家路(7)
開いたばかりの露店の前には、三々五々、人が集まり始めていた。店主は油染みた男だった。野卑そうな笑みを浮かべた顔は、本能的に警戒を抱かせるような雰囲気だった。その男の向こうに、木で出来た粗末な鳥籠があり、中には一羽の黒い鴉が入っていた。舞は目をこらして首元を見た。リルア石は見えなかった。何の変哲もない、ただの鴉に見える。
「レイデスの街で見つけたのさ、気品のある鳥だと一目で思った、川で水浴びしているのを見た時ゃ、これぁ鴉の姫君に違いねえって思ったね」
店主の口上は人が集まるにつれて熱を帯びた。鴉は悄然と肩を落としていた。恥じ入って、疲れて、絶望して、何も見ず、何も聞かずに済むように、うつむいていた。
「あんたが喋ってねえで喋らせてみろよ!」
誰かがやじを飛ばし、店主は鳥籠に向き直った。そして鳥籠をひっぱたいた。
「ほら喋れ、喋ってみせろよ、レイデスで言ったじゃねえか? 俺の役に立つと言ったじゃねえかよ!」
鴉は首を振った。それだけで人垣がどよめいた。舞は悟った。シルヴィアだ。間違いない。
「か、買った! 買います!」
アルガスが制止するように手を上げたが遅かった。舞とて今の状態で声を上げては、いろいろと問題があるとわかっていた。それでもこれ以上、鳥籠に囚われたシルヴィアを見ていられなかった。舞の声にシルヴィアが顔を上げた。人の隙間から二人の目が合った。
『――エルティナ!』
シルヴィアの声が脳に直接鳴り渡って舞は顔をしかめた。だがリルア石がないからか、他には誰も聞こえなかったようだった。店主の舞を見る目にずる賢い光が宿った。
「これはお嬢さん、お買い上げくださるとはありがたいことですな。しかし少々高くつきますよ」
「その鴉をどこで手に入れた」
アルガスが鋭い声を上げた。見上げると、わずかに手を上げて見せたので、任せることにした。店主がアルガスを睨んだ。
「どこで? レイデスでだが」
「その鴉はこちらの方の持ち物だ。数日前に行方が知れなくなり、ひどくご心配だった」
「聞き捨てならねえな。俺が盗んだとでも言いてえのか」
「そうは言ってない。見つけていただいてありがたい。だが首にかけていたものがあるだろう。それはどうした」
店主は身じろぎをした。
「知らねえな」
「喋る鴉と言ったろう。今は喋らない。しつけのいいただの鴉だ。この方に慣れているから、放したらこの方の肩に止まるはずだが、他の人間にはあまり価値があるとは言えないな。ただの鴉なんだから。
喋る、というのは首にかけていた道具の力だ。子どもだましのようなものだが、デクターが作ったものだ。彼に試験を頼まれている。返してもらいたい」
「……デクター=カーンが、何を作ったって?」
「だから子どもだましだ。動物の首にかけるとあたかもその動物が喋っているかのように言葉を発する。本当に限られた事しか言わないが」
「なんでそんなバカな道具をあいつが作るんだ」
「頼まれたんだ。姪に。彼もぼやいていたが姪には頭が上がらない。十歳の女の子だ。欲しがるものときたら素っ頓狂で理解しがたいが、喜ぶ顔を思うと断れないんだと」
「……」
店主はしばらく考えた。
「大体この鴉がそのお嬢さんの持ち物だって証拠でもあるのかよ」
「ある。放してみればいい」
人垣からぶつぶつと同意の声が上がった。これはアルガスの評判と関係があるのだろうかと舞は思った。アルガスの主張はよくよく考えれば支離滅裂に近いのだが、平然とした口調で自信たっぷりに言われるとなんだか本当らしく思えるのに加え、フェリスタが言っていた。流れ者にとって評判は何より大事だ、俺も覚えていたし、寝台も譲ってやったんだ。
周りを囲む人垣の大半はアルガスの方に味方する気配を見せている。店主は忌々しそうに舌打ちをした。
「この鴉は俺が拾ったんだ! どうしようと俺の勝手じゃねえか!」
「もちろん謝礼は出る。責めているわけでもなんでもない。首にかけていたものとその鴉が戻れば満足なんだ」
「……」
店主はまたしばらく考えた。人垣はそのまま動かずに話の行く末を見守っている。ややして店主は鳥籠をもち、こちらに進んだ。人垣が割れて彼を通した。アルガスと舞の前にたどり着くと、店主はふたりをじろじろと見た。
「本当に喋ったんだ。子どもだましみたいなもんじゃなかったぜ。絶対この鴉が喋ってた」
「鴉が? まさか。しつけがいいのは確かだが。食事のし方や立ち居振る舞いをこの方が教え込んだから。だが単独で喋るというのは――聞いたことがありますか?」
急に話を振られて舞は、首を振った。アルガスが男に視線を戻して、顔をしかめて見せた。呆れたように。
