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花の歌、剣の帰還  作者: 天谷あきの
第六章 エスメラルダ

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エスメラルダ(3)

 エルギンの居宅のある方に進むと、何だか雰囲気が賑わしいのに気づいた。向こうの方で、歓声がときおり上がるのだ。がぃん、きん、と金属のぶつかり合う音が響き、また歓声。拍手も聞こえる。


 やっぱり相手をさせられているらしい。しかし観客までいるとは。


 舞は足を速めた。もうすぐお昼時だ。あんまり時間がない。デクターにも会っていないし、ミネアにお土産も渡していないのだ。


 広場はぐるりを客席を兼ねた壁に囲まれている。その壁に切られた通路をくぐり抜けようとすると、後ろから、声をかけられた。


「姫。やっと解放されたのか?」


 エルギンだ。

 舞は一瞬だけ心の準備をしてから、


「うん、やっとね。お昼が済むまでだけど」


 振り返った。背の高いエルギンが足早に近づいて来ていた。やっぱり似てる、と、舞は外に出さないよう気をつけながらも、考えずにはいられなかった。七年前に見たあの顔。何度も夢に見た顔。厭になるほどそっくりだ。

 それはエルギンのせいではない。だから悟られちゃいけない。


「相変わらず厳しいな、エルヴェントラは」


 エルギンはにこにこしていた。若く、屈託がなく、明るくて、あの男に似過ぎていることを考えなければ、かなりの美男子と言える。茶色の巻き毛に、白い肌。なるほど、王子様! という外見と雰囲気だ。生まれというのはやはり外見になにがしかの影響を与えるのだろうか。カーディス王子もそうだった。エルギンとは全然似ていないのに、やはり王子様! という感じの人だった。


 シルヴィアに指摘されて、舞は初めて思い至ったのだ。エルギンは、傍から見れば、ニーナや自分の相手になり得る存在なのだ、ということに。


 子供のころから知ってるからか、そういう対象として考えたことが本当になかった。エルギンもそうだろうと舞は思う。多分アナカルディアかどこかにいる姫君を一途に思い続けていて、他を見る余裕がないのだ。その姫君は一体どんな人なのだろうと、これまた初めて考えた。


「そんな貴重な休み時間に、こんなところで何を?」


 エルギンに問われて、舞は広場の方を見た。また歓声と拍手が湧き起こった。勝負がついたのだろう。


「うん、人を捜してるの。ねえ、この歓声ってマスタードラとが、アルガスかな?」

「が? ……うん、そうだよ。僕は恥ずかしいよ、何で僕の護衛は剣のこととなるとあんなに見境がないんだ? 三年前とちっとも変わりゃしない」


 エルギンはぼやいた。


「三年前……」

「ああ。グウェリンは三年前にも来てるんだよ、姫はいなかったっけ、そう言えば。それが、また姫の護衛で来るなんて不思議だな。全くマスタードラときたら」

「本当にねえ。徹夜明けでも相手をさせたのかな」

「いやさすがにそこまでは。僕が気づいて止めなきゃそうしてただろうけど」


 エルギンはひそやかに手柄を主張した。舞は笑った。


「それはお手柄。で、エルギンは何してるの? 散歩?」


 あたしが軟禁状態で山ほど書類を書かされたのに、という恨みを少々込めてみると、エルギンは苦笑した。


「僕だってようやく解放されたところだよ。それでふと外を見たら、姫が歩いていたからさ。何サボってるんだって言いに来た」

「ふふ」


 舞はまた笑って、そうだ、とエルギンを見上げた。


「そうそう、エルギンにも聞きたいと思っていたんだ。十年前のこと」

「何なりと。……え、十年前?」


 舞はうなずいて、通路をふさいでいることに気づき、脇によった。通路の壁にもたれて、ニーナの反応を、思い返した。

 フィガスタから、医師の存在を聞いた、と言った時。

 眠かったし、へとへとだったが、はっきり見た。ニーナは一瞬だけ、無表情になった。凍りついたみたいだった――あんな顔を見たのは、初めてだった。


 聞いてはいけないことだったのだ。きっと。

 もう、ニーナには聞けない。あの表情は、二度と見たくない。


 でも誰かに聞かずにはいられなかった。そして安心したかった。ニーナは何も隠してないと、確信を得たかった。あの表情は、見まちがいだったのだと、自分を納得させたかった。


「十年前、アナカルディアに行った時のこと。ニーナとふたりで行ったって、聞いてたけど」


 エルギンは。

 まじまじと、舞を見て。

 そして――


 微笑んだ。舞はぞっとした。それは紛れも無い、嘲笑だったのだ。


 ――あざ笑っている。エルギンが。

 ――でも、誰を? あたしを? どうして?


