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花の歌、剣の帰還  作者: 天谷あきの
第七章 シルヴィア=ラインスターク

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シルヴィア=ラインスターク(14)

「どうぞ、お座りください。目をどうなさったの。この部屋には長椅子というものがないようなの、こんなにいろいろと揃っているのに。こちらに寝台が」

「いえ――」

「いいから、お座りください。顔色が良くないわ。なんということかしら、わたくしのために。本当に申し訳ないわ」


 アイオリーナは有無を言わせずに舞を寝台まで引っ張っていった。周囲をぞろぞろとみんながついてくる気配を感じて笑いたくなった。この人はちょっとニーナに似ている、と思った。シルヴィアが何度も言っていた。優しくて大好きな姉なのだと。


 シルヴィアの声が聞こえた。


 ――アイオリーナの思い出を、あなたに話したわ。

 ――きっと、アイオリーナのことを、好きになってくれたでしょ。


 本当だと、舞は思った。話しておいてくれて、本当に良かった。


 程なく寝台に座らされ、アイオリーナの気配が舞の右手を取ったまま、隣に座った。


「さあこれで話が出来るわ。わたくしはアイオリーナ=ラインスターク。わたくしのためにご尽力くださって、本当にありがとうございます。お怪我まで……なんと申し上げていいか」

「どうかお気になさらないでください。本当にご無事でよかった。私は、【最後の娘】、エスティエルティナ=ラ・マイ・ルファ=ルダ。マイと、言うのが、名前なんです。変でしょう」

「とんでもないわ。姫、ね。……それから、ティファ・ルダの最後のおひとりだとも、聞きました。生きていてくださったのね。父も――喜びますわ」


 アイオリーナはそう言って、舞の手を軽く叩いた。もう知っているのだから、これ以上気にしなくていいと言うのだろう。舞は呼吸を整えた。告白しなくていいのはありがたい。特にこのような体調では。


「……そうですか。どなたから聞かれましたか」

「あそこにいる、ヒリエッタ=ディスタから」

「近くにいるんですね。やっぱり」


 ヒリエッタは少し離れた場所にいるようだった。どこにいるのかはわからなかった。感覚が鈍り始めていて、部屋の中に何人くらいいるのかすらよくわからない。頭の中がわんわんする。


「やっぱり。とおっしゃるのね」

「アリエディアで、ウルクディアに向かったと聞きましたから」

「そうなの。……ヒリエッタ、こちらにいらっしゃいな。そんなに離れていては話がしにくいわ」


 ヒリエッタがアイオリーナの言葉に応じて、こちらにやってきたのかどうかも、舞にはわからなかった。痺れが足の先まで届いているのに唐突に気づいた。急がなければと、舞はアイオリーナの手を握り返した。


「伺いたいことが。今朝、ラインディアのご自宅で、ヒリエッタ=ディスタからの贈り物を受け取りましたね」

「ええ。……やはり、今朝訊ねてこられたのは、あなた方だったのね?」

「そうです。中身は何でしたか。教えていただけますか?」

「鈴よ」アイオリーナは舞の右手をそっと持ち上げて、右の方へ向けた。「あちらにある卓の上に今もあるわ。真っ黒の、光沢のない鈴」


 鈴。舞は眉を寄せた。


「振りましたか」

「……ええ。テッドが……ああ、我が家の従僕なの。十歳の生意気な、かわいい男の子よ。あの子は大丈夫かしら」

「ケガはしましたが、大丈夫だろうということです。鈴……」


 鈴の音が、アルベルトを呼ぶのだろうか。今も近くの卓の上にあるという、それを、しかし振ってみるなんて出来るわけがない。舞は迷いを振り払って、言った。


「すべて推測でしかないんです。でも……今朝あなたはラインディアのご自宅にいらっしゃいました。私たちもちょうどあなたと、あなたのお父上を訪ねてきたところだったんです。そしてここはウルクディアです。あなたも、私たちも、ほんのわずかな時間で、ここに来た」


「ええ。不思議でたまらない」

「私たちは【穴】を通ってきました」

「穴?」


「穴としか、言いようがない。空間の裂け目のようなもの。そこに入ったらウルクディアでした。だからあなたもクレイン=アルベルトによってそこを連れてこられたんだと思います。魔物にはそう言う力があると、思わないではいられない事態が何度も起こりました。アルベルトは【アスタ】に入り込みました。それから草原の民の国にいたという確かな情報がある頃に、王妃宮にも入り込んで、私たちの目の前で消えました。半月ほど前にも私たちの進路に突然現れた。そう言うことが幾度も重なって」


