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花の歌、剣の帰還  作者: 天谷あきの
第三章 会合と海賊
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会合と海賊(6)

「なあ。完全体ってなんだ」

 フィガスタが言った。

 見ると彼は、まっすぐに舞を見ていた。少し、値踏みするような視線。

「さっきの黒いのと、知り合いだったのか? ずいぶん執着されてるようだったが」


 ――流れ星よ。儂から楽園を奪うな。


 舞は眉根を寄せた。そう言えば、ウルクディアで遭遇したクレイン=アルベルトも、同じようなことを言っていたような気がする。


「知らない」


 首を振るとフィガスタは目を眇めた。怪しむような視線だったが、舞は構わなかった。完全なる生き物、というのは、いったいどういう意味だろう。

 楽園を奪うな。どこから紛れ込んだ。

 そなたのいる場所はここではない。


 ――ファーナは。


 思って、舞はぎゅっと眉根を寄せた。


 ――ファーナはあたしを、どう思っていたんだろう。


 ふかふかの毛皮を思い出す。大きな大きなファーナの体。冷たい毛皮の感触……


「わからないのか。あいつは明確にあんたを狙ってた」

「【最後の娘】ですからね」


 マーティンが割って入ろうとし、フィガスタが嗤う。


「そうか? そういう理由だったと、本当に思うのか、船長」

「――貴様、姫が昼間に貴様の命を、」

「今それは関係ないだろ。話をそらさない方がいいぜ。訳ありなんだって、宣言してるようなもんじゃねえか」

「フィディ――」


 マーティンが抜刀しようとし、舞は手を挙げた。「マーティン。待って」


「しかし、姫!」

「フィガスタ。いったい何が言いたいの?」


 訊ねるとフィガスタは、満足そうに頷いた。


「よしよし、【最後の娘】は話が早いな。なあ船長、俺は別にこのお姫様に何か言いがかりをつけたいわけじゃねえんだ。むしろ恩返しがしたい」

「……恩返しだと?」

「魔物に詳しい人間に心当たりがあるんだよ。魔物が何でこのお姫さんを狙うのか、そいつに聞きゃ何らかの手がかりがあるかもしれねえ」

「魔物に」

「詳しい?」


 マーティンとバルバロッサが色めき立った。フィガスタがニヤリと口角を持ち上げた。


「だがその前にいくつか、頼みを聞いて欲しい」


 バルバロッサは、まるでフィガスタに対抗するようにニタリと笑った。


「いい度胸だなあ若いの。ええ?」


 鬼でも肝を冷やすのではないかと言うほどの微笑みだったが、フィガスタは涼しい顔だ。


「まずこいつら全員の解放を願いたい。草原の祭りはもうすぐだ。アナカルシス全土に散らばってる同胞たちはもう殆ど草原に集まってる。……ここにいる奴らには、家長だの集落だのの長やその補佐に当たる人間が多くいてな。もし一族に何か厄介ごとが降りかかったら、真っ先に対処に当たる義務があるんだ。王は俺たちがこの海に沈んだと思ってくれてるはずだが、念には念を入れたい」


「うん。それから?」


「次に食いもんだ。俺とヴェグの分、アナカルディアまでの保存食。俺たちが同盟会議襲撃に失敗したことは遅かれ早かれ王に伝わる。その前にアナカルディアに行ってねえと色々まずい。これが終わったらできる限り急いでアナカルディアに行きたい。その辺りはわかってくれるだろう、なあ、お姫様」


 舞は頷いた。それはこちらから頼もうと思っていたことだ。


「最後にもう一つ。これはあんたらと利害が一致することだが、」


 言いかけてフィガスタはヴェガスタに視線を移した。


「くそ兄貴、ジュードの野郎はどうした」

「逃げられた。襲撃を待ち伏せされてたってわかった瞬間にさっさと海に飛び込みやがった」


 そうか、と呻いて、フィガスタはこちらを振り返った。


「バルバロッサ=ガイェラ、あんたイェルディアの都市代表だったっけな。街兵に働きかけて、あの船に乗ってたジュードって男を捜して捕まえてもらえねえか。王が押しつけてきた見張り役ってやつで」

「早く言え!」


 バルバロッサが慌てて水夫を呼びつける。フィガスタはその指示を聞きながら、また舞を見た。


「この三つを叶えてもらえるなら、こっちも魔物に詳しい人間の情報を提供――」

「ああ、」


 ヴェガスタが声を上げた。


「魔物に詳しい奴なあ、確かにあいつなら色々知ってそうだな、あのあ――」

「黙れ」


 だん。恐ろしい速度と正確さで、フィガスタの右足がヴェガスタの足の上に落とされた。「あだあっ!?」ヴェガスタが悲鳴を上げる。


「な、何すんだ弟!」

「喋るな。口を開くな」

「なんでだよ!? あのなお前、俺は草原の一族を統べる長だぞこら!」

「このバカのことは置いといて」フィガスタはこちらに向き直った。「叶えてもらえるだろうか、【最後の娘】さんよ」


 舞は思わず微笑んだ。駆け引きだ、と思う。


 ヴェガスタが草原の一族を統べる長で、フィガスタの兄だというなら、フィガスタもいわば草原の“王族”ということになる。草原の民がアナカルシス王家に従うようになって二十年ほどは経つはずだが、元々気の荒い民族だと言うし、未だに王家に――ひいては王家に従う長に、反感を持つ人々がいてもおかしくない。

