家路(12)
シルヴィアが戻って来たときには、夕暮れが近かった。
まさか戻ってくるとは思わなかったので、羽ばたきの音を聞いても顔を上げなかったほどだった。アルガスが左隣りで「シルヴィア姫、」と呟いたのでそうとわかった。舞は顔を上げ、今まさに舞の馬の頭に舞い降りたシルヴィアをまじまじと見た。
『ああよかった、暗くなる前に追いついたわ』
シルヴィアは優美に首を傾げた。
『昨日みたいに野営地を探して街道を逸れてたらどうしようって、心配しちゃった。今日はまだ泊まるところを探さないの?』
「エスメラルダまでもう少しですから。さっきのようなこともあるし、このまま進んで、着いてからゆっくり休んだ方が」
『そうなの。本当にもうすぐなのね。わくわくしちゃうわ』
そこでようやく舞は口を開いた。
「シルヴィア……ルーウェンさんと一緒に行かなかったの?」
『ええ。エスメラルダを見たいんだもの』
シルヴィアは事もなげに言って、反対側に首を傾げた。
『嫌?』
「え……や、嫌じゃない。嬉しいよ。それに、さっきはありがとう、シルヴィア」
言った声は我ながら自然だった。ふふ、とシルヴィアは笑った。
『役に立てたなら良かったわ。グウェリンさん、おケガは?』
「いえ、お陰で助かりました」
アルガスの言葉に、シルヴィアはさらに嬉しそうに翼を振った。
『良かったわ。本当に』
シルヴィアは舞を責めなかった。雰囲気を和ませる明るい声が続いた。
『ルーウェン様はね、私に求婚してくださった人なの。分かっていただけるか、本当は不安だったのだけど、瞳を見たら一目でわかったとおっしゃっていたわ。なかなか熱烈だと思わなくて?』
シルヴィアの声はあっけらかんとしていて、舞は思わず微笑んだ。
「すごいね。イェルディアで、シルヴィア姫ってどんな人か、水夫たちに聞いてみたんだけど、すごい美人で、求婚者が山ほどいるって噂だったよ」
『そうね、覚えているだけでも二十人はいたわ』
「そんなに!?」
『でも当然なのよ。ラインスターク家といえば大貴族でしょう。よしみを通じたい方は星の数ほどいるわね。そこへきて、私が養女だと、それも身分の低い貴族の出だと、知れ渡っているの。つまり身分の釣り合いはそれほど気にしなくてもいい娘で、その上ラインスターク家との親戚付き合いがついてくるとあれば、年齢のあう殿方なら一度は申し込むんじゃないかしら。心に決めた方がいらっしゃらない限り……婚約を破棄されたって令嬢から恨み事を言われたことも一度じゃないから、心に決めた人がいても、なのかしら。家柄の力はすごいものだわね』
シルヴィアはさばさばと続けた。
『年齢が合うと言っても、独身ならいいと思う方も多かったらしくて、聞いた話では上は四十七歳から、下は九歳までいたそうよ。本当に、よりどりみどりだったわ。あんまりあからさまな方々は、私に知らせる前にみんなが断ってくれていたの。執事、レノア……ああ、侍女の名前よ。それからおじ様、アイオリーナと関門を突破して、私のところまでたどり着いた方々が、さっきの二十人。どう、感心した?』
「……感心というか、呆気に取られた」
別世界がここにもあった、と舞は思った。シルヴィアはアルガスを見て、悪戯っぽく言った。
『ああ、席を外してくださらなくても結構よ。私ったら脱線が過ぎるわね。そう、だから求婚者の大多数は、今の私がシルヴィアだってわかるわけないのよ。一度や二度会って、一緒に踊ったかどうかも忘れたくらいだもの。でもルーウェン様はね、違ったの。そうじゃなかったらあんなこと出来なかったわ。でも嬉しかったわ、ふふ、私ったらまだドキドキしていて口が軽いわね。ねえ聞いて、私はあなたの外見を愛した訳じゃないって言われたの、そんなこと言われたの初めてよ!』
「すごーい!」
きゃあ、と言うような声を上げてシルヴィアは翼で顔を覆った。舞は思わず顔をほころばせた。若い娘同士の会話に、アルガスが少し身じろぎをした。居心地が悪いらしい。
シルヴィアは羽から顔を覗かせてくすくす笑った。
