ウルクディア(2)
部屋の中は真っ暗だったが、こういう部屋の間取りは大体同じになっているものだ。アルガスが燭台を灯した時には、アイオリーナは文机のすぐそばにまで来ていた。燭台を持って来てくれたので、アイオリーナは文机に座った。そして気づいた。目が覚めて部屋から出してもらえないと分かったら、姫は退屈するだろう、何かできることはないかと考えて、そのうち、手紙を書こうとするはずだ。
「文机の中に隠しましょう。ああ、そうだわ。便せんの二枚目に書けばいいのよ。そうでしょう。手紙を書こうと一枚外したら気づくわ」
「いい考えですね」
アルガスが言った。姫の方を気にしているようだ。アイオリーナはさらさらと手紙を書いた。
「わたくしの筆跡だと分かるかしら――エスティエルティナ=ラ・マイ=ルファ・ルダ、拝啓。ぜひお目にかかりたく、わたくしの部屋までいらしてくださるか、わたくしをご招待くださるよう、ぜひご尽力されたし――敬具。アイオリーナ=ラインスターク。そう、わたくしの部屋までの行き方も書いておきましょう。階段を降りて一階の廊下をずっと進んで、向かいの階段を三階へ上がった正面の扉、と。さあ、これでいいわ」
アイオリーナは羽筆を丁寧に拭って戻し、書いた便せんを乾かして、白紙の便せんを一枚重ねた。じっと見つめて、透けて見えることに気づき、もう一枚重ねた。これでよし。文机の中に便せんと羽筆と墨壷を戻して立ち上がり、蓋を閉じて椅子を押し込むと、燭台を持って姫の方へ行った。
三人はゆったり眠れそうな大きな寝台のすみっこに、うずくまるように眠っている。
あんまり静かなので、息をしているのかどうか、不安になった。
目許が赤くなっている。うなされたのだろう。黒髪が枕の上に広がって、折れそうなほどに華奢に見えて胸が痛んだ。おいくつなのだろうと思った。自分とあまり変わらないように見える。七年前には、いったいおいくつだったのだろう。
カーディスは彼女の生存を知って、喜んだだろうと思った。彼女は先日王妃宮に行ったそうだから、その時会っただろうか。
それをアルガスに聞こうと思った時だった。
廊下で、咳払いの音がした。
アルガスが無言で燭台を吹き消した。アイオリーナは消えた燭台を握ったまま、寝台の下にもぐりこんだ。アルガスも続いた。大きな寝台で助かった、と思う。
ややして廊下で、人の話し声が聞こえ、
そして扉が開いた。
入って来たのはどうやら侍女と医師のようだった。燭台の明かりがゆらゆらして、絨毯を踏むかすかな音と、侍女のきぬ擦れの音が動いた。アイオリーナは掃除が行き届いていることを喜んだ。くしゃみなどしては大事だ。
ふたりは寝台を回って姫の隣へ立った。ことり、と、台の上に燭台が置かれた音がする。
しばらくして、低いしわがれた声が言った。
「……ふむ。だいぶお熱も引きましたな」
「お起こしいたしますか?」
「とんでもない。眠れるだけ眠った方が回復も早いというもの。傷と火傷も――いいようですな。やはり流れ者の処置が早くて何よりでした。方法を知っている者がいて幸いだった。明日にはすっかりようなられましょう」
「明日には? ――そんなに早く?」
「毒が抜ければそれほど大した傷でもないですからな。よく冷やしたようですし、跡も残らず綺麗に治りましょう。本当に良かった。遅れたら毒が抜け切らず、左腕を失うところでした。だがこの方は、大丈夫ですよ、お若いですし、」
「……しばらく面会謝絶というわけには」
まだ続けようとしていた医師は、ぽかんとしたようだった。
「は? なぜです? 必要ありません。今夜ぐっすり眠ればもうすっかり回復なさいます。エスメラルダに知らせを出し、迎えを頼んでもよろしいかと」
「それでは困ります。何ぞお薬など出してはいただけませんか」
「薬ですと?」
「しっ」
侍女は声を低めた。
「お分かりでしょう。この方は激務が続いてとてもお疲れのご様子。ようなられましても今しばらくはご滞在いただき、ゆっくり疲れを癒していただきたいと代表はお考えです。エスメラルダにお戻りになりましたら、お休みになる暇などございますまい。代表のご子息君は明後日の昼にはご到着なさいます。ぜひ【最後の娘】にお会いし、お近づきになりたいと言っておられますし。お分かりでしょう?」
