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花の歌、剣の帰還  作者: 天谷あきの
第八章 ウルクディア

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ウルクディア(3)

 だから次に目を覚ました時には用心した。目を閉じて、呼吸も変えないように注意して、姿勢も変えずに周囲の気配を探った。部屋の中には誰もおらず、静まり返っていた。


 舞は目を開けた。辺りは真っ暗だった。ふつふつと腹が立ってきた。

 一体どういうつもりだろう。


 寝台を出て、部屋を横切って窓を開けると、格子がはまっていた。格子だ! 人をなんだと思っているのだろう! 睨みつけた外も、すっかり夜だった。ただ銀の月が望に近いので、辺りは結構明るい。正面、少し離れた場所に塀が見える。ここはどうも塔の上のようだった。見晴らしはかなり良かった。真下に見事な庭園があり、この季節でもできる限り、彩りのある植物が配されているようだ。だからといって感謝する気はさらさら沸き起こって来ないけれど。空腹なのが更に神経を逆なでした。なんて節操のない胃袋だろう。窓を閉めて厠へ行って寝台に戻って憤然と寝たふりをした。そのまま考えた。考えるうちに怒りは少しずつ鎮まった。消えはしないが、落ち着いて考えられるようになってきた。そう、ギーナ=レスタナの力を借りると決めた時に、半ば覚悟していたことだった。まさかここまでやるとは思わなかったが。


 以前、ランダールに言われたことがある。王が交代すれば、ティファ・ルダの継承権を請求できるが、どうするか考えておけ、と。ギーナ=レスタナの狙いはティファ・ルダだろうか? それとも【最後の娘】に売った恩に対し、最大限の見返りを求めようというのだろうか? 口約束では信頼できないというのだろうか?


 舞は寝たふりをやめて寝そべって、寝台に肘をついて考えた。ウルクディアは同盟の中でも新参で、しかも王のお膝元だった。王が代わった時に他の都市に併呑されず、せめて今までの地位を保とうと、同盟に加わったのだろうと、エルヴェントラも言っていた。確かにその状態で、第一将軍の娘と【最後の娘】を手に入れて色めき立ってしまうのはわからないでもない。しかしこれはやりすぎだ。こんなところで寝ている暇はない。感謝はしているし、出来る限りの礼を尽くしたいとは思っているが、舞の意志を無視して見返りをぶんどろうなんて根性は許せない。


 かちりと、扉が鳴った。燭台の柔らかな光が入ってきた。

 舞はそのままの姿勢でいた。たぶんあの侍女が来たのだろう。薬を飲ませたのだから、起きる時間もだいたいわかっているはずだ。ニーナならたぶん、相手を油断させるために、自分が非力で何も出来ない存在だと思わせるために演技をしただろう。だが今の自分に出来るとは思えなかった。腹が立ちすぎていたし、あんな手段でギーナ=レスタナの執務室にずかずかと入り込んだのだから、今更手遅れというものだろう。


「起きていらっしゃいましたか」


 入ってきたのはあの侍女、それから召使いと医師だった。舞は起き直って、三人を見据えた。


 睨み癖のある侍女は平然としたものだった。彼女は燭台と湯飲みを持っていた。召使いは食事の載った盆を掲げたまま目を伏せ、医師はうつむいていた。舞はしげしげと三人を見て、言った。


「おはようございます。よく眠れました。お陰様で」

「それはようございました。お食事を」

「今は結構です。厠も済ませました。もうすっかり元気になりました。お医師様のご尽力に感謝します。レスタナ殿にお目にかかりたいのですが?」

「その前にお食事とお薬をどうぞ」


 侍女は言って、召使いに合図をした。彼女はうつむいたまま食事の載った盆を持ってきて、寝台の隣の卓に乗せた。一礼して引き下がると、湯飲みを持った侍女が入れ替わるように前に出て、言った。