『ああ、ごめんなさいね、本当に脱線が過ぎるわね。ええと、あの後少しお話をしたの――姫、時間ができたらでいいの。機会があったら、ついでで構わないの。私をいつか、ラインディアに送って行ってね。アイオリーナとお茶を飲んでほしいし、レノアとテッドにも会わせたいわ。アイオリーナは本当に素敵な人よ。あなたときっと気が合うと思うの』
「うん。もちろん」
『良かった、約束よ? そう、それでね? クレイン=アルベルトが魔物だから近づけないようにって伝えて来たわ。おかしなことを言ってた。魔物とはあんなにひ弱な存在なのですかって』
「ひ弱?」
舞はアルガスを見た。夕暮れがいつしか街道を覆っていた。低く傾いた日は赤々と燃えて、街道の先へ沈みかかっている。赤い光に照らされて、アルガスが身を乗り出して来た。
「よく聞かせてください」
『ええ。……ええと、ひ弱だと。そう、馬の上で身を起こしていることもできず、うずくまってばかりいたと言ったわ。私も見たのよ。ものすごい目で睨まれてぞっとしたけれど、【アスタ】のときほどの圧力は感じなかったわ。矢で射られて』
「射られた!?」
『大丈夫、かすりもしなかったわ。矢ってまともに見たの初めてだけれど、黒い泥みたいなものを塗るものなの? 弓が汚れてしまわないのかしらね? ええ、それですぐそばの木に突き立って、驚いて落ちたけど、駆け寄ってくる前に逃げられたわ」
それではシルヴィアのことも毒矢で射たわけだ。馬さえ殺す毒だというのに、かすりでもしていたらと思うと、みぞおちの辺りが冷たくなる。
『寒かったのか、外套をすっぽり被っていたわ。顔を見られるのが嫌だったのかしら? 顔は相変わらず、綺麗で、傷を隠してる様子もなかったけれど』
「光を浴びたくないほど弱ってるって……ことかな」
ファーナは昼が苦手だった。昼の間は、よほどのことがない限り動かず、眠って過ごしていた。光が嫌なんだ、と言っていたこともある。
ウルクディアで、アルベルトは平然と顔をさらして歩いていたのに。
『追いかけてこなかったから、グウェリンさんが阻んだのかと思っていたわ』
「いや、俺は顔も見なかったんです」
『そう。じゃあ、出てくる体力もなかったということかしら』
アルガスはしばらく考えて、長めの息を吐いた。
「朗報だ。感謝します、シルヴィア姫。ありがとう。まだ自分で襲ってくることはできないということだ」
アルガスの言葉に舞も頷いた。ホッとした。エスメラルダにたどり着く前に、再びどこかの兵を動かして襲ってくる確率は低いだろう。
それにしても、そんな体でどうやって、ラインディアに先回りしたのだろう、という疑問が、再び兆した――
*
ふたりのもとにたどり着いてから、しばらく経って日が暮れた。
シルヴィアは一生懸命いろいろとおしゃべりをした。アイオリーナのことが専らだった。彼女のことなら、話すことはいくらでもあった。気高くて優しくて凜として、思いやりがあり決断力もあるアイオリーナ。姫と似たところがあると思う。口数の多さはビアンカに似ている。テッドに情報の収集を頼んでさまざまなことに精通し、普段は令嬢らしく控えめにしているが、いざ必要だと判断すれば、大人の男さえ丸め込むことができる。ただ外見にあまり気を使わず、シルヴィアの審美眼から言えば少々太り気味で、痩せればもっと美人なのにと歯痒く思っていた。自分で髪を結うこともできず、衣装や宝石の趣味があまり良くない。多分自分の外見に興味がないのだ、考えることが他にいっぱいあり過ぎて。でもそれを自覚していて、衣装や宝石を選ぶ時は自分で口を出さず、シルヴィアとレノアに任せるだけの分別があった。
「アイオリーナは不器用なの。刺繍をしているといつもよってきて、私の手つきを感心して見てたわ。お菓子を作るのも苦手だし、お茶の調合なんてしたことないし、猫舌だし、味覚の方もね、少々――甘いものが大好きなの、それも私には頭痛のするほど甘いものがね。甘ければ何でもいいんじゃないかと思ったりしたわ。多分彼女は殿方に生まれた方が良かったのだと思うわ、政治などについて語らせたらそれはそれはすごかったんだから。その代わり、女性的な仕事は一切駄目だったのね。でもね、私はそれが嬉しかった。だっていろいろと手伝って上げられることがいっぱいあったもの。ああ、なんだか欠点ばかり話しているわねえ? でも本当に素敵な人なのよ。本当に大好きなの。欠点さえ彼女の場合は美点だわ。アイオリーナの妹になれて幸せだわ――」
