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花の歌、剣の帰還  作者: 天谷あきの
第五章 家路

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家路(8)

※残酷表現があります


      残り十二日



 馬に乗ってからは、移動は楽になった。


 アルガスはどこで手に入れていたのか、茶色のかつらを用意していた。舞はそれをかぶって、昼日中の街道を堂々と進んだ。人どおりがほとんど無いので、時折、本当にまれにすれ違う者がいる時に、顔を下げて見られないようにすれば済む。


 兵士の姿もない。街道沿いに時折現れる家はほとんどが廃屋になっているので、夜を越す場所にも困らない。あっと言う間に一日が過ぎ、何の問題もなく再び朝を迎えた。


 アナカルディアを馬で一日分も離れると、景色が驚くほど鄙びる。


 少し前までは、アナカルディアに近づくにつれて雰囲気が華やいだはずなのだが、今は逆だ。打ち捨てられた家屋や荒れた畑が林に取って代わられて、王の爪痕が少しずつ薄れて行く。懐かしいエスメラルダが近づいて来る。舞が出かけてから三カ月近くが経っていた。


 もうすぐニーナに会えるのだと思うと気がはやった。デクターはニーナを治せるわけではないのだと、何度も自分に言い聞かせなければならなかった。ただ治す方法を教えてくれるだけだ。だから『冬を越せるかどうか』という残酷な宣告は変わらず下され続けているのだ。だから期待しちゃいけない、と思うのに、どうも巧く行かない。

 



 森の中に差しかかった時に向こうからやって来た人がいたので、再び顔を伏せてやり過ごした。とは言え相手は舞には一瞥も向けなかった。通り過ぎたので安心して顔を上げると、舞の前で馬の背に止まっていたシルヴィアが不思議そうに訊ねた。


『昨日からずっと思っていたのだけれど……どうして顔を伏せるの? やっぱり追われているから?』

「え、や、それもあるんだけど。茶色のかつらが似合わないって盛大に笑い飛ばされたりしたので」


 シルヴィアはじっと舞を見た。


『そうね』


 やっぱり。


『でも色のせいじゃないわ。私に手があれば、似合うようにして上げられるのに。かつらを無造作にかぶり過ぎるのがいけないのよ。結えば少しは違うんじゃないかな。姫……』


 シルヴィアはまだ言い慣れないようで、ぎこちなく舞の名を呼んだ。


『姫って、自前の髪でもいつも背に垂らしているだけなんだもの。むずむずするわ。前髪をもう少し形を変えてみるとか、横の髪を一房結ってみるとか、すれば、もっといいのに』

「うーん。エスメラルダではマーシャがやってくれるんだけど、自分じゃどうも巧くいかなくて」

『アイオリーナもそう言うわ。侍女と私に任せっきりなの。私が思うに鍛練が足りないんだわ』

「鍛練」

『だって技術だもの、腕を磨かなきゃ巧くなるわけがないのよ。……ううん、でも、忙しいんだろうから当然だわね。ごめんなさい、変なこと言って』

「別に変じゃないと思うけど……」

『変なこと……あああっ!』


 シルヴィアが急に大声を上げて羽ばたいたので、先を行くアルガスがぎょっとして振り返った。


「どうし――」

『ど、どうしましょう私ったら! デクターさんに頼まれてたこと忘れてた! グウェリンさんに、アナカルディア名物を買ってきてって言付かっていたのに!』

「ああ」


 アルガスは苦笑した。速度を落として少し近づいた。


「何を言ってるんだかあの人は、こんなときに。ご心配なく。アナカルディアで名物をまだ売ってる店なんか、一軒もありませんから」

『そ、そうなの? でも』

「大丈夫です。デクターへの土産ならもう持っていますから」


 アルガスは言って、頷いて、また前を向いた。シルヴィアはまだしばらくうろうろしたが、ついに肩を下ろしてこちらを向いた。


『しまったわ、私、なんだか最近忘れっぽくなっちゃって』

「仕方ないよ、大変だったんだし」

『それにしても、グウェリンさんって、そうね、思っていたより怖くないのね。そして本当にあなたのそばにいたのね。びっくりしちゃった。デクターさんの言ったとおりだわ』

「へ?」


 どうしてデクターがそんなことを言うのだろう。首を傾げた舞に、シルヴィアも首を傾げて見せた。


『あなたって有名人だったのね。私、ルファルファ神には詳しくなくて。デクターさんはあなたのことも、あなたの親友のことも、良く知っているようだったわ。あなたに会うならアナカルディアを目指した方がいいって教えてくれたし。グウェリンさんへのお土産を頼まれたときに、会うかしらって心配になったのよ。そうしたら、会うだろうね、【最後の娘】のそばにきっといるよって言ったのよ』

