ベスタ(6)
ずず。
地響きが聞こえた。デクターは立っていられず、その場にうずくまった。ずずず、地響きがまた聞こえた。ガルテを取り囲んでいた人たちが驚きの声を上げたのも。
頭が割れそうだった。目の前がチカチカしていた。ジャンと俺の違いは何だ、ガルテが叫んでいる。心細くて――周りみんなの態度が急に、よそよそしくなって。いつ捕まえられるかわかったものじゃない、そう、思わずにはいられなくて。
想像するのは容易だった。デクター自身、覚えのある感情だった。“おまえはもう私たちの仲間ではない”周囲の人々から距離を置かれる、あの薄ら寒い拒絶の意志は、程度の差こそあれ――機会の違いこそあれ――デクターもいつも感じてきた。
それに。
――家にも来ていた。
心の奥底に閉じ込めてきた、見なかったことにしてきたことが、今、まさに、確信となってデクターに襲いかかってきていた。
ラク・ルダで一二を争う資産家で、政治的にも有力なカーン家の、嫡男が、【契約の民】だということは、周知の事実となっていた。もちろん父は、アナカルディアにデクターを差し出したりはしなかったし、王家の方でもデクターに目をつけることはしなかった。ラク・ルダとカーン家は、王と言えどもおいそれと手だしできる相手ではなかったのだろう。
でもラク・ルダに大勢住んでいた【契約の民】たちは。
ラク・ルダに匿える人数にも限界があった。あそこでも、医師や薬師たちが優先されたのは当然のことだろう。匿ってもらえず、近所から爪弾きされてしまった人たちは、ありとあらゆる伝を辿って隠れ場所を探した。
――身内に【契約の民】がいる有力者の存在は、彼らには絶好の隠れ場所に見えただろう。
引っ切りなしに嘆願者が来ていた時期があった。
父が会合に呼び出され、何日も帰れない日々があった。
母が暗い顔で、毎日のように物陰で、涙を流していた時期があった。
いくらカーン家といえど、ラク・ルダ中の【契約の民】を表立って匿うことはできなかった。そんなことをすれば王家にたてつくと宣言するのと同じことだ。ルファ・ルダ、ティファ・ルダと相次いで滅ぼされた現実を目の当たりにして来たラク・ルダで、そんなことができるわけがなかった。
――俺も、ガルテと同じだった。
デクターを匿うカーン家に、一縷の望みをつないで集まって来た人たちは――それから、どうなったのだろう?
「……デクター!」
アルガスの声で我に返った。アルガスはデクターの襟元をつかみ、ものすごい勢いで振り回していた。急に視界が晴れ、デクターはアルガスの顔が小刻みに揺れているのを見た。
「あんたがやってるのか!? 止めろっ、一応止めてくれ! 早く!」
何言ってんだコイツ――そう思ってデクターは、アルガスが自分を振り回しているわけではないことにやっと気づいた。
地震だ。
ぎょっとした。周囲はひどいことになっていた。地割れが数本も走り、神殿から大勢の神官たちが駆け出して来ている。ガルテを中心にしていた人だかりは皆一様に地面にはいつくばっており、地割れに半分体を飲み込まれそうになっている人までいた。
――あんたがやってるのか。
そうだった。
確かにそうだ。これを起こしているのは間違いなく自分自身だ。デクターは、自分の体に刻まれている大地の紋章の存在を、数年振りに思い出した。ふだん何の役にも立たなかったので、すっかりその存在を忘れていたのだ。鎮まれ、そう思っても、揺れは止まらなかった。「鎮まれ」声に出してもだめだ。
どうしようと、デクターは、ガルテにしがみつくようにしている人たちを見ながら考えた。
どうしよう。止め方が分からない。
「……あんたがやってるんです、よね?」
アルガスが意外に平静な声で言った。この辺りに地割れはできておらず、揺れもそれほどではなかった。「たぶん」デクターの答えを聞いて、アルガスは、ひとつ頷いた。
「なら、俺が止める」
「――へ?」
聞き返した瞬間、アルガスは走りだしていた。
ぐらぐら揺れる場所の真っ只中に、走り込んで行く。地割れを踏み、跳んでそこにたどり着くと、ガルテの上に覆いかぶさる村人を引きはがした。「ぐぎゃあっ」地響きに紛れて悲鳴が上がったのは、腕の付け根の急所を叩いて手を放させたかららしい。アルガスは情け容赦なく村人たちの急所を掴んで引きはがし、中からガルテを掘り出した。
「ガルテ!」
と。
地響きが止まった。
デクターは――唐突に疲労を感じて、その場に座り込んだ。アルガスは構わずにガルテを無理やり引きずり起こした。ガルテは呆然としているが、アルガスはそれにも全く構わずにガルテを急き立てる。