「召し上がらないとお体が持ちませんよ」

「お風呂に入りたいんですけど」

「明朝ご案内します。召し上がらないのですか。ではお薬をどうぞ」


 舞が睨むと、侍女は冷たい笑みを浮かべた。


「飲まれませんか。流れ者はまだ幾人か館に残っていますよ」


 ――なんてことを。


 自分でも表情が変わるのがわかった。食事の盆を持ってきた召使いが息を呑んで後ずさった。年かさの侍女は平然と進み出て、舞の手に湯飲みを乗せた。ほかほかと湯気の立つ、匂いのない、透明な液体が入っている。


 医師が顔を上げた。そして舞を見た。


「お飲みください」


 皺深い顔が優しい、穏やかな、微笑みを浮かべた。医師は軽く片目をつぶった。


「明朝までどうぞごゆるりとお休みください」


 舞は湯飲みを睨んだ。表情から怒りが消えないように気をつけた。それから年かさの方の侍女を睨んで、出来る限り冷たい声で言った。


「あなたのお名前を伺いたい」

「【最後の娘】ともあろうお方が――」

「あなたの名前になんの用があるのか、わからないわけではないでしょうね。命じなければなりませんか。そう、エスティエルティナはウルクディア兵が清めたまま、まだ私のそばに戻されていないようですが、あの宝剣は私を選んだ。遠ざけても無駄です。明朝には、私のそばにあるでしょう。――命じられるまで言う気はありませんか。そうですか」


 舞は微笑んだ。


「この私を、取るに足りない小娘だと思いますか」


 侍女はわずかに身じろぎをした。


「……コリーンと申します」

「覚えておきます。二度と忘れません」


 舞は言って、湯飲みをあおった。今度の薬はかすかに甘かった。

 眠くなるまでに少し時間がかかったことを思い出して、食事の盆に向き直った。空腹だった。この食事にも薬が入っていることはないだろう、たぶん。フォークを肉のかたまりに突き刺すと細かな肉汁が飛んだ。すごく柔らかい。寝台に腰掛けて、わざと脚をぶらぶらさせながら、噛みついてもぐもぐ噛んだ。柔らかな肉は肉汁をたっぷり含んで舌の上でとろけるようだったが、美味しいと認めるのは業腹だった。でも全部食べてしまいそうだ。その辺り、舞は素直にできている。


「食欲もおありのようですね」


 医師が言う。食べても大丈夫ということなのだろうかと、舞は思う。そして食べながら考えた。流れ者はまだ幾人か館に残っている、とコリーンは言った。よくも言えたものだ。ギーナ=レスタナは、報酬を立て替えたいと言っていた。流れ者を追い出したいのだろうか。そうかもしれない。アルガスに会わなければと思った。アルガスはまだ残っているだろう。ヒリエッタ=ディスタがどうなったのか聞かなければならない。そもそもヒリエッタには聞きたいことがあったのだ。こんなところでぐうぐう眠っている暇は本当にないのに。


 と、ごつん、と扉が鳴った。続けて、ごつん、ごつ、ごつん、と続けざまに鳴る。まるで苛立った誰かが扉を叩いているかのように。


 召使いが小走りに扉に向かった。誰が来たのかと思っていると、彼女が悲鳴を上げた。舞は振り返って、エスティエルティナが飛んできたのを見た。コリーンも初めて狼狽の声を上げた。


 宝剣はなめらかに空を滑って、寝台の上に一度静止して、緩やかに降りた。舞の手が届く場所に。舞は無言で宝剣を取り上げて、三年前と同じだ、と思いながら鞘を抜いた。コリーンと召使いが後ずさり、医師は身を乗り出した。


「お美しいですなあ……」


 炎は消えていた。また誰かに入れてもらわなければならない。

 汚れはすっかり清められ、曇りひとつなかった。つやつやと、濡れているかのように光っている。刃毀れもひとつもなく、鍛えられたばかりのようなたたずまいだ。舞は満足して、鞘に収め、小さく縮めた。柄には革ひももちゃんとついていた。ぽん、という音と共に小指大になったそれを、いつものように首にかける。


 そして食事に戻った。エスティエルティナに追いかけ回されることをこれほどありがたく思ったのは初めてだ。かすかな重みは、いつしか自分の一部のようになっていたのだと言うことを思い知った。これがあるだけで、心強さが格段に違う。


