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花の歌、剣の帰還  作者: 天谷あきの
第六章 エスメラルダ

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エスメラルダ(5)



    *




 ニーナは舞が出て行ってからもしばらく、閉まった扉に目を向けていた。でも扉を見ていたわけではない。記憶の中の、舞の表情を思い返していた。


 ――今夜は仮病使うんだ。


 少し嬉しそうに見えたのは、ようやく話を聞けるから、だけだろうか?


 でもここに来る前に、広場に行った、と言った。

 貴重な休み時間に。

 反対方向なのに。

 ミネアの家とも方向が違うのに。


 いや期待は禁物だ。何しろ舞は本当に疎い。でも、と思って、ニーナはため息をついた。


 ――あまり時間がないというのに。


「……ニーナ、君の言ったとおりだ」


 デクターが静かに言い、ニーナは彼の存在を思い出した。視線を向けると、デクターはとても真剣な顔をしていた。

 ニーナはうなずいて見せた。


「そうでしょう」

「うん。本当に不思議だ。どう見ても、【一ツ葉】程度の素養しかないのにな。何かが違うんだ。でもなんだろう。雰囲気というか気配というか、そう言ったものがまるで違う」


 デクターは言い、肘をついた。


「何かきっかけがあればいつでも故郷に帰れる……か。でも僕の印象は少し違うな」

「どういうふうに?」

「何かきっかけがあれば、いつでも違う場所に行ける」

「故郷とは限らない?」

「だって遠すぎるよ。月がひとつしかない場所なんて存在するのか? うん……彼女を見るまで信じられなかったけど、今なら信じられるかな。それくらい違うよ、なんだか。何が違うのかはわからないけど。

 でも、それがどんな力にせよ、彼女の力は弱すぎる。そんな遠くにまで行けるはずがない気がする。途中で力つきるんじゃないのかって気がするんだ」


 ニーナは、唐突に泣き出したくなった。

 デクターは本当に貴重な存在だった。今まで、ニーナと同じ立場で会話できる人間なんて、いなかったのだ。ひとりも。


 でもそれは、恐ろしいことでもあった。デクターの言葉は、ニーナが今までひとりで感じて、考えて、そして考え過ぎだと自分に言い聞かせて来たことを、否応もなく目の前に引きずり出した。ニーナはもう少しで自分の心に秘めて来た考えをすべて、ぶちまけてしまうところだった、でもそこまではできなかった、デクターはニーナの味方とは限らない。まだそこまで心を許すわけには行かなかった。


 だからニーナは必死で話の流れをねじ曲げた。これ以上引きずり出される前に。


「あなたに会えて嬉しいわ。今まで、こんな話に付き合ってくれる人なんていなかったもの。ねえあなたの親友の、アルガス=グウェリン、彼には全然そういう素養がないそうね?」


 かなり強引なねじ曲げ方だった。デクターは一瞬だけ不審そうな顔をしたが、ニーナの目を見て、諦めた。


 そして付き合ってくれた。


「うん。エルギン王子の護衛の、マスタードラみたいにね。昨夜ガスが、マスタードラはものすごい、と言ってた。養父みたいだって。僕から見ればガスだってものすごい。だから思うんだよ最近。ああいう才能のある奴にはきっと、魔力の入る余地がないんじゃないかと。ビアンカもそうだ。彼女の力はすさまじい。ニーナ、ビアンカをくれぐれも頼むよ。彼女に庇護を与えることは、あなたにとって損な話じゃないはずだ」

「分かってるわ」


 ニーナは微笑んで、デクターを見た。デクターは一瞬ばつの悪そうな顔をして、ふてくされたようにそっぽを向いた。

 ニーナは内心ほくそ笑んだ。おやおや、と思う。

 見かけよりずっと年上だと言う割りには、随分わかりやすいじゃないか。

 ややして、諦めたような声がした。


「……分かってるなら助かるよ」

「彼女の安全は保障するわ。安心して大丈夫よ。で、アルガス=グウェリンだけれど」

「戻るんだ。随分聞きたがるんだね」


 そりゃそうよ、とニーナは思ったが、それは言わなかった。


「だってまだよく話してないんだもの。一度会ってお礼を言ったきりで、マスタードラがすぐ連れてっちゃったし。どういう人か知りたいのよ。舞の護衛を立派に勤めてくれたし、ちゃんとお礼をしたいし。エルヴェントラに通行証は頼んだけど、他に喜ぶものって何かしら」