 目の前に立つエルギンが、急に大きくなったように思えた。

 ややして、優しい声が聞こえた。


「フィガスタかヴェガスタから、何か聞いたんだ」

「ん……う、ん」

「何だって?」

「……医師を。ニーナがフィガスタを排除しようとしたのは、フィガスタが最初に、医師を、殺そうとしたからだって」

「それだけ?」


「うん。……あの。ニーナとふたりじゃなかったの? 本当は医師が一緒にいたの、三人で、アナカルディアに行ったの?」

「三人?」エルギンは笑みを深めた。「違うな」

「違う? どういうことなのか……教えてくれないかな」

「嫌だよ。ニーナに殺されたくはないからね。でも手掛かりをあげるよ。狩りの日程は七日だった。四日は真面目に狩りをして、残り三日になってようやく機会を見つけて、僕はニーナを騙して連れ出した。そしてアナカルディアとここを往復し、僕は判定に間に合った」


 舞は瞬いた。


「……え……?」

「不思議だろ? もうひとつ。僕はムーサの兵に殺されかけた。矢が突き立って、剣でも斬られて、死ぬ寸前まで行った。血がどばどば出たよ。でも傷は跡形もない。神業だったよ、まさに。母様を助けられなかったのは、彼女の腕のせいじゃない。母様が拒否したからだ」

「……待って」

「君は」


 エルギンはひどく、昏い声で言った。


「そんな腕を持つ医師を、知ってるのかな」


 もう笑みなどかけらもなかった。

 そしてエルギンは、手を伸ばした。舞はまだ混乱していたから、反応できなかった。エルギンは舞の左手を取ると、自分の口元まで持ち上げて、指先に唇をつけた。軽く。


 ぴりっと、電流が走った気がした。まだ手を握ったまま、唇を外してエルギンが笑う。


「頑張って真実を見つけるといいよ。君って人は、本当に、面白いなあ」


 揶揄するように言って、エルギンは手を放した。舞は後ずさりたくなるのを辛うじてこらえた。これは本当にエルギンだろうかと、おかしな疑いが兆した。


 そして広場の方の歓声が既に止んで、ざわめきに変わっていることに気づいた。

 それどころか、広場から誰かが出て、こっちに向かってきていたことにも。


「エルギン様、ちょうど良かった」


 汗を拭いながら、マスタードラが快活な口調で声をかけてきた。その後ろにはアルガスがいて、舞とエルギンに軽く頭を下げた。見られただろうかと、ふと思った。エルギンが舞の左手に唇をつけたところを、アルガスに見られただろうか。


 見られたとしても別に問題はないはずだ。

 そう思うが、なぜだか胸がざわざわした。


 少なくともマスタードラは全然気にしていなかった。あちらの方が明るいから、見えなかったのかもしれない。マスタードラは明るい声で言った。


「今からこいつを案内して温泉にでも行こうかと思うんですが、いいですか。夜には戻りますから」

「いいご身分だな」


 普段どおりの声でエルギンがとがめて見せた。


「こっちは書類仕事だの客の相手だので息つく暇もないってのにさ。見物人まで大勢集まっちゃって、まるでお祭り騒ぎじゃないか。どっちが勝った?」

「五本のうち三本は俺が」


 マスタードラが嬉しげに言って、エルギンは眉をあげた。


「そりゃすごい。三年前より腕をあげたんだな。三年前は一本も取られなかったじゃないか、マスタードラ。うかうかしてられないんじゃないのか」

「まったくですよ」


 マスタードラが嬉しげに応じて、エルギンは顔をしかめた。


「何がそんなに嬉しいんだか、この剣バカは。ふうん、温泉ね。寒いし、さぞいい気持ちだろうな」

「いや入りませんよ。ミネアとビアンカも連れて行くつもりなんで。シルヴィア姫もね」

「何だ、それじゃ行く意味なんかないじゃないか」

「まあ気晴らしですよ。カーディス王子が動くまで、こいつにはすることもないんだし……」


 エルギンは、顎に手を当てて、ニヤリとした。


「読めたぞ。ミネアとビアンカにせがまれて連れて行く羽目になったから、グウェリンを巻き込もうって魂胆だな。子守は多い方がいいもんな」

「……なんでわかるんです」


 マスタードラの正直さにエルギンは苦笑した。


「まあいいよ、僕も一緒に行っていいなら」

「えええ?」


 マスタードラは仰天したが、エルギンの方が上手だった。


「今日の午後は来客の予定はないんだ。書類なんて明日でもいいだろ。もう息が詰まって死にそうなんだ。連れて行ってくれないなら……姫、ルファルファの泉に挨拶しに行ったのか? どうせまだなんだろ。泉に行ってついでに国境越えてラインディアにシルヴィア姫を送って行こうか、一緒に」