「売ってもうけが出るようなものじゃない。鴉は躾がいいだけだ――現に今も一言もしゃべらないだろう? 誰だって時間さえあれば躾けられるぞ。それに道具はもうすぐ動力が切れる。謝礼を出すと言っているうちに返してもらいたいものだ。こちらは急いでいる、この方が可愛がっていた鴉だからこうして時間を割いているが、謝礼を受け取る気がないならこれまでだ」
アルガスはこちらを向いた。
「――申し訳ありませんが、これ以上は時間の無駄です。鴉はまた捕まえますから、聞き分けていただけませんか」
「ちっ、分かったよ」
舞が答える前に店主が割り込んだ。舞の手に鳥籠を押し付け、脚衣の隠しから細い鎖を出した。舞は鳥籠をしっかり抱えながら、リルア石じゃなかったことに驚いた。若草色の、綺麗な、細い鎖を掲げて、男はしげしげ見つめて見せた。
「綺麗なもんだ。十歳の姪にやるには大人っぽすぎるんじゃねえか」
「それはデクターに言ってくれ。――謝礼だ」
アルガスが細い鎖と引き換えに、小さな袋を店主の手のひらの上に乗せた。店主は眉をしかめた。これっぽっちかよ、と毒づいたが、もっと出せとは言わなかった。首を振りながらさっさと店に戻って行く。人垣が崩れ、アルガスが舞を促し、ふたりは歩きだした。心臓がどくどく言っていた。シルヴィアは籠の中で恥じ入るように小さくなっている。アルガスは細い鎖を仕舞い、低い声でささやいた。
「急いで出よう。馬も来る頃だ。申し訳ないが、普通の鴉のふりを続けていただけないか」
それはシルヴィアに言ったらしい。シルヴィアはかすかにうなずいた。
「もし本当に人間の意識の宿る鴉がいるなどと知られたら、欲しがる者は大勢いる。利用価値は計り知れない。気をつけたんだが、誰か疑う者もいるかもしれない。盗まれないように気をつけろ」
舞は頷き、そして、アルガスを見上げた。
「ありがとう」
それから馬屋に行くまで、三人とも一言も喋らなかった。シルヴィアが一体どうしてここにいるのか、舞には分からなかったが、何かとてつもなく幸運なことだという気がした。もしふたりがここを通りかからず、アルガスがシルヴィアを取り戻してくれなかったら、シルヴィアはどうなっていたことだろう。鳥籠をひっぱたいた店主は到底親切な人間には見えなかった。シルヴィアが喋らないとわかったら、どんなことをしたかわからない。
馬屋に行くと、引き換え証を渡された。馬屋の主人は鴉の入った鳥籠を大事そうに抱える舞を見て目を丸くしたが、それについては何も言わなかった。
「二頭ってことだったが、そのお嬢さんは馬に乗れるのか」
「もちろん」
「へええ。んじゃま、気をつけてな」
会話はそれで終わりだった。アルガスがそのまま戻ってきたので、思わず訊ねた。
「馬は?」
「外だ。東に窪地がある。四半刻ほど歩くが」
「そっか……まあここに馬をいれるのは無理だよね……」
「こっちだ。東の出口から出よう」
昨日入ってきた入り口のある大通りを突っ切って、ごみごみした通りをしばらく進むと、街の反対側の壁に出た。ルファルファの神殿の跡だろう、巨大な石柱が等間隔で並んで、空間を支えている。東の出口、ということは、いくつも出入り口があるのだろうか。
土の壁に石でできた入り口が切られていた。ひゅうひゅうと鳴る風の音が強まった。昨日から、この街に充満する騒音に、泣き声のようなものが交じっていると思っていたが、それはどうやらこの辺りの、空気が通る音だったようだ。
入り口をくぐると石段が続いていた。闇に包まれるとシルヴィアが羽を震わせた。もう少しだからね、と囁くと、頷いたのがわかる。
どうしてここにいるんだろう、ともう一度思った。
ビアンカに頼んでおいたのに。
ビアンカがエスメラルダに行くと言ったから、別れたのだろうか。舞の、【魔物の娘】の、本拠地に行くのはやはり嫌だったのだろうか。でもどうしてレイデスなどにいたのだろう。ラインディアに向かうならわかるけれど。【アスタ】にいた娘の誰かが、シルヴィアを連れてきたのだろうか。その子と離れて水浴びをしている時に、あの店主に捕まったのだろうか。
闇を見つめる目の中に、【アスタ】の風景が見えた。なだらかな斜面を覆う林の中を、一本の道が通っている。その真ん中でぽつんと立ち尽くしていたシルヴィアの姿が見えた。あんなふうに別れなければならなかったことを、どんなに悲しく思ったか。
シルヴィアが舞を責めるのは当然のことだ。シルヴィアの悲鳴を聞いた時に、胸に突き刺さった痛みが甦った。シルヴィアが殺されたのは舞のせいだ、その事実からは、逃げるわけにはいかなかった。
