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花の歌、剣の帰還  作者: 天谷あきの
第三章 会合と海賊
29/251

会合と海賊(3)

    *


 夜が来た。冬の到来を間近に感じさせる、冷たい風が吹いていた。


 バルバロッサの船、レギニータ号の内部には、外の寒さとは裏腹に、熱気が渦を巻いていた。

 この船はイェルディアで一番大きな船だ。もしかしたら、アナカルシス国中で一番大きいかも知れない。百人近い客と荷物を載せても、まだ余るほどの巨大さだ。その優美な外見も手伝って、イェルディア湾の女王と呼ばれている。


 その女王の懐、大会議室では今、数十人を超える人々が一堂に会していた。


 舞は一番上座にいた。この会合の主催者はバルバロッサだが、それはルファルファ神殿が要請したということになっているためだ。だから普段は身につけない【最後の娘】(エスティエルティナ)の正装に身を包んでいた。【最初の娘】(エルカテルミナ)の正装と違ってドレス姿ではなく、深紅の天鶩絨の脚衣に、複雑な刺繍をこらされた、白い襟付きのシャツを合わせたもので、マーティンもバルバロッサも地味すぎると文句を言ったが、舞は結構気に入っていた。何しろ動きやすい。【最初の娘】の正装など、自分が着たら衣装負けしそうだと舞は思うので、気楽でもあった。


 エスティエルティナも元の大きさに戻して腰に刷いている。普段はないその重みはしっくりと身になじみ、舞を支えてくれているように感じられる。おかげで、大勢の、舞の倍は年を取っている客たちに囲まれていても、平気で会合を眺め渡すことが出来る。


 巨大な円卓を取り囲んだ代表者たちが、ひとりひとり上げる名乗りと口上を聞きながら、ようやくここまで来た、と舞は考えていた。エルギン王子の戴冠を支えるためにこれほど多くの人間が集まった。初めは、エルギンの味方はルファルファ神の愛娘ふたりしかいなかった。エスメラルダの人々が全国を回って少しずつ少しずつ根回しを行ったことや、ルファルファ神の威光や、エルギン自身の評判、そして王の非道さも手伝って、ようやくこれほどの人間を集められるまでになったのだ。


 ――ここにロギオン=ジルベルトを呼びたかった。


 心底思った。


 ――ジルベルトさんとアンヌ王妃がここにいれば、同盟は完成したも同然だったのに。


 ひとりひとりが口上を続け、最後のひとりの番になった。初めて見る顔だ、と舞は思った。禿頭の小男は、ぴょこんと立ち上がると身を乗り出して言った。


「ウルクディアから参りました。都市代表を務めております、ギーナ=レスタナと申します。以後お見知りおきを」


 そして剽軽(ひょうきん)な笑みを見せた。


 周囲はざわめいていた。ウルクディア、と言えば王のお気に入りの離宮がある街で、クロウディア家が没落してからは王が直接治め、長らく庇護を与えてきた場所だ。その街も王を見限ることに決めた、ということを、客たちはにわかには信じがたいのか、不安そうな呟きがいくつか聞き取れる。


 ギーナと名乗った男はにこやかに笑顔を振りまいて、


「エスティエルティナ=ラ・マイ=ルファ・ルダ。お目にかかれて光栄に存じます」


 直接舞に言葉をかけてきた。


「迎え入れていただけるとありがたいのですが。王のお膝下で、長い間庇護を受けたからとて、我らも人間でありますれば。かつての恩返しに暴君に虐げられるのをいつまでも甘受せねばならぬと思われるのでしたら」

「とんでもない」


 舞は微笑んだ。


「お越しに感謝します。ギーナ=レスタナ。わたくしもここへ来る際、ウルクディアに立ち寄りました。暴君のお膝元だからこそ、ひどく迫害を受けられたご様子、この目で確かめて参りました。おいたわしいことでした」


 ギーナの目に感謝がひらめいた。周囲のざわめきが落ち着いたからだ。


「ご光来を賜りましたとは、さらに光栄なことでございます。【最後の娘】も見事な黒髪をお持ちで――無事にこちらへたどり着かれまして、本当にようございました。お恥ずかしい限りではありますが、我らがウルクディアはもはや、黒髪のお嬢様方にはあまりに酷薄な場所になり果てましてな」

