エスメラルダ(19)
*
「……何言ってんの、姫? あんたが落ち着きなさいよ」
マーシャを呼びに来ていたビアンカは、窓から飛び込んできた姫を見て、思わずそう言った。姫は見違えるような格好をしていた。ふだんよりきっちりした服装は脚衣ではあったが華美で、お化粧もしていて、まっすぐな黒髪は優美に結われていて、びっくりするくらい綺麗だった。でもなぜか裸足だった。そして動きや仕草や声は紛れもなく姫だった。姫は治療中のアルガスとウルスラに申し訳無さそうな一瞥を投げはしたが、そのまま寝台の上にいるシルヴィアに詰め寄った。
「し、シルヴィア」
『……どうしたの。落ち着いて』
「あの。あの。【アスタ】で、ビアンカと初めて会ったあの小川で、」
しどろもどろだった。口が上手く回らないのだろう。シルヴィアは羽を広げて落ち着かせようとしている。ウルスラは不思議そうに姫を見ていたが、治療の手は止めなかった。アルガスの傷はもうほとんど消えかけていた。
デクターよりもすごい人だ、とビアンカは思っていた。ウルスラのことを。
そしてもしかしたら、ニーナのことも救えるのではないかと、思っていた。だってやることが、デクターとそっくりなのだ。
もしかして孵化を知りませんかと、そう切り出す矢先に姫が飛び込んできたのだ。いったいこの剣幕は何だろう。不思議だったが、【アスタ】のこととなると放ってはおけない。
と、エルギンが、姫を追いかけて来ていたのにビアンカは気づいた。こちらは窓からではなく、玄関を回って部屋の入り口に姿を見せた。
「あたしとビアンカが、イルジットのところへ行ったでしょう、でもシルヴィアはそのまま残ったよね。あの後、誰か来た? 来た、はず、なんだけど」
ビアンカはエルギンを無視して、姫に向き直った。まだエルティナと名乗っていた姫と、シルヴィアと、初めてであったとき。自分の過去を思いがけず洗いざらいぶちまけてしまったときだ。すっかり話し込んでしまって、気がついたら休み時間がとっくに過ぎていて、姫を追い立てるようにしてイルジットのところへ連れて行った――そう、シルヴィアはあのときただの鴉のふりをしていたから、あの小川のほとりに残ったはずだ。
でもどうしてそんなことを、こんなに血相変えて訊ねなければならないのだろう。
シルヴィアは不安そうに羽ばたきをして、そして、肩を落とした。
『……ごめんなさい。覚えていないのよ』
「そ、そっか」
姫は呼吸を整えた。そして今度はビアンカを見た。
「じゃあビアンカ。あの。ヒリエッタが」
「ヒリエッタが?」
嫌な名前を聞いて、思わず目がつり上がってしまう。姫は気にしなかった。
「ヒリエッタが【アスタ】に来たのって、いつ?」
「あなたが来る二日前よ」
姫は目を見開いた。明らかに、予想外の答えだったようだ。情報を整理するようにビアンカをまじまじと見て、そして――急に疲れたように、椅子に座り込んだ。
「……二日前? そんな最近? じゃあやっぱり違うのかな……考え過ぎかな」
「間違いないわよ。あたしすっごくよく覚えてるもの。二度と忘れないわよ。あんな女と一週間も一緒にいたら発狂してたわ」
「そっか……じゃあ……やっぱり考え過ぎなのかな……うーん……でもなあ……ビアンカが知らないうちに来てたなんてこと……ないよね」
『ヒリエッタ=ディスタが、いったいどうしたの? ああ、あの人も【アスタ】にいたんだったかしら? でもあの人はそれより前に【アスタ】にいられたはずないわよ、姫。だって私、最後の晩餐会で会っているもの』
シルヴィアが宥めるように言って、姫は、顔を上げた。
「……それって……いつ?」
『私があなたに会う三日前。クレイン=アルベルトに求婚された晩餐会に、あの人も来ていたわ』
「……ラインディア、に?」
姫はまじまじとシルヴィアを見た。