「……」


 舞はアルガスの背を見た。また少し離れているから、会話の内容までは聞こえないだろう。

 アルガスがカーディス王子のために働いていると、デクターは知っているのだろうか。それなら随分親密な関係だ。シルヴィアを取り戻すときの作り話にも、ごく自然に登場したし。

 でもさっき少し引っ掛かったことがある。


 ――何を言ってるんだか、あの人は。


 あいつは、じゃなくて。【アスタ】に入る前、ガルテが一緒にいた時には、そんな呼び方じゃなかったように思うのに。


「デクターさんって、どんな人?」


 訊ねると、シルヴィアは少し考えた。


『そうね。華奢な感じの人よ。私と同い年くらいに見えたわ』

「えっと。シルヴィアはいくつ?」

『十六』

「十六……彫師……なのに」


 それではデクターは、大きくても九歳や十歳で、彫師の資格を得たということになる。そんなことはありえない。もしありえたとしても、それなら舞が覚えていたはずだ。自分より三つも年下の人間が彫師の資格を得たなんて知らせが、舞を含む子どもたちの興味を引かないわけがない。

 それに十六歳の人に、アルガスがあの人、なんて言うだろうか。


『彫師って、一体なんなの?』


 シルヴィアが訊ねてくる。舞は、それで、シルヴィアが本当に深窓の令嬢だったということを思った。


「【契約の民】って、知ってる?」

『ええ、最近知ったわ。体に刺青を彫って、風とかと契約をした人たちのことでしょう。王に見つかったら火あぶりだから、【アスタ】に隠れ住んでいたのよね』

「そう。その契約印を彫ることができる人が、彫師。七年前にはいっぱいいたんだけど、ほとんど全員ティファ・ルダに住んでいたから、あの夜に数がすごく減って。今ではほんの少数しか残っていないんだ。一年かけてやっとひとり見つけた、ってくらい」

『あの夜に……』


 シルヴィアは舞を見上げて、声を潜めた。


『あの夜、ティファ・ルダの陥落の夜。おじ様は詳しくは教えて下さらなかったけれど、今でも悔いていらっしゃるわ』


 舞は微笑みを唇に乗せた。


「将軍は悪くないよ。王はね、第一将軍を騙したんだ。ティファ・ルダとの和平交渉を将軍に任せてたのに」


 あの夜のことを思い返すと、いつでも、胸の奥に暗い、強い、憎しみが渦を巻く。【魔物の娘】とは王が舞につけたあだ名だが、言い得て妙だと舞はひそかに思う。


 ――王のことを思うと、いつでも、あたしは魔物になれそうな気がする。


 この暗い憎しみの渦を、シルヴィアに悟られるのは嫌だった。だから話を変えようとした。けれどその前に、シルヴィアが囁いた。


『良かったら……良くはないと思うけど。少しずつでいいの。教えてもらえないかしら』

「え……」

『おじ様のことを知りたいの。そしてあなたのことを。私、鴉になって初めて、この国がどんな状況にあるかを知ったのよ。ううん、知識としてはいろいろ知っていたけれど、ここまでだなんて思わなかったわ。アイオリーナは私とは違う。テッド、ああ、家の従僕なの。十歳の可愛い生意気な男の子。その子に頼んで、いろいろと情報を集めてもらってる。おじ様たちの難しい話も良く聞いているみたい。でも私はそんなことに興味がなかった。アイオリーナはすごいなって漠然と思っていただけよ……アイオリーナは正しかったわ。私も、もっといろいろと、ちゃんと知っておかなければならなかったのに。