 冗談じゃない。舞はため息をついた。


「エルヴェントラに殺されるよ」

「うるさい護衛がついてこない絶好の機会なのに?」

「わかった、わかりましたよ」


 マスタードラは苦笑した。


「じゃあ一緒に行きましょう。マーシャに茶と菓子を頼んであるんです。小屋でみんなで茶を飲んでぶらぶらするだけですが、今日くらい気晴らしをするといいですよ」

「いいねえ、久しぶりにのんびり出来るなあ。あ、姫は来客の予定があるんだよね。頑張って」

「……いじめだ……」


 舞が呻くとマスタードラが笑った。腹が立つほど明るく。


「まあ頑張れよ。暇になったら連れてってやるさ」

「いつかな、それ」

「うーん、やっぱり弁当も作ってもらえば良かったな。よし、そうと決まれば善は急げだ。エルギン様は着替えてきてください。馬に乗りますからね」

「わかったよ」


 マスタードラはさっさと歩いて行ってしまった。舞はアルガスを見上げた。聞きたいことがあったのに、やっぱり今日も聞けなさそうだ。


「……いいなあ、ふたりとも」


 思わず呻くと、アルガスが困ったような顔をした。


「ずっと書類を書いていたのか?」


 久しぶりに声を聞くような気がした。やっぱり耳に快い声だ、と思った。もっと話してくれればいいのに。

 でもそうは言わず、舞は瞼を押さえて見せた。


「うん。もう目が痛い。指も痛いし。エルギンずるいよ、自分だけ」

「ごめんね、姫。お土産持ってきてあげるよ」

「お土産?」

「うん、そうだな、温泉のお湯とか?」

「いらないよ!」

「そう? 万病に効くって言うんだから、痛んだ目にも効くかも知れないじゃないか」

「ああ……それはそう……なのかな? え、でもどうやって使うのかな」

「エルギン様! スヴェンを説得してくださいよ、締め上げられるのは厭ですからね!」


 マスタードラが向こうで怒鳴っている。エルギンがわかったよ、と答え、じゃあ、と舞に手を振って歩きだした。

 アルガスが言った。


「大変だな。無理するなというのも……無理だろうが」

「エルヴェントラも温泉に連れてってくれればいいのに」


 舞は、アルガスの隣に並んで歩きだした。こっちに来たのはアルガスを捜していたからで、出掛ける以上は用はないのだ。シルヴィアもビアンカもミネアも行くとなれば、昼食に付き合ってくれそうなのはニーナしかいない。もちろん不満ではないのだが。でももしニーナまで一緒に行くと言ったら、自分も逃亡しよう。そうしよう。


「あ、そうだ。デクターさんってどこにいるのかな」


 訊ねるとアルガスは首を傾げた。


「俺が出た時は、借りている家にいたが。監禁はされていなかった」

「それはよかった。じゃあ捜してみようかな」

「食事の後には必ずニーナ姫のところに行くはずだろう。……会ってないのか、まだ」

「……」


 顔をしかめて見せるとアルガスは苦笑した。


「エルヴェントラというのは恐ろしい人物だな」

「本当にね。ニーナを助けてくれたお礼もまだ言えてないんだ。それにオーレリアが、炎彫ってもらえばって言ってた。なるほど、と思って」

「そうか。それはいい」


 エルギンの居宅に着いた。中ではマスタードラが大騒ぎをしており、スヴェンがきんきん声で嫌みを言っているのが聞こえた。エルギンが、のらりくらりと嫌みをかわしているのも聞こえる。エルヴェントラもスヴェンみたいに嫌みだけで許してくれる人ならいいのに、と思っていると、アルガスが言った。やや声を潜めるように。


「忙しいところ申し訳ないが」

「ん、なに?」

「養父のことを話しておきたい。時間を作ってくれないか」


 舞は息を飲んだ。アルガスの方から切り出すとは思わなかった。落ち着け、と自分に言い聞かせなければならなかった。呪いが発動する前にと、思わず胸ぐらつかんで揺さぶりたい衝動にかられたが、なんとか我慢した。


「あ、たしは、今でもいいんだけど」

「少し時間がかかる。マスタードラが待っていてくれるとは思えない」

「置いて行ってくれるとも思えないしね。……わかった。夜でも? 今日の夜は仮病使ってでも死守する。家に来てもらえると助かるんだけど」


 エルヴェントラはたぶん、アルガスから話を聞くと言えば、予定を空けてくれるだろうとは思った。けれどそれだと、話の内容を報告しなければならなくなる。アルガスは微笑んだ。


「ありがたい。忙しいのに申し訳ないな」

「いえいえこちらこそ。じゃ、夜にね。行ってらっしゃい。ミネアとビアンカとシルヴィアをよろしくね」


 手を振るとアルガスは頷いた。舞は踵を返して、自分の家へと歩きだした。いよいよ話を聞けるのだと思うと、跳びはねたくなった。本当にもう、なんでこんなに時間がかかってしまったのだろう。


 これ以上呪いに邪魔されないように、準備を整えておこう。マーシャに頼み込んで、絶対誰も近づけないようにしてもらおう。今度邪魔されたりしたら、自分で誰かを呪ってしまいそうだった。

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