 と、廊下で物音が沸き上がった。数人の言い合う声と足音がこちらへ向かって来、ややして扉が叩かれた。どけ、下がれ、という声も聞こえた。召使いが再び恐る恐る扉を開け、立ちすくんだ。


「宝剣が飛んで来たか?」


 男の声が訊ねた。廊下に数人の兵がやって来ているようだ。召使いは廊下を見回して、気圧されたように頷いた。


「え、ええ。【最後の娘】の元へお戻りになりました」


 彼女は宝剣に対しても敬語を使った。兵は部屋を覗こうとはしなかったが、念を押すように続けた。


「危険はないんだな。魔物が来たわけではないんだな。ただ宝剣が戻っただけなんだな? ――そうか。ほら、聞こえたろう。心配ない。部屋に戻れ」

「まだ目は覚めないのか」


 言ったのはアルガスの声だった。召使いが首を振った。「見せろ」フェリスタの声が言い、舞は廊下へ走り出ようかと一瞬思った。でもそうしたら医師の配慮がばれてしまう。それにコリーンが近づいて来て、囁いた。


「お眠りください。今すぐ。絶対声を立てられませんよう。流れ者を危険にさらしたくはないでしょう」


 何という言い草かと、舞はコリーンを睨んだが、コリーンは既にきびすを返していた。流れ者と兵たちの押し問答が少し高まり始め、今にも部屋に入りそうになっている。舞は仕方なく上かけを被って寝たふりをした。目を閉じる。舞が思っていたよりも、ウルクディアはなりふり構わないようだと、少しだけ不安になった。


「何事です、騒々しい。宝剣はお側に戻りましたが、【最後の娘】の意識はまだ戻りません」

「おかしいじゃねえか、毒を受けたのは姫だけじゃねえ。俺もだ。俺ぁもうぴんぴんしてるぜ」


 フェリスタはぴんぴんしている。舞は思って、ほっとした。


「あの方をどなただと思うの、お前は。お前などよりよほど力がお強いのです。その分毒が回るのだとお医師様が」

「見せろ」


 アルガスが言った。舞も驚くほどの怒りがこもっていた。コリーンも鼻白んだようだった。


「流れ者風情がこのお部屋に――」

「どけ。あの姫君は気にしねよ」

「寝室ですよ。男が入っては」

「へええ、俺ら流れ者を人間の男と認めてくださるとは、どうした風の吹き回しだ」

「あの方の評判に疵がつきましょう。弁えなさい」

「下がれ!」


 兵が怒鳴って、剣を抜く音がした。わずかの隙にコリーンは扉を閉めた。外の騒動が遠のき、舞は不安になって耳をそばだてた。大丈夫だろうか。まさか斬り殺しはしないだろうし、あのふたりが素直に斬り殺されるはずもないのだが、でも――


「ちょうどお薬も効くころでした。もうお休みですよ」


 医師が静かに言った。コリーンは静かに舞のところへやって来て、上かけをめくった。狸寝入りをイーシャットからたたき込まれたことを心底感謝した。しかし令嬢としての待遇を受けている今も必要になるとは思いも寄らなかった。


 コリーンはしばらく舞を見ていたが、騙されたようだった。ほっと息をついて、上かけで舞の肩をくるみ込んだ。そしてさらにため息をついた。


「……宝剣は持ち主から離れないと聞いたことはありますが、まさかこのような手段でとは」

「文字通り離れないわけですなあ……先ほど宣言されたのを感じ取ったのでしょうかね……」

「主の部屋の戸棚にしまってあったはずですが、どうやって出たのでしょうね」

「――レスタナ殿を診察に行った方がよろしいかもしれませんな」


 コリーンは一瞬沈黙した。


「……お願いしますわ」

「では参りましょう。朝までぐっすりお休みのはず。見張りもいりますまいな」

「そうですね。それより流れ者の見張りを増やした方がよろしいようですわ。まさかこの部屋まで押しかけてくるとは――」


 三人は密やかに出て行く。廊下の騒音は完全に収まってはいなかったが、かなり遠ざかっていた。扉が閉まって、闇と静寂が落ちる。ギーナ=レスタナは仰天しただろう。エスティエルティナに追いかけ回された三年前のことを思い出して、舞は笑いをかみ殺した。エスティエルティナは主の元へ来るためなら本当に手段を選ばない。戸棚にしまって同じ部屋でぐっすり眠っていたとしたら、心臓に大打撃を受けたに違いない。