 その状況では、舞に一方的に救われた形では体裁が悪いだろう。


「悪くない申し出だと思うよ。でも今の条件では飲めない」


 答えるとフィガスタが目を眇めた。「ほう」


「草原の有力者たちをこんなに大勢解放する――同盟の会合を狙って襲撃をしかけてきた人たちを、ね。同時にその首謀者を、保存食を用意してあげてまで、本拠地に逃がす。あなたが出してきた条件はそういうことだよ? わあ、こう口に出してみるとかなり虫がいい条件だよね」

「――魔物からあんたを救った。その上魔物に詳しい人間を紹介してやる。この条件でまだ足りねえって?」

「だってあなた方がアナカルディアに行って王に、ここで得た情報を渡さないという保証なんてないよね?」


 フィガスタが顔をしかめた。「だから?」


「だからお目付役を連れて行って。――あたしを」


 言うと、辺りに沈黙が落ちた。

 いよいよ船がくずれ始め、轟音は辺りを圧するほどになっていたが、周囲に落ちた沈黙はやけに静かだった。

 ややして、フィガスタが呻くように言った。


「……本気か?」

「うん。そもそも初めからそれは頼むつもりだった。海賊の船長を捕まえて脅迫して、アンヌ王妃へ案内させようと思ってた」

「ほう。脅迫ね」


「まあ脅迫しなくても連れて行ってくれそうな気が今はする。でも一応言っとくと、イェルディアのバルバロッサ=ガイェラがその気になれば、草原とイェルディアとの取引を停止させることなんて簡単なんだって。草原からの地下資源や乳製品や馬が届かなくなるのは痛いけど、小麦と砂糖の供給を止められたら――わあ、大変。草原じゃお祭りどころじゃないよね」

「……ほう」


 フィガスタが値踏みするように舞を見、ヴェガスタはさっきの制裁が効いたのか、大人しく黙っている。ややして口を開いたのは、マーティンだった。


「姫、快速船を出しますから乗って行きなさい。この季節風は海から陸へ吹きますからね。ナルデ河を遡ってレイデスまで船で行った方が、早いし安全です」

「え、本当? それだと遠回りにならない?」

「馬だとイェルディアからアナカルディアまでどんなに急いでも二週間はかかります。が、ナルデ河を使えば、風向き次第ですが十日もあれば」

「そうなの?」

「地図を」


 直ぐに地図が差し出され、舞はマーティンと並んでアナカルシスの地図を覗き込んだ。


「へえー本当だ。ナルデ河の河口ってイェルディアから結構近かったんだね」

「巡幸ではまず使わない道ですがね。私は行けませんが、船なら私の水夫たちが一緒に行けますから、あの野獣どもと一緒でもまあ安心です」

「心外だな、ヴェグとひとくくりにされるとは」

「野獣って何だ野獣って」

「というか、まだ了承してないんだがな俺は。【最後の娘】なんて連れて行ったら足手まといだし危険は倍増だし王妃宮につれて入ったことがばれたらもう言い逃れは出来ないし、それなら俺らで先行した方がよっぽどいいんだがなあー」


 ヴェガスタとフィガスタが口々に言う。マーティンはちらりと眉を上げた。


「了承しないならここから出しませんよ。お前たちはアンヌ王妃の護衛でしょう。今この時期に【最後の娘】が直々にアナカルディアに向かう、その意味が本当にわからないとでも?」

「しかし――」

「……通して頂戴」


 静かな、凜とした声が言った。

 舞は驚いた。アスタ元侯爵夫人が、しっかりとした足取りで歩いてくる。


「アスタ様……!」

「【最後の娘】。先程は」


 水夫たちの間から出てきたアスタは、自分を支えようとする息子の手を丁重に押しのけて、舞の前に進み出た。


「先程は――ありがとうございました」

「何をおっしゃいます」


 舞は慌てた。アスタに恐ろしい思いをさせてしまったのは舞の責任だ。ここの会話が終わり次第、お詫びに向かおうと思っていたのに。


「申し訳ありません、御身の安全を保証すると――」

「どうかその先をおっしゃらないで」穏やかに、アスタは舞の言葉を遮った。「少々の危険に遭うことを覚悟の上で、私はこの船に乗ったのです」

「でも」

「私が老女だから労って下さるのですか」


 言ってアスタは微笑んだ。その肌は紙のように白かった。今にも倒れそうな顔色だった。事実、今の今まで倒れていたのだろう。

 それでも、彼女の瞳はとても強い。


「甲板に出てはならぬと言われた船長の、そして貴女のお言葉を振り切って、私は貴女のおそばにいたのです。そのせいで少々怖い目に遭ったからと言って、貴女や船長を責めるほど、私は落ちぶれてはおりません。むしろ私が貴女の邪魔になったのではと――見たところ酷いお怪我はないご様子。良かったですわ」

