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花の歌、剣の帰還  作者: 天谷あきの
第六章 エスメラルダ
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エスメラルダ(21)

 しかしこれで出掛けられたわけではなかった。

 国境に近づくと、騒動が持ち上がっていた。


「――だからあの子を呼べって言ってんでしょう!」


 アルガスがうめき声を上げて足を緩め、舞は反対に足を速めた。あの声は。あの人だ。


 なんて運がいいんだろう。渡りに船とはこのことだ。


 舞たちから遅れること五日ほど、ようやくオーレリアがたどり着いたのだろう。国境には数人の神官兵が集まっていて、押し問答をしているようだ。


「あのときとは事情が違うのよ! もうあんなことしないから入れてよ! 長旅続けてようやくたどり着いた哀れな女に対する同情ってもんはないわけ、あんたたち!? 言っとくけどね、あたしを追い払ったりしたらエスティエルティナが――」

「オーレリア!」


 神官兵をかき分けて前に出ると、オーレリアがぱっと顔をほころばせた。


「ああ、いたわねエルティナ! ちょっともうこの石頭たちどうにかしてよ――」

「あなたを雇える、オーレリア?」


 遮るとオーレリアは言葉を切り、舞を一瞥した。頭の先からつま先まで。そして、呆れたように言った。


「……出かけるの、また?」

「そうなの、だから――」


 用件を言おうとしたが、オーレリアはそこで、アルガスに気づいた。とたんに黄色い声が上がる、


「あ、アルガスじゃないの! やっぱこっちにいたのね、やっだあ――」

「オーレリア、こっちが先!」


 飛びつこうとしたのを間髪入れずに引き戻した。再会を喜ばれている暇は無いのだ。オーレリアは襟首をつかまれてぐえ、と言い、


「なにす――」

「こっちが先。時間がないの」


 オーレリアは珍しく気圧されたようだった。目を見開いて舞を見た。


「急いでるの。本当にちょうど良かった。なんて運がいいんだろう。あたしと契約して、オーレリア」


 アルガスが息を詰め、オーレリアがとたんにやに下がった。


「炎をもつ護衛が必要なの? しょおっがないわねえ、今たどり着いたばっかりだけど、いいわよお。アルガスも一緒に行くんでしょ」

「違う。エスティエルティナに炎を入れて。必要になるかもしれないから。もうひとつはニーナとビアンカの護衛。女性の護衛には最適なんでしょ?」

「はあ? ちょっと、何であたしが? アルガスが行くっつってんのに」

「お願い。あなたに頼みたいんだ」

「やあよ。せっかくアルガスに会えたのに、なんでここで女ふたりの護衛なんかしなきゃいけないのよ、馬鹿馬鹿しい。あんたたちについてくわ。止めても無駄よ? 勝手について行くから」


 言うと思った。でも引くわけには行かない。このままじゃ心配で出かけられない気がするのだ。


 舞は呼吸を整えた。

 どうあってもオーレリアに契約してもらわなければならない。


「あたしが帰るまで、ニーナとビアンカのそばについていて、危険があったら排除して。ふたりの居場所は誰かに聞いて? 契約してくれたらここを通してくれるように頼んであげるし、帰ってからになるけど、通行権も頼んであげる。お金も払うよ、もちろん」


「あのねえあんた……」


「ねえ、馬がいないね。地下街で馬が手に入らなくて、ここまで歩いて来たんじゃないの? 大変だったね? エスメラルダには温泉もあるし、マーシャの料理はほんとに天下一品なんだよ。マーティンがいろんな食材送ってくれてるし、長旅の後にはきっと感動すると思うな。暖かいお風呂とおいしい食事がすぐそこにあるのに、ここで追い返されるなんて本当に可哀想だよね。そうそう、あたしたちは今すぐ馬で出かけるから、徒歩で追いかけるのは無理だよ」