 医師の優しい微笑みを思い出した。見張りもいりますまい、と言った声も。今朝は本当によく効く薬を飲ませたのに、今はどうして渡さなかったのだろう。今朝から今までの間にどんな心境の変化があったのだろうと思いながら、舞は起きあがった。暗闇の中で思案する。


 舞はここに閉じこめられる、らしい。少なくともギーナ=レスタナとコリーンはそのつもりだ。第一将軍が来れば少しは事態が変わるだろうか? だがアイオリーナも舞と同じ立場のはず、否、第一将軍がまだ同盟に与する態度を見せていないのだから、彼女の方が舞より窮屈なはずだ。アイオリーナも舞も、第一将軍に会えるかどうか、今となっては心許ない。アイオリーナはシルヴィアのことで悲嘆に暮れているとギーナは言っていた。それならばそうっとしておくべきだろうが、しかし。


 明日の朝までしか時間がない。医師が明日も舞の味方をしてくれるとは限らない。舞はうろうろと部屋を歩き回って頭を整理しようとした。

 まず流れ者に会わなければならない。そしてヒリエッタの状況を聞こう。ヒリエッタはたぶんどこかに閉じこめられているはずだ。聞きたいことがある。だが、


「ヒリエッタが口を割るとは思えない……だから……やっぱり……ヒリエッタに会わせろと言い張るよりも、推測の段階だけど、先にエルヴェントラに伝えた方がいいのかな。使えるものは何でも使えってイーシャットも言ってたし。手紙を書いて、それで、でも、レスタナ殿が出してくれるとは思えないし……流れ者の見張りを増やすとか言ってたな……どうやって近づけばいいだろう……」


 寝台に戻って燭台を掴み、火をつけた。それから文机に向かった。とりあえず手紙を書こう。そして、何とか流れ者に会って、届けてくれるように頼もう。ウルクディアから出せなくても、リヴェルはここからすぐのはずだ。


 そして舞は便せんを取り出して、アイオリーナの手紙に気づいた。

 本当に恋に落ちそうだ。





 手紙を書き終えて、舞は衣装戸棚を覗いた。今着せられているのはふんわりとした真っ白な夜着で、このまま外へ出るのは差し障りがあり過ぎる。けれど、戸棚はほとんど空っぽだった。あるのはふりふりがふんだんについた豪奢なドレスが二着で、これならば夜着の方がマシだ。足音を忍ばせても衣擦れの音で周囲が目覚めそうだ。しかたなく戸を閉め、家捜しをした。当然のように何もない。着ていた旅装はどこへいったのだろう。左袖が切り裂かれていたし、血もついていたし、捨てられていそうな気がすごくする。


 仕方なく寝台の上かけの中に枕を入れてふわりとさせた。人がもぐりこんで眠っているような形に整える。それから、廊下の気配をうかがってから部屋を出た。


 廊下は薄暗く、ひとけがなかった。ただ、遠くで人の話し声のようなささめきが聞こえていた。ここはやはり塔のようで、廊下は短かった。舞のいた部屋と、扉がもうひとつしかない。もうひとつを覗くとそこは風呂場だった。洗濯物もなかった。仕方がないので夜着のまま二階へ下りた。人の話し声は少し大きくなった。どうやら一階の階段の、上がり口で誰かが立ち話をしているようだ。


 舞は二階を見回した。ここには扉が四つあり、人の気配が満ちていた。召使いの詰め所なのかもしれない。一番右、気配が感じられない場所を覗くと、そこは上と同じく風呂場だった。次の部屋には誰かが起きているようだったので素通りして、その次の部屋に滑り込んだ。扉をそっと閉めて、辺りを見回した。


