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短編集  作者: 毒パンツ
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戦場

 この地は既に、息絶えつつある。焦土作戦のためか、かつてそこにあった雄大な木々と鳥の囀りはどこかに飛び去ってしまい、残ったのは焼け焦げた木々と無惨な婦人の肉体だけだった。

 そう、そこにいたのはかつて婦人だったものだった。血がこびり着いた民族衣装が腹のあたりまで裂けてしまっているが、そこにはもはや欲情すべき要素はなく、ただ、悲しみと嫌悪感、嘔吐を催すものでしかなかった。私はそれを悲しそうな目で見つめたが、彼女が寄りかかる木にぶちまけられたピンク色のゼリーを見た瞬間に目を背けてしまった。

 私が追い求めていたものは、これだったのだろうか? 国のため、そんな甘い響きはとうの昔に忘れ去ってしまった。こんな戦争に何の意味があるのだろう、この突撃は民間人の殺戮命令であり、また玉砕命令に他ならなかった。かつてルームメイトだった男の首が目の前で吹き飛んだとき、私はどんな思いだったのか、朧気にしか思い出せないのだが、今改めて思い返すと彼の最期をそんな程度にしか迎えてやれなかったことに不定形な悲しみを覚えた。

 そして、私は今この熱帯の焼けたジャングルにいるわけである。人影が動いた瞬間、私は引き金を引いた。そして、恐る恐る近づくと、うつ伏せに泣いている少年がいた。

「どうしたんだ」

 私は彼に声を掛けたが、通じないことは当たり前といえば当たり前で、彼はしわくちゃの顔のまま、怯えように後退りした。

 どいた彼の下には、この婦人がいた。私は驚愕して少年と婦人を見た。

「もしや」

 私は罪の意識に苛まれた。七つの原罪をすべて舐め尽くすよりも悔いた。この少年の前で、恐らく彼の姉である人物を撃ち殺してしまったのだ。

 だが、私の不幸はそこに止まらなかった。少年は私の視線を悟ったのだろう、ナイフを引き抜いて飛びかかって来たのだ。彼は、どんなに悲しかっただろう、悔しかったのだろう。私は必死にリボルバーの引き金を引いた。

 結果として、少年がそこに横たわっている。見開かれたままの眼球が乾き、ひび割れている。中から半透明の液体が流れ出している。私はその横に、力なく腰を落としている。喉が煙出てくるように乾いたが、とても水など飲む気分ではなかった。

 私は傭兵などに志願したことを悔いた。あの朝私が傭兵に志願することを両親につげたことを思い出す。たしか、両親も止めはしたが、私が本気であることを聞くとついに黙って頷かざるを得なかったようであり、ダイニングルームの中に流れる空気はちょうどそこにあったしなびたコーンフレークのようにしわくちゃに沈んでしまったのだった。父が悲しそうな顔を俯けたまま、鞄を持って仕事に行ってしまう。小柄な背中はより小さく見え、ハゲた頭がなんだかそのまま消えてしまいそうだった。そのまま玄関に吸い込まれると、二度と戻って来ないようにも思われた。ダイニングルームには私と母が残ったが、鉛のような体はしばらくは動きそうになかった。

 その時の母の表情が一瞬目の前の婦人と重なり、瞬く間に消えた。あの時の母も、目の前の婦人も動かないままに俯いている。囀る鳥の声はもはや私の精神をぐちゃぐちゃにかき乱すもの以外の何者でもなかった。

「臆病者!」

「人殺し!」

 そんなようにも聞こえる。私はリボルバーの銃口をこめかみに当てるが、しばらく躊躇った後に下ろしてしまった。

「臆病者!」

 私は叫んだ。周囲で囀っていった鳥も四方八方に羽ばたいて行った。

「そうだ、お前は臆病者なのだ」

「身の程を知れ」

「死にぞこない」

「糞虫以下だ」

 そう聞こえた。

 日が傾いて山際に差し掛かっても誰も現れず、二つの死骸と私がそこにいた。蝿が羽を鳴らし、婦人の額に開いた穴から絶えず出入りしている。眼球は渇ききり、ひび割れていた。目から垂れた半透明の粘液も涙のような跡を残して消え去っていた。目を背けたい。だが、背けられない。神がいるのならば、いっそうのこと私の目を潰して欲しい。そう思った。横にある土気色の少年の遺体にも甲虫がたかり、蠢いている。早くも吐き気を催す臭いが漂う。