そして――その顔がみるみる蒼白になった。ビアンカは思わず腰を浮かせた。姫は、一瞬、心底悔しそうな顔をした。そして言った。
「ありがと、シルヴィア。……ごめん、おじゃましました!」
そして再び窓から飛び出していった。悲鳴じみた声が遠ざかっていく、
「エルヴェントラ! エルヴェントラー!」
「な、……何あれ」
『私、何かおかしいこと言ったかしら……?』
シルヴィアが呟き、アルガスが静かに言った。
「おかしいです」
『……何が?』
「いや、おかしいのはあなたではなく、ヒリエッタ=ディスタだ。ラインディアからウルクディアまで、旅慣れた者の馬でも二日半はかかる。ウルクディアから【アスタ】までは、リヴェルを通らずに近道を使ってもやはり半日以上。合計で三日以上ですね。旅馴れた者が、馬に乗ってもそれだけかかる。だが、ヒリエッタ=ディスタは令嬢の身でありながら、ラインディアから【アスタ】まで、二日で移動した計算になる」
エルギンが無言で身を翻した。姫を追いかけて走っていく音が遠ざかる。アルガスは体を起こした。傷はほとんど、そう、かすかにうっすら残る程度にまで消えていた。
「ウルスラ。まだしばらくかかりますか?」
「いえ、もうちょっと。ほんのちょっとよ。でも、本当は、もうしばらく寝ていなければならないのよ。傷はふさがっても、失われた血までは戻せないのだから」
「そんな暇はないようです。傷と痛みが消えれば充分」
アルガスは言って、ウルスラを見て、微笑んだ。
「ありがたい。本当に感謝します、ウルスラ。これでまた動ける」
*
エルヴェントラとガルシアは【壁】を見に行ったはずだ。君は四半刻くらいしか寝てない、とエルギンが言っていた。集落を案内しながら出かけたのなら、まだ追いつけるかもしれない。集落を突っ切って、神官兵の詰め所で馬を借りて、少し走らせると、果たして前方に、森の奥へ向かう一行が見えてきた。一行といってもエルヴェントラとガルシアと、神官兵がひとりついているだけだ。三人は馬蹄の響きに振り返り、エルヴェントラが目を見開いた。
「どうした」
「エルヴェントラ、アンヌ王妃が危険だ」
舞はガルシアに目で非礼をわび、馬に乗ったままで口早に告げた。
「ヒリエッタ=ディスタが魔物を呼び込んでる可能性がある。今アンヌ王妃のそばにいるはず。王妃を説得できなくても、ヴェガスタとフィガスタに頼んで、ヒリエッタだけでも王妃のそばから排除してもらう。草原の民の庇護を利用してでも頼んでくる」
「あなたが……行くのか」
「行く」
「そうか。頼む」
エルヴェントラの返答は短かった。舞は頷いて、馬首を返した。そしてエルギンが自分を追いかけてきていたことに気づいた。エルギンは険しい顔をしている。と、エルヴェントラが言った。
「あなたは今は文無しだろう。執務室の机の下に壺がある。いくらか持って行け。私もすぐ戻る」
「ありがとう」
「イーシャットがすぐそこまで帰ってきてるはずだ」
「わかった。途中で捕まえる」
「よし。それから靴を履け、いいか」
「あ」
舞はまだ自分が裸足だったということに初めて気づいた。落ち着け、と自分に言い聞かせて、うなずいて、ガルシアを見た。
「お騒がせしてすみません。ガルシア、私は出かけますが、ウルスラのことはご心配なく。【最初の娘】に頼んでいきますから。十日で帰ります」
『気をつけて行ってこられよ』
ガルシアの丁寧な言葉を背に、舞は馬腹を蹴った。エルギンには、隣を通り過ぎざま、目礼を投げただけだった。自分はなんてバカだったんだろうと、つくづく思った。【アスタ】の夜、潤んだ瞳で、姿を見せたのはヒリエッタだった。ビアンカを捜しに行ったとき、ビアンカを呼び出していたのはヒリエッタだった。アンヌ王妃のところにもいた、舞が地下牢に連行されるのを、ヒリエッタも見ていたではないか!