「行くぞ、ガルテ! 立て!」
「ま――待て」
神官兵が声をかける。アルガスはガルテの左腕を自分の肩に回した。
神官兵が槍を抜いた。
――医師を逃す気は無いらしい。
その瞬間デクターは、覚悟を決めた。
暴力も倫理もへったくれもなかった。あの地響きがすべてを表していた。あれはまぎれもなくデクターがやったことだった。腹立たしくて、悔しくて、憎らしくて憎らしくて許せなくて。
――もう、頭来た。
思いっきり息を吸い込んで、
「動くなああああああああああー!」
叫ぶと同時に、四方から水が飛来した。周囲の井戸から、少し離れた川から、地割れの底から吹き上がった水は頭上で寄り集まり捩れ合い、一本の滝となって神官兵の眼前になだれ落ちた。「くっ」数人が押し流されたのを見ながらデクターは走りだした。先ほどつないだ馬の方に。
ガルテを抱えたアルガスが人々の間を抜けた。水の奔流をやり過ごせた一部の兵達がアルガスたちの行く手を阻むように迂回しながら走ってくる。デクターは馬をほどき、一頭に飛び乗り、もう一頭の手綱を握ったまま走らせた。アルガスたちの前に出ようとした兵士に風の塊をぶつけて押しのける。
「乗れ!」
一言も言わずにアルガスはガルテを馬の背に無理やり押し上げた。
まるで人さらいのようだと、デクターは、こんな時だというのに笑い出したくなった。
善良な人々の大切な医師を無理やりかどわかす、正真正銘の悪役だ。
でも、それで構うものか。
追いすがる馬たちに向けて水の塊を解き放ちながらデクターは声を上げて笑った。
手が震えるほどの高揚感だった。
町を抜け、街道をしばらく駆けた。追っ手を完全に振り切ったと判断したらしいアルガスが馬を止めた。ガルテは完全に伸びていた。アルガスはガルテの背をべしっと叩いた。
「ガルテ、起きろ」べしべし。
「……」
「ガルテ、起きろったら」べしべしべし。
「…………」
「ガルテ」べしべしべしべしべしべし
「……痛えー!」
がばっとガルテが身を起こし、驚いた馬がガルテを振り落とした。「ぎゃあっ」悲鳴を上げてガルテが転げ落ち、アルガスが続いて降りた。
「大丈夫か」
「……大丈夫じゃねえ」
ガルテはふてくされた口調で言い、ごろりと仰向けになった。露になったままの左腕の紋章が輝いている。
「あああああ……」
長いため息が聞こえる。どういう意味のため息なのだろうとデクターは思う。
でもそれも、構うものか。
デクターはアルガスに言った。
「お前は戻れ」
「え」
アルガスの藍色の瞳がデクターを見上げる。普段よりその色が濃いのを見て、デクターは嬉しかった。先程の騒動に憤ったのはデクターばかりじゃなかった、そのことが無性に嬉しかった。
「早く戻れ。ガルテみたいな腕のいい医師をみすみす逃すわけがない。下手人は【契約の民】だ。神官兵のメンツにかけても総出で追いかけてくるはず」
「――」
「俺はガルテをアスタにつれて行く」
「アスタ?」
ガルテが頭をもたげる。馬が足を踏み変え、デクターはバランスを取った。
「デリクが言ってただろ。お前も用が済んだら来い。――早く行け!」
「ちょっと待て、何の話だ」
「あんたに拒否権はないんだよ」
デクターは馬から滑り降り、ガルテを引きずり上げて立たせた。こんな力がどこにあったのかと、自分で不思議に思うほど、ガルテが軽く感じられた。無理やり馬の背に押し上げる。
「さっきの地震も水も風も全部俺がやった。火事も起こせる。アスタにつくまでにあんたが逃げたり抵抗したりしたら、アンタノ大事ナアノ村ニ火ーツケルゾコノヤロー」
「何言ってんだ……?」
「デクター、」
アルガスが言いかけ、デクターは構わずにもう一頭の馬に乗った。
「今なら神殿は空っぽだ」
「デク、」
「早く行けったら! 女の子を捜すにも地下街に入るにも、誰かのために何かするにもっ、俺の地図を売るのにも! 全部、剣がなきゃできないじゃないか! それならわき目なんか振るなよ! 俺の地図売るって約束しただろ!? そんならっ」
デクターはびしっとベスタ神殿の方を指さした。
「今すぐ行って今すぐ取り戻して来いよ! 話はそれからだ!」
言い捨てて、馬の腹を蹴った。ガルテを乗せた馬もつられ、二頭の馬は勢いよく走りだした。街道にぽつんと立ち尽くすアルガスを置き去りにして。
角を曲がる寸前で振り返ると、もう、そこにアルガスの姿はなかった。