 ひとり部屋のようだった。この部屋にいた人間は寝ているところを起き出したらしく、寝台の上かけがめくれていた。衣装戸棚を覗くと、目当ての召使いの制服が下がっていた。それも、二枚だ。持ち主が、洗濯に出して戻っていないのだと思い込んでくれますようにと祈ってから、一枚拝借した。舞には大きいようだが、背に腹は代えられない。


 部屋を滑り出ると、階下の話し声が少し高くなっていた。


「――まだいたのですか。いい加減諦めなさい」


 コリーンだ。舞はそっと扉を閉めて、階段に走った。

 そのまま三階へ行こうかと思ったが、


「娘っ子に会うまで帰れねえっつってんだろうが」


 フェリスタの声がそう応じたので足を止めた。コリーンが嗤った。


「お目通りがかなうと思っているの、流れ者風情が」

「いやだからさ。あんたら全員口を揃えてそう言うがよ。娘っ子が会いたくねえっつってんなら本人からそう言わせろ」

「身分を弁えなさい。本来ならおそば近くに寄ることを自分で遠慮するべきなのよ。おそばに寄るだけであの方の御身が汚れるわ。全く流れ者などを雇われるとは、ルファルファの愛娘ともあろうお方が」

「遠慮するような神経があるなら流れ者なんかやってねえ。それにあんたの意見は聞いてねえよ。娘っ子の口から聞かせろ」

「報酬はもうもらったのでしょう。これ以上何を望むの」

「だから何度も言わせんな。俺らだっていたくているわけじゃねえんだ。娘っ子の口から仕事は終わりだと聞くまで、これ以上ひとりも出ていかねえからそう思え」

「――おかわいそうだこと」


 コリーンの声が冷たさを増した。冷笑も滲んだようだ。フェリスタが聞きとがめた。


「なんだって?」

「たとえ話をするわ。高貴な身分でありながら、自ら剣を抜いて、魔物の前に出て行く令嬢がいるとする。勇気がおありだこと。そして行動力もおありだことね。おそらくは剣の訓練を受けて、自らの身をご自分で守れる技量をお持ちなのでしょう。そんな方が、毒が抜け、体調も戻ったら――お前たちの主張するように、わたくしが薬を渡したとして、それを唯々諾々と飲む方だと思うの、お前は。理由があるのでしょうねえ。飲まなければならない理由が。それは何だと思う」

「――」


 フェリスタは絶句した。コリーンは楽しそうに嗤った。


「おかわいそうだことねえ。誰かが居座れば居座るだけ、飲みたくもない薬を飲み続けなければならないとは。わたくしはお前たちを追い出す気はないのよ。ただ煩いから部屋に戻れと言っているだけ。いたいだけいてくれて構わない。食費もかからないし。その方が好都合というものよ」

「あんた……」フェリスタはいっそ感心したように呟いた。「ろくな死に方しねえだろうな。今雷に打たれねえのが不思議でたまらねえよ」

「何の話? わたくしはたとえ話をしただけよ。【最後の娘】はまだ毒が抜けきらず、お医師様の許可が下りないだけ。おお、冷えること。良く休みなさい、屋根のある場所で眠れるだけありがたいと思うがいい」


 舞は硬直を振りほどいて三階へ戻った。心臓がざわざわしていた。階段をコリーンが密やかに上がってきた。三階まで来るかと思ったが、気配は二階へ入っていった。扉が開いて、そして閉じる。それからしばらくの間、舞はそこでうずくまっていた。


 甘かったのだろうか、と、思った。

 ウルクディアの手など、やはり絶対に借りるべきではなかったのだろうか。


 それでも。それでも、ウルクディア兵の手は絶対に必要だったのだ。だからこの事態は避けられるものではなかった。アイオリーナ姫を助けられなかったなら、こんな事態では済まなかった。


 それでも。


 コリーンが、そしてギーナ=レスタナが、そうまでして流れ者を追い出したがっているという事実が舞の肝を冷やした。つまるところ舞は警戒されている、ということなのだろう。そして舞を手伝う者を全て、排除しようとしているのだろう。『食費もかからない』とコリーンは言った。食事も出されていないのだろうか。流れ者は今の話を聞いてどうするだろう。舞に会うのを諦めて、門から出て行ってしまうだろうか。