アンヌ王妃と別れてから十日も無為に過ぎてしまった。王妃宮で思い至っていたら、せめてヒリエッタだけでも追い出してもらっておいたのに。ここからアナカルディアまで急いでも四日はかかる。十日と四日、それほどの長い間、ヒリエッタが何もしないでいるだろうか――
不安が胸を締め付けた。眠気などもうどこにもなかった。自分も空間をわたれる術があれば本当にいいのにと、おかしな考えが兆した。
*
姫の悲鳴じみた声が響いた。シルヴィア、と叫びながら向こうの路地を駆けて行ったようだ。一体何があったのだろう、とデクターは考え、窓を閉めるべきかどうか迷った。ニーナは静かに眠っていた。孵化が始まる、とデクターは戦慄と共に考えた。少しずつニーナの体が変容している。それが手に取るようにわかる。ニーナの体から若草色の粒子がかすかに立ちのぼっていた。孵化とはこういう物か、と、デクターは初めて思い知っていた。自分も以前通った道なのに、端で見るのは初めてだ。もはや人間ではない、とあの老婆は言ったが、全くその通りだった。
生まれ変わろうとしている。全く違う生き物に。
一体なぜだろう、とデクターは考えた。一体なぜ、なぜ、自分やニーナのような存在が、生まれ始めているのだろう。
孵化は長丁場だ。ニーナはデクターよりも魔力が強い。だからもっと長くかかるかもしれない。短く済むのかもしれないが。今のうちに眠って体力を蓄えておかなければ乗り切れない。
だからか、と、自嘲じみた思いで考えた。
こないだまでの死にかけた体では、孵化を乗り切れなかった。
だからデクターも、一度退けることができたのだろう。一度退けさせて、体力を戻させて、そして今、再び孵化が始まろうとしているのだ。今度は退けられないだろう。それがいつ始まるのかは分からなかった。でもごく近いうちだという気がする。
考えている間に再び姫の声が聞こえた。エルヴェントラ、と叫びながら集落を遠ざかって行った。なんて落ち着きのない子だろうと少々呆れた時、ニーナが目を開けた。
「……ニーナ」
「舞が出掛けるわ……」
ニーナは体を起こした。
「今度はエルヴェントラの好きになんかさせない」
「ニーナ、起きちゃだめだ」
「大丈夫よ、デクター。まだ少し先だわ」
ニーナは青ざめてはいたが、顔付きはしっかりしていた。靴を履いて、デクターを見た。
「言ったでしょう、デクター。あたしは死なない。あなたを信じてる」
信じられても、と正直、思った。どうすればいいのか、さっぱりわからなかった。と、ニーナがよろめいたので、とっさに支えた。ニーナはデクターよりも背が高いが、とても細身で華奢で、ぞっとするほど軽かった。
「エルヴェントラのところへ行かなきゃ。……ごめん、大丈夫よ。あんな思いは二度とごめんだわ。もうエルヴェントラの好きになんかさせない。デクター、あたしね、あなたに本当に感謝しているの。ここまで来て死んでたまるもんですか。あなたが万一失敗したってあたしは死なないわよ、自力で孵化を遂げてみせる。だから安心して、手伝って」
「……わかった」
デクターは頷いた。ニーナはしばらくデクターの肩にすがりついていたが、呼吸を整えて、頭をもたげた。王女の顔だ、とデクターは気圧されるように考えた。否、王女と言うよりは、
女王だ。
青ざめた頬をして、唇からも血の気が失せていたが、ニーナは静かに歩き出した。差しだそうとした手はやんわりと断られた。歩みはゆっくりとではあったが、次第に堂々として、背筋も伸びた。そしてニーナはゆっくりと部屋を出、家の外に出た。まだ日は十分に高く、日差しは暖かだった。