「……くそガキ……」


 オーレリアが呻く。舞は更に追い打ちをかけた。


「そうだ、デクターもエスメラルダにいる。今は取り込み中だけど、暇になったら、あなたに風との契約印を彫ってくれるように頼んであげる」

「……自分で頼めるけど?」

「うん、でもそれだと、どこに彫られるか分からないよね。デクターも、あなたのことを、国境通さない方がいいよってニーナに言ってたし。あたしの口添えがなかったら、たとえ彫ってもらえても、背中なんかに彫られたりするかもしれないね? 背中ならまだいいけど、腰とかお尻とかだったら大変だよね」

「……脅迫、なのかしら、それ」


「あたしが頼めば、手とかの使いやすいところに彫ってくれるんじゃないかな。ニーナもきっと一緒に頼んでくれると思うし。

 ――あたしと契約して、オーレリア。あなたに頼みたい。お願い」


「頼んでる態度なの、それが! ああもう! あたしを通していいの、自慢じゃないけど和を乱すのは本当に得意なのよあたし!」

「あなたはそんなことしないよ」

「何よ、その自信! 【アスタ】にも出入り禁止になったのよ、すごいでしょ!?」


「エスメラルダでおかしな騒ぎを起こしたら、【最初の娘】のそばになんていられないよ。すぐ放り出される。そんなことになったら、あたしとの契約を果たせなくなる。流れ者の美学に反する事態じゃないの? あなたは流れ者としては一流だってアルガスからもフェリスタさんからも聞いたよ。彼らに幻滅されるなんて死んでも厭だよね、オーレリア」


「……はっ倒すわよこのくそガキ! あたしを脅そうなんて百年早いわよ!?」


「契約してくれないの? ……そっか、じゃあしょうがないね。じゃああたしはこれで。急ぐから」

「もう!」オーレリアは地団駄を踏んだ。「わかったわよ! 契約するわよ! ちょっと見ない間に随分腹黒くなったじゃないの!」

「エルヴェントラとアルガスに鍛えられたよ。覚えた方法はすぐ使ってみないと。……ねえ、契約ってどうすればいいの?」


 アルガスを振り返ると、アルガスは口に手を当てて苦しそうな顔をしていた。どうやら笑いをこらえているようだった。オーレリアは心底悔しそうに、アルガスを睨んだ。


「こんなに大勢の前で宣言したんだもの、口約束で結構よ。流れ者も聞いてたし。何日の予定なの? ここから出なくていいなら安くなるわね。対象はふたりだけど、魔物相手じゃないんだろうし」

「とりあえず十日。でもはっきりとは分からない。帰るまでってことにして」

「でもとりあえずは十日なのね。ふたりで――じゃあ棒十本」

「いいよ」

「――いいの!? バカじゃないのあんた、相場知ってんの!?」

「いい。あなたの腕は信用してるから。で、今すぐ炎も入れて。これは別料金だよね?」

「同業者の前でそんなにぼったくれるわけないじゃないの、全部で棒十本で結構よ! 貸しなさいよほんとにもう!」


 オーレリアは憤然とエスティエルティナを奪い取り、指の中で捻くり回して、「あ、こうか」と言いつつ自力で元の大きさに戻した。舞は手紙を書くためにいつも持ち歩いている、舞専用の便箋を取り出して、ニーナに宛てて手紙を書いた。オーレリアに棒十本を渡してくれるように、通行権を頼んでくれるように、自分が戻るまで、ニーナとビアンカのそばにオーレリアをいつも置くように。ニーナに宛ててはあるが、誰に対してもこれをオーレリアが見せれば、通行証と同じくらいの効力があるはずだ。これで肩の荷が下りた。オーレリアに頼めたのだから、ニーナもビアンカも安全のはずだ。


 ――ニーナも?


