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花の歌、剣の帰還  作者: 天谷あきの
第六章 エスメラルダ

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エリカ(2)

 ベスタはマーセラ神殿の街だ。神殿以外にはほとんど何もない。その代わり神殿はとても壮麗で、有名な宝物庫があった。地下にあり、神殿の許可がないと開けられない。忍び込むことはほぼ不可能だと言われている。


 もちろんそれは泥棒が人間だったならば――の、話であるが。


 フレデリカ(の分身)はティファ・ルダからの旅の疲れを癒やしもせず、易々と地下神殿に忍び込んだ。フレデリカは勤勉だった。特に今は分身だから、多少無理したって、最悪滅ぼされたって構わない。だって本体はちゃんと王宮に存在しているからだ。その安心感があるから思う存分働ける。なのにクレイン=アルベルトは全く頑なだ。なんだかんだと理屈を並べているが、その実ただ怠惰の言い訳にしているだけなのではないか――そんなことまで考え始めている。


 ともあれベスタはティファ・ルダに一番近いマーセラ神殿の拠点である。七年前の虐殺のあと、アンティノス=ムーサはティファ・ルダの戸籍をひっくり返すようにして残党狩りを行った。ティファ・ルダが滅ぼされた以上、その仇討ちを考えかねない存在はひとりたりとも残してはおけない。反乱の火種を消すためだということを大義名分にし、周辺の街や村に圧力をかけ、戸籍に載っていた人間を執拗に追いかけ、ひとり残らず引きずり出して焼いた。全く人間どもにとってティファ・ルダの虐殺は怖ろしい出来事だっただろうが、更なる悪夢だったのは、その後の残党狩りだったに違いない。


 ティファ・ルダの戸籍に載っていた人間で、埋葬録に載っていない人間はたった六人しかいない。ひとりはあのマイラ=アルテナだ。それ以外の“生存者”はたったの五人――王とムーサの悪名は、ティファ・ルダのお陰で否応なしに高まった。住民をひとり残らず殺したあとに王とムーサが行ったのは、ティファ・ルダの貴重な文献や不可思議な魔法の道具、宝物などを押収することだった。


 魔法の道具に関する様々なものはすべて王宮へ運ばれた。


 しかしフレデリカの求めるものは王宮にはなかった。虐殺の夜の火災で焼失したかもしれない、という恐れはあるが、それでもフレデリカはベスタへ来た。“流れ星”は空から落ちたのだ。空の上に国があるなんて今まで聞いたことがなかったが、もしそんなものがあるとするなら、文化も技術も何もかも違う国であろうことは疑いない。ティファ・ルダは学問の国で、“流れ星”を拾ったのは物見高く探究心に富んだ学者たちである。“流れ星”が身につけていたものを、おいそれと棄てたとは考えにくい。ティファ・ルダでは宝物のような扱いをされていただろうし、それなら、ベスタの宝物庫に押収されている可能性は充分にある。


 果たして――


 見つかるまで何日でもここにもぐっているつもりだった。フレデリカはふんふんと辺りを嗅ぎ回った。ベスタの宝物庫は有名なだけあってとても巨大だった。薄暗く、ひんやりと静まり返っていて、フレデリカにとっては天国と言いたいほど居心地がいい。幸いなことにベスタの宝物庫の管理者はみな、勤勉で整理好きだったようだ。きちんと整理され名札を付けられた宝物の数々を眺めながら歩く内、フレデリカは足を止めた。


 あった。『ティファ・ルダ』と書かれた札。

 地下神殿の内のかなりの体積が、ティファ・ルダの“財宝”のために割かれていた。今も少しずつ入れ替えられ整理されている様子だが、幸い今日は誰も来ていなかった。フレデリカは棚にぎっしりと並べられた本を一瞥した。どれも手綴じの古びたものだ。それから学問の女神ティファを象った彫刻の一群を眺め、彫師の長のために作られたのだろう瀟洒な衣装やディオノスの甲冑、宝石、装飾品などを眺めていく。


 これは数日がかりになりそうだ。そう思った時だった。

 ふたつ並んだ、革? でできた背嚢のようなものに気づいた。


 やけにくっきりとした目に焼き付く色合いの、そっくり同じ造りの鞄。花びらのような飾りが要所要所にちりばめられた、可愛らしい造作。背負って使うものらしい。とても頑丈でしっかりした造りだ。右が水色で、左が深い赤だった。フレデリカは息を呑んでそれに駆け寄った。あの“流れ星”が落ちたときに感じたような、“明らかな異端”をその鞄からも感じた。


 長い年月を経たためか留め金がくすんでいたが、フレデリカの毛皮でこするとすぐにキラキラと輝きだした。何だろう、この金属。前足の爪で留め金を回して外し、革の前垂れを捲って開けると、中から冊子が零れ出た。


 ――なんだこれは!


 フレデリカは夢中になってその冊子に飛びついた。見たこともない文字、見たこともない絵。中を開くと色鮮やかな、精緻な絵がふんだんに用いられ、その隙間を縫う文字は一糸乱れぬ整頓されたもので、その美しさにフレデリカは舌を巻いた。人魚だって一文字一文字をこれほど同じ形に書くことはできないだろう。これは一体何だろう。何が書いてあるのだろう。これは、これは、これは。フレデリカは既にこれが“流れ星”の持ち物であることを理解していた。そして――




 ぽつん、と。

 籐の肘掛け椅子に座る少女の姿が見えた。


 フレデリカは息を詰めてそれを見つめた。真っ黒な髪。幼い少女だ、恐らく十かそこらくらいだ。その子の隣に人が立っている。顔は見えないが女性だ。

 少女の前、膝を突き合わせるほどの距離に、初老の男性が座っている。彼は少女に掴みかかりそうになる自分を必死で押さえているような、そんな歪んだ顔をしている。


 少女はさっきフレデリカが見たばかりのその本を開いて、初老の男性に読み上げて聞かせているようだ。声は聞こえない。何を言っているのかわからない。初老の男性が何か言い、少女が困ったようにそれに答える。初老の男性が石盤を取り出して何か書き、少女がその下に何かを書いた。

 初老の男性は学者に違いないとフレデリカは考えた。

 この本の中身を、少女に解説してもらっているに違いない。




 ――王の御用学者は一体何をしているのだ。


 フレデリカは王宮付きの学者の愚かさに憤った。魔法の道具やティファ・ルダの知識を王宮に持ち帰ったのに、なぜこの不思議な鞄と中身には無頓着だったのだ!

 怒りと共にその不思議な情景はかき消えた。フレデリカはうろうろと辺りを見回した。他にも何かないだろうか。何か、何か、“流れ星”の謎に関する何か。特にエリカに関する何か――そう、そうだ。ローラか、それに近しい人が付けていた、日誌か何かが見つかれば良いのだが。


 この不思議な鞄はどうやって持つのが正解なのだろう? 同じ年頃の少女を殺して身体を借り、鞄を使ってみるべきだろう。それからそれから――


 フレデリカは時間を忘れてその調査に没頭した。

 鞄の近くに同じく目に焼き付く鮮やかな色合いの、少女の体格に合わせた衣服が二着、見つかった時には声を上げて嗤った。


 信じられないほど、愉しかった。

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