一度執務室に行って、そこにいた者にエルヴェントラの行き先を聞き、ふたりはすぐに集落を突っ切って、森の方角の出口へ向かった。歩くうちに姫が駆け戻ってきた音が聞こえた。待っていた神官兵の前で馬を止め、手綱を預けて、そして呆気にとられるほどの速さでこちらへ走ってくる。
デクターは目を見開いた。姫は珍しく化粧をしていて、珍しく正装で、珍しく髪を結い上げて、なのに裸足だった。
「ニーナ!」
「……舞。出かけるのね」
ニーナは完璧だった。具合が悪いことなど髪の毛一筋ほども感じさせない笑顔で、姫を迎えた。目の前で立ち止まった姫をじろじろと眺め回して、
「よく似合うわ。綺麗よ。でもどうして裸足なの? エルヴェントラは?」
「今戻ってくる。ニーナ、アンヌ王妃が――」
「わかってる。行ってらっしゃい、舞。お金はある? あなた今は文無しでしょう」
「うん、エルヴェントラがいくらか持っていけって言ってくれたから大丈夫。ごっそり持って行ってやる。ニーナ、アルガスとシルヴィアとビアンカをお願いします。シルヴィアを送って行くのが遅くなって本当に申し訳ないけど……それからウルスラも。今アルガスのところにいるはず、昨日の賊、じゃなくて、ガルシアさんの大事な人なんだ。医師なんだって。マーシャにも頼んであるけど」
「わかった。心配しないで、大丈夫よ」
「十日で戻るね」
「舞」ニーナは走り出そうとした姫の手を掴んだ。「ひとりで行くんじゃないでしょう?」
「大丈夫。草原の民の庇護を利用させてもらうから」
「舞」
「……大丈夫」
姫はにっこりした。
「ちゃんと戻ってくるよ。今は一刻も惜しいから」
ニーナは唇を噛みしめた。姫はニーナの手をそっとはずして、ぎゅっと握って、放した。
「行ってきます」
そして走っていった。よほど急いでいるらしい。
ちゃんと靴を履いていくだろうかと心配になるような勢いだ。ニーナはその背中に向けて怒鳴った。
「その格好のまま行くんじゃないわよ! ちゃんと着替えて顔も洗って靴も履くのよ!」
「わかってる――」
声が遠ざかっていく。ニーナは呼吸を整えた。時間がないわ、と呟いて、再び集落の出口を目指した。先ほど姫から馬を受け取った神官兵が、誰かを待つようにまだたたずんでいる。
その向こうに、四人の人影が姿を見せていた。エルヴェントラだ。神官兵をひとりつれ、もうひとりの大柄な男は、昨夜月明かりで見た、ガルシアだった。そしてエルギンもいた。四人は先ほどの姫ほどではないものの、急いでこちらへ向かってくる。
と、
『ニーナ!』
背後でシルヴィアの声がして、ふたりは振り返った。そしてふたりとも驚いた。アルガスが、確かな足取りで、既に旅装で、背嚢もかついで、肩にシルヴィアを乗せて、こちらに歩いてきていた。デクターは口を開けた。そんなバカな、と思った。ついさっきまで、一人で体を起こすことも出来なかったのに。
「……アルガス」
ニーナが呟いたとき、アルガスがたどり着いた。ニーナはアルガスをまじまじと見上げて、呻くように言った。
「もう……大丈夫なの」
「はい。ウルスラが治してくれました」
「ウルスラ……舞が言ってた、医師ね。もう出かけられるの? ああ……そうか。傷が、跡形もなく消えたのね」
何か思い当たることがあるらしい。アルガスが頷くと、ニーナはすぐに信じた。一瞬眉間に皺を寄せ、医師か、と呟いて、思案するように口元に右手を当てた。
「……あなたを雇うにはどれくらいかかるのかしら」
アルガスは少し困った顔をした。
「ついて行けるだけです。護衛を名乗るほどの体力がまだない」
「ついて行ってくれるだけで充分よ。病み上がりでこき使うんだから棒十本出すわ」
「冗談じゃない。この体たらくでそんなに取ったら――」