姫はなんだか落ち込んででもいるのか、故郷にもうすぐ帰れるというのに沈みがちで言葉数が少なかった。それにアルガスときたら自分からは一言も話さないのだ。何度も、席を外さなくていいと言ったので、今は隣に並んで進んでいるが、ずっと黙っているのでいないも同然だった。話しかけても言葉少なに返事を一言か二言返すだけ、ルーウェン様よりもっと口数が少ない、とシルヴィアは思う。
辺りは既に暗く、月明かりではシルヴィアには何も見えない。ふたりが馬に乗って進んでいるというのに自分だけ寝るわけにも行かないし、この重苦しい雰囲気はどうも耐え難かった。
姫は一体どうしたんだろう、と、おしゃべりの種を捜しながらシルヴィアは考えた。さっきの乱闘が、よほど尾を引いているのだろうか。
シルヴィアよりもずっと、乱闘などには慣れていると思っていたのに。
『それじゃあ今度は、エルギン王子のことを聞かせて』
アイオリーナのこともあらかた話し終え、ニーナ姫とミネア姫のことは散々聞いて質問も尽きたので、シルヴィアはそう言ってみた。姫は話しかければ答えてくれる。普段よりやや口が重いが、シルヴィアのことを怒っているわけではないようだ。
『そうね、まず、年齢は? カーディス様よりも三つか四つ上って聞いたことがあるわ』
「ええと……二十一かな……待って、もう二十二かな?」
『なあに、なんでそんなにあやふやなの? ニーナ姫とミネア姫のことは、あんなにすらすら答えたくせに』
「だってそんなこと改めて聞かないから。同じ家に住んでるわけじゃないし、頻繁に会うわけでもないし、エルギンは巡幸にも参加しないから、冬の間にしか会わないし。冬の間はひと月に一回くらい、ニーナを訪ねてきてるから、あたしもたまにお茶を呼ばれたりするけど。もちろんすれ違えばおしゃべりもするし、出掛ける時に行ってきますくらいは言う」
『なんだ、そうなの? あのね、カーディス様にはアイオリーナがいるわ。結婚の約束はまだだけれど、時間の問題のはずなのよ。早く申し込んでくれないかって私じりじりしながら待っていたのよ。ねえ、エルギン王子にはそういう人はいないの?』
「さあ……? どうなんだろ。聞いたことないな」
『ええー、つまらないの。なんでそういう大事なことをちゃんと聞いておかないのかな。ねえ、ニーナ姫のお相手じゃないの? そう言えばさっき言葉を濁してたわね? 年齢も釣り合うし、家柄だって申し分ないし、さてはってちょっと思っていたのだけど』
「違うよ。エルギンにはその、素養がないからね。【最初の娘】の相手は、魔力がないと駄目なんだ。……そう言えばデクターさんって【四ツ葉】だって言ってたっけ?」
それはアルガスに向けた言葉だった。急に水を向けられたアルガスは驚いたように、久しぶりに口を開いた。
「……ああ。オーレリアが信じられない程の魔力だって言っていたこともある」
「じゃあそれがエルヴェントラにばれないように気をつけた方がいいよ。ばれたら体よく監禁されて二人目の娘を作れって強要されるかもしれないから。……まあもうばれてるだろうから、手遅れかもしれないけど。ニーナが元気になったら早めに逃げた方がいいかもね。あの人ならやる。絶対やる」
姫の言い方はエルヴェントラという人物への少なからぬわだかまりを感じさせた。シルヴィアは呆れた。
『……なんなの、それ』
「だからはっきり言いたくなかったんだ。ニーナはずっと独身でいなきゃいけないの。そして是が非でも次代の【最初の娘】を産まなきゃならなかったの。ミネアが女の子で本当によかったよ。一応は義務を果たしたことになってるからね。
でもミネアはそれほど魔力が強くないんじゃないかって言われてる。巡幸を果たせるかどうか、ギリギリなんだって。でも今のエルヴェントラはもう四十代なんだよ? いい人なんだけど、ミネアを溺愛してるけど、でも好きでもない倍以上の年の人ともうひとりだなんてひどすぎるじゃないか……次も女の子とは限らないんだし……デクターさんとのほうがまだマシだよ……」