「金」

「端的ねえ。いつも金欠なんですって?」

「そりゃもう涙ぐましいほどにね」

「お金ならもう手配したわ。舞に頼まれたの。馬の代金と見舞金、馬の借り賃、シルヴィアを助けた時に支払った謝礼、かつら、地下街の宿代とそれから護衛代。たっぷり色をつけるから、しばらく遊んで暮らせるわ」

「それはすごいな……でも色をつけるって、それは逆に恐縮するんじゃないの?」

「そうかもね。いいのよ、だって舞の仕返しだもの。あの子だってその程度のお金は持ってるの。そこをあえてあたしから渡させるんだもの、絶対辞退できないようにする気だわ」

「……なんで仕返し?」

「気にしないでいいわ。で、他に喜ぶものって?」

「さあねえ。通行証はもう出てるんだろ。それはすごく喜ぶと思うよ。でも……ああ……うーん……僕が言っていいかわからないけど、自分じゃ絶対言わないだろうからな。

 ニーナ、落ち着いてからでいいんだ。エルギン王子が王になってからでいい。全部落ちついたら。ガスに戸籍を」


 ニーナは目を見開いた。


「戸籍? 流れ者に? 欲しがるのかしら?」

「普通は嫌がるよ。僕も欲しくない。地図書いて回るには、流れ者の方が便利だからね。

 でもガスは、自分で望んでなったわけじゃないからね。多分今でもすごく欲しいと思う。姫に再会したんじゃなおさらだ」

「……どういう……こと?」


 デクターは黙った。黒い黒い瞳がいたずらっぽい色をはらんだ。


「それは僕の口からは言えないなあ」

「アルガス=グウェリンは、舞を知っていたそうね。【最後の娘】であることだけでなく、ティファ・ルダの最後のひとりであることまで」

「ああ、逆だね。エスティエルティナに選ばれたことを知ったのは偶然らしいよ。三年前、ここに来た時に、宝剣に追いかけ回されてるのを見たんだってさ。ガスは本当に自分からは何も言わない奴だから、ここまで知るのも苦労したんだ、僕」


 デクターの笑みはいよいよ深く、ニーナはじりじりした。


「ねえデクター。あなたはあたしを救ってくれた人なのだから、もちろん通行証は頼んであるのよ。それにね、戸籍はいらないってさっき言っていたわね。だから、永住権ならどうかしら」

「それは魅力的だ」

「でしょう。いちいちご実家に戻って閉じこもらなくても、ここなら好きに歩けるわよ、夏でも」

「ありがたいな、【最初の娘】」

「でもエルヴェントラに頼むの、結構大変なのよ?」


 デクターは笑った。


「ひひひ」

「……楽しそうね」

「楽しいなんてものじゃないさ。でもニーナ、今夜姫がガスから聞くって言ってたじゃないか? 遅くとも明日の朝には知れるのに、そんな情報と永住権を引き代えにしてもいいのか」

