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花の歌、剣の帰還  作者: 天谷あきの
第一章 黒髪の娘
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黒髪の娘(7)

 足が勝手に動いて、絨毯を横切っていた。若者に見つかるのももう構わなかった。ゆっくり閉まりかけて来ていた鏡を押しのけると、若者が驚いて顔を上げた。その、自分よりはるか高いところにある灰色の目が一瞬揺らいだが、舞はほとんど気にも留めなかった。


 さっき見た少女がそこにいた。

 あんまり綺麗な子だったので、顔かたちまで良く覚えていた。彼女は一番手前にいた。水槽かと見えたが、それはたゆたう光を含んだ結晶、リルア石で、彼女はそこに閉じ込められていた。


 そんな姿になっても彼女はやっぱり綺麗だった。こんな綺麗な子、見たことがないと思った。首が斜めになっているので、目を閉じて何か考えているように見える。

 赤い唇はわずかに開いて、今にも喋り出しそうだ。

 でもどんなに綺麗に見えても、この口が言葉を紡ぐことはないだろう。もう二度と、永遠に。



 大きな正方形の結晶は、少女の生首だけを閉じ込めて、棚の上に飾られている。



 背中の背嚢がずしりと重みを増した気がした。この子の意識を宿した鳥がここで寝ている。寝ていてくれて良かったのか、それとも悪かったのか、わからない。


「まさか……知り合い、なのか?」


 存在を忘れていた若者がたずねた。舞は機械的に若者を見た。若者は藍の混じった灰色の目をわずかに歪めて、舞を見ていた。


 ――まさか、って言った?


 わずかな疑問が兆したが、今はそれについて考えられない。考えたくない。あんまり可愛かったので、体に戻してあげたいと、思っていた――のに。


「死んでるなんて思わなかった……」


 つぶやくと若者が頷いた。


「俺もだ」

「ただ迷子になってるだけだと思ったのに……」

「……迷子?」

「可愛くて……あんまりいい子だから……まだ生きてるって思ってた。根拠なんかなかったけど、でもまさかころされちゃうなんて、こんないいこがころされちゃうなんておもわなかっ」


 ああ、あたしは知っていたはずなのに。

 ローラもセルデスも、ティファ・ルダの人はみんないい人だった。死んでいい人なんて誰もいなかった。あったかくて優しくて怒りんぼのローラ。あったかくて大きくて力強いセルデス。優しい人はみんな死んでいく。あたしを残して逝ってしまう。ファーナも死んだ。あたしを残して。そうだ、そしてニーナだってもうすぐ――

 ――もうすぐ、


「落ち着け」


 低い声が耳元で聞こえた。気づくと舞は若者の腕に痛いほどに抱き締められていた。ちかちか明滅するようだった頭の中に、現実が――戻ってくる。


「どうしてシルヴィア姫と知り合いなのかは知らないが、今はそれどころじゃない。シルヴィア姫が死んでいると分かった以上長居は無用だ。俺はここを出るが、

 ……あなたはどうする?」


 もしかしたら今あたしの名前を呼ぼうとしてやめたのだろうか……

 そんな疑問が兆して、それで、ようやく息苦しさを覚えた。体を動かすと腕が離れた。目を閉じて、もう一度開く。再び目を閉じて、脳に渦巻いていた嵐の残滓を何とか抑えつける。呼吸を整えて目を開けると、シルヴィア、という名らしい少女の首が再び見えたが、もう揺らがなかった。


「……ごめんなさい。取り乱した」

「無理もない。気にするな」


 若者は舞の前に立ちはだかって、部屋の奥をできるだけ見せないようにしているようだった。けれど、見えてしまった。そこにあったのはシルヴィアの首だけではなかった。そこには人がようやく通れるくらいの隙間を残して、びっしりと棚が並べられていた。大昔に親と一緒に行った図書館を思い出した。けれど並べられているのはもちろん本ではなかった。すべて黒髪の、さまざまな顔立ちの娘たちの生首が、まるで見る者を楽しませるために作られた工芸品か美術品かのように、整然と並べられているのだった。


 並べたのはアルベルトだろうか。結晶が全て同じ間隔で並べられている辺り、几帳面な性格であるらしい。


 若者が促したので、舞は鉛のような足を動かして、ゆっくりとその部屋を出た。出た瞬間にため息が出た。部屋の豪奢さが急に迫ってくるように思われた。アルベルトに捕らえられた娘たちはここで身支度を調えたのだろうか。王を悦ばせるために、ここで磨き上げられ、飾り立てられたのだろうか。一晩過ごした娘もいるだろうか。彼女は豪奢な寝台を喜んだだろうか、この隣に隠された娘たちの仲間入りをする日が近いことを知らずに、美しいドレスや宝石を身につけてみたりしただろうか。