「それは……なんと。本気ですか? 【最後の娘】であり同時にディオノスの養女であられる方ですぞ、身分の釣り合いというものが」
「そのことはお医師様にご心配いただくには及びません」
「そのような……いけません。断じて。無用な薬などお飲みにならない方がいい。お疲れというならば、ご自宅でお休みになるのが一番ではございませんか。わたしはティファ・ルダで――」
「それでは別のお医師様をお呼びすることになりますが。……次のお医師様も、ティファ・ルダに敬意を払う方だとよろしいですわねえ」
侍女の声は低く迫力があった。医師はしばらくの沈黙の後、低く呟いた。
「……承りました」
「ありがたいこと。主も喜びましょう。お医師様のご尽力、主にお伝えしておきますわ」
ふたりは出て行った。侍女は燭台を忘れていった。戻ってくるかと思ったが、廊下の流れ者と何か言葉を交わし、そのまま歩み去ったようだった。アルガスは無言で寝台の下から出て、アイオリーナが続くと、彼は燭台の柔らかな光に照らされた姫をつくづくと見ていた。アイオリーナは借り物のドレスの埃を払い、アルガスを見上げて、その瞳が藍色に染まっているのを見た。そして不謹慎ながらも少し、ドキドキした。表情は変わらないのに、怒っているのだと、それも心底、本気で、激怒しているのだと、わかって。
アルガスが姫のそばについているのは、カーディスから護衛を命じられたため、だけ、なのだろうか。違うのではないだろうか。シルヴィアは知っていたのだろうかと、ちらりと思った。
「……一日くらい平気よ。あれくらいの年の医師が、ティファ・ルダのディオノスの養女に、害をなすはずがない。わたくしが明日仮病を使うわ、そして医師に釘を刺しておく。ねえ、聞き分けて頂戴、ここで連れ出したりしたら余計に事態がややこしくなるわ。この燭台、元あったところへ戻して?」
「……」
「大丈夫よ。確かにお疲れの様子だもの、一日ぐっすり眠るのはいいことかもしれないわ。どちらにせよお父様が来るまで動けないのよ、早くても明後日、恐らくはその次の日でしょう。それまで寝るくらいしかやることがないの。お父様が来てレノアが乗り込んで来てくれたら、代表殿にも今の侍女にも、ご子息君にも、思い知らせてあげられるわ――」
「令嬢というのは大変なものですね」
アルガスはため息をつき、燭台を受け取って、アイオリーナを促した。アイオリーナは先に立って部屋から出て、廊下のデイルに礼を言い、燭台を戻して出てきたアルガスを振り返った。
「流れ者には流れ者の苦労が。令嬢には令嬢の苦労がある。姫だってまがりなりにもエスメラルダの王女の地位にある方ですもの、鍛えられているはずよ――少しは」
「到底そうとは思えねえなあ」
デイルが揶揄した。
「戸籍を板っきれと言い切るようじゃな。どう見てもあの娘は令嬢よか流れ者向きだ」
「板っきれですって? 戸籍を? ……まああ」
「【最後の娘】もティファ・ルダも放り捨ててとっとと流れ者にでもなりゃいいものを。案内してえ奴は大勢いそうだしよ」
そうね、と、アイオリーナは思った。その筆頭が、ここにひとり。
「……それができれば苦労はしないわね。それじゃあお休みなさい。どちらか、送っていただけない? わたくしは人の足音や気配をうかがうなんて出来ないもの」
アルガスがうなずいて足を踏み出し、アイオリーナはほっとした。アルガスが残っていたら、姫を担いで逃げ出しかねないと思った。そうする方がいいのかもしれないと、ちらりと思ったが、それではエスメラルダもエルギン王子もウルクディアも困ることになる――百害あって一利しかない。その一利はとても重いのかもしれないが、それでも思い止どまってくれてありがたいとアイオリーナは思う。
アルガスの瞳からは藍色が少し薄れて、不思議な瞳だと今度も思った。あの時も驚いた。アルガスに初めて会った時だ。
階段を降り始めた頃、アルガスがアイオリーナを見て、口を開いた。
