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第二話 記憶障害


 僕は無事こうして退院はしてはいるのだが、現在記憶を一部失ってしまっている。

 記憶障害というものはすべからくそうなのかもしれないが、それにしたってあまりにも、あまりにも僕にはその自覚がない。


 知らない記憶が無い、という表現が正しいのかは分からないが、有り体に言えばそうだった。


 例えばこれに関する記憶がないとか、この時期からその時期の記憶がないとか、そんな感じがあっても良いだろうと思うのだが、どんな記憶を失くしているのだか見当もつかない。


 一応、医師によれば、記憶障害が生じている時期は大方高校一年の終わりあたりから二年への春休みあたりになるんじゃあないだろうかということだったのだが。


 しかし。


 その間の学校へ通っていた記憶や授業の内容、友人に彼女が出来たことなどは覚えているし、丁度その間に始めたゲームの操作方法も問題なかった。その課金額だって覚えている。もっとも、これは忘れてしまいたかったが。


 無くした記憶を、知らないのである。


 医師に言わせるとその知らないことこそが記憶障害の証拠ということで、ふうむなるほどと納得しないでもない。

 そんなものなのかな、程度である。


 今のところ記憶障害の影響による目立った不自由はない。

 入院していた時期もほとんど春休みと被るので、心配事といえば新しいクラスに乗り遅れた形になるためうまく馴染めるだろうかという不安と、なぜ入院するようなことになってしまったのかの二点に尽きる。


 ただ後者について、周りの人間は一切を教えてくれない。何らかの配慮なのだろうとは思うのだが、教えてくれたっていいのにと思ってしまうのは、やはりそれを知らないからなのだろうか。




 さて目の前の男に話を戻そう。


 順当に考えるなら初対面の人間だから知らないということでいいのだろうが……。

 こういう時は大抵望まない方へ物事が展開する気がするし、そうでないことを願えば願うほど逆側に叶うというか、フラグが立つというか――マーフィーの法則だっけ。


 中でも有名な一例に確か『カーペットの上でバターを塗ったトーストを落としてしまった時、バターを塗った面を下にして落ちる確率はカーペットの値段に比例する』があったはず。

 要は、カーペットが高級であればあるほどバターがべっとり付いてしまうという意味だ。


 失敗する余地があるなら失敗する。


 まあこれはユーモアの一種、諺の一種なのだが、これをただのユーモアと捉えることも逆にこれが真実になりそうで、なかなか馬鹿にも出来ない。


 呪いみたいだな。


 すなわち、この状況下では、記憶障害の今最も会いたくない人物像である「向こうは自分のことを知っているのに自分は覚えていない相手」に当てはまる可能性が高そうだということだ。


 もし本当にそうなら、逆に何か記憶の手掛かりにならないだろうかと必死で容貌を観察しようとするのだが、なぜだかまるでゲームのグラフィックの限界みたいに、顔がぼやけてよく見えない。

 僕のどの部分なのかは分からないが、認識が出来ていないような感覚だ。


 目がまだ慣れきっていないのか? それとも視力が落ちたのだろうか?


 ともあれ、顔が分からないからといってさすがに近寄ってじろじろと見る訳にも行かないので(もし初対面であったならば一巻の終わりである)、見える限りを観察してみる。


 年齢は、強いて言えば自分より少し上くらいに見える気がする程度で、微塵も確信が持てない。だが、少しだけ窺える顔やオーラから、美形なのはすぐに分かった。

 実を伴う雰囲気イケメンという訳である。

 「雰囲気だけ」のイケメンではなく。


 深目の帽子を被った艶のある黒髪で、鼻は高く口元に浮かべた魅力的な笑みは、それだけで他の単なるイケメンらとは一線を画していることを匂わせる。

 上手く言えないのだが、どこか風格というか、貫禄があるのだ。心地よい威圧感、みたいな。

 変な日本語になってしまったが、そのようなものを感じた。


 が、そんなことより。

 本当にこの男は誰なのだろう。


 こうして悩んでいる間にも彼は、

「頭は痛まないのかい? もう治ったのなら今日はなぜこんなところに? ああ、いやそうか、まだリハビリ中なのかな?」

 と、やはり僕と知り合いであるかのように喋り続けている。


 これほど気まずいものもないと思ったが、早く言わねば気まずさは増すばかりである。

 僕は持てる限りの申し訳なさを顔一杯に浮かべて、あなたのことを全くもって知らないんですが、もしも会ったことがあるのなら、最近記憶障害を患ったからそれで忘れてしまったんじゃないかと思います云々と伝えた。

 すると彼はにやりと楽しそうに、こともあろうかこんなことを言った。


「やはりね、いやそうなんじゃないかとは思っていたんだ。まあどちらにしろ、実際初対面でね。覚えていなくとも大した問題ではない。ていうか覚えてたらそれはそれで怖いよ、ストーカーじゃん」


 そうなら最初からそう言え。そんな距離感じゃなかったぞ。

 これが初対面というなら、なおさら気になることがある。


 そうでなくともまず聞きたいところであるが……。


「それで、あなたは誰で、僕にどんな用ですか? そもそも、どうして僕の名前を……」

 と当然に尋ねると、彼は涼しげにこう答えたのだった。


「ああ、私は以前、死にかけていた君を助けたんだよ」

 と。


 そしてそんな衝撃的な発言の後に平然と、


「名前を知ったのもその時だね。大丈夫、君が気にする必要もなければお礼も必要ない。いやまあ、くれるものは拒まずありがたく頂戴する構えだがね、ハーゲンダッツとかね、ゴディバのアイスとかね、フレーバーのチョイスは矢祭君のセンスを期待するとしよう」


 と、付け加えたのだった。

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