「構わないわ。ミネアをだしにすれば、永住権なんて簡単に手に入るもの」

「……さっきと言うことが違うな……」

「いいから、さあ。話してよ」

「うーん……でもやっぱりダメだ。本人の口から聞いた方がいいよ」

「何度も聞こうとしたらしいのよ。でも呪いがね」

「……え、何の話?」

「いいじゃない、もう。夜には聞けるんだから、今聞いたって同じよ」

「我慢も大切だよ。僕の口からは言えない。でも手掛かりならいいかな。質問をどうぞ。三つまで」

「意地悪ねえ……」


 うめくと、デクターはニヤニヤした。


「ガスは本当に自分からは何も言わない奴なんだよ。僕は長い時間をかけてひとつひとつ聞き出して、ようやく組み上げたんだ。そんなに簡単に披露してたまるか」

「うーん。じゃあひとつめ。カーディス王子のために働くようになったのはいつから?」

「うわ、そうきたか。それはなし、ってのは」

「噛み付くわよ」

「王女の脅しか、それが。……わかったよ。七年前だ」


 ニーナは息を詰めた。デクターはさらにニヤニヤしている。


「養父の火あぶりの理由は?」

「王に楯突いたからだ」

「ローラを知ってる理由は?」

「養父が知ってたからだ」

「どうして!」

「もう三つだよ。ここでおしまい。でも材料はだいぶ集まってるんじゃないの? 羨ましいなあ、姫は君に何でも話すんだね。ガスもなあ、もっと話してくれればいいのにさ」


 デクターは言って、お茶を飲んだ。ニーナはしばらく睨んでいたが、デクターがいよいよ楽しげになるばかりなので、ついに諦めた。自分も茶を飲んで、ぶつぶつ言った。


「随分仲良しなのね」

「いやいや君たちほどじゃないですよ。最近は滅多に会わなかったし」

「あなたと会ったのも、七年前?」

「四つ目だな。うーん、まあそれならいいか。いいや、違うよ。僕はその頃実家で魔法道具の研究ざんまいだった。そのうち実家にいづらくなって家を飛び出した時に、勢いで戸籍を焼いたはいいけどさ、右も左も分からないし、路頭に迷って死にかけた。いや、金はたっぷり持たされてたんだ、お坊ちゃまだからね、僕は。でも――追いはぎに遭って。へなちょこだったからね、僕は」


 ニーナは眉を上げた。


「【四ツ葉】のくせに?」


 デクターは一瞬沈黙した。

 ややして、わずかに用心深そうな声が聞こえた。


「まあ随分抵抗はしたんだけど。結局負けて死にかけて、逃げ出して、力つきて、荷物もほとんど全部なくして、着の身着のままで倒れてた。そこへガスが来たわけだ」


 どうやら触れられたくないらしい。ニーナは許してやることにした。


「……波瀾万丈ねえ。何年前?」

「五年くらいかな? その時食べ物と薬をくれてさ、僕が趣味で書いてた地図を見て、これなら売れるって言ったんだ。よかったら売って来てやるって。それで任せた。……今思えばさ、やっぱりお坊ちゃまだったよね、僕。そこでガスが持ち逃げするかもなんて、全く思わなかったもんな」


「いい人に拾われて、運がよかったのね」


「まあねえ。それで売って来てもらってその後しばらく一緒にいたかな。呆れてたんだって後で言った。右も左も分からない上剣もろくに使えないくせに、なぜ戸籍を焼いたんだって。呆れて放っておけなかったんだろうな。流れ者として必要最低限のことを教えてくれた。でもまああれだよ、弁解するけど、ガスは金欠だったからね、当時から。とくにあの頃はまだちっこくて華奢で、まるで女の子みたいに見えたから、護衛みたいな割りのいい仕事はやれなかったんだ。それにカーディス王子のために働いていたから、長期の仕事はそもそも無理だしね。荷運びとか雑用とかの安い仕事しかできないし、いっつも素寒貧だったんだ。そのうえ育ち盛りでいつも空腹だったみたいだし。今でも本当に涙ぐましいほど節約してるよ。飢えるのって本当に辛いからねえ。僕は地図を書いて定期的に金を稼げたから、持ちつ持たれつだった」


 ニーナは肘をついて、ふむふむと話を聞いていた。

 そして首を傾げた。


「女の子みたいだったの?」

「うん。僕なんか最初は絶対そうだと思ったんだ。でもちょうど成長期が始まってたらしくて、半年もしないまにあの面影は跡形もなくなった。今じゃまるで別人みたいだよ。あの可愛いのがああなるんだから、時の流れは残酷だな」


 ニーナはあいづちを打ちながらも、上の空だった。

 アルガスに会ったのは一昨日だ。舞の話の通り、細身だが、背が高く、目付きが鋭くて、可愛い面影なんてどこにもなかった。肌の色や目の色がこの辺りの人間とは少し違う。多分南方出身だろう。


 五年前にはまだ、女の子かと思われるような外見だった、まるで今とは別人みたいに――


 それは何か、重要な情報だ、という気がした。なぜだか。

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