「それももはや長いことは続きますまい。こうして私の船に、こんなに大勢の仲間をお迎えすることが出来たのですから」


 バルバロッサが主導権を取り戻し、立ち上がった。


「国中の主立った場所や神殿で、今宵ここにおられない方はもはや幾人かしかおりません。よくぞここまで来たものだと、感慨しきりでございます。これはひとえに我らが全ての母、世界を抱く真の女王が、我らに慈悲をかけてくださったためだと」


 こちらに芝居がかった一礼を投げてくる。その場にいる全員が同意の仕草を示すのを、舞は微笑んで受け、口を開いた。


「このような大切な場所に【最初の娘】が出席できないことを、どうかお許しください。そして、残念なお知らせをしなければなりません。本来ならばここへ、【アスタ】の代表ロギオン=ジルベルトと、【アスタ】の後ろ盾アンヌ王妃をお招きできるはずでしたが」

「ジルベルトは先日、処刑されたそうですな」


 受けたのはギーナ=レスタナだ。痛ましげなつぶやきが漏れる中、舞は目を伏せた。その知らせは昨日、舞も受け取った。ジルベルトが処刑されたのは、【アスタ】のあの夜から、たったの三日後のことだった。


「クロウディア家を没落させた責任を問われたとのことですが」

「逮捕から処刑まであまりにも早すぎる」

「余計なことを喋られては困るとの王の」

「痛ましい話だ。高利貸しの指示を出したのは」

「――とにかく」


 ざわめきをバルバロッサが抑えた。


「戦争を回避し、エルギン王太子殿下に穏便に王位を継承していただくためには、ラインスターク将軍かアンヌ王妃かマーセラ神殿、どれかひとつ以上の協力が不可欠です。ところがラインスターク将軍は、我らに背を向けることを選択されました」

「愛娘のおひとりが、姿を消したともっぱらの噂ですな」


 誰かが言った。周囲の客たちもひそひそと囁き交わしている。そのうち、マス=ルダの代表が言った。


「シルヴィア姫を救い出すことが出来ればあるいは――」

「いえ、残念ながら。シルヴィア姫は既に亡くなられました」


 舞が言うとざわめきが高くなった。痛ましげな呟きに舞は、小さな可愛い鴉のことを思った。今どうしているだろう。ビアンカと一緒に、美味しいものを食べて、安全でいてくれるだろうか。

 客の一人が手をあげた。


「失礼ですが、確かな情報でしょうか」

「ええ」

「なんと……ではラインスターク将軍に、その事実をお伝えしては」

「残念ですが、事態は変わらないと思いますな」とバルバロッサが受けた。「ラインディアにあるラインスターク将軍の館は、王宮に優るとも劣らない警護が日夜敷かれているのです。その館から易々と、何の痕跡も残さずに、シルヴィア姫を連れ出してのけた。将軍の心中は察するにあまりある。将軍にはまだアイオリーナ姫がいる。同じように連れ出されてしまうことを思うと、将軍はアイオリーナ姫のそばから離れることが出来ますまい。日夜神経をすり減らし、愛娘から一瞬も目を離さぬようになさっていると思われます。その状態で王へ反旗を翻すなど、到底出来ることではありません」

「しかしアイオリーナ姫がいつまでも無事とは限りますまい」

「無事ですよ。王はラインスターク将軍を手放すことは出来ない。絶対に。彼さえもが王のそばを離れたら、その時に王の退位は決まったも同然です。ですからアイオリーナ姫は、安全でしょう。将軍が、王の剣で、そして盾であり続ける限り」


 それこそが、シルヴィアの死の理由だったのだと、舞は思う。

 ラインスターク将軍を王のそばにいつまでも縛り付けておくために、シルヴィアは殺されてしまった。王は彼女を使って愉しんだのだろうかと、思考がそこをかすめただけで吐き気に似たものがみぞおちの辺りにこみ上げてきた。あの美しいシルヴィアを、優しくて可愛い、悪意などの悪しき感情とは対極にある、あの可憐な存在を、王は。


「では――やはり、アンヌ王妃ですな」


 会議の流れが、そこへ行き着いた。舞も頷いた。マーセラ神殿はルファルファ神を認めないだろう。少なくとも今の段階では。だから残るのは、アンヌ王妃しかいない。


 彼女をこちらへ引き入れることが出来れば、エルギン王子の戴冠に、大きな後ろ盾となる。誰もカーディス王子のことを口に出さなかった。アンヌ王妃がエルギンの手を取れば、カーディス王子はとても困った立場に立たされる。けれどこの場にいる全員にとって、カーディス王子という存在はひどく軽いものだった。マーセラ神殿の大神官という地位にありながら、補佐官ムーサの傀儡となり果て、烈女と呼ばれた母の足かせになるしか能のない、無力な、取るに足らない存在に過ぎなかった。