 私、幸せだったのね。みんなに、アイオリーナに、おじ様に、保護されてぬくぬくと暮らしていられたのね。でもそれはもう終わり。私、知りたいのよ。なぜ――』


 シルヴィアは、微笑んだ。鴉の顔なのに、可憐な顔が花を開くように微笑んだのが見えた気がした。


『知りたいの。いろいろな、ことを。守られているだけではもう、いられないんだもの』

「ん……わかった」


 舞は頷いて、少し考えた。馬は良く慣れていて、前を進むアルガスの馬の後を忠実に着いて行っている。手綱を取るのを忘れても、大丈夫そうだ。

 馬の背に揺られていれば、いつでも今の自分に戻って来られるだろうし。

 うん、ともう一つ頷いて、舞は口を開く。背嚢を探ってお茶を取り出して、シルヴィアにも一口あげてから、話し出した。


「ティファ・ルダのみんなは油断してた。第一将軍のところへ使者を送っていたし、将軍は、和平交渉を一任されていたし。血を流さずに済む方法を話し合いましょうって、言ってくれてたらしいんだ。だから油断してた――まさか王が将軍を野営地に置き去りにして、その夜のうちに総攻撃を仕掛けてくるなんて、夢にも思っていなかった――」



      *



「あたしはあの時、ひとりで森の中にいた。秋でね、あたしがティファ・ルダに拾われてちょうど三年になる日だったから。お墓参りをしてたの。セルデスもローラも忙しかったから、夕方になったら、近所のおじさんが迎えに来てくれることになってた。森の中でお弁当を食べて、昼寝もして、ぶらぶらして、夕方になってもおじさんは来なくて。きっと忙しいんだって思って――使者が帰って来たのかも、って思ったから、ひとりで帰ることにしたんだ。


 そしたら案の定というか。――迷ってしまって。


 そのうち真っ暗になって本当に困った。へとへとになっちゃったし、明日迎えに来てもらうのを待とうって思って、木の上に登って休んだ。しばらく経って、なんだか焦げ臭い匂いがするなって思って、見たら、遠くで火が燃えてた。やった、って思ったよ。あそこに行けば休ませてもらえるかもって――


 歩く内に火が強くなって。森の向こうがめらめら燃えてた。見覚えのある景色なのにやっと気づいた。悲鳴とかは聞こえなかったな。あたしが迷ってた間に、多分ほとんど終わってたんだと思う。あたしがたどり着いた時には見張りももうあまりいなくて、火も奥に移ってた。すごくおかしいって思ったから、道を逸れて森から入った。家が、全部、燃えてた。しゅうしゅう言って、真っ黒焦げで、嫌な、匂いもしてた。何があったのかよくわからなかったけど――あたしを迎えに来てくれるはずだったおじさんが、瓦礫の下にいるのを見て、ああだから来られなかったんだって、思った。


 めちゃくちゃになったティファ・ルダの中をしばらく歩いた。知り合いがみんな死んでた。みんな優しかったのに。友だちも。お菓子をくれるおばさんも。懐いてくれてた女の子も。遠くの方で兵士が生きてる人を捜し出してるのが見えて――その――ひとりも残すつもりがないんだって、分かった。


 あたしはローラを捜して広場の方に向かった。逃げるなんて思いつかなかった。だってあたしには、ここしかなかった。ローラがいなければ、こんな世界で生きて行けないって思ってた――」




 彼女の声は淡々としていた。七年も前のことなのに、いちいち記憶を探る様子がないのは、多分エスメラルダの誰か、ニーナと言う名らしい親友にも、他の人にも、何度か話したことなのだろう。だいぶはしょってくれているのはわかっていた。それでもシルヴィアは吐き気に似たものが込み上げてくるのを感じた。七年前の姫が、道に迷ったのは本当に幸運なことだったのだ。そうでなければ彼女はここにいなかったのだろう。


 魔物はどうしたのだろうと思った。燃え落ちるティファ・ルダから、彼女を助けて逃げたという魔物は。一体何をしているのだろう。早く助けに出てくればいいのに。


「兵士が少ない方を捜して広場に向かった。セルデスの家は広場の正面にあったから。あたしが行った側の辺りの家は、まだ煙を上げていたけど、火は消えてた。路地には兵士がいたから、崩れた家に入って広場に出ようと思った。