「……覚えていらっしゃらないとは思いますが」
「あら、何を?」
「昔お会いしたことがあります。ずっと謝りたいと思っていました。十年前になるか――養父がお父上を訪ねて行った際、」
「まあ、覚えていたのね。ええ、わたくしも覚えていてよ。今ちょうど、そのことを考えていたところ」
外見は呆気に取られるほど全く違うが、瞳の色が変わるのはあの時と同じだ。そう、もう十年も昔になる。アイオリーナは八歳だった。彼の養父が父を訪ねて来て、話の間、ひとりで庭にいたアルガスを遊びに誘った。てっきり女の子だと思ったのだ。アイオリーナとしてはお気に入りの人形を貸してあげて、精一杯の友好の意を示したつもりだったのに。
一階にたどり着き、長い廊下の気配をうかがいながら、しばらく歩いた。来たとき同様、館の中は静まりかえっている。ようやく通り抜けて、再び階段を上がる頃、苦笑を含んだ返事が聞こえた。
「……覚えていらしたんですね」
「ええ。傷ついたもの。あれはわたくしの一番大事な人形だったの、こんなもの呼ばわりされるとは夢にも思わなかった。歓迎したつもりだったのに。でもレノアに言われたのよ。男の子に人形を貸しても困るだけですよって。レノアはすぐ男の子だってわかったのねえ……ヴィードおじ様から聞いていたのかもしれないけれど。でもあんなに怒らないでも、と正直思ったわ」
「本当に申し訳ありませんでした。あまり皆に女みたいだとからかわれるので、拒否反応が。帰ってから後悔したんですが、謝りに行くのもなかなか難しく、そのうちお目にかかれるような身分でもなくなったので」
ずっと気にしていたのか。てっきりもう忘れていると思っていたのに。アイオリーナは笑った。
「いいわ、今謝罪も聞きましたし、許してさしあげてよ」
「ありがたい」
三階に着いた。ルードが、大丈夫だというように頷いて見せた。アイオリーナはほっとして、アルガスに膝を折った。
「それじゃあ、お休みなさい。どうもありがとう。なんとか連絡するわ」
「お願いします」
アルガスの返事を受け、ルードにも挨拶をして中に戻った。誰も来ていないようで、何も変わったところはない。アイオリーナは文机に座って、デボラとシンディへ手紙を書いた。一度扉を開け、それをルードに手渡してから、部屋に戻って事態を整理した。これ以上は何も出来ないと確認して、寝台を覗いた。鴉はまだアイオリーナと一緒にいてくれるつもりらしい。寝台の上で丸くなって眠っている。鴉が出たくなった時のために開けておいた窓を閉めて、寝台にもぐりこんだ。姫と連絡を取るのに、この鴉に手伝ってもらうことは出来るだろうか。
枕に頭を乗せるとさまざまな事柄が頭を駆け巡った。シルヴィアのこと、姫のこと、魔物が言ったこと、アルガスのこと、シルヴィアのこと、カーディスのこと、ヒリエッタのこと、シルヴィアのこと、ギーナ=レスタナの人の良さそうな、でも油断のならない様子――ルーウェン=フレドリックに、シルヴィアのことを伝えなければ。手紙にはルーウェンのことも書いてあった、別れを告げたことも、最後にこの人のことが好きになりそうかもしれないと思った、ということも。それはルーウェンに伝えよう。手紙を見せてもいい。身勝手かもしれないが、ルーウェンには、いつまでもシルヴィアのことを想っておいてほしいから。
どうかカーディス王子と末長く幸せに。
手紙の最後にはそうあった。アイオリーナは目を閉じた。幸せに。幸せに。カーディスの償いに巻き込まれること、それがわたくしの幸せなのだと、シルヴィアに話しておきたかったと――思った。
*
目が覚めてみると、部屋中に大勢の人間がいた。
舞が目を覚ましたと知るやその人たちはわらわらと寄って来て、舞の体を起こさせたり、容体を聞いたり、額に手を当てたり口を開けさせて覗き込んだり水を差し出したり服を脱がせたり湯気を立てる布で体を拭いたりして、舞は呆然としながらされるままになっていた。事態がさっぱり分からなかった。綺麗な柔らかい服を着せられるころになってようやく、呟いた。
「あのう」