『……まあ……』
シルヴィアは翼を嘴に当てた。
そして反省した。軽はずみにこんなことを聞いてしまうなんて。
『ごめんなさい』
「や、ごめん、そんな気にしないで。【最初の娘】だからしょうがないわってニーナは言ってるし」
『ルファルファ神ってややこしい神様なのねえ。【最初の娘】も大変なのね。で、エルギン王子だけれど』
「うわ、戻るんだ……」
『あなたとはどうなの? 年齢も釣り合うし』
「あたしがあ?」
姫は呆れたようだった。
「……思ってもみなかった。でもそれはないな。ないない。エルギンはだって、王様になるために頑張っているわけだし」
『いいじゃないの。【最後の娘】って、ルファ・ルダの王女ってことなんでしょ?』
「ニーナはそうだけど、あたしは全然違うよ。この周辺の国で生まれてさえいないんだよ? 何の後ろ盾もないし。今はたまたま【最後の娘】ってことになってるけど、エルギンが王になれば返上していいってニーナは言うし、あたしもそうしようかと思ってるし、そうなったら身分なんかないも同然だよ? 王妃になんかなれないよ」
それは、王妃になんかなりたくないよ、と言っているように聞こえた。シルヴィアはちょっと不満に思った。だって相手は王子ではないか! 国中の令嬢がこぞって注目する相手ではないか! 身分の低い娘が王子に見初められて王妃になるなんて、お伽話に掃いて捨てるほどあるではないか! そんな存在とごく間近にいながら、一体どうして無関心などでいられるのだろう! せっかくエルギン王子に頼めるかと思ったのに!
信じ難いことだが、姫が、エルギン王子にそういう感情をもっていないのは明らかだった。少しでも関心があれば、年齢くらいちゃんと把握しているだろう。シルヴィアの思惑はさておくとしても、つまらない、と思った。せっかくの王子様なのに。
言いたいことは口に出してしまおう、と、シルヴィアは嘴を突き出した。
『ちぇーつまんないのー』
「何がつまんないかなもう……」
『なんだかエスメラルダって、そういう話とは縁遠い場所なのかしら? それともあなたがそう言う話に疎いだけなの? 想像していたのとはだいぶ違うんじゃないかって気がしてきたわ。だって第一王位継承者がいる国なのに。だいたい王子が二十二まで独身でいるなんて不思議だわ。普通、周囲がこぞってお見合い話をもちかけるはずよ』
「そういうものなの? 貴族って大変なんだね」
『何のんきなこと言ってるの。じゃあどういう人が好きなの?』
「そんなの知らないよ。ああでも待って……随分前に何か聞いたような……えっと、そうそう、エルギンにはそう、心に決めた人がいて、そうそうそうだ。王になったら王妃になってくれって頼むつもりなんだって、だからお見合いもしないんだって、誰かから聞いたような、聞いてないような」
『どっちよ。どこにいるの、そんな人』
「さあ。アナカルディアにいるんじゃないの?」
『いそうもないわ。いたら噂くらい聞いてるはずだもの。それに私がさっき聞いたのはあなたのことよ』
「あたし? あたしがなに?」
『もう! どういう人が好きなのかって聞いたんでしょう!』
「なにその迫力……えええ……考えたこともないよ……」
『嘘よ、ニーナ姫とそう言う話しないの? 信じられないわ!』
シルヴィアは地団駄を踏みたくなった。いったいこの人は十九にもなって、どうして今まで色恋沙汰と無縁でいられたのだろう! 信じられない!
いやシルヴィアとて、姫がそれどころではない生活をしてきたのだろうと、想像することは出来た。少なくとも【最後の娘】と名乗ってからは、色恋沙汰にうつつを抜かすどころではなかったのだろう。それでも、とシルヴィアは思う。いやだからこそ、かもしれない。【アスタ】でも娘たちの関心はそこに集まっていたではないか。【最後の娘】として忙しい日々を送っていたって、それくらいのゆとりを持ったって構わないではないか!