 舞は立ち上がった。自分が行かなければならないのはわかっていた。だから誰かが苦しく水を向けてくる前に、微笑んだ。


「私が参ります」

「【最後の娘】!」


 制止する声は一応上がったが、儀礼的なものに過ぎないと、その場にいる全員がわかっていた。舞は微笑みを深める。


「アンヌ王妃に我らが同盟の誠意を見せるのには、僭越ながら私が一番適任です。ご覧の通り小さいですから王宮に潜り込むのも簡単ですし」

「しかし」

「貴女は」

「危険です」


 口々に上がる儀礼的な反論に舞は軽く頭を下げる。


「私は【最後の娘】です。【最初の娘】の道を整えるのが仕事です。アンヌ王妃は王に縛られておいでです。大勢で押しかけては王の手前、突っぱねるしかなくなるでしょうから、やはり代表者がごく少数で忍び込むしかありませんが――ここにおられるどの方も、その身に代わる者がない方ばかり。その点【最後の娘】ならば、例え私が斃れても、すぐにまた生まれるでしょう。この剣が選ぶでしょうから」

「それでは――【最後の娘】にお願いすることにいたしましょう。皆様、異論はありませんな?」


 バルバロッサが後を引き取り、会合を見渡した。異論は当然生じなかった。必要な段階を踏んで、アンヌ王妃を説得する役目は、舞の手にゆだねられた。初めから決まっていたとおり、つつがなく。

 ところが、そこで予想外のことが起こった。バルバロッサが、舞を見て、悪戯っぽくニヤリとしたのだ。


「敵の本拠地へ、我が女神の愛し子を送り出さねばならぬことになろうとは。しかし本日は、その旅路を明るくする人をお連れいたしましたぞ。――お待たせいたしました、イェルディア侯爵!」


 さっと扉が開かれた。一番上座にいた舞の正面、大広間の大きな扉の入り口に、ふたりの人物が立っていた。二人とも背が高かった。一人は男で、バルバロッサと同年代の、威風堂々とした威厳のある面持ちで、もうひとりは。女性で、年を経てなお美しい、そして厳しい顔立ちの。

 アンヌ王妃にそっくりな、老女だった。


「……」


 舞も、そして客人たちも、すべて立ち上がった。そして悠然と歩いてくるその二人に、恭しく頭をたれた。頭を上げているのは舞だけで、舞とて、故郷で最高神ルファルファの娘としての立ち居ふるまいを厳しくたたき込まれていなかったら、頭を下げていただろう。それほどに、二人は威厳をたたえていた。


「現王妃の兄上と――そして母上に当たられます」


 バルバロッサの紹介に、舞は軽く膝を折った。まだその二人の出現を信じられなかったが、いつまで経ってもその二人は消えずに舞を見ている。バルバロッサを恨みたくなった。せめて先に話しておいてくれればよかったのに!


「驚いていらっしゃいますね、【最後の娘】」


 侯爵がにこにこしながら言った。アンヌ王妃によく似た風貌ではあるが、そういう顔をするとひどく人懐っこく見える。


「王妃の血縁がこの会合に顔を出しては、もはや言い逃れはできませんからね――本日は、我が母がどうしてもと。【最後の娘】にお会いして、そしてお願いをしたいのだと、言って聞きませんでね」


 ざっくばらんな口調に、舞はようやく務めを思い出した。再び膝を軽く折る。


「お越しに感謝します、イェルディア侯爵――そして」

「アスタ、と申しますの」


 老女の声に部屋中にざわめきが走る。舞も息を詰め、老女を見つめた。アスタ、という名は、それでは――


「【最後の娘】。よもや、お目にかかることができるとは思いませんでした」


 勧められた椅子を断り、アスタはゆっくりと円卓を回ってきた。舞のところまでくると腰をかがめて舞の手を取った。皺深い、温かな感触だった。


「その職を――責を――担ってくださって、感謝します。見たところまだお若いのに、勇気がありなさる」

「恐縮です、アスタ様。あの、どうぞ、おかけになりませんか」


 折よく水夫が椅子を運んできてくれたので、アスタと舞は並んで腰をかけた。それでもアスタの皺深い手は、舞の手を握ったままだった。


「本日は、お願いにあがりましたの。我が娘を、あの地獄のような王宮から、救い出していただきたくて」


 アスタは真っすぐに舞を見て、目をそらさなかったが、声は朗々とよく響いて、会合に集った者全員がはっきりと聞き取ることができた。舞はアスタの黒い目をじっと見た。強い瞳だと、思った。真っすぐで揺るがなくて、信念を感じる瞳だった。