「これ以上ここに用があるのか」

「ない」


 即答すると彼は頷いた。そして――

 身を固くした。舞も振り向いた。階段の方で、ちりん、とかすかな音が鳴ったのだ。


「くそ」


 若者は一瞬迷い、舞は迷わずに、鏡の中へ再び飛び込んだ。後から来た若者が鏡を閉める。手入れの行き届いた鏡はなめらかに動いて、わずかな隙間を残して元どおりになった。


 誰が来たのだろう。


 屈み込んで若者の下から隙間を覗く。入ってきたのはアルベルトだった。もう戻ってきたのか、それとも出かけたふりをしただけだったのだろうか。もしかしたらこの鏡に何らかの仕掛けがあって、開いたらすぐアルベルトに伝わるようになっていたのかも知れない。とすればここは隠れ場所としては最低だ。アルベルトは微笑みを浮かべてゆっくりと、入ってきた扉を閉め、それから窓へ向かった。初秋のさわやかな空を覗かせていた窓が閉められる。その後、こちらへ向き直る。ここに誰かが潜んでいるのを知っているかのように。


 そして舞は気づいた。

 上の――若者の気配が、変わっていた。


「奥へ」


 低い声で言われて、思わず言うとおりにしてしまった。若者はもはや気配を隠そうとはしていなかった。灰色の目に混じっていた藍が深くなり、今はすっかり藍色に見えた。純粋な怒りが体の回りで渦を巻くのが見えた気がした。長い間追い求めていた仇をやっと目の当たりにしたというように。身をたわめて、後ろ腰に差した直刀を引き抜く。鏡から手を放したので、鏡がゆっくりと開く――

 こちらへ向かってきていたアルベルトが、口角を持ち上げて笑みを作った。


「ようこそ、【アスタ】の用心棒殿。今まで散々てこずらせてくれましたが、ようやくお目にかかれて光栄ですよ」


 そしてこちらを見てさらに笑った。


「おや、お食事はお気に召しませんでしたか」


 ――言うことはそれだけか。

 反射的に怒りが湧いた。ずらりと並んだ首を見られたというのに、慌てもしなければ後ろめたそうな様子も見せない。騙したことを謝るそぶりもない。ちっとも悪いと思っていないのだと思うと悪寒が走った。シルヴィア姫と知り合いではなかったのか、知り合いの、あんな綺麗な可愛い子を王に差し出して、後ろめたさも感じないのか。

 しかし、口に出す前に若者が言った。


「名を聞きたい。俺はアルガス=グウェリン」


 ――アルガス?

 ガルテが言っていた名前だ。この人が。脳裏に名前を刻み込む。【アスタ】の用心棒、とアルベルトは言ったが。


「ほう――?」


 アルベルトの笑みが深まった。


「グウェリン、ね。覚えていますよ。てっきりどこぞでのたれ死んだものと思っていましたが、随分大きくなったものですね。私はクレイン=アルベルト。以後お見知りおきの程を。シルヴィア姫の亡骸を見られた以上は、短い付き合いとなるでしょうが」


 そして腰に下げていた剣を抜いた。


「下がっておいでなさい、お嬢さん。あなたに傷がついては主の楽しみが減りますからね」


 ――主の。


 髪が逆立ったような気がした。背後を取り囲む首たちがいっせいにこちらを見た気がした。あなたのせいだ、と叫ぶ声が聞こえた。あなたのせいだ――アルベルトを詰る資格があなたにあるのか――私達がこうなったのは、


 あなたのせいだ!

 あなたのせいだ!

 あなたのせいでこうなった! あなたのせいで殺された! 本来ならあなたが、あなたこそ、こうなるはずだったのに――!


 ――違う!


 がちん、と剣がかみ合う音で我に返った。アルベルトがアルガスに斬りかかっていた。舞は呼吸を整えて、手首に仕込んだ小刀を外した。アルガスがアルベルトを押し返し、押しのける。大きく後ろに下がったアルベルトが笑う。


「馬鹿力も身につけたようですね」

「加勢はいらない。逃げろ」


 アルガスが囁いてきた。


「今死なれちゃ【花】が困る」


 びくりとした。なぜ。どうして。

 ――あたしが誰だか、やっぱり知ってる……


 アルガスがアルベルトを追うように飛び出していく。一人隠し部屋に残された。逃げるべきだと理性が言った。アルガスの言うとおり、こんなところで死ぬわけにはいかない。同盟がなるかどうかの、国中を巻き込んでの戦争が起こるか回避できるかの瀬戸際だ。アルベルトは舞のことを普通の娘だと思い込んでいる。そう誤解させたままなら、逃げることは難しくなさそうだ。


 でも、それでも。

 黒髪の娘達の死に顔が、恨みの声が、なにより舞自身が、アルベルトを許してはおけないと、この手で暴挙を止めたいと、王の残虐な右腕をもいでやりたいと、アルガスに任せておきたくはないと叫んでいる。