 舞は自分がなぜニーナの安全をオーレリアに頼むのだろうと、ふと不思議に思った。

 オーレリアは孵化には役に立たない、と思う。魔物もエスメラルダの集落には入り込まない。マスタードラもスヴェンも、ニーナにまで何かしようとはしないはずだ。たとえ孵化で寝たきりだとしても。それなら頼むのはビアンカだけでいいはずなのに、なぜニーナのことも頼んだのだろう。


 ――気になることがあるからだ。

 眉根を寄せたが、


「はい、入れたわよ」


 オーレリアがエスティエルティナを突き返したので、疑問はひとまず置いた。一度にたくさんのことは考えられない。今はアンヌ王妃のことで手一杯だ。舞は丁重に礼を言って、エスティエルティナを元どおり縮めて首にかけた。オーレリアはまだぶつぶついいながら、はだけた上着の鋲を留めている。


 この騒動の間に、神官兵が、馬を二頭用意してくれていた。舞が馬にまたがると、オーレリアは悔しそうな顔をして舞とアルガスを見比べた。アルガスは無言でオーレリアに目礼をし、馬に乗った。と、オーレリアが言った。


「ほんとにもう、帰って来たら覚えてなさいよ。十日後が楽しみだわ」

「ふふ。あなたに聞きたいことが一杯あるんだ。契約交わせてほんとに良かった。じゃあまた、オーレリア。ニーナとビアンカをよろしくね」

「……ひとつだけ言いたいことがあるわ。ここに来るまで全部徒歩のわけないでしょ、ばぁーか。徒歩なら九日で来られるわけないじゃない。分岐点まで辻馬車乗って来たのよ」

「そうなんだ」


 オーレリアはどうしても、一矢報いなければ気が済まなかったらしかった。辻馬車があるのか、と思いつつ、舞は手を振って馬腹を蹴った。国境が遠ざかる。オーレリアの悔しそうな声が背を追いかけて来る。帰って来たら覚えてなさいよ、と、もう一度怒鳴っていた。舞は手を振って、ちょっと身震いをした。とんでもない人を敵に回してしまったのだろうか、もしかして。


「あの人を言いくるめるなど、たいしたものだ」


 アルガスがまだ少々苦しそうにしながら言った。


「だがついて来てもらわなくて良かったのか。護衛を頼めたのに」

「あたしはいらない。逃げるのは得意だし」

「マスタードラがビアンカに何かすると思ったのか」


 口調が真面目になって、舞はアルガスを振り返った。灰色の瞳を見返して、今朝の出来事を思い返した。アルガスもシルヴィアもビアンカも、舞に話す気がないのだと悟った時の、悲しい気持ちも思い出した。


「……違うと思う。自分でも良く分からない」


 舞は言って、街道の先に視線を向けた。街道は、少し色を濃くし始めた空と林の中を、東に真っすぐ伸びている。

 もうすぐ日が暮れる。冬の落日ははやい。


「ただあたしは、ビアンカに、エスメラルダなら安全だからって言ったの。アンヌ王妃の用意した行き先を断ってでも、エスメラルダに来てねって。それなのに……だから」


 言いながら、本当にどうしてなのだろう、と思った。マスタードラがこれ以上ビアンカに何かをするなんて考えられない。ビアンカの方だって、もうマスタードラやスヴェンのそばに近づいたりはしないだろうし。


 それにどうしてデリクに頼まなかったのだろう。

 どうしてあんなに不安だったのだろう――?


 舞はアルガスの横顔を盗み見て、かすかに眉をしかめた。アルガスの頬は青く、憔悴しているように見えた。日が暮れる前にどこかで休んだ方が良さそうだ。それに自分もだ。昨日は一睡も出来なかったし、昼間も少ししか寝ていない。頭の中にじんじん疼く眠気の固まりがあって、思考を阻害している気がする。でも時間がない。眠らないと動けないなんて、人間ってどうしてこんなに不便なのだろう――


 再びアナカルディアへ向かい始めた舞の背を、赤くなり始めている太陽が暖めている。正面の東の空は、少しずつ濃さを増して夜の準備を整え始めている。あちらにはアナカルディアがある、と考えて、舞は眉根を寄せた。


 向かうべきは本当にあちらなのだろうかと、うずく頭の中に、ぼんやりと疑問が浮かんだ。

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