「アスタ様……」

「怖かったわ。それは認めましょう。渋々ながらね」


 アスタは少しだけ憤るような声音で言った。


「……でもそれだけ。怖かった、ただそれだけです。痛い思いは一つもいたしませんでした。だからどうか、お気に病まないで。私のせいで貴女のお働きを邪魔してしまった、だから今は、そのお詫びにまいりましたのよ」


 アスタの真意がわからず、舞は訊ね返した。


「お詫び――?」

「ヴェガスタとフィガスタ、だったわね」


 アスタはきっと頭をもたげて、二人の草原の民を見据えた。

 草原の兄弟は、アスタの出現に愕いていた。――というより、愕然としていた。

 アスタはアンヌによく似ている。血縁関係にあることは一目瞭然だし、そもそも親衛隊なのだから、面識があってもおかしくない。


「アスタ……様?」


 フィガスタの口から、言葉が零れる。アスタは頷いた。


「お会いするのは初めてだわね。娘を護衛してくださって、いつもありがたいと思っていましたのよ」

「げ」

「ほ」

「本物……!?」


 ふたりの声が綺麗に重なって、その驚き方がそっくりで、舞は初めてこの正反対のふたり組に血のつながりを感じた。硬直して直立不動になってまじまじとアスタを見つめるふたりに、アスタが微笑む。


「あなた方。アンヌを護衛するのが仕事でありながら、一体ここで何をしていらっしゃるのかしらね?」

「いえ、その」

「これは、王が」

「言い訳はいりません。あなた方の主はアンヌなの? それとも王なの? わたくしの娘が、イェルディアの大商人バルバロッサ=ガイェラ殿の船を沈めよと、直々に命令を出しましたの?」

「い――いえそういうわけじゃ」

「ないのならばあなた方のしていることは重大な背信行為と言うことになりますわね。可哀想に今頃アンヌはどうしているかしら。【アスタ】を失い、家に戻ってみれば、家を護っているはずの頼れる護衛がふたりとも出迎えてくれないなんて。ああ胸が痛みますわ。あの子を護れるのはあなた方だけだというのに」


 ヴェガスタは早々に白旗を揚げたが、フィガスタはまだ反抗を試みた。


「いえ――その、」

「アンヌをあそこから連れ出したいのよわたくしは」


 ぴしゃりとアスタは言った。


「あなた方ももはや、アンヌを護るにはそうするしかないとわかっていらっしゃいますわね」

「は――」

「わかって」

「は」

「――いらっしゃいますわね?」


 フィガスタは震え上がった。「は、はい」


「【最後の娘】はアンヌを安全な場所へ案内するために、危険を冒して王宮へ向かおうとしてくださっているの。その大切な方を、無事にアンヌのところまで、送り届けてくださいますわね?」

「は――」

「くださいます、わ、ね?」

「――」フィガスタはがくりと頭を垂れた。「はい」


 アスタはにこやかに凱歌を上げた。静かに。


「ああ、良かったわ、わかってくださって。ヴェガスタもそれでよろしいわね?」


 ヴェガスタがこくこくと頷く。


「お、俺ぁもちろん反対する気なんざなかったからな。いやなかったですからな。いやなさいませんでしたからな?」

「無理して敬語を使わなくてもよろしいのよ。ほほほ」


 アスタはこちらを振り返り、微笑んだ。


「――では姫、申し訳ないけれどこれをアンヌに渡してくださいな」


 たたまれた紙片を舞に手渡す。皺深い手はとても冷たく、アスタの体が冷え切っていることを舞は悟った。

 しかしアスタはそんなそぶりを一切見せず、再びヴェガスタとフィガスタに向き直った。


「もし万一あの子がだだをこねても、首根っこ掴んで引きずり出すくらいの気概を見せるのですよ、護衛なら」


 じろりとふたりの護衛を睨んだアスタの顔は柔和でありながら、眼光は非常に鋭かった。ヴェガスタは頭をかき、フィガスタは縮み上がり、舞は受け取った手紙を懐にしまいながら、感嘆の念を抱いていた。アンヌ王妃の実の母親という人は、こういう人だったのか。


 彼女に勝てる人はきっとこの世にいないだろう。

 そう思うと、何だかおかしかった。

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