春の淡雪
山には霞が立ち始めた。大風か吹いて、冬の空気を一新したその山の裾野には、寒空ながら新たな季節の萌芽があちらこちらに散りばめられていた。袖に降る淡雪も、地に落ちてはその陰を隠してしまう。手に結んだ水も、凍るような冷たさながらゆっくりと東風が氷を解かすように指の間からするりとこぼれ落ちていく。庭に咲いた白梅の薫りが艶やかな妙齢の女性を思わせる一方で、松の上の残雪が老人の白髪を思い出させた。今に目をやると、父と息子が朝食を食べている。
父ももう若くはない。かつて黒々としていた髪の毛は、白く色褪せている。皺は、人生の喜怒哀楽を背負うかのようにやや浅黒の顔の上に居座っている。息子も十歳になり、分別がついて来たように思えた。細雪が降る。淡雪は、ふわりと地に落ちてすぐに消えた。霞が立ち、立春を迎えた頃、まだ白雪のかかっていた枝に鶯が鳴くことを想像したものであるが、既に季節は春へと移っている。
テレビでは、毎日桜の開花予想が流れていた。一体何故日本はここまで桜にこだわるのだろう。そう考えていた頃もあった。あれはたしか、息子が生まれる前だった。妻の実家に行ったのが春の盛りの頃である。妻は奈良県の吉野の出身で、妻の誕生日に合わせてそちらに行った。吉野の山辺の桜が満開に咲き、春ののどかな日差しのなかに雪が降り敷いたようだった。妻は桜が好きだと言った。変わり映えしないと思っていたのだが、妻の名は桜という。満開の桜からつけられたと聞いた。ただただ桃色の桜のどこがいいのか、と思っていたのだが、どうやら彼女のいう桜というのは山桜のことのようだ。吉野の山桜を見て育った彼女は、特に思い入れがあるらしく、その時の豊かな表情が未だに瞳に焼き付いている。遠くから眺める白い山桜に、僕は妻の白く淡い肌を重ねていた。彼女の姿は霞の衣を纏った佐保姫のようだと思った。
東京で息子が生まれ、七年ほどして寡暮らしであった父が私の家に越してきた。無口な父であると思っていたが、孫である私の息子はよく懐いていた。
私が二人の食器を片付けていると、化粧を終えた妻がリビングへ入ってきた。
「お父さん、今日はどうする?」
「僕はどこでもいいけど、おじいちゃんと亮介どこ行きたい?」
「僕お台場行きたい」
亮介が口を開く。
「俺もそこでいいよ」
日曜の朝の何気ない一時は、巡る季節の中に溶けて行くように思えた。
「さて、準備はいいかい?」
「うん」
「行こう」
毎週末近くに出かけるのが、小さな楽しみで、妻も息子も楽しそうであるし、父も無口ながら穏やかな表情をしている。毎週変わらず訪れる細やかながらかけがえのない幸福だ。
二週間ほど経った。いつものようにコーヒーを飲んでから出かける準備を始める。急かす息子と化粧を終えた妻が、車に乗り込もうとしている。桜も咲き始め、花見の団体も見受けられた。
僕は車に乗り込むと、シートベルトを締める。そこで妻の電話が鳴った。
「もしもし、いきなりどうしたの?」
明るく電話に出た花のような妻の顔が翳ってゆき、やがて押し黙ると今にも泣き出しそうになっていく。ただ事ではないことが一目で明らかだった。
「ええ、わかった。旦那と代わる」
僕に受話器を渡す妻の手は震えている。
「はいもしもし、代わりました」
「突然、おじいちゃんが倒れて、それで……」
「ええ、今は……」
「あと三日が限界だと……」
脳溢血だそうである。僕自身動揺を隠せなかったが、実の父が倒れた妻はというとすっかり萎んでしまっていた。事情は伝わったようで、息子も父も俯いている。日曜の春の柔らかな日差しのなかに翳る暗雲が、空を鈍色に染めていった。
訃報が入ったのは夜になってだった。奈良に向かう道中、妻のもとに電話が入った。普段泣くことのない妻が大粒の涙を流していた。車は宵闇の中をただ走っている。朝日から逃げる夜中の小舟のように、闇夜に曳航されていく。妻の実家に着いた頃には夜が明けていたが、太陽を隅で塗りつぶしたように暗い景色がそこには広がっていた。
お通夜を終え、短い眠りから覚める。息子と父はまだ寝ている。ぼんやりと外を見る妻の肩に手を添えると、僕たちは短いひとときをただ黙って過ごした。長いような短いような、不思議な時間が流れていた。去年同じ春を過ごし、今年も春が来た吉野の山が視線の先にある。その春は去年のものとは違っていた。
食事は義兄の家族と妻の母と我々とで一緒に食べた。
「遠方からわざわざ大変でしょう、お疲れではないですか?」
義理の兄が木訥と喋り出した。初老を迎えた彼は普段は若々しい姿であるが、異様に老けて小さくなっていた。
「私はなんとかただ……」
ただ、妻や妻の母は呆けたように、ただ一点を見つめている。憔悴した妻がいたたまれなく、目をやるのも憚られた。
「そうですか、突然のことで」
落ち着いているようであるが、動揺を隠せていないのだろう、喋り方がぎこちないようにも感じられた。
出棺の時間となり、そのあとは淡々と葬儀が進んだ。喪服姿の一同は春の吉野には似つかわしくない。喪服姿の妻はさながら墨染めの桜だった。
毎年、春は来る。その春は循環しているようで二度と同じ春は来ない。同じ桜は二度と咲かず、散ればその春は終わる。桜が散るとき、僕や息子はどうしているだろう。僕はもう、鬼籍に入っているかも知れない。ただ、墨染めの涙に濡れた、今にも散りそうな桜はもう見たくはない。一段落着いて帰る時、そう思っていると妻が口を開いた。
「お父さん、あれ」
「ん、どうしたの?」
鶯の声が響き渡る庭には、藤の花が咲きかけていた。夏に差し掛かると、紫色の並みのように藤の花が咲くこの庭には、毎年時鳥の鳴き声が響く。山の時鳥は、黄泉路に通う。妻の父に会った時鳥は、今年は何を伝えに来るのだろう。
別れを告げて、車が動き出す。雨空の朝であったが、昼になるにつれて晴れてきた。
「晴れてきたな」
止まぬ雨はないし、明けぬ夜もない。毎年思い出すであろう「この春」は、一つの絵画として出来上がって額縁に飾られたかのようである。そして、その絵画の前から離れるかのように、次の絵画に向かうように歩み出した僕たち家族を待っているのはどのような絵画なのだろう。そして、息子が絵画展を開き、絵画を飾るとき、その絵画はどのようなものなのだろう……。巡る季節の中で円環する時間が、ぷつりと切れて前に進み出してきたように思えた。