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花の歌、剣の帰還  作者: 天谷あきの
第六章 エスメラルダ

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エスメラルダ(7)

『ニーナがここに湯治に来ていたのは、七年前、ですよね』


 水を向けると、彼は頷いた。


「ニーナが病を得たのはもっと前ですけどね。十年前、僕がここの統治権を得たのが秋。その次の春にはもう一度目の発作が起こったんじゃないかな。一度目の発作はすぐに済んだから、それがあんなに長引くなんて思わなかった。

 でもあの時は子どもだったからなのか、今ほど……ついこないだまでほどじゃなかったですね。発作が始まって二年経ってもひとりで歩けていたから。でも、僕があんまりここにいなかったから、そう思うのかも知れないな」


『ここに、いらっしゃらなかったんですか』


「ええ。母が死んで、しばらくは、アナカルディアとここを行ったり来たりしてましたから。でも姫がここに来た時にはいましたよ。大騒ぎでしたから、よく覚えています」

『魔物を……その……退治、なさったのは、マスタードラさんなんですよね』


 エルギンは息をついた。


「そんなことまで話したんですか。すごいな」


 そこで、温泉についた。想像していたよりも近かった。歩いたのは、五分程度と言うところだ。なるほどこの距離なら、幼いニーナもひとりでの往復を許されるだろう。


 森に囲まれた小さな温泉の周りを、ミネアとビアンカが駆け回っていた。元気だ、とシルヴィアは思った。ビアンカだって馬に乗るのはあまり慣れていないようなのに、どうしてあんな風に駆け回れるのだろう。よくよく考えれば、シルヴィアは走ったことが数えるほどしかない。踊りも苦手だった。ひとつの宴で一度か二度しか踊らないというので、令嬢たちにはいろいろと嫌みを言われたが、疲れてしまうのだから仕方がないではないか。


 ――私、やっぱりひ弱だったのかしら……


 そこはかとなく落ち込みそうになったとき、マスタードラが言った。


「ロイド、いないな、ここにも」


 アルガスがゆっくりと温泉の周りを回っていた。顔は心持ち森の方を向いていた。一体何をしているのだろう、と思う頃、一周してこちらへやってきた。


「誰もいないようですね」

「どこ行きやがったのかな、あいつ」

「小屋で待ってみようか」


 エルギンが言ったとき、ばしゃばしゃと水を跳ね返す音がした。見るとミネアが裸になっていた。温泉の淵に腰掛けて、足でばしゃばしゃと湯を蹴り、あちちちち、と言いながらゆっくりとお湯の中に滑り込んだ。ビアンカもお湯に手を浸している。エルギンが苦笑した。


「あーあ、入っちゃったよ」

「びあんかもはいろーよー、きもちーよー」

「うー、羨ましいなあ三歳児。でも無理。それは無理」


 ビアンカが言い、ミネアはなんでーと唇を尖らせた。


「めのほようなのに」

「どこで覚えたの、それ」

「いーがいってたよ」

「誰それ」

「……あいつは……」


 マスタードラが呻き、エルギンが苦笑した。


「ビアンカ、もし良かったら入っても構わないよ。シルヴィア姫もどうぞ。せっかくここまで来たんだし。人は誰もいないそうだし、僕たちが後ろを向いていれば済むことじゃないか」

「ううう……そうねえ……温泉かあ、初めてなんだよなあ。惹かれるなあ。王子様なんだからこっそり覗いたりはしないだろうしなあ。でも拭布がないと」

「あるぞ、小屋に」とマスタードラが言った。

「そのお湯は美容にもいいらしいよ」

「入る」


 即答だった。マスタードラが小屋に戻って拭布を取ってきて、そこで三人の男たちは並んで座って温泉に背を向けることになった。あなたもどうぞ、とさらに勧められたが、シルヴィアは断った。温泉に入るよりも、エルギンと話がしたい。