地上は既に明るかった。アルガスが押し上げた上げ蓋は、上に草が植え付けられてあって、蓋を閉めてしまうともう、周囲に溶け込んで見分けがつかなかった。アルガスは北の方をしばらく窺ってから、東を示した。目をこらすと、こんもりと茂った林が小さく見えていた。窪地というのはあそこだろうか。
周囲を見回した。地下街から出掛けたらしい人達の影が見えるが、それはかなり遠くで、話し声を聞かれる心配はない。
舞は鳥籠の口を開けて地面に置いた。
アルガスが若草色の細い鎖を取り出して、鳥籠の前に屈み込んだ。入り口から覗いたシルヴィアが首を差し伸べたので、その首にかけた。漆黒の羽にその鎖はよく映えた。リルア石はどうしたんだろう、と舞は思った。そしてあの若草色の鎖は誰からもらったのだろう。【契約の民】が体に刻む紋章を取り出して真っすぐに伸ばしたような、繊細な造りだった。あの店主が懐に入れたくなった気持ちは良く分かる。
『……エルティナ』
やけに鮮明な声が聞こえた。リルア石を持っていた時には、こちらの脳裏に直接その声が響くような気がしていたが、今は人間の声とほとんど変わらないように思えた。鈴の音のような、とても可憐な声だった。シルヴィアはまずアルガスを見て、深々と頭を下げた。
『グウェリンさん……とおっしゃるのよね。自由にしてくださって、どうもありがとう。デクターさんの言ったとおりね』
「デクターに、会われたんですか」
『ええ。この鎖、デクターさんがくださったの。お陰で上手に話せるようになったと思うわ。伝えるつもりのないことまで伝えてしまうことはもうないと思うわ。あの……エルティナ』
シルヴィアはおずおずと鳥籠から出て、真っすぐに舞を見上げた。舞は屈み込んだ。シルヴィアの黒い瞳は宝石みたいに綺麗だった。
『デクターさんが、エスメラルダに向かったわ。あのね。あなたが出掛けて三日後に、【アスタ】にいらしたの。彼は【四ツ葉】だったわ。あなたの親友と同じに』
「え……」
『それで、以前、原因不明の病で死にかけたことがあるそうよ』
舞は思わず地面に手をついた。
「それって……!」
『でも今は元気なの。それでね、治すのは無理なんだそうなの……でも、でも、ええと、どうすれば治るのか、教えてくれるって言っていたわ。彼は、ビアンカを護ってエスメラルダに行ったの。【アスタ】が落ち着いたら出発するって言っていたから、今頃は着いてるかもしれないわ』
舞はしばらく、シルヴィアの言葉を噛み締めた。
彫師を、捜し出さなければならないと思っていた。でもそれは、藁をつかむような行為だとわかっていた。彫師に治せる保証なんてどこにもなかった。ただ一縷の可能性にかけていただけだ。
どんな病なのかも分からなかった。助ける方法なんてないのかもしれない、という恐怖がいつも胸のどこかにあった。見ないふりをしていただけで。
「治った……人が、いるんだ」
口元に手を当てた。喉が詰まって、うまく言えない。
「そっか……そっか……不治の病じゃ、なかったんだ」
『そう。そうなの。デクターさんは……ええと、』
シルヴィアは一瞬だけ躊躇って、
『治せる方法さえ分かれば、それを捜せばいいんだものね。だからね、エルティナ、私、それをあなたに伝えに来たの。早い方がいいと思って。少しでも早く教えてあげたくて、あの』
羽を伸べた。少し近づいて、舞のひざに羽を乗せた。
『道に迷って、違う場所に行っちゃったのね、私。あの人がレイデスって言っていたし。街道沿いに来たはずなのに、どうしてそんなことになったのかしら。それに私ったら本当にお腹がすいてしまって。あの人が食べ物をくれたの、だからつい……だめね私ったら、グウェリンさん――』
シルヴィアはアルガスに再び礼を言おうとしたようだが、アルガスはいつの間にか少し離れた場所にいた。気にせずに話せるようにと距離を取ってくれたらしかった。舞は咳払いをして、シルヴィアの羽の上に手を乗せた。
「そのためにわざわざ飛んで来てくれたの……?」
声はやっぱり巧く出なかった。シルヴィアは舞を見て、もう一つの羽もひざに乗せた。
『謝りに来たの、私』
「謝――どうして、」
『あのとき、あなたを責める気なんかなかった。リルア石が勝手に伝えてしまっただけ。あなたは悪くないわ、悪いのは王だって、私ちゃんと知ってるわ。あなたを傷つけたことを謝りに来たの、お願い。許して欲しいの。私、あなたと一緒にいたいの』
「許すだなんて」
ああ、どうして声が出ないんだろう。舞は声の代わりに、シルヴィアの小さな体を抱き上げた。言葉がでない。全然でない。
舞は七年前から泣けなくなった。今も、涙は出なかった。代わりに微笑んで、なんとか言葉を絞り出した。
「ありがと、シルヴィア。また会えて、嬉しい。本当に、嬉しいよ――」




