱらっていたからその記憶が無い、と。まぁ、そんなところだろうか。
「アンタがリンネの世界を救う旅の途中で、私達の村を助けてくれたときに出会ったのよ」
「えっ、そっちの世界で出会ったの? っていうか、世界を救う旅?」
ど、どういうことだ。世界を救ったどころか、異世界に行った記憶もないぞ。そもそも、僕みたいな凡人が、どうやって世界を救ったというんだ。
「あんたは世界を救うために召喚されて、見事その偉業を成し遂げたのよ。それで、そのあと記憶やら能力やら、異世界での経験を全て失う代わりに、地球に戻ってきたってわけ」
「えぇ……?」
アリスが異世界から来たという話は何とか呑み込めそうだったが、僕が異世界に行って世界を救ったという話になってくると、流石にお腹いっぱいだ。一応、アリスが言っていることは真実ならば、僕がアリスのことを覚えていないのは辻褄が合う。
『どうして覚えていないんだ』というニュアンスを孕んだ言葉は、大方、地球に戻るときに僕が『絶対に忘れない』とでも軽口を叩いたのだろう。しかし、記憶を失うのが元の世界に戻る代償なのだから、案の定記憶はない。それで呆れたような表情をしていたのだろう。一応自分のことだからか、何となくそのときの気持ちが理解できる。
けれど、やっぱり世界を救ったという部分を受け入れるのに、かなり抵抗がある。腕っぷしが強いわけじゃない。知識も知恵も人並みだし、正義心に満ちているわけでもない。ちょっといかつい人にもビビるくらいだから、勇気もそんなに無い。
俄には信じ難いが……アリスは嘘を吐いていないように見えるし、多分本当なのだろうけれど……。
「実際に証拠を見せた方が話は早いわ。この世界には魔法がないのよね?」
「魔法って、今朝のテレポートみたいな?」
「そうよ。こっちの世界、チキュウではリンネより科学が進んでいるみたいだから……何かチキュウの科学力では再現が難しい現象とかある?」
高度な科学は魔法と区別がつかないという言葉がある通り、魔法という現象は、ある一定以上の水準の科学で代用が可能になる。例えば、火を出す魔法が使えなくとも、ライターを用いれば誰でも火が出せる。
現代での魔法のようなもの……つまり、超常現象で、SF作品でしか見たことがないようなものなら、本当に魔法と言えるだろう。
「それでいったら、今朝のテレポートがぶっちぎりで再現が無理だね」
脱出マジックとかそれらしいものはあるけれど、何の隔たりもない衆人環視の状態で瞬間移動するのは、流石に一流のマジシャンでも無理だ。
「そう。それじゃあ、テレポートをまた見せてあげる」
そう言うと、アリスは僕の手をぎゅっと握った。心臓がドクンと跳ねる。この胸の高鳴りは、いったい何の感情によるモノなのか、心当たりが複数あるせいで複雑な心境になったけれど、今回のは、まぁ、悪いものではないだろう。
少年心を失わないまま成人したので、『魔法』に憧れがないといえば嘘になる。だから、こうした超常現象には凄く興味が惹かれる。今朝は起きてすぐということもあって、状況を把握していないまま終わってしまったが、こうして構えて体感するとなると、心積もりが大分変ってくる。
アリスがブツブツと例の謎言語を唱え始めた。マイクもアンプもないのに、やっぱり反響して聞こえる。これも魔法だからなのだろうか。目を凝らしてみれば光っていると分かる程度の光がアリスの身体から発せられ、徐々に範囲と光量が大きくなる。よく見ると、僕の身体も薄く光っている。
そして、一瞬だけ光が強まり、その眩しさに瞬きすれば、目の前には見慣れた大学があった。
大きな感嘆の溜息が零れる。凄い。これが、魔法かぁ。初めて体感したときは驚きの方が強かったけれど、今は感動の方が強い。何というか、観覧車で一番上まで昇った感じの感動に似ている。
今大学は2限の最中で人が少ないから良いものの、冷静に考えると、突然に人が現れるってヤバイ気がする。今の御時世だと、すぐにSNSとかで動画が投稿されてニュースに取り上げられてしまいそうだ。そう思うと、今朝もたまたま人がいなくて幸運だった。
「それじゃあ特に用事もないし、家に戻るわよ」
「そうだね、お願いするよ」
室内から何も準備せずに移動したから、小石などを踏んでしまって足が地味に痛い。それに、人に見られると説明が難しそうなので、誰か来る前にとっとと退散した方が賢明だ。
アリスが再び呪文を唱え発光し始める。開けた場所でもポアポアと反響して聞こえるんだな、なんて考えていると、景色が一転する寸前、見慣れた悪友の驚いた面が見えたような気がしたが、気にしないことにする。