 後ろできゃあきゃあと楽しげに湯を使う音を聞きながら、岩に腰をかけたエルギンが、


「ニーナが姫を見つけたのはさっきの曲がり角だそうですよ」


 話を蒸し返した。シルヴィアが聞きたがっていることを悟ったのだろう。シルヴィアは感謝して、エルギンの肩に戻った。


「歩いていたら物音がして、ちょっと森に入ったそうです。そしたら見つけたんだって。最初は人間だと思わなかったそうでね、姫もニーナを見て一度は逃げたとか。二本足で走ったのを見て、人間だってわかったそうで」

『……そんな……』

「二ヶ月も森の中を追いかけ回されればそうなるんじゃないかな、誰でも」

『でも姫は、すぐ仲良くなったって言ってたような気がするわ』

「そう、すぐ。ニーナが名乗ったから」


 エルギンは苦笑に似たものを声に乗せた。

 そして続けた。


「ニーナは小さな女の子だったし、自分を追いかけている兵士と全然違うとは思ったんで

しょうが、二ヶ月も逃げ回っていて、そんなにすぐ心を許せるものでもないでしょう。偶然というのはすごいものです。あの偶然がなかったら、多分姫はそのまま逃げちゃって、そして森の中で死んでしまったんじゃないかな。本当に幸運だったんだと思います。ニーナの名前は、姫の初恋の相手と、同じなんだそうですよ」


 アルガスがわずかに身じろぎをしたようだ。シルヴィアは先手を打った。


『グウェリンさん、ビアンカがお風呂に入っているのに動いたら、あらぬ誤解を受けかねないわね。構わないからそこにいて。エルギン王子、聞かれても構わないでしょう?』

「構わない。今じゃエスメラルダ中の人が知ってる話だからね」

「……そうですか? 俺は知らなかったなあ」


 マスタードラが間延びした声で言い、エルギンは呆れたようだった。


「絶対一緒に聞いてたよ。忘れただけだろ。本当にマスタードラは、剣技以外のことには興味がないんだからなあ」

『初恋の相手って、故郷の人よね。えっと、同じ、が、が……何だったかしら』

「同じがっこうの男の子ね。同い年で、武道を習っていて、同じくらすの男の子数人にいじめられてた姫をかばってくれた。良く帰り道で待っててくれて、一緒に帰った。……僕ねえ、思うんですけど、その子と仲良くなったからさらに、いじめっ子たちがやめられなくなったって気がするんですよ。悔しくて。どこの世界でも人間って変わらないんだなあ」


 意味がよくわからない。シルヴィアは少し待ったが、エルギンは説明はしなかった。続けて、


「で、その男の子の名前が、ニーナと同じだったんです。もしいじめっ子と同じ名前だったら、立ち止まらなかったかも知れないですね」

『ニーナ、って名前だったの、その子が? 男の子なのに?』

「いや、にいな、と発音するのはどうも、家名だったらしいんですよ。固有名はすぐる。にいなすぐる、という名前だったとか」

『それでも変わった名前だわね……』

「言葉が全然違うそうですからね。姫だって家名まで入れると、さとうまい、ですよ。変わってるでしょう。そもそもまい、という名前だって、あっちじゃ姫君、という意味はないそうで。踊るとか舞うとか、そういう意味になるそうですよ。そうそう、マスタードラの名前もね。今でもたまに言うんじゃないか、ぷちぷちくんって」

「ああ、そうそう。たまにそういうわけの分からないことを言いますね、あの子は。しかし良く覚えてますねえ、そんなことまで」


 マスタードラの言葉に、エルギンはこともなげに言った。


「忘れるわけないだろ」

「そうでしょうかねえ」


 ――忘れるわけが、ない。


 シルヴィアは息を詰めた。さりげない言い方だったが、でも。


「それでニーナは姫と仲良くなって、毎日待ち合わせて会って、食べ物を渡してお喋りした。それが十日くらいは続いたのかな。でもランダールが様子を見に行った日にニーナが発作を起こして、食べ物を渡しに行けなくて、やむなくランダールに頼んだ」