 そうしたら、ちょうど、向かいの家から、ローラがでてくるところだった。まだ生きてた、でも回りを兵士に取り囲まれてて。真っ青で震えてたけど、真っすぐ前を向いてた。セルデスが、大勢の男の人たちと一緒に、広場の中央に倒れてた。体中に矢が突き立って――王が広場の端に、いたんだと思う。ローラはセルデスを見てから、王に向けてひざまずいた。どうかもうこれ以上は、って言った。領主は倒れ、彫師の長もこうしてひざまずきました。わたくしの命と引き換えに、どうぞ残りの者たちはって」


 姫の声はかすかに震えたが、瞳は乾いていた。シルヴィアは、今こんな話をさせたことを後悔し始めていた。エスメラルダに着くまで待てばよかった、何も本人に話させなくても、彼女から既に聞いているはずの人から聞けばよかった。でも続けてもらわなければならなかった。今を逃しては、もう二度と聞けないかもしれない。時間が、ないのだ。


「ローラが殺されるって思って。飛び出そうとした。でもそこに……ごめん。なんだかこの辺りは前後関係があやふやで、よく覚えてないんだけど、そう、崩れた家の中に先客がいたんだ。飛び出そうとしたら押さえ付けられた。行っちゃだめだって声が聞こえた。でもあたしはローラしか見てなかった、王の声が聞こえた、腕を切れって言った、たおやかに見えても【契約の民】だ、早く、って――ローラの悲鳴は聞こえなかった。あたしを押さえ付けた子が、あたしの耳をふさいだから」


『子? 子どもだったの?』

「あたしよりは大きかった。女の子だった」

『女の子――?』


「ティファ・ルダの誰かだったのかな。顔が見えなくてわからなかった。あたしは暴れて、小刀を振り回した。どうして止めるのかわからなかった。他に行く場所なんてないのに。逃げろって言われて、どこに、って聞いたのは覚えてる。めちゃくちゃだったな、あたし。その子が悪いわけじゃない、助けてくれようとしてたのに、罵った。どこに逃げればいいのか、逃げる場所なんてないじゃないかって」


『そうね……』

「なんとか振りほどいた時には、ローラはもう」


『……そう』

「その子はローラのところに駆け寄ることも許してくれなかった。引きずられるみたいにして逆方向に連れて行かれた」


 姫の声はその子をまるで恨んでいるかのように響いた。実際、その時は恨んだのかも知れない。


『その子は、今も、生きてるの?』

「ううん。そこに兵士が来てね。あたしが騒いだから――その子はあたしを突き飛ばして、逃げろって、言った。あたしは」


 姫はわずかに沈黙した。


「どうしてあんなことができたのか分からない。あたしは振り返らなかったんだ、その子をおいて、小刀を握って、王のところへ行った。言い訳もできない。その子のことを思い出したのは、七日も経ってからだった」


 それはでも、当たり前ではないだろうかと、シルヴィアは思った。大事な人が目の前で死んで、大勢の親しい人たちが殺されて、それで他の人のことまで気にかけられる人なんているだろうか。まして小さな子どもなのに。自分のことで手一杯になったって、誰が責められるだろう。


 しょうがないわ、と言いかけて、しかしシルヴィアは口をつぐんだ。

 その言葉のあまりの無力さに、気づいて。

 飲み込んだ言葉の代わりに、別の言葉を紡ぎ出す。


『王のところへ行った、って……?』

「うん。あたしはね。なんて言うのかな。九歳まで全然違う場所にいたの。すごく遠い遠い、文化も習慣も、本当に違うところで育ったの。ローラに教えてもらうまで、言葉も通じなかった。だからね、あたしにはティファ・ルダしかなかった。また違うところに行くくらいなら、ローラと一緒に死にたかった。ローラはまだ生きてるかもって思ったの、それでね、王を殺したら、全部元に戻るんじゃないかって、そんな風に思ってた」


『ひとりで……』


「うん。ローラが最後に護ろうとした人達も、向こうの方で殺されてるのが聞こえてた。そこが最後だったんだろうね。みんなそっちに行ってたから王の天幕にたどり着くのはすごく簡単だったんだ。王は広場のその……その、行為を、見ながら、美味しそうにお酒を飲んでた。ひとりでね。後ろからそっと覗いて、機会を窺った。でも。よし今だって思った時にあの人が来たんだ。第一将軍が」