「何でそうまでして閉じこめなきゃならないんだろう……」


 口約束では信用できないからというならば、証文を取ればいいだけの話ではないだろうか。舞はエスメラルダの名を背負っている。踏み倒したりしたらエスメラルダの名も地に落ちるのだ。踏み倒すわけがないとは思わないのだろうか。それでも、ティファ・ルダは確かにまだ舞の名義ではない、だから、カーディス王子に頼み込んで譲り受け、それを更にウルクディアに渡す、その手続きをちゃんと経るまでやはり不安なのだろうか。けれどこんなことをして舞の心証を悪くする利点はどこにあるのだろう。


 舞にはまだ、自分で気づいていない存在価値が、もしかしてあるのだろうか――


「出て行く前に会わないと……」


 舞は呟いた。出て行くならばそれでも仕方がない。これ以上流れ者を縛り付けておく権利など舞にはない。だからどうしても会って、話をしなければ。まだ礼も言っていないし、報酬を渡す段取りも付けていない。それに自分が寝ている間に何があったのかいろいろと聞いて、事態を把握して、コリーンに立ち向かう方策を練らなければ。


 舞は廊下で手早く着替えた。紺色のワンピースを着、白いふりふりのついた前掛けをつけ、前掛けとおそろいの、白いふりふりのついた髪飾りもつけた。一度部屋に戻って、脱いだ部屋着を丸めて寝台の中につっこんで、書いた手紙とアイオリーナの手紙を持って、再び部屋を滑り出た。


 二階に下りて、そのまま一階へ続く階段へ足を踏み入れた。階下にはまだ何人か残っているようだった。踊り場の手すりの陰に隠れて耳を澄ませた。あれほどのことを言ったのだ。コリーンがひとりで流れ者に相対していたわけがない。手すりからそっと覗くと、やはり、階段の上がり口に兵士が三人、いた。剣を抜いて、階段を守っている。


「……ここに一晩中いたって仕方ねえな……」


 フェリスタが呟くのが聞こえた。


「何か疲れちまった。足が痛えし、戻って寝るわ……」

「それがいいな。荷造りでもしてろ」


 答えたのはジェスタ=リンドの声だった。舞は舌打ちしたい気分を堪えた。ジェスタ=リンドがいては、この制服姿でもごまかされてはくれないだろう。


「お前らも大変だなあ、あんなばばあにこき使われて。寒いだろうに一晩中ここに立ってなきゃいけねえってのも大変だな。酒でも飲んで暖まったらどうだ」

「……」

「おら、行こうぜ。通してもらえそうもねえしよ、起きてると腹も減る。なんだかげんなりだ。寝ちまうに限るな」


 言って気配が動いた。周囲の流れ者たちも、応じてぞろぞろと歩き始めたようだ。リンドが不安そうに言った。


「……下手な演技だな。油断させようとしてもそうはいかない。ここの人数は減らないし、酒も飲まないし、朝二番の鐘まで交代しないぞ」

「なんだ、そうかよ。残念」


 フェリスタは苦笑したようだ。


「まあいいさ。疲れたのも眠ぃのも確かだ。でもお前ら良く平気だな、仕えるべき相手を間違えてんじゃねえのか。ああ、厭だ厭だ。流れ者は自分の意志で雇い主を選べる、気楽でいいねえ」


 言いながら遠ざかっていった。舞はここを通るのは諦めて、二階へ戻った。右から二番目の扉と三番目の扉は人がいた。では一番左端はどうだろう。


 無人だった。さい先がいい、かもしれない。滑り込んで、周囲を見回した。ここも召使いの部屋のようだが、寝台には覆いが掛けられており、使われた形跡はない。覆いを外して、たたまれた寝具の中から敷布を掘り出して裂いた。つなぎ合わせて、途中に結び目をいくつか作って、綱を作った。寝台に覆いをかぶせてから寝台の足にしっかりとくくりつけ、窓を開いて辺りを見回した。


 どの部屋の窓もちゃんと閉まっている。コリーンの部屋もこの並びにあるはずだ。

 夜中に起き出して窓を開けて周囲を見回したりしませんように。舞は祈ってから、窓枠を乗り越えた。

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