「先ほどもだわ」アイオリーナが口を挟んだ。「外にいた魔物が、ここに急に現れたの。全く突然だったわ。その後は消えたりせずに、戸口を抜けて窓から出て行ったけれど」


 それではアルガスに斬りつけられたアルベルトが消えたのは、ここに来たからなのだと、舞は思った。ヒリエッタが呼んだのだろう、


「鈴の音は?」

「何かは聞こえた。でも鈴かどうかは」

「……そうですか。すみません、本題を、申し上げます。魔物が出現する場所にはいつも、ヒリエッタ=ディスタがいるんです」

「言いがかりだわ」


 ヒリエッタの声が初めて聞こえた。存外近くだった。舞たちの左手、窓の辺りにいるらしい。


「なんの証拠があってそんな――」

「証拠なんてない。でもそうとしか思えない。あなたはちょうどあの時に【アスタ】にいた。ビアンカを呼び出していたのはあなただった。王妃宮にもいた、それから、私の帰る道を通って」

「――そしてここにもいたわ」


 意外にもアイオリーナは舞の肩を持った。舞は頷いた。


「私はヒリエッタ=ディスタがラインディアに向かったと思ったんです。それであなたに警告をしなければと思って、ラインディアに行きました。けれど、途中で、ヒリエッタがウルクディアに向かったとわかって。でもあなたに荷物が届いて」

「それで荷物を開いた直後にさらわれて、目覚めてみたらウルクディア。ヒリエッタ、あなたのいる場所にね」

「アイオリーナ様! どうして【魔物の娘】などを信じますの、どうして! わたくしたちがさらわれたのはこの人のせいではありませんの!」


 ヒリエッタが憤然と床を踏みならした。舞は目を閉じた。表情を変えずにいられたかどうかわからなかった。ヒリエッタの言葉がわんわんと頭の中を鳴り響いたが、部屋中に思いがけず怒気が沸き起こって舞の気をそらした。何人かは剣さえ抜いたようで、ヒリエッタが息を飲み、アイオリーナがぴしりと言った。


「ヒリエッタ=ディスタ。その口を閉じなさい。あまり愚かなことを言うものじゃないわ」

「アイオリーナ様!」

「自分を貶めるだけだというのがどうしてわからないの」


 アイオリーナが、舞の手を握る力を少し強めた。しっかりしろと、言われた気がした。

 舞は呼吸を整えた。


「――ヒリエッタ=ディスタ。あなたに聞きたいことがあります。私が【魔物の娘】だと、どこで知ったんですか。知る人はまだ、本当に一握りしかいません。あなたに話した覚えはない」

「……それは」

「それからもうひとつ。あなたはシルヴィア姫の失踪した晩餐会の、二日後に、【アスタ】に現れた。どうやって移動したんですか。ラインディアから、ウルクディアまででも、旅馴れた者の馬で二日半はかかるというのに――」

「――ヒリエッタ」


 アイオリーナが舞の手を放して、立ち上がった。なにも見えないが、アイオリーナのいる辺りから、何か壮絶なものが立ちのぼった気がした。


「そうだわ。あなた、シルヴィアと一緒に休んだ人たちの中にいたわね」

「アイオリーナ様……」

「答えなさい、ヒリエッタ=ディスタ。そうだわ。シルヴィアも忽然と消えた。先ほどのわたくしのように、なのかしら。あなたなら、眠っているシルヴィアのそばで鈴を振るなんて、簡単だったはずだわね」


 ヒリエッタは沈黙した。目が見えなくて良かったかもしれない、と舞は思っていた。今ヒリエッタがどんな表情を浮かべているのか、見ずに済むのはありがたい。アイオリーナはしばらくヒリエッタを見ていたようだが、答えないと知ると、こちらを振り返った。


「そうだわ。先ほど、気を失う寸前にね、シルヴィアの声が聞こえたの」


 不意打ちだった。舞は硬直した。舞の表情を見て、アイオリーナはかがみ込んできた。


「あなたがシルヴィアを連れて帰ってくれたのじゃないの? あの子は今どこに? あの子は――」

「そのお話は、また後では、いけませんか」


 ここには大勢の人間がいる。せめてふたりだけの時にしたかった。シルヴィアが今どこにいるのか、本当にまだ鴉に残っているのか、舞にはもうわからない。アイオリーナは舞の右手を握り締めた。