『ランダールという人は、とても頭のいい人だったんですってね』

「そう、ニーナの話を聞いて危惧を抱いた。本当に人間なのかとね。ティファ・ルダから二カ月が過ぎ、歪みがあちこちで起こってたそうで、魔物の出現が懸念されていたころでもあったので。まあニーナが仲良くなるんだから魔物じゃないとは思ったんでしょうが、何しろニーナは病気だったし。それで罠を仕掛けた、せっけんと拭布を彼女の現れる場所に置いておいて、どうするか見極めた。姫はまんまと罠にはまった。……今でも呆れるほど風呂好きですよ、彼女は。ここに来るとふやけるまで出てこないらしいし。まあ女性はみんなそうみたいですけど」


 それでビアンカにも勧めてくれたのだろうか。シルヴィアは微笑んだが、話を戻した。


『……それで、姫は、ランダールという人に、誘われたのよね』

「そうです。でも断った、一度は。ランダールは諦めてニーナを連れて帰り、ニーナはあの刺青を得た。その時、王がエスメラルダに来ていて、狩りの協力を要請した。ランダールはイーシャットとマスタードラに頼んでこっそり温泉に先回りして、魔物と姫を見つけ、イーシャットとランダールが姫を隠して、マスタードラが魔物を殺した、と」

「疑問があるんですが」


 初めてアルガスが口を挟んだ。彼は岩の隣の地面に座り込んでいるので、覗きこまないと顔が見えない。シルヴィアはエルギンのひざに降りながら、少なからず驚いていた。久しぶりに声を聞いた気がする。エルギンも意外そうにアルガスを見た。


「なんだ?」

「マスタードラの剣は、宝剣だったんですか。その時、炎かなにかを宿していたんですか? 以前、当のその魔物を見たことがあります。王宮前に飾られているから、一度こっそり見に行った。その時はまさか本当にその魔物だとは思わなかったが―― 一撃でしたね。急所だったし、いい剣だとは思ったが、普通の剣に見え……素養がないからわからなかったのかと」

「違う」


 マスタードラが短く答えた。アルガスは黙って続きを待った。


「……違う。グウェリン、お前の言う通りだ。魔物というのはそんなに簡単に倒せるものじゃない。王は俺の腕をすばらしいと称えたが、確かに王の兵士などとは腕は格段に違うんだが、でも腕は関係ない。あれは自殺だったんだ。

 ……あの魔物はあの子を、何というか……何というか……おかしいとはわかっているが。愛していた」


 愛、という言葉に、エルギンと、アルガスが、マスタードラを見た。それは同時で、奇妙に似通った動きだった。


 ――……え、まさか、


「愛してた? 何だよ、それ。相手は魔物なのに」


「そうとしかいいようがない。口止めされてたんです、ランダールに。それが真実だろうとそうでなかろうと、姫には言うなよってね。ニーナにも言ってないことです。

 俺はあの魔物に剣を突き立てた。魔物というのはね、何度も言うが、そんな簡単に倒せるものじゃないんです。炎を宿したエスティエルティナを使ったとしても、一撃じゃ絶対無理だと思う。だから思うんです。あれは自殺だったんだ。あの魔物が望んだことだったんだ。そうじゃなきゃ炎も宿さない一本の剣だけで魔物が死ぬものか。あれは言――いや、言葉でじゃないんだが、なんというか、わかったんだ、俺には。殺してくれと言った。俺を止めてくれ、俺からあの子を守ってくれと」


『どういうこと……?』


「わからない。だが姫は見つけた時死にかけていた。ランダールと別れたその日ですよ、午前中には動き回っていた子が、何の理由もなくああなるとは思えない。外傷もなかった。病気という訳でも無さそうだった。ただ顔色が真っ白で、ぐったりして動かなかった。魔物が死んだところは見たらしい、だから意識はあったが、自分の力じゃ指一本動かせなかった。王がまだエスメラルダにいましたからね、連れて帰るわけにも行かなくて、あの小屋でしばらく、一月ほどかな、匿っていたんですが、ひどい有り様だった。最初は本当に、このまま死ぬんじゃないかと思った。三日ほど経ってようやく動けるようになったと思ったら今度は」