 私の両親が渋ったのは私の今感じている後悔の理由とは別のものだったのであろう。両親は一人の倅が命の保証などありはしない戦場へ赴くのが耐えられなかったに違いない。

 私は確かに国を愛し、また、国のためならば命すらも弾にできる覚悟があった。その決意を古くからの友人に話した時も

「正直に言えば、止めたい。だが、お前を止める権利なんか、俺にはない。戦地で会おう」

 と、言葉とは裏腹のうわずった声が聞こえて来た。

 敵を狙撃した。塩素ガスを流し、塹壕から出てきた頭に一撃。勢いよく飛び散る脳髄にガッツポーズをした。ナパーム弾で窒息した敵の狙撃手を見た時には、オルガスムスすら感じた。

 だが、私の良心は死んではくれていなかった。戦闘員でない人間の殺戮など出来はしなかった。戦友たちの感覚が確実に麻痺して行く中で、私は一人違和感が否定できなかった。軍から支給された覚醒剤を拒否し続けたからかも知れない。

「お前も吸えよ。やってらんないだろ? 吸ってないと」

「いや、いいんだ」

「いらないなら貰っちまうぜ?」

 聞こえた方に麻痺薬を投げ渡した。

「こいつらは何のためにこんなところまで来たのか」

 と内心毒付いた。敵の降伏まで徹底的に戦うのが本分ではないのか。

「占領したとこの女と一発やってきたぜ」

「おお、それで?」

「泣き叫んでうるさいから、コイツで腹をざっくりと」

 私の横では軍用のナイフを腰から外して自慢している目つきの気持ち悪いのがいた。

「ひでえな、おい」

 髭の濃い軍人が下卑びた笑い声のままに応答した。股間がほんの少し盛り上がっている。多分酷くお粗末なものなのだろう。

「そこで良いこと思いついたんだ。そのあと腹にぶち込んでやったんだよ、俺の45口径マグナムをな」

「おいおい、どうだったよ?」

「悲鳴あげやんの。人間なかなか死なないもんだな」

「最高なファックだな」

「うるせえから鼻っつらぶん殴ったら余計喚くんだぜ? そこで餓鬼が家に入ってきたんだよ。しばらく固まってからだんだん青ざめてきて」

「そこで女が『あなたは逃げなさい』って言うのか? ありがち過ぎるな」

「いや、言う前にぶち殺したよ」

「女を?」

「餓鬼をだよ」

「ははは、ファンキーだなお前」

「女の表情がたまんなかったね」

 そんな会話とテントの異様な空気が思い出された。いつしか、目の前の女と犯されて殺された女を重ねていた。

 犯された女の最期までは聞いていなかったし、聞く気にもなれなかった。この目の前の女は即死だった点、まだ良いのかも知れない。これは戦争なのだ。何が起こるかもわからない。現に、次々と占領した地もすべて我々の手の届かないところに行ってしまい、我々はすでに玉砕している。半年でこの様である。中立国の軍事介入など誰も予想しなかった。戦地では人が死ぬ。戦友たちも、あの下衆野郎も、今頃虫の餌になっているに違いない。そうだ、私は悪くない。何にも悪くない。悪い訳がない。仮に悪いのだとしても、それは運が悪いだけなんだ!

「糞虫」

「鬼畜な卑怯者!」

「非道な人殺し!」

「死ぬ勇気も生きる勇気も罪を認める勇気もないのか!」

「愛国心を盾に人を殺したんだ!」

「そうだ、殺して歓喜していたじゃないか、あれほど!」

「臆病者! 血に飢えたくせに臆病な糞虫!」

 そんな声が鳥獣の声や銃声に混じって聞こえてくる。風が私に押し寄せて来た。二つの死体は眼があった場所をこちらに向けている。風がそこからさらに押し寄せる。腐臭がさらに漂う。その場にへたり込む。震えているリボルバーを持つ手はいつ暴発させるともわからぬままに、にやつきながら汗を吐き出していた。いっそうのこと、壊れれば楽になれるのかも知れない。ぶち壊れそうになるほどの炎と、冷たくとがった刃とが心の中を錯綜し、いがみ合い、狂気の殺し合いを始めた。右手は相変わらず、リボルバーを抱えたままににやつき、左腕は興味なさげに肩からぶら下がる。両足はガクガクと踊り出している。右足に至ってはそのままどこかに跳ねて行きそうだ。瞼は気怠げで、上がってはくれそうにない。毛穴は引き締まり、毛が逆立つ一方で、汗腺は汗を吐き出したい放題に吐き出しまくっている。歯は上下で対峙し、当たっては引きの攻防戦をいつまでも繰り広げていた。

 なんだかもう、私の体が私から乖離して、パーツごとにひとりでに歩き出しそうな気がしてくる。私とはなんなのか。そうだ、人殺しだった。目の前の二つ死体がどんどん腐敗していく姿が浮かんで来た。死体がゾンビのようになり、蝿が飛び回り、蛆が歓喜しながら貪りまわり、やがて屍蝋を撒き散らしてスケルトンが出来上がった。黒い穴はずっとこちらを見ている。見つめている。穴のあくほど。朽ちた骨はいつしか風化し、崩れる。死体のあった地面から眼光が放たれる。嘔吐! 嘔吐! 嘔吐!