 あなたのせいだ――


 先ほど聞いた幻覚を、彼女は否定する。そんなこと絶対認めない。誰になじられても自分だけは認めない。王が狩る黒髪の娘はあの【魔物の娘】の身代わりだと、出頭せぬ限り娘は殺され続けるだろうと、幾ら王が吹聴したとて、罪悪感を感じてなどやるものか。


 ――あたしに非があるとするなら、あの時し損じたと言うことだけ。

 王がこれほどの人を殺す前に、殺しておかなかったと言うことだけ。

 だからアルベルトを、王の右腕を、あたしの手で、この【魔物の娘】の手で、止めてやりたい。そうすべきだ。そうしない限り、別のことを考えちゃいけない……



 鏡の向こうで、アルベルトとアルガスの対決は続いていた。舞の目から見ても、二人とも並々ならぬ技量だった。拮抗しているが、剣の腕だけで言えば、ややアルガスの方が上に思えた。アルベルトの強みはいつでも仲間を呼べると言うことだ。


 そう、いつ音を聞きつけて誰かが来てもおかしくはない。来る前に逃げるべきだ、と理性が囁いた。先ほどのアルガスの様子からして、手出しをしては怒るだろう。二人がかりででも、と思うには思ったのだが、アルガスには【契約の民】について聞かなければならないこともある。怒らせるのはまずい。もちろん死なれるのもまずいけれど、加勢が来ない限り、アルベルトを仕損じることはなさそうだ。ニーナのためだ、と自分に言い聞かせて、二人の戦いを迂回してそろそろと扉に向かった。さっき抜き出した小刀をアルベルトに見られぬよう手のひらの中に隠して。


「じっとしておいでなさい、お嬢さん。この館にはごろつきも大勢いるのです。全員が私のように優しいとは限りませんよ――と」


 鋭い一撃を避け、アルベルトが床へ転がった。扉への空間が空いたので舞はさらに移動した。起きあがろうとしたところへアルガスの追撃を受けて体勢を崩したアルベルトが、しかし余裕と微笑みをたたえた口調で言った。


「そろそろここへ、ガルテが着く頃ですか」


 舞の足と、アルガスの腕が一瞬止まった。その隙にアルベルトは立ち上がってアルガスから距離を取り、爽やかと言えそうな声で言った。


「案内人殿には聞きたいこともたくさんありますし、お会いするのが楽しみでね。こちらは傷をつけても構わぬことですし、いろいろと楽しめそうです」


 たぶん、その事実を告げる一番効果的な刻を計っていたのだろう。

 ちょうど扉が叩かれた。お入りなさい、とアルベルトが言った。思わず下がった舞の目の前で、扉が開く。そこにいたのは、さっき会ったばかりのガルテだった。無惨にも大きな布でくるまれて――ちょうど底に切れ込みを入れた大きな袋を頭からかぶせて、頭と足を出させた状態だ――その上から縄でぐるぐる巻かれている。【契約の民】を捕まえるのに慣れている、と舞は思った。【契約の民】は契約の印を露出させていないと、契約を発動させることが出来ない。


 ガルテを挟むようにして、二人の男も一緒に部屋の中に入ってくる。


「ようこそ、【アスタ】の案内人殿」


 アルベルトが楽しそうに言った。しかしその先を言うことは、出来なかった。

 ガルテの左に居た男が、舞の体当たりを受けて狼狽の声を上げたからだ。

 舞は体当たりをかけざま男の腰に手を伸ばして、下がっていた剣を引き抜いた。


「!!」


 剣は重かった。柄を中心にして刀身を回す。刃先がガルテの縄を掠めたが、さすがに切ることは出来なかった。右隣の男がようやく剣を抜こうとしたところへ、逆手に持ち替えた剣の柄を突き出す。

 柄が男の手に当たって、剣を取り落とした。


「な――」


 その頃にはこの剣の重さに慣れていた。セルデスとマスタードラの教えが耳の中で鳴り響いていた。腰を落とせ、感覚を研ぎ澄ませ、呼吸を整えろ。お前には力がない。重い剣を振り回そうと思うな。剣の刃で相手を切ろうとも思うな。

 舞うんだ。

 教えの通り、彼女は舞った。重い剣を相手に足が拍子を踏んだ。胸元に下げた小さな小さな剣の感覚を基点に感覚を研ぎ澄ます。エスティエルティナと舞う時のようにはいかなかったが、相手が二人なら充分だった。ガルテの後ろを通りざま、縛られた手に小刀を滑り込ませることもできた。ルファルファ神との約定を違えずにも済みそうだった。


 数瞬後、一人は気絶し、倒れたもう一人の首元に剣を突き付けた舞に、アルベルトが――アルガスによって窓際近くまで追いやられていた――言った。


「おかしいと思っていたんです」


 その瞬間。

 アルベルトの体から、何か目に見えない衝撃のようなものがふくれあがった。

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