 マスタードラは言葉を切って首を振り、アルガスが言った。


「……痙攣ですか」

「そうだ。ひどいもんだった。詳しいな、お前」

「生気を吸われたのか」


 アルガスは言って、深い息をついた。前方の森に視線を戻し、無意識のように左手を額の辺りに当てた。袖が動いて、左手の甲から手首にかけて刻まれた、一筋の傷が露になった。浅黒い肌に細い割れ目ができて、そこから光が射しているように見える。


 しばらく、沈黙が落ちた。


 シルヴィアはアルガスの横顔を見ていた。思い至っていなかったのは、なぜだろうと、自問した。


 ――俺自身が、彼女に無事でいてもらわなくては困るんです。


 あの言葉を、聞いていたのに。


 シルヴィアはため息をついた。私は愚かだった、と思った。なぜなら彼が流れ者だからだ、だから思い至らなかったのだと、分かったからだ。彼は戸籍をもたない人間だからだ。身分で言えば平民よりもまだ低い。自分が身分の低さのことで、令嬢たちからひどい扱いを受けたのに、だから身分になどこだわらないようにしようと思っていたのに、でも自分も、あの狭量な令嬢たちと同じだった。アルガスが彼女に、ルファ・ルダの王女に当たる地位にある女性に、特別な感情を抱くなど、有り得ないと、思い込んでいた。


 エルギンも黙ってアルガスの横顔を見――いや。

 睨んで、いた。


 背後の湯音はもう止んでビアンカがミネアの体を拭いてやっている、楽しげな話し声が聞こえている。


「僕は彼女の話なら何でも覚えてるんだ」


 やがて低い、軽やかさなど消え失せたエルギンの、静かな声が聞こえた。


「ティファ・ルダの話も。人が大勢死んだことも。そしてローラ姫が殺された時、姫を助けてくれた子のことも。姫は今でも悔やんでる。その子を置き去りにして逃げたことを」


 アルガスがエルギンを見た。驚いた、ようだった。


「廃屋の中に潜んでた、彼女がローラ姫のところへ飛び出そうとしたのを止めて、逃げろと言って、兵士から逃がしてくれた子がいたんだ。姫は言ったよ、暗くて顔は見えなかったが、女の子だったって」

「女の子」


 アルガスは、少し考えて、納得したように呟いた。


「……成る程」

「僕は君に聞きたいことがあるんだ、アルガス=グウェリン。君は、ムーサの息のかからない目と耳の役割を果たすために、カーディス、僕の弟に、雇われたんだろう? それはいつのことなんだ? ムーサはカーディスにいつもへばりついていた、ほとんどいつも、ずっとね。そんな中でどうやって君を見つけたんだろう。僕はね、君の雇い主がカーディスだって知ってから、ずっと考えていた。ムーサはいつなら離れたんだろうって。そこで思ったんだ。今カーディスは名目上、ティファ・ルダの領主と言うことになっている。めったに行かないようだけどね。でも七年前、前領主セルデスが殺されてすぐ、ティファ・ルダを継ぐためにあの地へ行ったはずだ。おまけにムーサはあの時、忙しくしていたはずだよな。ティファ・ルダ周辺の【契約の民】や彫師を捕らえて火あぶりにするために」


「……」


「質問を変えようか。姫と初めて会ったのはいつだって?」


 エルギンの口調は既に詰問調になっていた。シルヴィアはエルギンの方を見られなかった。アルガスを見ていた。彼は黙って、灰色の瞳で、エルギンを見返していた。睨み返すわけではなかったが、目をそらすこともしなかった。

 マスタードラが不穏な空気にやっと気づいて、下手くそな助け舟を出した。


「エルギン様、聞いたじゃないですか、姫から。ウルクディアで――」

「マスタードラ、黙っていてくれないか」


 頼りにならない助け舟はあっさりと沈黙し、エルギンの口調に、ひどく凄惨な色が混じった。


「姫から話は聞いた。だから今、グウェリンに聞いてるんだ。答えてくれないか。初めて会ったのはいつだ」

「七年前です」


 アルガスの声は静かだった。エルギンが軽い笑い声を上げた。


「それで、女の子だって、思い込まれているわけだ」

「そのようですね」


 ――そんな、


「気の毒にな。……礼を言うよ、アルガス=グウェリン。もしその子が生きていて、もし会えたら、ずっと礼を言いたいと思っていたんだ。あの子を殺さないでくれてありがとう。僕のところへあの子を届けてくれて、ありがとう。本当に」