「よろしいのですか」


 言うと、アスタはうなずいて、自分の胸元を軽く叩いた。


「娘に手紙も書きました。少しでもお役に立てればと」

「カーディス王子は」


 その名を敢えて出すと、部屋中にため息のようなさざ波が走る。けれどアスタは揺るがなかった。


「残念ですけれどね。仕方がありません。ムーサをなんとかしない限りカーディスがこちらに加わることはあり得ませんし、そこまであなたの背に負わせるわけにはまいりません。カーディスのことは、どうぞお捨ておきください、【最後の娘】。あの子は優しい子ですが、十八にもなって母親の足かせにしかならぬようでは――王も取るに足らぬと今までどおり、放置しておいてくれるやも」


「孫を捨ててでも、わたくしたちの手を、取ってくださるのですか」


「王はもはやおしまいです。むしろ今まで、よくもったと思いますわ。ルファ・ルダを滅ぼし、ティファ・ルダでは虐殺を行い、医師を含む大勢の人々を迫害し、さらには罪もなき娘たちを――ただ黒髪だというだけで! 王だとて、いえ王だからこそなおさら、許されてよい行いではありません。彼の人を止めなければ。何としてでも。エルギン王子が起ってくださったのは本当にありがたいことですわ。カーディスには到底望めないことですから」


 熱っぽい口調にはアスタの心底からの思いが込められていた。舞は思わず、彼女の手を握り返した。アスタが微笑む。


「わたくしの娘が、エルギン王子と【最初の娘】の――そしてあなたの、お役に立てる地位にいることが、今は嬉しいと思いますわ。そのためにあなたを危険にさらさねばならないことが心苦しいのですけれどね。少し言い訳をさせていただいてもよろしくて?

 ――【アスタ】が終わったと知った時、わたくしはアンヌに、イェルディアに戻るよう迎えを出したのです。アンヌをね、アナカルディアに二度と戻さずに、そのままこちらへつれてきてしまおうと思ったの。あの子がここにいたなら、あなたを危険にさらさずに済んだのだと思うと、心苦しいですわ――ほら、ムーサがリヴェルにいたでしょう。ロギオンを処刑した後、アンヌの一行とばったり出会ったふりをして、あの子を連れて行ってしまった」


 地獄へとね、とアスタは呟いた。彼女が口をつぐむと、沈黙が落ちた。

 舞は【アスタ】で出会ったアンヌの美しい横顔を思い浮かべた。目の前にいるアンヌの母は、アンヌよりも厳しい顔立ちをしている。


 アンヌ王妃は母よりも柔和な印象だ。ビアンカを抱き締めていた時の、悲しげで悲痛な様子を見れば、彼女の優しさがよく分かる。ビアンカよりもよほど泣きそうな顔をしていた。自分の無力を悔やんで、ジルベルトを悼んで、罪悪感に蝕まれていた。それでもビアンカを放さなかった。そのことを思うと。


 今かの人は、地獄のような王宮で、いったいどうしているのだろう。ヴェガスタもフィガスタも取り上げられて、【アスタ】をも失って。


 それでも舞は信じた。彼女はきっと今も、前を向いているだろう。諦めないで、自分にできることを探しているだろう。王の暴挙を止めることこそできなくても、その被害を少しでもくい止められるよう、道を探しているだろう。


 会ったのはほんの刹那のことなのに、こんなことを思うのはおかしいかもしれないけれど。


「姫、そろそろ時間です」


 マーティンが囁いて、沈黙の呪縛が解けた。

 会合に集った者たちも、これから何が起こるのか聞かされている。舞はアスタの手を握った。


「アスタ様。そしてイェルディア侯爵。これから少々揺れますが、どうかご心配なさいませぬよう。御身の安全は保証しますから」


 アスタはうなずき、微笑んで、首を傾げた。


「あちらの部屋で聞きましたわ。なにやら楽しいことが起こるとか」

「貴女が叱ってくだされば、きっとすぐ言うことを聞いてくれるでしょう」


 舞も微笑んだ。


「私たち、これから、アンヌ王妃への案内人を取っ捕まえるんです」

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