「お熱も下がりました。乱暴でしたが、やはり流れ者の処置が良かったですな。ただ今日一日は、寝台からできるだけお降りになりませんよう」
「……はあ」
「お薬は食後にお飲みください。眠くなることがありますが、よく――効きますのでな」
年老いた医師はそう言って、深々と礼をすると、数人の人間を引き連れてしずしずと出て行った。それでも残った人間は五人はいた。三人は舞のそばできびきびと立ち働いていた。後のふたりは戸口のそばに並んで、用はないかと待ち構えている。
いったいこの事態は何だろう。
泣いたまま眠ってしまったのだろうと察しはついた。目が腫れぼったいが、頭はすっきりしていた。しかしアルガスはどこにもいない。舞は辺りを見回した。呆気に取られるほど広い部屋だった。寝かされていた寝台も、四人は並んで眠れそうな広さだった。すみっこにうずくまるように眠っていた自分がちょっといじらしい。本物の令嬢だったなら、きっと眠っていても堂々としているだろう。
「厠へ行かれますか」
侍女が訊ねた。舞はきょろきょろするのをやめた。
「あ、あ。はい。行きたいです」
「ではこちらへ。お手を」
「いえあの、自分で……」
じろりと睨まれた。年かさの侍女は迫力があった。自分ひとりで行きますと言える雰囲気ではなかった。舞は手を引かれて厠へ連れて行かれ、さすがに中までは入ってこなかったが、済ませて出るや再び連行された。歩きながら考えた。体調はだいぶいい。傷が痛むがそれは通常の痛み方で、マスタードラとのけいこ中にはこの程度のケガ、日常茶飯事だったのに、この重病人を扱うような態度は一体なんだろう。
寝台に戻って座ると、背中に枕を居心地良く挟まれて、足は毛布に包み込まれた。既に毒はすっかり抜けていた。もう寝ているようなケガでもないのに。
「お食事は」
「は、はい。いただきます」
答えるや戸口に並んでいたふたりがいっせいに動き出し、見る間に寝台のとなりに食事の支度が整えられた。粥ではなかったのでほっとしたが、
「……自分で食べられます」
言ってみたが再び睨まれて、観念して口を開けた。食事は美味しかったが、食べた気がしなかった。
食べ終えてもアルガスも他の流れ者も顔を見せなかった。召使いの数は減ったが、三人は残って静かに動き回っている。舞は居心地が悪くて身じろぎをした。
「あの。アルガス=グウェリンは……」
睨み癖のある侍女がこちらをみた。
「アルガス=グウェリン?」
「私と共にいた流れ者です」
「流れ者?」
眉が跳ね上がり、舞は何かおかしいことを言っただろうかと身じろぎをした。
「今どこにいるのでしょう。昨日ケガをした人達の容態も聞きたいし、呼んでいただけません……か」
「流れ者を? この部屋に? あなた様のお側に?」
「だ、ダメですか。でも昨日、」
「昨日?」
侍女は舞に向き直った。さらに迫力が増した。
「警護が必要だからというので扉の前までは許しましたが。まさかこの部屋に入ったわけではないでしょうね。流れ者風情が、夜中に、【最後の娘】のお側に、近づいたわけではないでしょうね?」
ひいいいい、と舞は思った。
「は、入ってません、断じて」
「そうでしょうとも。わたくしどもとて今こうしてお世話させていただくだけで身の縮む思いですのに」
――嘘だ。
「何かご不便はございませんか。事後処理も済んで、兵の手が空きましたから、今朝からは兵があなた様の警護をいたします。流れ者は相応の待遇を受けていますからご心配なく。傷もかすり傷みたいなものですし」
「そうですか。あの……」
「何でしょう」
「お名前を伺ってもよろしいですか」
「ご存じないですか。あなた様をおもてなししていますのはウルクディア代表、ギーナ=レスタナでございます」
「それは存じています。あの、あなたの」
「わたくしの?」
侍女は呆れたようだった。
「【最後の娘】ともあろうお方が、侍女などの名前に何の御用でしょう」
何で怒られるんだろう。何だか泣きたくなって来た。
「必要な場合は手を叩いてお呼びくださいませ」
「手、を?」
「ご自宅におられる時と変わらず、どうぞおくつろぎください。すぐに主がご挨拶に参ります。お薬をどうぞ」
