憧憬
幼き日。あの日懐いた憧憬は、丁度風の凪いだ湖面に似ていた。物静かで、柔らかく澄んだ空気と紺碧の空を映し出す、そんな湖面のような清澄さを僕は夢見ていた。目に映るものがめまぐるしく変わる日々に一時の休息を求めていたのかも知れない。止まらぬ時の流れを一つの絵画として眺めたかった。
僕の夢は医師だった。片田舎に生まれたために、当時大きな病院はなく町医者も多くはなかった。祖父母と会うたびに、幼心に「僕がお医者さんになればいいんだ」と思ったりもした。いつしか、人を助けたい、そう思うようになっていた。
僕はかつて幼き日を過ごした場所にいる。長い時の中で、十五年あまりの時の中で、変わったは数えきれぬほどある。聳え立つ山と海岸線は変わらぬ風景であるし、あの時から変わっていないが、寂しさを湛えている。僕個人がそう思うのではなく、人の気配があまりない。車もたまに通る程度で、かつての商店街はそこにはない。
「あの、すみません……」
後ろから話しかけられて振りかえると、初老の女性がいた。
「はい、何か?」
「この辺に大村さんのお宅があったと思うのですが」
「……はい、数年前まではありましたが」
「今はないんですか?」
「ええ、僕も詳しくは……」
「そうですか、すみませんでした」
女性の表情はついぞ窺わなかったが、明るくないことは明白だった。十年前、あの日のことが思い出される……。
良く晴れた、風の凪いだ穏やかな昼だった。当時新任の医師だった僕は、久々の休日だった。十年前、妻と朝食を食べたあと、車で山に行った。
「今日はいい天気だね」
「うん、洗濯物が良く乾きそうだな」
「初めてのデートも確かここだったよね」
「懐かしいなぁ、五年前だっけ」
「懐かしいってほど昔でもないけどね」
「学生時代だったしさ。僕が学生で、君が社会人一年目」
「学生の時に遠くへ行きたかったなぁ」
「まあねー、僕は僕で忙しかったし、君も大変だったろうしね」
他愛もない会話を山の頂上にある小さな公園でしていた時だった。携帯電話の地震警報がけたたましく鳴った。地面がドン、と突き上げてきたかと思うと、立っていられないような激しい揺れが襲ってきた。柔らかな日差しと風の凪いだ風景が却って不気味なようにも思えた。
「病院に行かなくては」
「やめて!」
妻が叫びにも似た声で制止した。
「でも患者が!」
「あなた、ここ海の近く!」
制止を振りきろうとしたところで我に帰る。ここは確か……。二百年あまり前の石碑があったことを思い出す。津波が山の麓まで押し寄せたのだ。山の上から動くことは自殺行為に近かった。患者や他の医師が心配だったが、病院に連絡を入れようにも入れられなかった。
避難の放送が続く。その間に何度か揺れた。この山に避難してきた人々も不安そうに辺りを見回したり、しきりに家族に話しかけたりしていた。子供が泣く声が聞こえる。海岸線を見ると、何台にも連なった車が内陸部へと向かっていた。
「早くしろ、動け」
僕は心の中で車の列に向かってそう念じた。妻は僕の手を握って不安そうにこちらを見ている。いつしか避難放送は止み、街全体の人々が移民のように避難を始めていることがわかった。
まもなく地響きがし始めた。
「来た」
そう思うと、海面が上がり、海岸の石油コンビナートや逃げ遅れた車の列を一気に押し流した。津波の濁流の中に火の手が上がり、燃え広がる。山に人々が増え始める。茫然自失の人々、怪我をした人がいるなかで、目の前で親族が流されたのだろうか、取り乱して慟哭する人もいた。
「怪我はどこですか?」
「曲げられますか?」
僕はできる限りのことをしたが、とてもではないが追い付かなかった。妻も憔悴しており、混乱を極めた状況だった。凪いだ風と柔らかな日差しだけが不似合いな、群青色の空を灰色に見せる風景だった。
水が一気に海へと引いていった。あらゆるものが、海へと流されていく。ものだけではない。人も、思い出も、そこにあった夢も憧れも灰塵に帰して、海の藻屑へとなっていく。空を見ると、棲みかを失ったであろう鳥が喚きながら飛んでいる。亡くなった人々の思いを空に届けるように、何羽も空へと消えていく。
僕らは不安な一晩を山で過ごした。病院に行くと、惨憺たる風景だった。建物は難を逃れたのであるが、何人もの怪我人が呻き声を上げていた。必死に救護に追われていたが、僕の心は疲弊していった。両親の死を知ったのもこの時であるが、葬儀を挙げる余裕もなく忙殺される一方だった。
「早く! 縫合をするから!」
「何やってるんだ! 消毒!」
病院内は殺伐としていた。亡くなった人が運ばれた安置所にも足を運んだが、そこで取り乱した人が患者として運ばれたりもしていた。一月ほど経って一通り落ち着いてはじめて両親の死と向き合った。忙殺されていた頃に空いた穴は日に日に大きくなっていた。ぽっかりと空いた穴。その穴を埋めるためのパーツはあの日の中に取り残されていた。妻は妻で窶れてしまい、僕たち夫婦は一月の間に二十歳ほど老け込んだように見えた。
この街は、もう半ば死んでいる。十年前のあの日、あの時、ここを襲った災害は風化されてはいないようで、その実支援は打ち切られて路頭に迷う人も少なくない。人々が戻った地域もあれば戻らない地域もある。戻らないこの街で、僕は何ができるのだろう。僕が十年前医師だったとき、たまたま被災した経験は、僕を医学から追放した。今でも思い出すと指先が震える。有望だといわれた僕は、現在PTSDに苦しむ末端の労働者になってしまっている。
あの日懐いた憧憬のような凪いだ湖ではなく、淀んだような湖面には、僕の夢は残されてはいなかった。