 シルヴィアは口を挟めなかった。エルギンの口調はとても静かで、同時に激しかった。牽制しているのだと、はっきり分かった。あの子は僕のものだと、宣言しているのだと。


 その自信はどこから来るのだろう。それはやはり王子だからなのだろうか。でも彼女ははっきり言った。自分は王妃なんかなれない。あの口調を聞いた時、確かに思ったのだ。王妃になんか、なりたくないのだと。


 まだ打ち明けてもいないのに。いつかあなたを王妃に迎えたいと言ってもいない、姫は心の準備どころか、エルギンがそんなことを考えているなんて思いもしてないようだった。それなのに。この自信は、何なのだろう……

 アルガスはしばらくエルギンの視線を受け止め、


「それならばなぜ、ひとりで外に出したんですか」


 ひどく静かな声で訊ねた。灰色の瞳が、かすかに藍を帯びた。


「エルヴェントラが何と言おうと、彼女が何と言おうと、こんな時にひとりで外に出したりしない。俺なら」

「……はは」


 エルギンは嗤った。


「彼女は死なないからさ」


 ――何を言っているのだ、


 シルヴィアは思わず、エルギンを振り仰いだ。そして悲鳴を飲み下した。そこにはあの男の顔があった。ただ若くなっただけで、本当にそっくりだった、顔立ちが似ているだけでなく、表情までよく似ていた、凄惨で残酷で、狂気じみた色まで――

 エルギンは繰り返した。


「彼女は死なない。絶対に。僕が王になるまでは」

「……クレイン=アルベルトに狙われている。王妃宮で生気を吸われた。本当に危ないところだった」

「生気を? へええ。……でも大丈夫だった。そうだろう?」

「なぜ――」


 アルガスの瞳が藍に染まった。エルギンが酷薄な笑みを浮かべ、マスタードラが腰を浮かせかけた。


「……はーいお待たせ! お待たせしましたあ!」

「おまーしまーた!」


 背後で出し抜けに能天気な声が上がって、三人は、そしてシルヴィアも、振り返った。緊迫した空気が霧散して、ほかほかと湯気の上がるビアンカとミネアが、手をつないで歩いてきていた。ビアンカはにこにこと、屈託のない口調で言った。


「あーいーきもちだったー! ありがとうみなさま、わたくしのために、ほほほ」

「ほほほー!」

「……堪能できた?」


 エルギンが苦笑して訊ね、立ち上がった。ビアンカは幸せそうに頷いた。


「もうとろけそう。温泉最高。ヘスタの言ったとおりだった、来てよかった、気持ちよすぎて眠たくなっちゃった。明日も来たいなー」

「いいねえ。誰かに頼んで連れて来てもらうといいよ。僕は多分軟禁されると思うから、マスタードラは暇だし」

「そうねえ。でもな、【アスタ】の人たちを明日もほうり出すわけに行かないしなー」


 シルヴィアは地面を蹴って少しビアンカに近づいた。まだ心臓がドキドキしていた。ビアンカに心底感謝した。


「悪いな。エルギン様は疲れて気が立ってる。姫をひとりで外に出すのはエルヴェントラの要請で、さっきも言ってたろう、ここじゃエルギン様の立場は微妙なんだよ」


 マスタードラがアルガスに声を低めて囁いているのが、シルヴィアにはよく聞こえた。アルガスの瞳はまだ藍色で、ウルクディアで初めてアルガスを見た時のことを思い出した。

 人間らしくふるまうことを知っている、獰猛な、綺麗な獣のようだとあの時、思った。


 ――姫と根っこの部分が似てる、とも。


 七年前。ティファ・ルダで。廃屋の中に潜んで。姫を止めて、押さえつけて、耳をふさいだ。


 耳を。

 ローラ姫の悲鳴を聞かせないようにと。


 それでは、とシルヴィアは思った。それではこの人は――自分の耳は、ふさげなかったのだ、と。

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