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「久しぶり……? と、とにかく本当にゴメン!」
久しぶり、と言っているが、残念ながら僕は彼女のことを全く知らない。今までに自分が見た中で一番美人で、一目惚れをしそうなくらい綺麗なのに、流石に忘れたなんてことはありえないだろう。
と、なれば彼女が誰かと勘違いしている可能性が高い。しかし、今はその考えが正しいか確かめる余裕なんてない。
「まぁ、アンタが失礼なのは今に始まったことじゃないから、別にいいけれど。……それで、どうして慌てているの?」
呆れた顔で溜息を吐く女性。一挙一動が様になっていて、思わず見惚れてしまうが、呆けている場合ではないことを思い出す。
「今日は大事な試験があって、あと2分もしないうちに始まるんだ」
「……本当にアンタってやつは計画性ゼロね。私が送っていってあげるから、方角と距離を教えて」
大学のある位置を知らないということは、同じ大学ではないのだろう。となると、ますますどこで知り合ったのか分からない。だが、今はそんなことを気にしている暇はない。ありがたく、ご厚意に甘えて送ってもらうことにする。
「ありがとう! あっちに1kmくらいかな。車はどの辺りに停めてあるの?」
「クルマ? そんなの持っていないわよ」
この辺りは道が狭くて駐車スペースはないから、どこに車があるんだろうと思っていたが、そもそも車でここまで来たわけではないらしい。
ということは、自転車だろうか。けれど二人乗りは違法だし、どうしたものか。このやり取りの間にも時間は刻一刻と過ぎていく。
いっそ、テレポートで行きたいなどと現実逃避した考えが頭を過る。流石にそんなことを言えば痛い子なので、口にはしないけれど。
「テレポートで行くに決まっているじゃない」
驚くことに、痛い子はここにいた。彼女は自信満々に笑みを浮かべてそう言い放った。かわいそうに、こんなに美人なのにもったいない。
「あの、本当にゴメンね。それじゃあ僕は先を急ぐので……」
ちょっと危険な香りがしたので、そそくさと逃げ出そうとすると、袖を掴まれた。無理やり動こうとするがビクともしない。華奢な見た目なのに結構力が強い。
「『Nrnrndud lwl nlurphhwrux――――』」
突如、謎の言語で呟き出したので思わず後退りしたが、袖をがっちりと掴まれているため距離はとれなかった。
何の言語だろう。日本語ではないのは確実で、一人称と二人称だけ知っている他の数か国語のどれにも該当しない。アレだろうか、ひょっとして自作の言語だったりするのだろうか。
しかし、何と言うか、発声に違和感があるというか、風呂場にいるときのように、ボワボワと反響して聞こえる。しかも、心なしか、彼女を中心として淡く光っているような……。
「『――――Ndqdwdh』」
なんてことを考えていたら、突如、その淡い光が急速に収束するようにして、一瞬だけ強く発光した。眩しさに瞬きをすると、景色は一変しており、見慣れた大学があった。
数度瞬きをして、ロボットのようなぎこちない動きで首を回し、彼女の方を見ると、一つ息を吐いたあとにこちらを見て、少しだけ自慢げに微笑んだ。
その微笑みにどこか懐かしさのようなものを感じて、どうしてこんな感情が湧き出たんだろうと自分自身に疑問を抱いていると、彼女は人差し指で僕の頬を軽く突いてきた。
「テスト、頑張ってきなさいよ。……それから、エイガ、楽しみにしているから
そう言うと、また例の謎言語を唱えて光って消えた。その残光を呆然と眺めることしか出来ず、遠くに聞こえるチャイムの音だけが静かな朝に木霊した。
「………………何これ…………夢……?」
白昼夢でも見ているのだろうか。あまりにも現実離れしたこの事象に、脳の処理は追い付かず、口を開けて暫く佇むことしかできなかった。
そんなわけで、もちろんテストには遅刻した。