「ルファルファのふたり娘は流れ者の相場を知らないのよ。でもそれで雇う。それだけの働きはしてもらえるって知ってる。交渉してる暇もな――わかった、じゃあ成功報酬ってことにしましょう。無事に連れて帰ってきてくれたらそれだけ払うわ。それならいいでしょ。舞はもう荷造り始めてるはず――エルヴェントラ!」
ニーナはすぐそばまで来ていたエルヴェントラに向き直った。エルヴェントラはアルガスを見て驚いていたようだが、ガルシアもエルギンも、アルガスの回復を意外に思わなかった。ガルシアはアルガスに微笑んで黙礼をした。エルギンはアルガスに鋭い一瞥を投げたが、一言も発さず、ひとりだけ一同の隣をすり抜けて、集落の方へ足早に歩いていった。
ガルシアに黙礼を返したアルガスに、エルヴェントラが言った。
「もう……いいのか」
「おかげさまで」
「エルヴェントラ、あたしがアルガスを雇ったわ。舞について行ってもらう。異存はないでしょうね」
「あるに決まってる」
エルヴェントラはため息をついた。
「カーディス王子の名代だぞ。ここに止まってもらわねば困る」
「見捨てようとしたくせに」
「ニーナ――」
ガルシアがそっと離れたのにデクターは気づいた。不穏な気配を感じ取って、部外者である自分が邪魔をしないようにとの配慮だろう。ニーナはまっすぐにエルヴェントラを見上げて、微動だにしなかった。
「それに名代というのはカーディス王子の方便だわ。その方が舞に護衛を受け入れさせやすいからに決まってるでしょう。ここに来てもずっと、暇をして、マスタードラと剣の腕を磨きあってただけじゃない。あなたともあろう人が、王子の方便に気づかないわけないわよね」
「だが、いざというときに――」
「じゃあマスタードラを寄越しなさい!」
ニーナが激昂した。エルヴェントラに詰め寄って、叫んだ。
「あなたからエルギンに頼んでもらう、エルギンがここから出なければいいだけの話でしょう! マスタードラを寄越しなさい!」
「ニーナ。落ち着け。そんなこと出来るわけないだろう」
「じゃああたしが行くわ! あなたの魂胆はわかってる! あなたと兄様が二人で、よってたかって舞に呪いをかけたのよ! 冗談じゃないわ、あの子はあたしの大事な大事な親友なのよ!? あの子に何かあったら、あたしも失うと思いなさい、エルヴェントラ!」
「……わかった。では神官兵をつける」
「このくそじじい!」ニーナは王女にしては大変差し障りのある暴言を吐いた。「あたしをなんだと思ってるの!? アルガス=グウェリンか、マスタードラか、あたしのどれかよ! 選びなさ――」
「ニーナ!」
デクターは思わず左手を突き出した。ニーナが蒼白になって、自分の心臓の辺りを掴んだからだ。「ああ、あ」ニーナの口からあえぎ声が漏れた。「来た――こんな時に……!」
そしてデクターの腕の中でくずおれた。うずくまって、ひくつくような呼吸を繰り返した。デクターの目には若草色の粒子がはっきり見えていた。ニーナの体から立ち上る粒子は次第にその量を増し、急に、ふつふつふつ、と沸き返って、
ぱりっ、とニーナの皮膚が裂けた。透明な、硬い何かが、ぱらぱらとはがれて落ちた。とたん、粒子が吹き上がった。風だ、とデクターは思った。風がニーナの中で、右巻きに渦巻いている。
「ニーナ……!」
エルヴェントラの悲鳴じみた声も、周囲の狼狽の声も喧噪も、すべてが遠のいた。デクターはニーナの放つ若草色の光に目をこらした。世界の深淵が再び見えた。デクターも以前覗いてきた、世界の、真理の、静謐で美しい静寂の淵だ。
デクターは目を閉じた。目を閉じてもはっきり見えた。何をすればいいのか、今ではよくわかっていた。