「薬……ですか」
もうどこも悪くない気がするのに。よく効きますから、と言った医師の言葉が思い出された。何に効くのだろう。ケガに? 火傷に? ガルテならば塗り薬をくれそうな気がするのに。
それでも差し出された湯気を立てる器を、舞は受け取った。ほわほわと湯気が顔に当たる。舐めてみると味はそれほどなく、湯とあまり変わらなかった。かすかに苦い、という程度だ。
「お飲みください」
侍女が命じた。仕方なく飲んだ。マーシャがいてくれればいいのに、と思った。マーシャならば抗いたいという気分も起こさせずに、必要な薬を気持ち良く飲む気にさせてくれるのに。
冷たくて威圧的な侍女は舞が全部飲んだのを確認すると、やや満足げに頷いて器を受け取った。自宅にいる時と変わらずにふるまったらこの人は卒倒するかもしれない。早く出て行ってくれないかと思っていると、扉が叩かれた。戸口の召使いが誰何する。
「どなたですか」
「代表がお見えです」
「主が参りました」
はっきり聞こえたのに、侍女が繰り返した。
「どうなさいますか」
「お、お通ししてください。ぜひ」
まさかどうするかと聞かれるとは思わなかった。もし嫌だと言ったらどうしたのだろう。代表でさえ追い返したのだろうか。まさか。
小太りの小男がしずしずと入ってきた。笑顔はとても柔和で、禿げ頭は今日もつるつるだ。舞は寝台から降りようとしたが、ギーナと侍女が押し止どめた。
「どうぞそのまま。――おはようございます、【最後の娘】」
「おはようございます。昨日は本当にありがとうございました。そして今も、お世話をかけまして」
降りるのは諦めて頭を下げると、ギーナはにこにこした。
「とんでもございません。お役に立てて幸いです。ご不便はございませんか」
「いえ、本当に良くしていただいています。あ、」
「なんなりと」
「後で結構です。手紙を出したいのですが」
「承りました。あちらの文机に必要なものはすべて揃っております。ご自由にお使いください。同盟に加えていただいてから、エスメラルダから鳩も届いております」
ほっとした。舞は微笑んだ。
「お手数をかけます」
「なんの」
「アイオリーナ姫はいかがお過ごしでしょう。よかったら後で……」
「そうですな。ただしばらくは……お妹君のことで、だいぶお嘆きのご様子。もう少しお時間が必要ではないかと……」
「そうですか……わかりました。流れ者たちのケガの具合はどうでしょうか」
「もうすっかり良いようですぞ。頑丈な者たちですからな。もしあなた様さえよろしければ、報酬を立て替えさせていただきたい。次の仕事が控えているから早く受け取れないものかと問われましてな。報酬さえもらえれば彼らもどこへでも行けます。将軍がお着きになるまでここに閉じこめられるのも、流れ者には窮屈でしょう」
「……そうですか」
そうなのかもしれない。それならば急いで、礼を言いに行かなければならない。立て替えてもらうのはしょうがないとしても、アルベルトの屋敷の中まで入ってくれて助かったと言いたかった。彼らが入ってくれなければこんな軽傷では済まなかっただろう。もうすっかり体調もいいし、ぜひ会わせて欲しいと、言おうとして、頭が重いことに気づいた。驚いて、額に手を当てた。さっきまであんなにすっきりしていたのに、急にどうしたのだろう。思う内にも眠気が襲ってきて、頭を振った。でも眠気は去らなかった。
眠い。
「……お疲れですか。まだ体調が、」
「アルガス=グウェリンを呼んでもらえませんか……」
必死で呟いた。召使いがわらわらと寄ってきて、背から枕をどけ、寝かそうとするのに抗えなかった。ギーナが近づいてくる。おかしい、と思ったが、眠くて考えられない。
「彼の場合は報酬を渡せばいいというものではないんです、この先どうするか……聞かないと……」
「承りました。どうぞお休みください。ごゆるりと」
かすむ目の中に、何か確かめるようなギーナと侍女の顔が見えた。まさか、と思ったが、意識が途絶えた。
よく効きます、と言った医師の言葉に、嘘はないようだった。