「あの子はどこです。お願い、もう待てない。あなたはシルヴィアを知ってるのでしょう、会ったのでしょう、生きて、いるのでしょう――?」


 その声が、あまりに悲痛で。

 抗うことができなかった。


「あなたのそばに、いらっしゃると、思います」


 言うだけで、心臓が締め付けられるような気がした。舞はアイオリーナの手を掴んだ。


「鴉がいませんか。私が見たのは、さっき、アルガスの肩に乗っていたところまでです。ガス、シルヴィアは」

「窓辺に」


 アルガスの静かな声が聞こえる。アイオリーナはしばらく動かなかった。

 そして、体を起こした。


「……なんですって?」

「ごめんなさい。お連れするのが遅くなりすぎました。シルヴィア姫は体を失ってから……鴉に宿ったんです。精神だけ」


 アイオリーナは呻いた。


「嘘よ」

「本当なんです。手紙も預かりました。首に若草色の首飾りをしていませんでしたか。【穴】を通るときに落としたのかもしれませんが」

「持って――いたわ」

「それはある人が作った不思議な道具なんです、それをつけている間は、普通の人みたいに話すことが出来ました。私と……仲良くなってくださって、あなたのお話もいろいろ聞かせてくださいました。手紙も」


 舞は上着の隠しを探った。大切な手紙は、アルベルトとの対決にも負けずにちゃんと懐に残っていた。


「手紙も預かりました。あなたに渡して欲しいって」

「……」


 差し出した手紙を、アイオリーナは無言で受け取った。かさかさと、便せんが乾いた音を立てた。


 ややして、アイオリーナは寝台に座り込んだ。便せんを胸に抱きしめて、しばらく動かなかった。涙の匂いがした。シルヴィアはどうしているのだろうと、疑問が兆した。羽音も聞こえない。窓辺で、ただ黙って、うずくまって、アイオリーナを見守っているのだろうか。シルヴィアが残っているのなら、何か言ってもいいはずなのに。

 と。


「……ヒリエッタ」


 低く低く、アイオリーナが言った。ヒリエッタが息を呑んだ音が聞こえた。


「鴉は……あなたを攻撃したわ。あなたは首飾りを隠したわね。首飾りがないと話せないのね、そう。話されては困るからだったのね、ヒリエッタ」


 アイオリーナは立ち上がって、歩いていった。ヒリエッタのいる方にではなかった。たぶん衣装戸棚の方だろう。

 ややして、


「あったわ。……どうぞ」


 見つけてきた首飾りを窓辺の鴉にかけたのだろう。舞は息を呑んでシルヴィアの声を待った。けれど鴉は何も言わなかった。アイオリーナもしばらく待ったが、


「……ヒリエッタ」


 アイオリーナは泣いてはいなかった。ひどく壮絶な憎悪のにじむ、声音だった。


「何をしたの。わたくしの……わたくしの妹に何をしたの!?」


 ヒリエッタが悲鳴を上げて、数人が動いた。アイオリーナが掴みかかったのかもしれない。兵か流れ者がアイオリーナを抱き留めて、アイオリーナはもがきながら叫んだ。


「答えなさい、答えなさい、ヒリエッタ=ディスタ! わたくしは――」

「アイオリーナ姫」


 舞は立ち上がって、アイオリーナの方へ行った。アイオリーナの手が左腕をつかみ、忘れていた激痛が走ったが、舞は、彼女の体を抱き締めた。


「ほんのちょっと前まで残っていらしたんです……本当にごめんなさい。もっと早く、お連れするべきでした」

「どいて頂戴、姫、どいて」

「あなたを気にかけておられました。本当に優しい人でした。今は、どうか。ヒリエッタにはまだ聞かなければならないことがあるんです」


 ヒリエッタが動いた。数人の気配に囲まれて、離れて行く。アイオリーナが舞の肩に顔を伏せた。すすり泣きが聞こえた。左腕を放して、舞の体にすがりついた。


「生きててくれるって……思ってた。死なせてしまうなんて。この上……死なせてしまうなんて……」


 舞は黙ってアイオリーナの背中を撫でた。しばらく経って、アイオリーナは、わずかに顔を上げた。


「あなたが謝ることじゃないわ……本当よ。あなたが背負うことじゃない。シルヴィアは……わたくしのせいで。ラインスターク家の一員になったの、お父様もわたくしも、想像もしなかった、シルヴィアが……身分のせいでほかのか、かたがたから、どう思われるかなんて、何をされるかなんて、考えもしなかった。わたくしのせいであの子はつらい目にあっていたの、気づきもしなかった、そのうえ、そのうえ、第一将軍の娘だからという理由でさらわれて、こ、殺させてしまうなんて、」