『おじ様が……』


「将軍は本当に悲しそうな顔をしてた。駆け込んで来て王を睨んだ。陛下、ティファ・ルダを任せると言って下さったは、臣の思い違いでございましたかって、本当に悔しそうに言った。あたしはその声を聞いて、この人が出て行くまで待とうって思った。王は言い訳をしてたよ。よく覚えてないけど。

 第一将軍はすぐ出て行った。生きてる人を少しでも救おうと思ったのかも。将軍が天幕を出た瞬間にあたしは、飛び出したんだけど。何か忘れ物したみたいで、将軍が戻って来たんだよ。戻って来てさえなければ、あたしがもっと上手だったら、って、今でも何度も思う。どうして仕損じたんだろう。あの時巧くやっていれば……」


 姫はシルヴィアを見、頭を下げた。


「そのことは、あなたに謝らなきゃって思ってた。あたしが巧くやっていれば、あなたはひどい目に遭わなかった」

『何を……言ってるの。バカね』


 シルヴィアは姫の肩に乗って、翼を広げてその頭を包んだ。


『王を殺していたら、あなただって殺されていたわ』

「それでも構わなかった。……ごめん」

『あなたが背負うことじゃないわ。本当にもう、何を言うの。そんなこと言わないで。仕損じて良かったのよ、だってあなたは今生きてるんだもの』


 デクターにちゃんとした鎖を作ってもらっておいて本当に良かった、と、囁きながらシルヴィアは考えていた。リルア石のままだったなら、今考えていることが、姫に伝わってしまっただろう。


 この人が生きていてくれたのは本当に嬉しかった。

 王を殺そうとしたりしないで、もっと遠くに逃げれば良かったのに、とも思った。


 それらは本当に、本心だったのだが、でもシルヴィアは本当は、最愛の養父の、しわの刻まれた優しい顔を思っていた。どうして、と言いたかった。どうして。どうして。どうしてどうして、王を助けたりしたのか。騙され、野営地に置き去りにされ、面目もつぶされ、ティファ・ルダの惨状をも見たのに、どうしてそれでも王を助けたりしたのだ。


 ――そして今も。


 シルヴィアは泣き出したかった。


 ――私が殺されてしまったというのに、どうしてまだ、王を見限ってくださらないの?


 姫はしばらく黙っていた。シルヴィアを見守っているようだった。シルヴィアが顔を上げると、わずかに首を傾げた。


「続けようか……?」

『……ごめんなさい。辛い話をさせたわ』

「ううん。あたしは慣れてるんだ、エスメラルダで、何度も何度も話したことだから」


 慣れるわけがないじゃないか。

 そう言いたかった、けれど。


『辛くないのなら、聞かせてもらえないかしら。続きを』

「ん。いいよ。ラインスターク将軍のご息女には、いつか話したいって思っていたんだ。あの方がどんなに優しかったかを。

 あたしは第一将軍に捕まって、ああ死ぬんだなって、思った」


 どうして涙が出ないのだろうと、考えていた。シルヴィアには人間の涙腺がない、だから泣けない。でも姫は人間なのに。泣いたっていいのに。

 泣いてくれれば、いいのに。


『捕まった、の……? じゃあそこで、魔物が助けてくれたの?』

「え? ああ、ううん、違う。魔物の出番はもう少し先」

『じゃあ、おじ様が、命だけはって、そう言ったの?』

「ううん。それは無理だよ、だって第一将軍は王の盾なんだから。王を殺そうとしたあたしを助けて欲しいなんて言えないよ」

『それじゃあ……誰があなたを助けたの?』


 姫の口元に昏い笑みが浮かんだ。


「王が」

『王、が? おじ様が来たから――』

「違う。王はね。ティファ・ルダの抵抗が弱すぎて物足りなかったみたい。王は、あたしを、森に放せって言った。用事は一晩で済んだ、せっかく来たのだから、しばらくここに止まって、狩りをするのも悪くないって、言ってるのが聞こえた」


 シルヴィアはしばらく呆然としていた。姫の声が先を話しているのに気づいて、聞き返さなければならなかった。


『……狩りを?』

「え?」

『狩りって、どういう、意味』


 姫は少し、困った顔をした。


「そのままだよ」

『………………そんな、』

「大丈夫。あたしは死ななかった。森の中にね、魔物がいたんだ」

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