そう思っても、姫は、心もとなげに首をひねるばかりだ。
「そんなこと言われてもなあ……急には思い浮かばないよ。ねえこの話、やめない? すっごく居心地悪そうな人が左にひとり」
おっと、とシルヴィアは思った。当初の目的を忘れて脱線し過ぎた。
けれど話をやめる気はなかった。聞きたいのも事実だからだ。シルヴィアはわざと冷たく言った。
『それが護衛というものでしょ。大丈夫、何も聞いてないわよ、暗い中進むのに神経とがらせてるから聞こえないはずだわ』
「……護衛には護衛の苦労があるんだなあ……」
『ねえ思いつきもしないの? いやねえ、初恋もまだなんじゃないの、もしかして』
「し、失礼だなー。ちゃんとあったもん。故郷にいたもん」
『故郷? ティファ・ルダ?』
「ううん、その前。八歳だったかな。同い年でね、空手習ってた」
『か、からて? って何?』
「あ……なんて言うんだろう……剣術みたいなものかな? あたしね、その頃同じクラスの男の子数人に目の敵にされてたんだよね。何でか知らないんだけど。それで学校行くのがいやでいやで」
がっこう、って、くらす、って、なんだろう。シルヴィアは突然飛び出す聞き馴れない単語に戸惑った。でも姫は、気にする様子もなく話し続けた。
「その子とは違うクラスだったんだけど、家が近くて、よく帰り道で一緒になったんだ。その子がいたら、いじめっ子も近寄って来なくてね。大柄だったし、空手やってたし、何よりすごく……なんて言うのか、存在感があってね、乱暴する訳じゃ全然ないのに、みんなに一目置かれてたから。あたしがいじめられてるって知ってから、待っててくれるようになったりして、すごく優しかったよ。本読むのが好きな子で、いろんな本貸し借りしたりとかしたな。わあ、由緒正しい初恋って感じがしない? ねえ?」
『……そうね、及第ってところかしら』
「ああ良かった。落第だったら暴れてたよ」
姫がおおげさにため息をついてみせ、シルヴィアはくすくす笑った。
『ごめんなさいね。あなたにはそういう余裕がなかったんだろうってわかっているの。それにそういうことに興味がないからって、おかしいとも思っていないのよ。だって人それぞれだもの。あなたには、もっと他に考えなきゃいけないことがたくさんあるんでしょうし。それなのにこんなに根掘り葉掘り聞いたりして、嫌な思いをさせたかしら?』
「や、そんなことはないけどね。ニーナはそういうことあんまり聞かないから、慣れてないだけ。予習が足りなかったです。今度までに考えておきます」
『ふふ。よろしく』
シルヴィアは少し満足した。到着した直後は救い難いほどに重苦しかった雰囲気が、だいぶ和んでいる。左側の寡黙な護衛は、未だ居心地悪そうではあったが。
悪いことをした、と少しだけ思った。
でも聞いておいてもらわないと、いけなかったのだ。
できれば昨日のティファ・ルダの話も一緒に聞いて欲しかったのだが……と思っていると、姫が、何か思い出したように言った。
「……あ、そうだ、エルギンの話に戻るけど」
彼女は少し居住まいを正したようだった。ややして、真剣な色を含んだ声が聞こえた。
「シルヴィア、あとガスも。……ガス、聞いてる?」
「ああ」
低い声が久しぶりに聞こえた。
「良かった。ふたりとも、よく聞いてね。エルギンに会ったら、多分驚くと思うけど、出来るだけそれを外に出さないでほしいんだ」
『……驚くって、どうして?』
アルガスは無言だったが、顔をこちらに向けたようだ。姫はせっかく和んだ雰囲気をぶち壊すような、低く、低く、重苦しい声で言った。
「エルギンはね。……昔は、ちょっと前までは、お母さんのレスティス妃によく似てたんだけど。今は、父親にそっくりなんだ」
――父親、に。
シルヴィアは、羽を広げた。
『……そんな』
「中身は全然違うよ? 優しいし、いい人だよ。でも外見はね。充分気をつけて。本人、すごく……気にしてると思うから。お願い」
「わかった」
アルガスの答えの方が速かった。シルヴィアは、嘴が鳴りそうになるのを、しっかり閉じることで堪えた。固く固く。
なんてこと。
なんてことだ。
それではエルギン王子は、鏡を見るたびに、極悪非道と言われる存在の血が自分の中に流れていると、思い知らされていることになる。
カーディス王子が父親に全然似ていないから、油断していた。
『……努力……するわ』
「うん。お願い」
警告しておいてくれて本当に助かった。シルヴィアは、まだ人間だった時に見た最後の景色である、あの男の顔を思い出しかけ、あわてて首を振った。考えてはいけない。自分には時間がないのだ。やらなければならないことはいっぱいあるのだ。あんな男のことを、思い出して硬直している時間などないのだ。
エスメラルダに着くまでに、何とか覚悟を決めなければと、思った。
あの男の顔を見ても、取り乱さないでいられるように。