「アイオリーナ姫」


「何もかもわたくしのせいだわ。あの子には何もして上げられなかった。他の人たちから守ることさえ、王の手から守ることさえ! あんなに綺麗で可愛くて、何でも上手にできたのに、ラインスターク家の娘にさえならなければ、シルヴィアはきっともっと幸せだったわ――」


『しあわせだった』


 唐突に、聞き馴れない男の声が割り込んだ。鴉だ、と、舞は思った。アイオリーナは動きを止めた。


『あんたと、あんたに、あえて、しあわせだったって。だいすきだ、って』


 大人の男の声なのに、たどたどしい、子どもが話すような言い方だった。


「シルヴィア……?」

『もういない』


 鴉は言って、ため息に似た音を漏らした。


『……さみしい』


 アイオリーナが鴉の方へ手を伸ばした。舞から少し離れて、鴉を胸に抱き締めたようだ。すすり泣きが聞こえる。舞が座り込んでいると、アイオリーナが、呟いた。


「ごめんなさい。……ごめんなさい。おケガをされているのに……どうぞ休んで。ごめんなさい。話してくださって、感謝します。お願い、ふたりにして、ください」

「はい」


 舞はうなずいた。アイオリーナが、最後に舞の右手をそっと握って、放した。


「ありがとう、【最後の娘】。あなたの御恩は忘れません」

「いえ……失礼します」


 立ち上がろうとした。数人の手が差し出され、我勝ちに舞を支えようとした。そのうちひとつの腕がしっかりと支えてくれて、歩きだすうちにそれがアルガスの腕だということに気づいた。絨毯を踏む足がふわふわして、自分の足で歩いているのかどうか、自信がもてなかった。


 もうへとへとだった。悲しくて、寒くて、惨めで、疲れきっていた。なにも考えずに、眠ってしまいたかった。


「リンド殿」


 歩きながらアルガスが言った。


「ヒリエッタ=ディスタを、先程頼んだとおりに」

「了解した」


 少し前でリンドの声が答えた。と、ヒリエッタが動いた。唐突に、誰かの腕を振りほどいて、近くにあった卓に飛びついた。がたん、と卓が揺れ、茶器が立てた音に紛れて、確かに、ちりん、と音が響いた。


 空間が歪んだ。


 脅威のせいか、一瞬、視界が開けた。目の前に卓があって、そこにヒリエッタがしがみついている、そのすぐ向こうで空間が裂けた。今度の【穴】ははっきり見えた。真っ黒な存在が狂おしいような瞳で、ひとつしかない瞳で、舞を見た。ヒリエッタが手を伸ばしたが、魔物はそれを押しのけるようにして、舞に腕を伸ばしてきた。腕が届く寸前でアルガスが舞を引き倒した。背中からまともに倒れ、全身に衝撃が走って左腕が軋んだ。アルガスが舞の上に覆いかぶさっている、その背の上を、魔物の腕が通り過ぎた。


『……ああ……ああ……悔しい』


 呪うような呟きとともに、腕が消える。歪みがかき消える。どうして、と誰かが叫んだ。どうしてクレイン様、どうしてどうしてどうして――!


 それが誰の声か、悟る余裕すらなかった。


 アルガスが剣を抜いて身をおこしかけていたが、その左手は、まだ舞の顔のすぐわきにあった。舞の右手がすぐ届く場所に。この体勢にかつてなったことがある、ちかちかと麻痺しているような頭の中で、いろいろな声が聞こえた。今とは別人のようだ――あの新参の流れ者は一体どっちか、ってな――本当に男であったとは――どんな体勢だったらこの傷がつくのだろう――


 ああそうかと、意識が遠のくのを感じながら、思った。

 あの傷をつけたのはあたしだったのか。

 そうか――


「女の子じゃなかったんだ……」


 呟いたが、ちゃんとした言葉になっていたかどうかは分からない。それが毒に侵された身に来た、限界だった。誰かが焦ったように自分の名を呼ぶのを聞きながら、意識が沈んだ。

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