 私はその場に反吐を吐き出した。腹の中のものは既に消化されきっていたのか、ただ黄緑色の胃液がその場に吐き出されただけだった。吐き気を催させた二つの肉塊は依然こちらをみている。彼らが肉塊に変わったのはいつぐらいだっただろうか。空には宵の明星が輝きだしている。

 軍のテントに戻る気はしなかった。戻ったとしても、既に潰されているだろう。仮にまだ人間がいたとしても、私は敵前逃亡で撃ち殺されるに違いない。

 そもそも中立国の軍事介入が悪かった。彼らのした駆け引きはただ、この不毛な戦争を長引かせただけだった。たしか、その国は世界市場から締め出され、困窮を極めていると聞いた。良い様だ。

 いつの間にか、空は黒くなっている。良心の呵責とでも言うべき感情も黒ずみ、消え入りそうになっていた。先程の感覚もなくなり、統一された体がそこにはある。右手が狡猾に笑った。

 立ち上がる。足を前に進める。死体の片方を見下げた。少年の死体も冷え固まっていた。なんとなく服を引き裂く。

「それでいい」

 右手の狡猾な笑みが今度は脳髄に引っ越していた。丸裸にされた少年の頸動脈を軍用ナイフで切り開く。逆さ吊りにして、血を抜いた。ズボンのポケットを探ると、ライターがあった。手頃な枯れ枝に火を点ける。火が灯ると、二つの死体が明暗を持って立体化した。

 少年の方を捌く。胸骨の下から下腹部へ刃を滑らせ、骨盤の上で左右に切れ込みを入れて腹腔を開いた。赤黒い液体とともに、起伏ある管や巨大な豆みたいなものが顔を出した。それらを引き抜く。

 人体模型のようになった少年の大腿部をナイフで削ぐと、火に翳した。兎に角腹が減ってきたのだ。

 先程までの良心の呵責みたいなものが急に馬鹿らしくなってきた。目の前の肉が旨ければ何の問題もない。

 肉を噛み締める。祖国で食べたTボーンステーキ程ではないが、なかなかジューシーだった。悦に入っていると、もう一つの死体が目に入る。

 私はそこで「最高のファック」をした。冷たいのがまた良いと思う。人間、危機的な状況の時ほどやりたくなるらしい。私はナイフで死体を突き刺しながら、死姦することに最高の興奮を覚えた。千切れた腸管がはみ出てくるのが実に蠱惑的だった。

 最高のファックを終えた時、女の体はもはやよくわからない肉片になっていた。私はそれを近くにあった蔦に引っ掛けておいた。私の最高の仕事を誇示したかった。テントの中で股間にテントを立てていたあいつらのように。

 幸い、弾薬はまだ充分にあった。次の獲物を狙うだとかは考えていないが、仲間の生き残りはいないか探そうと思う。さっきのことを自慢してやろう。それでから、みんなで後のことは考えればいい。そんなことを考えながら、私の足は自然とテントのあった方に向かっていた。何故かはわからない。ただなんとなく。殺されてもいいかも知れない。何故なら私は最高の仕事をしてその証を残したからだ。高笑いを上げながら一晩中歩いた。人影を見つけては引き金を引いて回った。敵軍はもうほとんどいないようだった。

 テントについた頃には翌朝になっていた。驚いたことに、テントはまだ無傷で残っている。上官がこちらを向くと驚いたように手を振った。

「生存者だ!」

「早くしろ、引き揚げが決まった!」


 そこから先はよく覚えていないのだが、確か医療行為を受けていて朦朧としていたと思う。軍を完全に抜けた頃には、あの最高の仕事からもう一年経っていた…………満たされない。何か満たされなかった。最高の仕事だと思っていたものがまったく足りないものに思えてきた。あれこれと想像をたくましくしていくうちに、またあの感覚に襲われた。そして、私の眼は、アイスクリームを持った少女に行ったり、子どもを抱える若い母親に行ったりした。あの女をそこに重ねては想像をたくましくした。ああしていれば! ああ! ああ!

 私はストリートにいる娼婦を雇った。ホテルまで連れて行くと言って、指定の三倍程握らせておけば、欣喜雀躍として私の後ろを歩いた。



 あとは――簡単だったさ。あんたの言った通りだ、検事さん。最高の仕事だっただろ? なあ?


 ――彼はその数年後に電気椅子に送られたと記憶している。六十名あまりの彼の最高の仕事の取引相手は、三倍の料金と片道切符だけを渡されて、口を塞がれてしまった。

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