南極大陸
観測隊はついに南極大陸に足を踏み入れた。終戦から十年、日本は南極大陸に観測隊を送ることができた。四年後には東京オリンピックが控えている。戦争が終わったその日、玉音放送が流れたその瞬間、それまでのような、良くも悪くも人々を突き動かしていたある種の一体感は足元から崩れ去った。あの時、あの瞬間。人々の見ていた光景は多分違った。だが、確実にその記憶の帰結するところは敗戦の瞬間だった。その時の光や街のにおい、空の色。その光景が記憶に浮かんだとき、その敗戦の瞬間に立ち戻る人がいるかもしれない。蜘蛛の巣の網目の中心には、敗戦の記憶があった。観測隊の編成されたその時、次第に日本の街ができていくその時にも、どこかにその空気があっただろう。
「あの家の主は戦争で死んだ」
「女が結婚できない」
そんな言葉が巷にはまだあったのである。編成に加えられた人々、隊長である永田もまたそうした時代や場所を生きてきたし、隊員たちもまたそうであった。
旧制高校でもインテリといわれた時代、永田は帝国大学を卒業したのである。二・二六事件が起こり、東京に戒厳令が敷かれた頃永田は大学を卒業し、終戦の年、博士になった。永田の見た東京の空は、暗かった。
観測隊が編成されたとき、永田は東京大学の教授であった。永田自らが出向くその南極大陸の氷面の第一歩を、僕が一緒に踏んだ時、南極大陸の極寒の空に降り注ぐ冷たい日光がどこか暖かく感じられた気がした。
僕自身、永田のことは尊敬こそすれ実際にどんな人物だったかは編成に加わるまで知らなかった。隊員が帰還し三十年余り経った今でこそ「永田」と記しているが、今でも名前を口にするのに呼び捨てにはできないし、当時はそれはおろか書くことすらも憚られただろう。昭和天皇が崩御して三年余で永田も旅立った。かつて南極大陸を目指した僕たちは、死出の山路を目指しつつある。あの日見た日の光を、僕は未だに思い出す。あの日の光に照らされた永田の表情ははっきりとは確認できなかったが、僕にはどこか笑っているように見えた。
「君は南極大陸に足を踏み入れて何を考えた?」
帰りの道で永田に聞かれたその時のことを、声色まで精細に覚えている。南極大陸ではその気温から長く話すことはなかったが、帰りの道では緊張も解れ話は弾んだ。
「寒さもさることながら、先生の磁気学で述べられていたことががまさしく目の前で起こっていたという実感が大きいですね」
「科学というのはねーー」
永田が戦時下に志した科学という道は、その時僕が考えていたものよりも苦難に苦難を重ねるものだった。
戦時下の科学は今以上に取捨選択が厳しかった。物理学に明るい永田としては、当時の考え方から行けば当然もっと有利に働く選択肢はあっただろう。
「科学というのはね、役立つことも大切だが一番は実証できるだけの気になれるか、ということなんだ」
今思い出すと、より実感が持てる。永田が教授でありながら南極大陸という人の住めぬ地にまで出向いて行ったということは、それをやらねば永田自身の科学が成り立たないということに他ならなかった。
「だから、南極大陸にまで、ですか?」
「南極大陸に行くことが目的なのか、目的のために南極大陸に行くのかは選べないが、行くことによって証明できることと、実際に行って見ることによって発想として頭に浮かぶものがある。そこで、率直に」
「率直に?」
「君は何を考えた? どんな些末なことでもいい、実感を大切にしたいし、それが僕の研究の役に立つかもしれない。目はたくさんあったほうがいいだろう」
「光、ですかね。もっとこう研究的なことを言いたいのですが、一番の印象は南極大陸で見た光です」
「ほう、光かね。些か文学的だが、そこから何が考えられるか、また今度聞かせてほしい」
永田はメモに何か書くと、ややあって、口を開いた。
「君はオーロラについてどう思う? 僕は磁気嵐との関係が研究対象なわけだが、多分何度見ても神秘的だ、とか、綺麗なものだ、とか感じると思うんだ」
「先生でも、ですか?」
「いやだな、僕だって花を見れば季節を感じるし、美しい人を見れば人並みには何かしら思うよ。花を見ていきなり花の生態について考えたりとか、人を見て研究的に考えていたらそんな人嫌だろう?」
「確かに、あまり遊びには行きたくないですね」
「そう。研究的な視点はかえって研究すらも曇らせるときがあるんだ。南極大陸で皆のことを少しだけ観察していたけど、君は生真面目すぎる気がしてね」
そういうと永田は一息ついた。
「さて、そろそろ昼飯だね。早くかえってうどんでも食いたいねえ」
そういうと、立ち上がってどこかへ歩いていった。
「生真面目、か」
残された僕は永田の言葉を一人で反芻した。その時のことを思い出す。
その後、東京オリンピックが開催され、復興がたくさんの象徴を以て語られたし演出された。その光景をあの見た南極大陸の光に重ねる。
「親父」
息子が呼んでいる。縁側に畳まれた新聞には、国際宇宙協力協定の記事が書かれている。人はいつしか宇宙にまで足を伸ばすようになっていた。永田が亡くなって半年、正月の日差しのなかかつての出来事を空に描いた。日本の、東京の春は南極大陸のそれとは違うが、空は続いている。